
寝台の帳の中では、エスリンがその貴族と、何ごとか話し合っている気配がする。エスリンの話によれば、その貴族は早くに先妻を亡くし、また自分も病がちでいつまで生きられるか分からない。アグストリアの至宝といわれた自分を世話したことで、そう遠いことではない冥土の土産話にしようと、そう言うことらしいのだ。話から想像すれば、年も決して若くはないだろう。
「ねえベオウルフ」
「なんでしょ姫様」
様子伺いに再度部屋に入ったベオウルフの気配に気がついたのか、ラケシスはすこしだけ視線をずらす。ちらりと耳飾りが光る。
「どうして私なのかしらね。その方と引き合わされるのが」
「さあ、やんごとない辺りのお考えは、一介の傭兵風情にはとてもとても」
ベオウルフは何とはなしにそう返答したが、その言い方がカンに触ったらしく、ラケシスの気配はとたんに硬質化する。
「そういう言い方やめて」
「…でもまあ、ほんとの所だしな。俺には、ただかき回して面白がっておられるようにしか見えねえ。
なんでまたあのバカ王子…」
言いかけて、エスリンからのお達しを思い出した。本当の事はラケシスは言ってはいけない。
「…いいんか姫様? 少年、セイレーンでしかられた犬コロみたいな顔してるぜ?」
「しかられたんだもの、そんなものでしょ」
「…」
ベオウルフがこのにべのなさにどう返答してよいものやらふとつまった時、エスリンが
「ベオウルフ、そろそろはずしてちょうだい」
と言った。
「お風邪を召されて声がお出にならないそうなの」
と、エスリンが間に立って、二人の会話が始まる。
寝台の中の貴族は、これまでのラケシスの境遇をいたく哀れみ、できればこのままシレジアに留まり、自分の後見の元に、恙無い暮らしをしてほしいものだ、と言った。
そしてエリオットは、現在の境遇から抜け出し、アグストリア復興のために身をエリオットの元に寄せられるのは、同郷のよしみをもこえた感謝をしている、と聞いた。
「私のためにそこまでのお心づかい、感謝いたします」
ラケシスはそう頭を下げた。
「お話がまとまり、落ち着いた暁には、…レンスターに…」
そして、自分の繰る言葉の中で引っ掛かるものを奥歯で噛むように首をかしげつつ
「…落ち延びた、義姉と甥を保護しなければなりません」
という。その仕種が、エリオットには、自分の言葉に感涙を禁じ得ないものかと見えた。
「…美しい」
ついあげた声は大きかった。ラケシスは顔をあげる。始めて相手の声を聞いたことで、一瞬からだがこわばる。まさかこんなところにいるとは思わないから、その声ははっきりしていても、エリオットのものだというところまでは思い至りそうではなかった。
「そんなこと」
ラケシスはガラになく赤らんだ。エスリンに視線でとがめられて口を手で覆ったエリオットだが、そのはにかんだ仕種も見てみれば新鮮なものよとほくそ笑む。よくもそのはにかむという思わせぶりな仕種を覚えたものよと、エリオットは寝台の中で物言わず七転八倒した。
エスリンがそれを横目で流し見て。パクンと、口をあける。
「あ。あら、おくるしいのですか?」
と、取り繕うような声をだし、
「ラケシス様、これ以上のお話はいまはまだ…」
と、やんわりと部屋から押し出したのであった。
「殿下…」
と、苦々しい顔をするエスリンを前にして、エリオットは七転八倒もおさまって、今や呆然と寝台に蹲っている。積年の思いがいよいよ凝って正常な反応をする事も忘れた風情だ。
「せめて、お召し替えなさいましな」
エスリンはふう、とため息をついた。
エスリンの頭の中には、これからについて様々にシミュレーションがくり返されているものと思われる、それはもうただの暇つぶしという域をこえて、ともすればリーフの世話すら忘れそうだった。
「…一度興味を持った事は、目鼻が着くまでこう(と、手のひらで左右の視界を遮る仕種をする)なるのは、兄妹さして変わる所はない」
と、シグルドについていた騎士の誰かが言う事は、あながち間違いではないらしい。
「まあ…俺は雇われの立場だから、悪役でも何でも請け負いますがね」
と、ベオウルフはそう言う。
「ありがとう、たすかるわ」
と、エスリンは間食のサブレをつまみながらいとも朗らかに言う。
「ラーナ王妃様がもってらっしゃるお館をひとつ、お借りする事になったのよ。あなたの出番も近いみたいだら、気を抜いたりしちゃ、だめよ」
「はあ」
エスリンはこれ以上、あの王子に見えない王子レヴィンのお袋さんを何といって丸め込んだものなのだろうか。ベオウルフには想像も出来ない。
「さぁて、そしたら、あれはこうして、それはああして…」
机上論を嬉々として空に描きながらのエスリンに、ベオウルフは、諦めたような顔で簡単に肩を竦めた。
「あ、そうそうベオウルフ」
「何でございましょ奥様?」
「私が何してるか、キュアンやフィンには言っちゃダメよ、とくにフィンは当事者なんだし、私の計画が知れたら、あの子なにをしでかすか」
「はぁ」
「まあ、しでかしてくれた方が面白いけれども…その時と場所は違ってほしくないのよねぇ…」
幸せな奥様だ。ベオウルフはつくづくというように呟いて、その部屋を去った。
そして、誰も分からない事であったが…エスリンは一つ、大きい誤算をしていた。
ざっと、筋書きはこうだ。
エスリンが借り受けた例の屋敷をラケシスには件の貴族の持ち家といい、シレジアからうつす。そこからさらに、名目は何でも言い、ベオウルフ辺りにら致させて、セイレーンに近いどこかの砦にでも幽閉を装って移す。
そのあと、エリオットとフィンに個々に合った事情をもってラケシス救出を依頼し、その顛末とさや当てを見聞して楽しもう、ということに繋がる訳である。
それに至るまでの準備は万全のはずだった。
あと腐れのないように、ら致だけをするように、酒場でたむろしていた男達に日時を合わせて依頼し、それなりのものを渡してある。あとは、日にちになってら致が実行されるのをまつだけだ。
その事件が発生するまでの間は、特に何もとりたてた事態の起ることはなかった。
ラケシスは件の館に住むことになる。貴族は、冬の間は顔も合わせないし外に出ることはないが、数日に一度セイレーンにもどるときは、大きい街道まで、馬車を建てて見送ってくれるようになっていた。
余計な気は無し、単に自分を預かりたいというその無償の喜びが、ラケシスには感じられるような気がしていた。加えて、病がちで先のわからない体ならば、一人で逝くより、見とる人の一人も有ればという、妙な義務感が発生していたのもたしかだ。
それに、セイレーンにもどっても、いるべき存在がそばにいてくれないというのがつらい。最初与えられていた護衛の任務をとかれたのだそうだが、自分に遠慮してか、気配までかき消すように影さえ見せない。
それもあるしなによりあまりセイレーンにもどるのも、件の方に申し訳ない。そんなことをラケシスが考えていた矢先のことだった。
それでもやはり、ラケシスがセイレーンにいないのを惜しむ声は多い。チェス友達がいない、お茶友達がいない、そういうことを聞いてしまうと、これが最後とは、なかなか言いにくかった。
今日も、セイレーンに行くために、屋敷からの道をゆく。自分の馬車を先にして、後から「夫」の馬車がついてくる。セイレーンのみんなにいつ話を切り出そうか、そんなことを考え始めていたとき、馬車が突然、人の声と一緒に止まった。
「どうしたの?」
物見をあけて御者に尋ねようとしたが、そのすき間をこじ開けるようにして男が乱入してる。一人二人という数ではない。あっという間にさるぐつわをかまされて、適当に馬に乗せられ、雪のまだまだ残る林の中をかけてゆく。
「あれは」
もがきながら見る間に、続いてたはずの馬車も、扉が開いていた。ひょっとして、あのかたも? 考える暇は無かった。馬に乗せられているとは言っても、巻いた絨毯を載せるような横ざまで、馬は走らされているために揺れる。ラケシスはそのうち、目まいを覚えて軽く気を失った。
やがて、馬は海辺近い砦のようなものに近づき、男達はくったりとしたラケシスを、とある扉の中に入れる。あらかじめ何かの毛皮のしいてあったその上にのせられ、毛布を掛けられる。
「いいか、殺すなよ。カネヅルだからな」
「その内、連れがくらぁ。男が二人だ。まあ、そっちは適当にな、隣にほうりこんどけ」
男達の声が遠ざかって、ラケシスはぱち、と目を覚ました。
「…ここは?」
そして。
「いててててて」
男ども二人は、一緒くたになって隣に放り込まれる。先に目をさましたのがベオウルフだったのは、ひとえに日ごろの心がけと鍛え方の違いというものだろう。
後ろ頭が痛い。おそらくここをしたたかに打たれ、そのままここに放り込まれたというのがオチなのだろう。振り向くと、エリオットはまだ目を覚ましたような気配はなく、投げ足されたままぐったりしている。まさか死んではいないだろうな。頭を殴られたためだろう、おぼつかなくなっている手足を動かして、にじるように近づき、
「おい、王子さん、起きろ」
と、頬をたたいたり、耳を引っ張ったり、そうしている間に、
「んが」
と王子の目も覚める。
「…どこだ、ここは。これは一体なんのつもりだ、ラケシスはどこだ」
目が覚めるや矢継ぎ早に訊いてくるエリオットの口をふさぎ、「まあまあおちつけ」といってみる。
「まあ、驚かんできいてくれや王子さん。
どうも、俺ら丸ごと何かに巻き込まれたかもしらん」
「何!?」
「だから。大きな声だすなっつうの。今から説明するから」
ベオウルフは、自分が知っている限りの今回のシナリオを、エリオットに説明した。ただ、今の彼にはあまりにショックすぎるだろういくつかのことは話さなかった。自分は単なる当て馬だと教えたとして、この狭い牢替わりの部屋で暴れられようものなら、自分もどうなるかわからない。
とまれ、かくかくと説明を受けたあと、エリオットは
「すると何か、俺はあの侍女殿のお遊びに巻き込まれたということか」
「まあ…そんなようなものだな。そういう意味では、姫さんも俺もあんたも、みんな被害者だ」
「…」
エリオットは虚を突かれたというか、毒気を抜かれたというか、ぽかんと口を開けたまま、冷たい石の床にへたり込んでいる。彼の頭ではにわかに処理しきれない、複雑な事情というものなのだろう、ベオウルフは無理にエリオットに話し掛けないことにした。
さあ、ベオウルフは二人分の状況把握をしなければならない。ここはどこで、今どういうことになっていて、そして自分らはこの事態を打開するには何をすべきか… そんなことを考えながら、明かりとりの窓の向こうをのぞこうとしたとき、
「そこに誰かいるの?」
と、聞きなれた声がして、はっと二人を我に返させる。くんであるはずのレンガの一部がぽこりと崩れ落ちて、白い指がひらひらと、二人を招くように動く。二人はすべからくそれに吸い寄せられる。穴というにはいささか大きいそこから、見慣れたはしばみ色の瞳がのぞいている。
「姫さんか?」
「ああ、よかった、隣同士なのね」
「姫さんこそ、けがとかないかい」
「ええ、怖そうな人たちにここに連れ込まれただけよ。そこは、あなた一人?」
「んー、まあ」
ものをいいたそうだが声にならないエリオットの口を押さえて、押しやりながら
「そんなよなものだ」
「あの方はご無事?」
ラケシスは単純に質問をしたつもりだった。あの馬車には件の貴族がいるということを、ラケシスは信じている。しかし、ここは話を合わせなければならない。実はエリオットだなどとここで言ったら、この姫さんも何をしでかすかわからん。
「だといいな。まあ、ご身分の有る方だ、悪いようにゃあされてないだろうがな」
「それならいいわ…お歳を召してらっしゃるうえにご病気がちというお話ですもの、こんな寒いところに長くいらっしゃったら、ほんとに」
たしかに、石作りの部屋は寒かった。うずくまるエリオットはいささか歯の根も合わない風情にも見える。しかし、ラケシスの心配は、そのエリオットの上っ面を滑り抜けた、空気の上に注がれているように見えた。気の毒に思いながら、ベオウルフは、側に有った、麻で出来た何か穀物の空の袋を、その上に投げてやる。そして、訊く。
「なあ、姫さん、ここはどこか、わかるかい? 窓とか有るなら、覗いちゃくれないか」
「…オーガヒルが見えるわ。
向こうから見て、あれがシレジアの土地ですって、フュリーが教えてくれたとき、砦が有ったような気がしたの。その辺りかもしれない」
「さすが賢い姫さん、それだけ訊ければ御の字だ」
「それがどうしたの?」
「どうしたも何も、セイレーンに助けを呼ぶんじゃないか。件のお貴族様を、いつまでもこんな寒いところにおいときゃいられんだろうが」
「そうね」
「それに、あんた自身も誰かに迎えに来てもらう必要が有るだろう」
ベオウルフは、わざと彼女に余計なことを連想させるような言い方をした。案の定、かえってくるラケシスの声は、気丈そうながらいささか曇ってもいた。
「私への迎えよりも、あの方が無事もどれるためにも、セイレーンへ行って」
「もちろんだ。ただな、俺にとっちゃ、姫さんが最優先事項だってことをわすれてもらっちゃこまる。
まだまだ、金貨一枚の範囲ってヤツだ」
「そんなこといって、私を笑わそうっていうの?」
声が震えてきてるのは、寒さのせいだろうか。
「なあ、姫さんよ、そろそろ、おかんむりもおしまいにしねぇか。このしばらく、あんたほんとよく我慢したよ」
「…」
横を向いたとき、窓からの光を受けたか、何かが耳元できら、と光る。見慣れた光だ。つくづくとベオウルフはため息をつくようにいう。
「その飾り、ずいぶんお気に召してるようじゃないか」
「…」
ややあって
「なんであなたは、そういうことにすぐ気がつくの?」
と小さな返答。
「もらってからずっとつけてるのに、…気がつきもしないで」
ベオウルフは「あー、もう」と、頭を自分の頭をぐしゃっとやり、
「とにかく姫さん、そこでおとなしく待ってろ。今にセイレーン詰めの部隊まるごと持ってきて助けてやるから、な。だれが迎えに来ても文句言うなよ」
それからころがってるエリオットに、ぼきゅ、とヒザでケリをいれる。
「ほら立てバカ王子、運動で体あっためるんだ」
