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一番危険な彼女
?理由なき?反抗778?


 リーフは、誰にも優しい。
 それが、解放軍の少女達が一様に抱いている彼への印象である。
 でも、誰にも優し過ぎるから、スキがない。
 それも、彼女らの持っている印象であった。
 もちろん、本人には、そんな自覚はない。解放軍の仲間は、誰も自分にとっては性別を超えて大切な存在だと思っているし、女性に限れば、最低限失礼のない態度は取るべしという、扶育係の教育が徹底している。
 だから特別、「特別」などということを考えたこともなかった。
 「特別」を今から選び出すより先に、彼にはその「特別」があったからかもしれないが。

 狭くても、最低トラキア半島北部の国王となることがほとんど決まっているリーフには、極端な言い方をすればもう後宮がある。目下その構成員は一人。
 最初でもしかしたら最後の一人になるのがわかっているのかいないのか、ナンナはリーフの前でも実に無邪気だ。解放軍の中でも年下の方で、持ち前の容色がその性格に相まって、誰にも可愛がられている。男性に対して無防備でも、背後に恐いドラゴンが二匹もいれば、誰も手を出す事などできるまい。
 しかし、そのドラゴンの中に、リーフは入っていない。
「わからないかな」
リーフはある時、そう一人ごちた。
「一番安全だと思われてる僕が、実は一番危険だって」

 それはこれまでの人生で一世一代の決心で、決行だった。
「この部屋で僕と眠ろうよ」
きょとんとしたナンナの前で、そう言ってみた。
「前からそうだったし、別に構わないとおもうんだ」
「リーフ様がそうされたいなら」
ナンナはそう答えた。フィアナに至るまでの逃避行の間、寄り添って眠ったことは何度でもある。その延長に思っているに違いなかった。
「じゃあ、フィンにそう伝えてきて。信じてくれれば、僕はその通りにするからって」
「はい」
部屋を出てゆくナンナの後ろ姿を見届けて、リーフは少し良心を苛まれる。ほんの少しでも、下心があるとわかったら、こんな綱渡りは即刻止めさせられるだろう。
「詭弁だよね、どうしても」
苦笑いがつい出てしまう。父娘の忠誠心を手玉にとっているのだから。

 下心のわからないフィンでもあるまい。でも、リーフの意向に
「わかりましたと、言ってましたよ」
自分用の寝具を抱えて、ナンナが戻ってきた時、
「そう」
もう後戻りはできないぞ。そんな気持ちでリーフは答えた。
「久しぶりですね、こんなふうに二人で眠るのは」
ナンナは物見遊山にでも来ているような、弾んだ声で言った。
「そうだねぇ」
「今夜は少し寒いから、リーフ様寒がってないか、少し心配してたんですよ」
「確かに、少し寒いかな」
「私、眠ると暖かいから、もう寒くないですよ」
「ありがとう」
言う間にも、もぞもぞとうごめいて、ナンナはリーフのすぐそばまで来る。
「おやすみなさい、リーフ様」
「…おやすみ」
ぱち、と目を閉じたナンナのあまりのあっけなさに、リーフは下心など吹き飛んでいた。まだ彼女の頭の中は、今になってこんなことになる意味が実はあまりわかっていないんだ。
「まあいいか、時間は一杯あるんだし」
リーフも目を閉じた。この際下心はまだしまっておこう。この状況が許されただけでも、良いと思わないと。

 そういうことが続きながら、解放軍はミレトス半島のペルルーク城を入手した。グランベル帝国が近くなると、自然と暗黒教団の攻撃も多くなる。ほとんど未知といっていい魔法と戦った面々は、一様に疲れていた。
「そう言えばずっと、みんな戦い通しだったね」
首魁のセリスがしみじみと言う。
「少し休もう。いつ間で休めるか、それはわからないけど、これからに備えておいた方が良いと思うんだ」
 休むといっても、完全に武装が解除されたわけではない。暗黒教団は神出鬼没だからだ。有志を募って、街を見回ることになった。もちろんリーフも、それに手を上げる。
 しかし、何人かづつに分かれて行動する、自分に組み合わされたのがアレスとデルムッドだったのは、もしかしたら、
「…誰か、あれこれ組み合わせて笑ってるんじゃない?」
リーフはつい懐疑的な声になる。
「どうなんでしょう、僕にはさっぱり」
とデルムッドが言い、
「まあ、この組み合わせを考えたのが叔父貴でないことは確かだな、本人も、別に組んで回ってるはずだから」
とアレスが言う。
「あの人が見回ってるんじゃ、何かあっても簡単に片付けちまうだろう」
そして彼は二人に向かってにや、と相好を崩した。
「サボるか」
「さ、サボるって、だめですよアレス様」
デルムッドが間髪いれず言い返す。
「父上だって完全無欠の神様じゃないんですから」
「さて、聞こえなかったなぁ」
アレスはちょいと耳を触り、
「リーフはどうなんだ? 何も言わないということは、俺の話に乗ったと解釈するが?」
「だからだめですって、ねぇ、リーフ様」
リーフは少し考えた。自分たちの努力で平和を取り戻した町を、改めて回る必要性のあることは、彼も十分知っている。しかし、人間、その気にならないというのはままあることで、正直、リーフもフィンが別働しているということに甘えかかっていた。
「どこに行くの? 場所によるな」
「そんな、リーフ様まで」
「場所…ねぇ」
アレスはしばらくあごをひねってから、
「ではこういうことにしよう。
 俺たちは、これから、叔父貴がまず回らないような場所を回るということにする」
「アレス様、それは詭弁というものでは」
「御託は後だ、合流して小言を食らう前に、ほら、歩いた歩いた」
リーフとデルムッドは、アレスにぐいぐいと背中を押されるように、往来を小走りに歩いてゆくことになったのだった。

 そこは
「アレス様、このあたりは、入ったらいけないって言われてるあたりじゃないですか?」
とデルムッドが思わず弱気な声を出してしまうような界隈だった。平和になったといっても、そういう場所は往々にしてあるものなのである。
「社会の必要悪といってほしいな」
アレスは、ここばかりはまじめな顔で言う。育ってきた環境がこれに似ているのだ、蛇の道は蛇だ。
「懐も少しばかり温いしな、今日は俺がもつよ」
「…父上が頭を悩ましていたのがよくわかりますよ、アレス様、ご自分がどういう方か」
「声がでかいぞデルムッド、ここはそんなのはったりにしか聞こえないところさ」
「じゃあ僕も、今だけルーでいようかな」
別名というのは便利なものだ。とまれ、日もなかなか差さないような狭い路地に、酒場や宿らしき看板の、頭にぶつかりそうなほどに釣り下がっている道を、三人は歩いてゆく。

 やがて、これと見た酒場らしい場所にアレスが目星をつけたらしい。
「見た目だけで判断して大丈夫なんですか?」
とデルムッドが聞く。彼は悠然と歩くアレスと、興味津々と見回りながら歩くリーフの間で、今にも折れそうな逃げ腰でいる。
「見た目以外のどこで選べって言うの?」
アレスはそれをばっさりと切り替えして、酒場の前にいる、愛想のよさそうな男に、
「慣れてないのがいるんでね、個室をひとつ」
と、持っていた袋からちゃりん、と渡す。
「はいはい、承知しました」
男はただでさえこちらを見ては期待顔をしていたのを、いっそううれしそうにゆがめて
「個室にご案内!」
と言いながら、酒場の扉を開けた。

 普通、酒場で個室を要求する場合はあまりない。あるとすれば、商人同士が商売の取り決めをしたり、同じ商人でも少し後ろ暗いあたりが、役人に袖の下を都合するために招いたり、そんな場合だ。
 そうでなければ、今回のように、身分のいいあたりの子弟が、こっそりと遊びに来るときか。
「見た目より、ずいぶん綺麗にできているんだね」
リーフがその部屋をぐるりと見た。ペルルークの城の中、というほどではないが、こざっぱりとして、住まいにしてもよさそうな部屋だ。
「早く帰りましょう、こんなところ。僕はやっぱり、あまりいい気分はしません」
バネのきいた椅子をすすめられても、デルムッドの顔はまだどこか釈然としていない。
「親父の小言がそんなに怖いか、そんなでかいナリで」
アレスはふん、と鼻で笑って、入ってきた店のものに、
「あまり持ち合わせはないが」
といいながら、袋の中からまたちゃりちゃりと出して、
「二三時間しゃべれればいいんだ、あまり大げさにしないで頼む」
という。店のものは「承知しました」と言いたそうにうんうんと大きくうなずいて、部屋を去ってゆく。
「直感ですよ、あの人は怒らせると怖い」
デルムッドは観念したように言う。
「俺が盾になるさ、今日は気にするな」
アレスもそれに少し苦い口調で言って、
「堅い話はおいとくか」
と、運ばれてきたワインを、二人の目の前のタンブラーになみなみと注いだ。

 話題といっても、実に他愛ない。解放軍の少女たちのあれこれから始まって、男同士でしか離せない、少しきわどい話も、少しばかり。
「そういやリーフ」
「ん?」
アレスが、最初の一本を空にしてから尋ねた。
「ナンナと寝てるんだって?」
その言葉に、デルムッドが「ええっ」と立ち上がりかけて、テーブルの裏に豪勢にひざを打ちつける。アルコールが回って、少し緩んだリーフは、
「うん、公認だよ」
と言った。
「何もしない約束でね」
「な、何もしない約束って…父上がそんなこと、よく許しましたね」
「まあ、マスターナイトになったご褒美ってところかな」
そんなことを話している間に、扉がたたかれる。返事も待たずに、ひらひらと舞うように数人の女性が入ってきて、それぞれのまわりががっちりと固められた。
「な。なんですか、これ」
デルムッドの青い目が動転している。アレスも予想外の顔で
「しまった、奮発しすぎたかな」
といったが、女性の一人が
「いーえ、これは主からのおごりですわ」
といいながら、デルムッドの手をさすった。
「!」
「こういう場所が初めてらしいお客様なので、と」
「そうだよ、僕、こういうところは始めてだ」
リーフは言いながら、自分の周りたちの女性たちを見回して、
「みんな綺麗だね」
といった。とたんに女性たちは笑い声を上げて
「あら、意外とあしらいのわかってらっしゃること」
リーフのタンブラーに新しくワインを注いだり、出された料理を取り分けたりする。アレスはといえば、そういう女性など興味があるのかないのか、話しかけてくるなにくれとない言葉に、はぐらかすような短い返答で返すだけだ。天性の王者の気質というのか、色は英雄の好むものなのか、その姿が実になじんでいる。デルムッドだけは、同じようなあしらいにへどもどとして、女性たちはそのほうが楽しいようだった。
「本当にこういう場所は初めてでいらっしゃるのね」
一人がうふふふ、と笑った。そして、左右を集めて、ぽそぽそと耳打ちをする。耳打ちされた側は委細わかったように微笑んで、
「どちらかに、もう心に決めた方などいらっしゃるの?」
とデルムッドに尋ねた。デルムッドはそれには
「いますよ。遠くて会えないだけで」
自信があるのか正直に答える。訪ねられれば、その彼女の名前さえ、言ってしまいそうな雰囲気だ。しかし女性たちは、そういう変な詮索はしない、ただ、
「まあ、こんなにお若いのに、やっぱりお顔がよくてらっしゃるから」
「憎らしいこと」
「ほんとに」
そんな言い口でも、女性たちは心底からデルムッドを憎んでいるわけではない。そういう社交辞令だ。
「それならば」
ひとりがぽそ、と彼に耳打ちする。
「こんなことなんか、もうお済ませになりまして?」
デルムッドの顔が、とたん赤くなる。決してワインの量ではないようだ。左右がおいうちをかけるように
「こんなこととか」
「そんなこととか」
ぽそぽそと耳打ちしてくるのを、彼は真っ赤になって全部否定した。
「全然、まったく、言ってることが僕にはわからない」
「あぁら、奥手なこと」
女性たちは決して彼を傷つけない、優しい笑い声で彼を包んだ。
「じゃあ、私たちが教えて差し上げましょうか」
「そうしましょうか」
「そうしましょう」
「うわ、わ、何をいったい」
たちまちデルムッドの姿が女性に囲まれて、リーフはそれを唖然としてみていた。

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