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 もともと、この部屋はオーガヒル海賊を警戒するために建てられた砦の食料倉庫だったのだろう。使い捨てられた穀物の袋がいくつかと、両手に乗るぐらいの小さい酒樽は気付けか将校用のブランデーでも入っていたのかもしれない。そして、目下突破するべき扉は、放置された年月相応にくたびれた風情を持っていたが、その頑丈さは容易に伺い知れた。
 樽が空なのを何度も確認して、
「しけてるねぇ…まあ、いいや」
ベオウルフはその小さい樽を、ひょいとエリオットに投げるように渡した。そして、単純な指示を出し、自分も扉に張り付く。がらになく、胸でエッダの聖印を切る。
「おーい、開けてくれ、俺達を一体どうしようっていうんだ」
扉をたたくと、向こうから声がかえってくる。
「気がついたのか、うるせーぞ、だまってられんのか」
「大声でも出さなきゃこんなとここごえちまわぁ」
「おまけの人質が何言ってやがる」
扉の向こうの見張りは、寒さしのぎにいっぱい引っかけているのだろう、そんな雰囲気を漂わせていた。
「逃げようなんて思わねぇよ、なぁ、一杯俺達にもわけてくれよ」
「もったいねぇ、お前らなんか」
見張りはげふ、とげっぷ交じりに
「奴隷で売るにゃトウが立ちすぎだ、置いてきぼりか口封じか、どのみち数日の命ってもんよ」
と言う。
「な、あと数日の命ってんなら、なおさら、冥土の土産ってヤツで、な」
「やなこった。そうだな、冥土の土産なら、あの女の行方でも教えたろか。
 ミレトスに売れば、妾探しの商人が高く買うんだぜ? しかもあの上玉だ、売れれば数年は遊んで暮らせら。
 お前ら、女はいいぞ」
へっへへっ。見張りはまた、見張りながらの一杯を始めたらしい。二人はその話を、鼻白む思いで聞いていた。
「冗談じゃない、人に売られてたまるか」
しかし、その後の言い分は二人の間でまるで異なっていたのは、言うまでもない。ベオウルフの言葉が続く。
「とにかく、おい、開けてくれよ。仲間が目ぇさまさねぇんだ。おかしいんだよ」
「あ? なんだって?」
「殴られて連れ込まれたんだろ、目覚めてねぇんだよ。俺達だって、生きたまま売ればいくらかにはなる。そうだろ、な」
がちゃがちゃ、と、扉がなる。潮風とアルコールに焼けた赤い顔が入ってくる。
「なんだと?」
「やれ!」
その瞬間、ベオウルフは号令をだし、エリオットが持っていた樽を掲げて振り下ろす。後頭部にしたたかに堅い樽を当てられた見張りは、声もだせずその場にこん倒した。
「やってみるもんだな」
いそいそと、見張りを扉の外の脇に持たれかけさせる。
「王子さんよ、ちょっと窮屈だが、もうしばらく我慢してくれ。今ここで全員抜け出したら、全員の命がやばい」
「お、おう」
エリオットは自分のやったことに興奮しているのか、案外素直に、再び捕らわれの人になる。
 見張りの持っていたのは、こともあろうに自分の剣だった。「重責」にはふさわしい代価だったのだろうが
「返してもらうぜ」
それを取り戻し、見渡すと、周りはじつに閑散としている。いても十人程度のならず者は、見張り以外の全員が中で暖をとっているのだろう。ベオウルフはあっさり馬小屋まで到達、あとはセイレーンまで一気に駆けるだけだった。

 エスリンに、急ぎ目通りしたベオウルフは、相手が雇い主でなかったら横面の一つもはってしまっていそうな気迫を含んでいた。もちろん、一部始終を聞かされたエスリンも顔から血の気が引く。
「ど、どういうことなのよ、それって」
「どうもこうも、奥様、あんた一歩間違えればアグストリアのやんごとない辺りを二人も亡き者にしちまいかねないことをされておいで何ですぜ、そろそろ自覚されていただかないと困る。
 あのバカ王子はもとから本国じゃ行方も生死も不明になってるからまだ何とでも言い繕いが出来るだろうが、姫さんはそれが出来ねぇお立場だ。
 世の中は奥様が考えなさるよりもも少し複雑で、すべてが心がけのいいものばかりじゃないってこった。
 ちったぁ賢くなったろう」
「ええ、そうね」
しんみりと小言を受け入れて、しかしエスリンはそのあとふ、と、含み笑いを漏らすような顔をした。
「さて…助けをださなければいけないと、いうことよね」
「ああそうだ。少々困ったことになったが、かねてよりの奥様の思惑通りのおぜん立てってことだ。
 件の少年でも、ご夫君でも、ご随意におもちゃにされるがいいだろう」
「おもちゃだなんて」
エスリンは皮肉じみたベオウルフの物言いに笑いを返しはするものの、もう反省の色などかけらもない。

 おそらく、最終的にはこういうおぜん立てになって、フィンにさっそうと白馬の騎士をやってもらう算段になっていたのだろう。あっさりと、部隊の派遣が決定され、フィンが呼び出される。
「ベオウルフが把握している事態の情報はこれがすべてです。
 セイレーンの守備部隊からの一部をあなたに預けます。フュリーにかわり、あなたの指示を仰ぐよう指示がして有りますので、好きにお使いなさい。
 ラケシス様を捕らわれの身から自由にして差し上げ、セイレーンにお戻りいただく、その使命を首尾よく全うなさい」
「は」
いつぞや任務をとかれたとき全く同じ仏頂面で、フィンは簡単だがそつなく立礼をかえす。
「ベオウルフは人質になりかけたところを抜け出して、私に急を知らせてくれました。件の場所への案内と一緒に、守備部隊と同様にお使いなさい」
「は」
 その心がけすら、エスリンの高尚で世俗的なお遊びの一部に利用されているのだと知ったら、この少年は果たしてどういう顔をするのだろうか。いややはり、「私は一介の騎士、やんごとない辺りのお考えなどとても」とか、いつものような返答を返してくるだけだろう。
 出立の準備を急ぎながら、ベオウルフは余計なことを考えていた。

 そのころ。
 オーガヒルの見える件の砦では、エリオットが、
「だー!
 こんな寒い中でいつまでも待たせよってからに、あの男は何を油売っとるんだ!」
と、しびれを切らした声を張り上げていた。
「まさか、俺をこのまま置いてけぼりにして、自分だけ先に、ラケシスと一緒に逃げ出したんじゃあるまいな!?
 断じてそんなことはさせんぞ、ラケシスは俺のモンだ!
 俺と一緒にアグストリアに帰るんだ!」
 その声はあまりにも、心中思惟が言葉になったものにしてはおおきすぎた。かさかさ、とささやかな物音がして、
「まだ、誰かいるの?」
と声が返ってくる。さっきも聞こえた、忘られようもない、ラケシスの声だ。
「ラケシス、まだそこにいたのか」
エリオットは突然聞こえたその声に、取り繕うことも忘れて壁の穴に張り付く。壁の穴に目を、押し込むように当てると、その向こうに見えるのは、これまた忘られようもないはしばみ色の瞳。しかしラケシスは、すぐには、もう一人の隣の住人が誰なのかわからなかったらしい。
「あなた誰? 私を知っているの?」
「知ってるも何も、この数年というもの忘れた日なんかないぞ。
 だいたい、お前、俺と一緒にアグストリアに帰るって、そう言っていただろうに」
「なにそれ? 私そんなこと」
ラケシスはそう言いかけて、何か思い当たる節など見つかったのだろう、しばらくの沈黙の後に
「…エリオット?」
とけげんな声が聞こえる。エリオットが勇んで
「いかにも」
と返すと、ラケシスの返事は
「生きていたのね?」
その声は、ハタから聞くことが出来れば、どうも嬉しさというものが感じられないことがうかがえるものだった。むしろ、「会いたくなかったな」という風情がありありとした声だ。しかしエリオットはそれをじつに自分に都合よいように解釈した。けげんさのにじむ声は自分の生存がにわかには信じられないからなのだろうと思った。
「当たり前だ、俺がそう簡単に死ぬか」
だからこう返す。そしてラケシスの
「そうね、憎まれっ子なんとやら、っていうものね」
こんな混ぜ返しも、
「故郷アグストリアにお前と一緒に帰れるんだからなぁ、何言われようが死んでたまるかっていうもんだ」
また都合よく彼は解釈するのだ。それがこの短い会話からも伺えるので、ラケシスはエリオットにも聞こえない声で
「最っ低ぶりは相変わらずだわ」
と毒づくことを忘れない。
「それより、ねぇ、エリオット?」
「なんだ」
「あなたどうしてこんなところにいるの?」
「おう、よく聞いてくれた」
聞かれてエリオットは、ラケシスと差し向いで語り合っているという興奮も相まって、自分がここにいるにいたるまでの事情を、因縁からとうとうたらりとしゃべり出す。ラケシスは、この最っ低王子の語りでも暇つぶしになるかと、適当に相づちをうちながら聞いていた。
 図らずも、まだ自分がアグストリアにいた頃が懐かしい。あのころは世の中の複雑さを思い知ることもなく、多少の破天荒も大目に見られたものだ。それから政争に巻き込まれ、紆余曲折の有った今はシレジアにいる。そして格段の扱いを受けている。
 自分がアグストリアのすべてのように扱われ、また自分でもそう思っている。何でも自分で判断しなければならない、それは大切だが大変なことでもある。昔そうであったような自分の行動を大きく覆い赦してくれる、そんな存在が恋しかっただけなのかも知れない。
 ラケシスのしんみりとした思惟が、エリオットの話で破られる。
「そもそも、俺がこう生き恥をさらしているのも…」
話は大分、エリオットの都合のいいように脚色されている。それでも、ハイラインから出撃したエリオットが、ノディオンでとらえられ解放されるまでのくだりにいたって、さしものラケシスも、ぱくん、と開いた口がふさがらない。その開いた口がゆがみ、笑い声になる。
「あ、あは、あははははははははは」
ラケシスは、自分のいるところが寒々しいもと倉庫であることなどもわすれ、ひとしきり笑った。
「なんだ、お前まで笑うのか」
エリオットは、てっきり同情をかけてもらえるかと思っていたハズのラケシスの意外な反応に、戸惑うような中っ腹の声をあげる。ラケシスも何とか笑いをおさめ、
「そうね、確かに、否定されたプライドは、回復させないとね。私もその、慇懃無礼な騎士に心当たりがないわけでもないから」
「共通の敵か」
「敵というほどでもないけれど。厳に、私もそうしている真っ最中ですからね」
「は?」
エリオットの相づちは、ラケシスの言葉がなんのことだが全くわからない、という雰囲気のものだった。
「まあ、そのまま待つことね。そしたら、エリオット? 私の本音が見えるかも知れないわよ」


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