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「アレス、あれはいったいどういうことなの」
「下手に慣れていないところをさらすとああなるいい例だ」
アレスは、女性たちに囲まれて色香の豪雨を浴びているらしきデルムッドを、冷静に見ている。そばに一人だけ、気に入ったらしい女性をつけているが、少しだけ、リーンに似ている気がしないでもなかった。
「何されてるんだろう」
リーフがつい言ってしまう。それがうらやましいように聞こえたのか、
「味わってみるか?」
アレスが、にや、と笑った。
「え?」
「好きな娘一人寝室まで連れ込んで、全然手を出してないとうそぶくカマトト王子様には、ちょうどいい刺激になるぞ」
「どういうことだよ、手を出してないのは本当だよ、だってそれが約束だから」
そういう言い訳を、アレスは聞いているのかいないのか、リーフのそばの女性に注意を促し、目配せする。女性は十を知った顔で、
「みんな、そちらばかりお世話になって、それはひいきが過ぎるわよ、こちらの方にもいろいろと教えて差し上げましょうよ」
というと、女性の塊がぶわっと動き、リーフの上にかぶさってきた。
「うわあぁ………ぅぁ」

 しばらくあって。
 わいわいとする話の輪からから隔絶されて、デルムッドが長いすでなにやら尽き果てた風情で横になっている。
「こんなとこ、もうこないぞぉ…」
だの
「助けてください、母上ぇ…」
だの
「ごめん、僕は汚れちゃったよ…」
だの、そういう呟きなど、周りはまったく聞いてない。
 リーフも、おそらくはデルムッドと同じ目にあったはずだった。デルムッドのようになってしまわないのは、単に胆力の違いなのかそれとも…
「どうだった」
アレスが尋ねる。しかし、なにやらかにやら、天地左右が渾然一体となった今のリーフには、
「うん…すごかった」
としか言えなかった。
「帰ればもっとわかるさ」
アレスはにやりとした笑みを崩さない。さもありなん、アレスとリーンはほとんど夫婦同然に、あの城では暮らしている。多少の寄り道の誘惑など、小石をぶつけられたぐらいにしか思っていないのだ。
「立てるか?」
「多分」
言いながら、リーフは立ち上がる。女性たちにもみくちゃにされて乱れた服を直して、
「デルムッド、大丈夫かな」
「引っ張っていくしかないな。
 つれてきた以上は責任は取らねばなるまい」

 行くなといわれていた場所に行ったこと、さらにはそこで見回りの時間をまるまるすごしてきたこと、そもそも出自がわかったのだから、自重をしてもらわないと。
 そういうフィンの小言を全部「へいへい」で聞き流して、アレスはデルムッドを、当てられた部屋に放り込む。同じ行動をとっていたリーフが責められなかったのは、幸運以外の何者でもないだろう。
「全部俺の独断だ、あの二人は責めてくれるな」
というアレスの言葉と、リーフがけろりとしているので、さしものフィンも、リーフにまで小言を及ぼすことはできなかったのだろう。
 しかし、リーフはその後、焦がされるような思いで、自分の行動を後悔することになる。
 それを、神ならぬリーフは、知る由もない。

 「お帰りなさい、リーフ様」
悶着などまったく知らぬ顔で、部屋でナンナが出迎えてくれる。と、彼女ははしばみのひとみをきょとん、と瞬いて、
「リーフ様、いい香り」
と言う。リーフは良心を押さえ込むように胸に手を当てつつ、
「あ、ああ、これ…
 見回りの途中で、ちょっと」
ナンナ相手にどこまでうそをつけるだろう。そんなことを思って、リーフは思わず言いさすような物言いになってしまった。
「香水のお店でも、出ていたのですか?」
「そんな…ところかな。つい見入っちゃって。
 ほら、ナンナだって、そろそろそういうこと覚えてもいいんじゃないかなって」
しかしナンナはふるふると頭を振って
「みんなもおしゃれをしたらと言ってくれるんですけど、派手なのは苦手なんです」
という。
「でも」
「…でも?」
「リーフ様がおっしゃるなら…がんばります」

どき。

 何かに刺されたように、リーフの胸がなる。良心の呵責とは全然違う痛みだ。それにしても、まじまじと見るだに、ナンナは、そんな上っ面の装いなんか、まったく必要ない。リーフは、取り繕った言い方を後悔して
「がんばらなくてもいいよ」
つい言葉にしてしまう。
「でも」
「がんばらなくてもいいんだよ、本当に。ナンナは今のままで十分…その…綺麗だから」
「ありがとうございます」
それこそ穴でもあったら入っていってしまいそうなナンナの答えが、いやにリーフの琴線をかき鳴らす。
「あのさ、ナンナ」
「はい」
「しばらく、一人にしてくれないかな。少し眠いんだ」
「はい」
ナンナを送り出して、ぱたりと扉を閉めて、リーフはその扉が開かなくするかのように、ずるずると背中からへたり込む。
 全身が心臓みたいだ。夜までにおさまればいいけれど。いやむしろ、おさまってくれ。
 彼女に、変に思われたくないから。

 そういえば、デルムットはあれからどうなったかな。リーフは、解放軍戦士の相部屋に、デルムッドを訪ねる。彼は、自分に当てられたベッドの上で、青白い顔で呻吟していた。
「だ、大丈夫?」
思わず言葉が詰まりかけるリーフに、どうやら付き添いを命じられたらしきアレスが
「たいしたことはない。あそこでもてすぎただけさ。
 こうして酒と自分の距離を覚えるんだ」
と、無愛想に言った。
「叔父貴め、昔の自分のことすっかりタナにあげちまって」
そうとも言うのは、おそらくレヴィンやオイフェを経由して知った、その若いころのあれこれをさしているのだろう。デルムッドほどのころの彼は、息子以上の朴念仁だったハズだ。
「やっと出会えた実の息子だし、いいところ見せたいんじゃない?」
ついついリーフはたしなめ顔になる。
「それにしてもお前、ずいぶんけろりとしてるな」
「僕?」
「デルムッドと同じことされたはずなのに」
「酒じゃないほうは、僕も多少の知識はあったからね」
フィアナにいたころの誰彼…一部はまだ興味ありそうについてきているらしいが…に、きわどく鍛えられていたのを、今になって思い出す。むしろ今日のことは、その話を実際に体験しただけの話だ。酒場の中には、客をつかむために、時に過剰な接待があるということも含めて。
「でも、…他人にされたのは、初めてだったよ」
「おや、ずいぶんと物分りのいい王子様だ、まんざらカマトトではなかったか」
「フィアナを発つまでは、僕も普通の子供だったんだよ、教えられれば試してみたくなるさ」
でも、それで後悔しているとは言わなかった。何より、気息奄々とはしているが、ナンナのドラゴンが一匹、目の前で寝ているからである。しかしアレスはそれをわかっているのかいないのか
「それで、少しは見違えたか?」
と言う。リーフは、昼間見た顔を、思い出せるだけ思い出してみた。それから、
「…そうだねぇ、少なくとも、ああいう場所にいる娘とナンナは違うということは、わかったよ」
そういうと、アレスはリーフの言下の言葉を知ったような顔で「ふぅん」と声を出した。

 ナンナは、今日兄にあったことを聞かされているのかいないのか、まったく無邪気にリーフの部屋にやってきて、うれしそうに寄り添ってくる。トラキア半島からの解放軍の戦士たちと、あのころの話をして、楽しかったと、楽しそうに話した。そのナンナの様子が少し違う。よくよく見てから、リーフは、
「ナンナ、新しく夜の服おろしたんだ?」
と聞いてみた。ナンナは話をつとやめて、
「はい、前のは、少し短くなっていたので」
と答える。
「おかしいですか?」
「そんなことはないよ」
薄めに織らせた麻生地を丁寧に縫わせているところからして、きっと彼女の家から送られてきたものに違いない。寝台の近くにともした明かりを消そうとして、まじまじと、その衣装をみる。と。
「わ」
リーフはあわてて明かりを消して、布団の中にもぐりこんだ。
「リーフ様?」
それを追いかけるように、ナンナも滑り込んでくる。
「何か、怖いものでも見つけました?」
「まさか」
背中を向けてしまったリーフを、何か機嫌を悪くしたのかと思ったのか、ナンナは
「ねぇリーフ様、こちらを向いてください」
と、肩に乗りあがるようにいる。
「うわわ…」
リーフは口の中で泡を食った声を出した。二の腕や背中に、ふわふわと柔らかいものが当たる。時々、ぽちりとした粒のような感触さえする。明かりを消そうとしたときに、彼女の胸に見えたその粒の影が、なかなかリーフの頭から離れない。
「本当に、なんでもないから、落ち着いて」
リーフは一度振り返って、心配そうな雰囲気のナンナに言った。
「そうだ、デルムッドがまだ明日も調子が悪そうだったら、見てあげるといいかもしれないよ」
そんな取り繕いもして、また背を向ける。
「おやすみっ」
背後のナンナは、釈然としない雰囲気のままで
「…はい、おやすみなさい」
と返した。

 しかし眠りはなかなか訪れず、リーフは明け方近くなって、起き疲れて眼を閉じた。
 そして目を開くと、外はもう明るい。
「参ったなあ、今日も見回り…」
口の中でつぶやきながら、寝返りを打つ。
 と、かさ、ぱさという音が、立てられた衝立の向こうでした。明るくするために、窓側に少し開いているのだろう、ぼんやりと、ナンナの姿が見えた。
「リーフ様、あまりお休みでなかったみたい…」
そんなことをつぶやきながら、しゅるりと夜具の紐を解き、そのまま下に脱ぎ滑らす。
「!」
さぱさぱと服を着替えてしまって、体の線はすぐに見慣れたものに変わってしまったが、服を脱ぎ落としたあの影は、なんと綺麗な線を描いていたものか。
「あ、リーフさま、起きていらしたのですね」
衝立の向こうから出てきて、ナンナが言う。
「…うん」
「あまりお休みになれていなかったようですけど、大丈夫ですか?」
「…まあね。今日の見回りまでの元気はあるよ」
「朝ごはん、食べましょ」
リーフが起きるのを促すように、ナンナは彼の手を引いた。しかしリーフはやや引きつった笑顔で
「後からすぐ行くよ、みんなと食べてて」
といった。ナンナは、多分眠れていないから体が大儀なのだと思っているようで、
「わかりました。だめなようなら伝えさせてください、お持ちします」
そういい、部屋を出て行った。
 ナンナの姿がいなくなるのを完全に確認して、リーフは掛け布団の中をそっとのぞく。
「これじゃあ、立ち上がることもできないからなぁ…」

 解放軍に立ち混じるようになってから、うんともすんとも言わなかったへその下が、今になって暴走の兆しを見せている。それは自分に余裕というのができたからだろうか、それとも、いわゆる「寝た子を起こさ」せられてしまったからなのか。
「いい傾向じゃないか」
というのは、いつものように、アレス。
「あの叔母上の血を一番濃く継いでいるナンナなんだぞ」
「だよねぇ…」
「それがほとんどお前専用なんだ、果報者ってのはお前のことだ」
「そうだねぇ…」
「もう事後承諾でかまわないじゃないか、いくとこまで行っちまえ」
「そ…れはできないよ」
アレスの無謀な提案に、一瞬「そうだね」と言おうとした自分が、なんだか浅ましかった。
「信じてもらってるんだし」
「その『信じてもらってる』の内容も今ひとつ、俺にはわからないけどな」
アレスは首をひねる。リーフはそれに、
「多分君はそんなことはないというだろうけど、ナンナはまだ子供っぽいところがあるから、今みたいなことになっている理由も、まだ知らないんだよ。
 終わることが終わって、レンスターに帰って、ちゃんとお披露目してからじゃないと、既成事実なんてわかったら」
「叔父貴と同じこと言うな」
アレスが、憮然と返す。
「子供をいつまでも子供と思ってるのは、親だけさ」
「それは…どうだろう」
首をかしげるリーフに、アレスはまた、薄らにんまりとした顔で
「確かめ方を、教えてやろうか?」
と言った。


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