「この間のエーディンの話、大雑把過ぎて、よくわからなかった」
剣の練習をぼんやり眺めながらラクチェが言った。
「僕もあんまり」
とデルムッドも言う。
「お父さんお母さんになる準備って、何なんだろうね」
「わかってたら、考えたりしてないわよ。
オイフェさんは、わかる?」
セリスとシャナンが剣をあわせているのをみているオイフェは、後ろの二人の話をなんとなく聞いていて、
「わからないではない」
と言った。
「でも、女の子のことは、エーディン様にお聞きするのが一番わかる」
「はぐらかしてるでしょ」
「いや?
天地がひっくり返っても、私は女の子にはなれないからね」
「ああ、そういうことね」
ラクチェは聞くだけ損した、と言う顔をした。そこに、
「ラクチェ、お母様が、練習着の手直しをするから中に入ってって」
と、ラナが家の中から声をかける。しかしちょうど、シャナンとセリスが手合わせを終えて、
「スカサハとラクチェは俺が見よう」
とシャナンが言い出したのとほとんど同じだったので、ラクチェは
「はーい」
うれしそうに声を上げながら、シャナンのほうに駆け寄っていったところだった。と、
「ラクチェ!」
オイフェが声を上げて、まとっていたローブをとった。
「なに、オイフェさん」
振り向いたラクチェの体に、そのローブをかけて、オイフェは、
「エーディン様のおっしゃるとおりに、一度中に戻りなさい」
そう耳打ちした。
オイフェにつれられて、わけのわからないままに中に入ったラクチェの上のほうで、ひそぼそと何かの言葉がかわされる。
「まあ」
エーディンはそう声を上げ
「ありがとうオイフェ、気がついてくれて」
といい、ラクチェには、まずぐるり一周をみて、
「寸法直しより、まず着替えが必要みたいね」
と言った。
「模様替えが終わった後でよかったわ。
おめでとうラクチェ、お母様の体になる、最初の一歩が始まったみたいね」
オイフェは、ラクチェの身の上にあったことについて、エーディンに知らせた以上のことは何も言わない。
「何で他の子には言わなかったの?」
と聞くと、オイフェはそう改めて聞かれても困る、と言う顔で
「それとも、みんなの前で、『怪我でもしたのか』といってほしかったかい?」
そう返した。ラクチェはあの後、自分の服のあまりの大惨事に、柄になく失神仕掛けたのだから、やっぱり、言ってもらわなくてよかったかな、と思い直す。
「ううん」
「私は、そういう事実があるということだけしか知らない。それを気づかせない方法は、エーディン様から教えを受けて、自分が身に着けるしかない気がするね」
「うん、そんな気がする」
ラクチェは、エーディンが着せてくれたシスター服で、おとなしくしている。手当の方法をマスターするまでは、そういう格好でいなさいと、エーディンから厳命を受けたのだ。
「足がすうすうするなぁ」
「それも、慣れるしかないな。君もいつ何時、綺麗なドレスで世に出ないとも限らないのだから」
オイフェは小さく笑ったようだった。
ラナは、家の中で、エーディンがその始末に駆け回るのを、手伝いながらみていた。
「お母様になるって、大変なんだなぁ」
と、そんなことを思いつつ。もちろん、ここでのお母様とは、生物的な問題ではなく、生活として、である。
「お母様、大変ね」
と、その合間にラナが言うと、エーディンは
「ありがとう」
ふと唇を緩めて、ぽんぽん、と、ラナの頭をなでて、またどこかに足早に去ってゆく。と、
「エーディン、ラクチェどうしたの?」
と声がする。セリスが中に入っていて、しかもラクチェはシスターの服でそこにいる。
「ああ、ラクチェいたんだ。どうしたのかなって」
「あのね、セリス様、ラクチェ…」
といおうとしたラナの肩をぽん、とオイフェがたたいて、唇に指を当てる。それは何も言うなと言うことだった。
「新しい服作るから、代わりにお母様の服着てるの」
「…そうなんだ」
セリスはきょとん、としてそれに答えて、
「怪我とか病気じゃなければいいんだ。
ラクチェ、着替えたら、続きする?」
と聞かれて、ラクチェは一度はうなずこうとした。このままおとなしくしているよりは、体を動かして忘れていたい。しかし、階段のはるか上のほうから
「ラクチェ、今日はだめよ」
との声。
「そういうわけなの」
「ふぅん。なんだかよくわからないけど、今日はだめなんだね。わかった」
「では、私がお相手しましょう」
「うん、じゃ、オイフェとやろう」
他愛なくセリスはその誘いに乗って、外に飛び出してゆく。
「あーあ、いつまでこうしてなきゃならないんだろ」
ラクチェはじっとしていることにもう飽きたのか、いすの上で大の字になる。それをエーディンがみていたので、ぱ、と、おとなしく座りなおした。
「ほんの何日かよ」
「でも剣は、毎日持たないと鈍るって」
「そのとき持てるか持てないかは、これからは自分で考えなさい。でも、今回はだめ」
「うー…」
「でも今、私はうれしいのよ」
エーディンがそう言いながら隣に座る。
「大切なお友達から預かったあなたが、ちゃんと成長しているってことが」
「…」
「アイラも一緒に、喜びたかったでしょうにね」
それを言われると、さしものラクチェも神妙になる。
「でも毎回毎回、こんな姿でいたら、そのうち、きっと回りにわかっちゃうよね。恥ずかしいな、そういうのは…
母さんは、こんな時どうしていたのかな」
「そうねぇ、私と知り合う前は、イザークからの旅も長かったというし、戦場でもいつも先頭を切っていたし…
でも、そんなことを、全然感どらせない人だったわ」
「ふぅん」
「気づかせないのがうまい人だったのよ。その気づかせないコツは、これから私が教えることを基にして、自分で考えなさい」
「わかった」
「じゃ、あなたの新しい練習着の寸法直しを、先にしてしまいましょう、さっきちょうど見つけて、だからあなたを呼ぼうと思ったの」
「うん、してして」
いそいそとその準備をするエーディンに向かって、ラナはつい
「ねえねえ、お母様」
と声をあげていた。
「なぁに?」
「お母様、私がラクチェみたいになっても、ラクチェみたいに心配してくれる?」
「あら」
裁縫箱を開けようとして、エーディンはくすくす、と笑った。
「心配しないわけがないじゃない」
「ほんと?」
「でも、あなたはまだでしょう? そのときになったら、うんと喜んであげるから、今日はラクチェの心配をさせてちょうだいね」
「…はぁい」
だがそのラナのほうの心配は、存外に早かった。
「ラクチェのことから一年ほどしかたたないっていうのは…一体神様は何をお考えなのかしら」
エーディンは、横になっているラナのまくらもとで、心配そうに言う。意識をしすぎて連鎖でも起こしたのだろうか。
二、三日、けだるいと横になっていて、これ以上寝ているようなら薬草が必要かと思っていた矢先だった。
「まだおなかは痛い?」
と尋ねると、ラナは小さくうなずいた。
「私と言うより、お姉様に似てるわね。お姉さまはいつもこんな調子で…」
エーディンはつぶやきながら、ハーブティーの準備を始める。前は姉のためにいれていたものが、まさか今度は娘のためにカモミールティーをいれるようになるとは。エーディンはつい、口元が緩む。なんだかうれしそうな呟きに、ラナは
「お母様のお姉様?」
と尋ねていた。
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