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 日が傾きかけている。冬至はずいぶん前にすぎたが、まだ日は短く、午後のティータイムをやや過ぎたばかりだと言うのに、太陽の光が妙に黄色く見える。
 数騎の天馬が城の裏庭に出され、馬具をつけられる音が聞こえてくる。ベオウルフも、各種救援物資をくくりつけた自分の馬の上で、てきぱきと準備をする、天馬騎士の娘達を見ている。
「ベオウルフ様」
と、声がするので振り向くと、天馬騎士たちになにくれと指示を出していたフュリーが、自分のそばまできていた。
「王女様が無事救出されればよろしいのですが」
「なに、あの少年が行くんだ。そう手間はかからねぇだろうよ」
「私もそう思います」
「おや、ずいぶんあの少年をかってんだね、愛しの王子様に告げ口しちゃうぜ」
「そうじゃありません」
フュリーは、いささか目尻を朱に染めて
「…きっと、エスリンさまから再び王女様のためになれとご命令があることを、千秋の思いで待っておられたのでしょうね」
あらかた準備を終えたフィンが、武器庫の方から出てくるのを見た。いつものように冷静な態度で、馬をゆっくり二人のところに近づけてくる。
「お待たせしました」
そういうフィンの表情にも、普段とさして変わるところは見られない。しかし、ぴりっと、周りの空気が刺激されたような気がして、ベオウルフの頬が一瞬ひくついた。
「…待ったぜ少年。姫さんが凍え死んじまわないうちに、さっさときめるぜ」
「最初からそのつもりです。先導をお願いします」
「おう」
ベオウルフは馬にまたがり直す。フィンはもう一度、装備を確認してから、
「見失わず、ついてこられよ」
天馬騎士達にそう言った。そして
「サブリナ、頼む」
愛馬の首をぽん、とたたいた。
「よしゃ、行くぜ」
ベオウルフが手綱を引く。馬は並足で城を出た。

 街道に出てから、ほぼ全速力になる。物資を積んだベオウルフの馬の速度に会わせた速さだが、ほとんど馬の首を並べる勢いで、フィンとサブリナも疾走する。その少年の横顔は、まっすぐ一点を見つめ、少しも揺らぐところがない。
「少年、」
ベオウルフの呼びかけに、フィンが視線だけで反応する。
「男前だぜ」
と言うと、
「からかわないでください。事態は一刻を争います。日没までにすべて終わらせましょう」
「わかってるさ。せいぜい段どりを考えといてくれよ」
「もちろん」
そういう間にも、くだんの砦がちらりちらりと、小さいながら木々の間から見え始める。
「あれだ」
ベオウルフが言うと、フィンはいったん、全騎を停止させた。降りてきた天馬騎士に、フィンは
「卿らはセイレーンに戻られよ」
と言った。
「おい、相手は2、3人じゃないんだぜ。姫さん達を戦力とするにしても丸腰なんだから、天馬騎士のねぇちゃんたち返したら手が足りなくなっちまわ」
「剣は余計に持ってきてはいるでしょう」
「そら、そうだが」
「それで十分です」
フィンにしては無謀としかいいようがない発言だ。天馬騎士はそう思っているのだろう、一様に不安そうな顔をして、なかなかその場を離れない。ただベオウルフは、その意図には若干同調できるところがあった。
「まあ、ここはひとつ、何だ、別の命令もらったことにして、セイレーンに戻っといてくれないかね」
「ですが」
騎士達の中で上官そうな一人が口を開いた。
「救出には万全を期せよとのご命令です。言葉を返すようですが、ごくわずかの人数で結果数倍の敵と対峙することになります、もしものことがあったら」
「すべての責任は、私がとる。この通りだ」
フィンが馬上で頭を下げた。天馬騎士達はやはり当惑の表情を消さない。
「じゃあ。こうしてくれや」
ややあって、ベオウルフが取りなしにかかった。
一人だけ、何かあったときの連絡と、人質を乗せて帰るためについてきてくれねぇか? ついでにもう一人には、援軍を要請してぇ」
フィンの表情が苦い。ベオウルフはそれをみて、ぽんぽんと、少年の肩をたたいた。
「さすがに、俺らだけじゃ大任にすぎらぁ。俺にも頭ぁひねらせろよ」
一人、天馬騎士になにやら耳打ちし、「では私が」と名乗り出た別の天馬騎士をのこし、残りはその場で舞い上がり、回頭する。
「ご武運をお祈りしております」
上官の声が遠ざかるのをきいて、フィンはまた
「急ぎましょう」
と、馬を走らせた。

 人質達は、事態が動くのを待っている。ラケシスは、エリオットが振ってくる話を、半分聞き流していた。エリオットが降ってくる話が、理解できないのだ。自分が、エリオットと一緒にアグストリアに帰るなんてコトも聞いたことはないし、続くアグストリアの再興のために自分がエリオットと縁付くことに同意したこともない。いったい何の妄想だろうかと最初は思っていたが、そのうちしっかり話に耳を傾けるに至って、ラケシスの頭の中では、腑に落ちない部分が音を立てて崩れてゆくのがわかった。
 つまり、だ。自分が今まで心をはせていた、自分を迎えたいというやんごとない筋など、最初からいないのではないか、と。そして自分が、その貴族に縁づくような筋に乗せられていたとすれば、エリオットはそれと表裏一体になった、自分がエリオットと縁付くことに同意したという筋に乗せられていたわけだ。
 でもそれは何のため? そんなことを考え始めていたとき、外で物音。二人は会話をやめて、それぞれの扉を注視した。
「見張りの交代だぜ…お、おい、こんなところで何してんだよ」
「んあ?」
「んあ、じゃねえ、誰か逃げ出したりしてねぇよな」
「たぶんしてねぇよ…話しかけられたことはあるが、逃げられたりはしてねぇ」
殴られた影響か、見張りはベオウルフが逃げ出したコトをころりと忘れていた。牢代わりの倉庫の扉の窓から、誘拐犯の一人が顔を出す。その顔は、すぐに、驚愕と怒りと焦燥にゆがんだ。
「男がひとりいねーじゃねーか」
「まさか。死角にでもいるのと違うか?」
「そんなことはねぇ、よく見ろ、ほら」
別の顔がまたのぞき、
「ほんとだ」
と声をあげる。
「どうするんだよ、計画がしれたら」
「どうって、どうしようもねえ、一切合切口封じ、これしかねぇだろう」
会話の声は大きく、ラケシスもエリオットも口封じ、の一言には戦慄を覚えた。
「とにかく、全員に知らせて、守りは固めろ、誰か助けにきたら、かまわねぇ、やっちまえ」
「あ、ああ、そうだな」
足音がまばらに聞こえて、エリオット側の扉がどんどんどんどん、となる。
「ひ」
「おい、そこのやつ、一緒に牢にぶち込まれたやつ、どうした」
「あ、あの、あの、た、たす…」
入ってこられたら口を封じられるのだ、そう思いこんでいるらしきエリオットは、扉の向こうのドスのきいた声に歯の根も会わない。ラケシスは
「…しょうがないわねぇ」
とつぶやいてから、
「寝ていたからしらない、とでも言えばいいのよ。見張りは交代したのだから、わからないわ」
と言った。
「ねねねね、ね、寝て、いたんだ、だから、わからん。勝手に、逃げた、と思う」
その言葉をほぼそのまま、エリオットはつまりながら返す。
「ほんとか?」
「ほほほ、ほんとうだ」
扉の向こうはまだ疑わしげだったが、やがてラケシスのいる側の扉をたたき、隣で脱走するような音を聞いたか、ときいた。ラケシスは
「さあ、知らないわ。寒くてそんなことなんか気にしていなかったもの」
とかえす。
「ねぇ、ここ寒いの。人質に凍えられたら困るのはあなたたちでしょう? なにか暖かいモノはないの?」
そのあと、つっけんどんに言う。最初、見張りの返答はすげなく
「がまんしろ」
というものだった。
「けれども、私、ミレトスに売られてゆくのでしょう?」
「よくわかってるな」
「さっき、見張りの人の話を聞いたもの。
 売り物だったからなおさら、状態には気を遣うべきよね。風邪でも引いた奴隷や妾なんてどんな他がよくても買いっこないわ。
 どうなのよ」
見張りは、なんだか当惑したような声でしばらくうなっていたが、やがて「待ってろ」と行って、その場を離れたようだ。
「…ふぅ」
そこまでしてやっと、ラケシスは安堵したように、隣と通じる穴のある壁にもたれかかる。格子のはまっている倉庫の窓から指している日差しが、だんだんと夕暮れに近い色になってゆくのを、漠然と眺めていた。
「遅いな、あの男は本当にどうしたんだ」
エリオットがへたり込むように言う。
「見捨てられたか」
声も精彩がない。ラケシスはそれには何の返答も返さなかったが、見捨てられたかなどとはかけらも思わなかった。否。この破天荒な姫君に、「おとなしくその場で待っている」という選択は、あくまでも一時しのぎでしかない。自分がこのわずかな時間に、何をしたか考えた。そして、向こうがどう出てくるか、シミュレーションした。
 やがてラケシスはすく、と立ち上がり、足裁きに悪いドレスの下から、ふわりとしたたおやかなラインを作るパニエを脱ぎ捨てた。そして、裾の一部をくるりと一結びして、さらに髪を飾っていたリボンで、ほどけないように丁寧に結わえる。そして扉から少し離れ、きっと再びくる足跡を待った。
 はたして、扉が開けられる。
「移動するぞ、出てこい」
先ほどの見張りらしい男が、縄を持って立っている。おそらく、縄は自分を新しい場所に連れてゆくまでの間、突飛な行動が出来ないように手でも縛っておくためのモノなのだろう。男は、薄暗い部屋の中、金ヅルの姿を探るように顔を動かす。そのスキにラケシスは、脱いだパニエを男の顔にたたきつけ、渾身の力で肩から体当たりをした。
「うわっ」
男は視界を遮る、突然顔にかけられた何かをはぎ取ろうとする。その男の腰から剣を抜き取り、足を差しのばして男の足下をすくう。
「がっ」
尻餅を付いた男の声が存外に大きく、やがてその声を頼りに他の男が集まってくる。ラケシスは剣を握りなおした。

 「砦の中があわただしいようです」
ゆっくりと空を旋回してきた天馬騎士が、降りて様子を伝える。
「なに?」
聞き返すベオウルフに、天馬騎士が詳細を続ける。
「小競り合いのような、剣戟の音がしました。男達が…おそらく、あの場所は倉庫だと思います。向かっていきました」
「倉庫といや、姫さん達が入れられてるところだ」
と言うと、かかっと蹄の音がした。フィンが馬の首を砦の入り口に向けたところだ。ベオウルフは天馬騎士に、くるだろう援軍のためにその場に待機するようにいい、それを追う。
 すでに戦闘の中心は別の場所に移されているのか、倉庫周辺は静かだった。昏倒した男達が累々と横たわる。ラケシスが入れられていた場所の扉の前では、パニエをかぶったまま同様に倒れている男。それでベオウルフは、だいたいの事情を察した。
「えらいことやらかすな、あの姫さんは」
パニエをひろうと、かすかに残るバラ香水の香りを感じる。
 そして、昏倒したままの男達を縛り上げていると、
「たあすけてくれええ」
と、縮み上がった声が聞こえる。エリオットだ。彼はすっかり事態から取り残されて、扉にはまった格子をかくかくと揺らしながら、寒さに真っ白になった顔をさらしていた。
「あ、忘れてた」
ベオウルフは男達の中から鍵束を探し、エリオットを解放する。
「あああ、どうなるかと思った」
エリオットは今更に、大儀そうなため息をついた。
「ラケシスが突然静かになったと思ったら、外で小競り合いの音がしただろう。一体何があった、説明してくれ」
そしてやおらベオウルフにすがりつく。ベオウルフは「あー…」と困った声を上げた。今少年と二人して縛り上げた男達数人、全部ノしたのは他ならぬラケシスである。しかしエリオットはそれを信用するだろうか?
「まあ、落ち着けや王子さん。まだ姫さんはこの砦の中だ。みんなで探そうぜ。
 なに、3人もいるんだ、すぐ見つからぁ」
「さんにん?」
ベオウルフの視線が指し示すままに、エリオットが見たものは、槍を片手にして小走りに去ってゆく青い騎士の姿だ。
「…ぬな」
エリオットの表情が、ひく、とけいれんする。
「だれだ、あいつは」
「話したら長い。おら、姫さんを捜すぜ」
ベオウルフは有無を言わさずエリオットの手を引いた。


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