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 彼等が出くわしたのは、忘れもしない、元ハイラインの王子エリオットそのひとである。ベオウルフは、できれば知らぬ振りを決め込みたかった。だが、本人が騒ぎ出し(しかも往来で)、それはやがてひそひそと後ろ指の気配や、人だかりを呼びはじめる。
 やむなくベオウルフは、エリオットの薄汚れた外套を掴んで、適当にあった酒場に引きづりこむことになる。
 エスリンは、話が見えたようた見えないような、そんな顔をしていた。請われるままに、酒場の個室と、エリオットと従者の食事代を、件の金貨で建て替える。
「で、エリオットさんよ、なんであんたがここにいるんだね」
「お前こそ」
エリオットが、がつがつとやりながら聞き返す。
「俺は、…紆余曲折があって、さる筋に雇われてるんだが」
ベオウルフは、これ以上なく簡潔に現在の身の上を告げた。
「あんた…ほんとにどうしたんだ? 俺ぁてっきり、ノディオンの攻防で死んだものかと」
「勝手に殺すな」
エリオットは、何やらかにやら一杯の口の中に、ワインをかっと流し込む。エスリンは、思わず眉間にしわを寄せた。
「今でこそ巡礼の身だが…俺は一大決心を心に秘めて、こんな有り様でも生きてきたんだ」
「一大決心?」
「おうよ、雪辱のために、生き恥をさらしているんだ!」
があっと、エリオット口が開いて、なにやら口の中のモノがぼたぼたっと落ちた。エスリンが露骨にイヤな顔をする。ベオウルフは、いまの生き恥の方が十分恥ずかしいわい、と言いたくなるのをぐっと抑えて、エリオットの話の先を聞くことにした。

 話はその、ノディオン攻防にまで遡る。
 エリオットは、ハイライン精鋭の騎士団を率いて、ノディオン直下まで押し寄せていた。ノディオンは騎士団が城門を守っていたが、報告によれば大陸屈指とかいうクロスナイツではないただの近衛騎士団だということで、正直、エリオットは高を括っていたわけだ。
 何より、彼には当座の目標がある。グランベル王国のウェルダン領エバンスを突如制圧し、ノディオンが事実上それを容認した、それに対する詮議と、それからの成り行き次第ではそのまま粛正目的ともなる進軍ではたしかにある。父ボルドーはノディオンとはもともと仲が悪いようなことを言っていた。それにエリオットが、かねてよりの横恋慕の楯のつもりで進軍の指揮をとることを進言し、息子にべろべろに甘い親はそれを許したのだ。
 思えば、いつか放浪娘に身をやつしていたラケシスをノディオン王女と見いだし、その保護にかこつけての関係を企てたところを、もののみごとに当のノディオン王に看破されて以来、求婚してはえげつなく拒絶されるの繰り返しでノディオンとラケシスについてはケチのつきまくりだったエリオットのことである。進軍を公然に認められた今となってはかわいさ余って憎さ百倍、シャガールはラケシスの身柄を手付かずで所望らしいがそんなことは知ったことではない。出会って数年、見るごとに美しく、今やぴちぴちぷりぷりになっているだろうその体、初手は自分だと決心してきたのだ。こんな儀仗兵ばっかりの騎士団などさっさと料理して…と簡単に考えていたのだが…
 このノディオン騎士団が強かった。手こずるうちに、エバンス方面からノディオンへの援軍がやってくると言う。
「援軍だとう!?」
報告に目を白黒させた刹那、従者の「危ないエリオット様!」の声も聞こえればこそ。馬群の隙をついて向かってきた圧力にも似たなにかに、エリオットの馬がおびえて後ずさりをはじめる。馬上で均衡を失い、首に取りすがりかけた彼に、
「その紋章、ハイライン王子エリオット殿下とお見受け致します、高名な騎士と槍を交える栄誉を賜りたいと存じます、お相手を!」
の声。我に帰ってよくよく見れば、これがさっきの殺気の主人かと疑う、まだ無邪気さの残る顔。
「受けていただけますか?」
と、かっ達とした表情で、槍を捧げてくる。
「なんだとう? 悪いが、俺はお前などにはかまってはおれん、ノディオンを落とす使命が俺にはある!」
「ならばなおさら、この私のお相手を、私はそのノディオンを守らねばなりません」
「なに!」
目前の騎士は、まだ従者のひとりもつれていない、本当の見習いだ。
「見習いの分際で、デュークナイトの称号を得た俺にかなうと思うてか!」
エリオットはまずそう気概を吐いて、槍をくり出す。しかし、騎士は馬をいなしもせず、ただ体を左右にして受け流す。
「え?」
青い髪の騎士は、エリオットの攻撃が終わったとわかるや、槍を一度持ち替えて、
「では、こちらも参ります!」
と、手綱をさばいた。

 自分の建てた筋書きが、こんな、文字どおりの青二才に叩きのめされてゆく。鈍感なエリオットでもそう自覚せざるを得ないほど、この騎士は強かった。反撃の暇もつかめず、数合、迫ってくる槍を逃げるようにして避けたエリオットは、回頭の勢いが余って落馬する。
「うわあ」
この日のためにあつらえた銀の槍も取り落とす。取り戻そうとあたふたする背後にこんな声。
「バカヤロ、こんなところで一騎討ちの練習なんかしてるな!」
「ノディオンはもう解放されましたよ!」
と声がする。振り向くと、件の騎士は、かけられた声に
「了解しました、すぐにも!」
と反応し、さっさと後を付いて行ってしまう。そして自分はと言えば、ノディオンの兵士達によってぐるぐると縄をかけられて行ったのだ…

 話は、これだけでは終わらない。
 ナワをかけられたエリオットは、遠征軍の諸将の前にひったてられる。あの若い騎士もいる。
 当然の成りゆきとして、敗軍の将は、見せしめのために処刑されるだろう。エリオットは、それもよかろうと、珍しく高潔な覚悟に身を固めた。
 が、あの若い騎士の主君らしき貴族は、エリオットをざっとためつすがめつして、
「やめとけ、フィン。こんなやつの首なんか取っても、おまえの名誉にゃならん」
と言った。エリオットは縄を後ろ手に回されたままで、
「なにお!」
と食って掛かろうとする。
「こういう馬鹿王子は、生かして取り引きのネタにするのがいいんだ。第一、おれたちの目的はハイラインとの喧嘩じゃない。
 だろう? シグルド」
「うむ」
大将らしい男は、難しい顔のままでいう。命を取らず生き恥をさらさせるのか。エリオットはそう言おうとしたが、そんな意見など黙殺されるほどに、この部隊は何か違っていた。対象らしい男はエリオットのまえにつとひざまずき、
「聞いた通りだ。私達はいつでも、非道はしないことを旨に戦っている。余計な死者を出すこともないことは良いことだ。聞けばアンフォニー王が、野党と結託して開拓村をおそっているとか。上に立つものとして赦せぬ行為だ。被害を食い止めるためには迅速な進軍が必要だ。君を処断するかどうか、議論している余裕もない。
 エリオット王子、君の身柄とひきかえに、ハイラインを通らせてもらう」

 そして、エリオットは、あの騎士が、帰還の供という大任をおったうえで、ハイラインに送られた。
 調子が狂う。この騎士の目の色が、世の中のすべてを純朴に信じきっていて、単純に言えば良い子すぎて毒気が抜ける。自分がこの攻防でなんの功績も挙げられなかった、その張本人のわりには、それについて配慮するような言動がかけらもない。自分が王子だということを聞いて、それなりの対応をしていることすら、エリオットの落胆をわかっているのかいないのか…。その辺の「(敗者の)美学」など思いもかけないような、まっすぐな自信、
「ああ、そうか」
高慢ちきちきのあの兄妹に、よく似ている気がする。
「エリオット王子、またお目にかかれる時が有りましたら、また槍の御教授をお願いします」
との、見送りの言葉を後ろにして、彼は白目を向いて、頭の中が真っ白になって行くのを感じた。
 しかし、だ。
 帰れば既に、ハイラインはグランベルの威力におされ、戦意をまったく喪失していた。
 かつ、グランベルを止められなかった責任をハイラインが一手に背負うことになった。
 そして、父ボルドーは、これまた全てを、息子エリオットの采配ミスにして、彼を勘当・放逐したわけだ。命をとられなかったのが、せめてもの親心… 主人を見限らなかった(いや、見限りそびれた?)従者達によって、巡礼者に身をやつし、いずれ国に帰る機会をと、思っていた訳である…

 エリオットの話が終わって、ベオウルフとエスリンは、思わず顔を合せていた。それがあまりに奇妙に映ったらしく、エリオットは
「なんだなんだ、見つめあって」
と怪訝な声をあげる。
「う、あう」
ベオウルフは唸るしか出来なかった。が、エスリンの頭の中はエリオットの話を聞いている間に、何らかの計算が働いていたものらしい、急に瞳を輝かせた。
「いえ、何でもありませんのよ、王子様。
 おつらい旅をされてきたのですわね、ささ、もっと召し上がって、お酒も運ばせましょうね」
と始める。ベオウルフが突然の接待に泡を食う。
「な、どうしたんですか、奥様」
「まあ、見てなさい」

 エリオットは、さんざ飲み食いした挙げ句に、セイレーン城に一番近い一番の宿の一番の部屋にかくまわれる身になる。もちろん…エスリンの金で、だ。
 従者らの涙を流さんばかりの感謝を背に、宿を後にする二人。ベオウルフの声が渋い。
「奥様、あのへっぽこ王子になんであそこまで貢ぐ必要があるんです、ダンナ様にお愛想つきたとおっしゃらるにしても、相手がエリオットでは」
「ちがうわよ」
エスリンは、くるりと、振り向いた。
「ベオウルフ、貴方、前に私がキュアンとケンカしたとき、何をいいましたっけ?」
「は?」
「夫婦喧嘩と外れた窓枠は、ハメればなおるって」
「ハメ…」
ベオウルフは、それがよりによってエスリンの口から出たと言うことで、ガラになく赤面した。
「そらまあ、そう言ったこともありましたけれども… いいところの奥様がそうあけすけに言っていいお言葉じゃありませんぜ」
「まあそう言わずに…
 それより、私、いい退屈しのぎを見つけたわ」
エスリンの足取りは踊りだしそうだ。声も笑いを含んでいる。
「こんな偶然、探したって見つからないものよ。
 ねえ、貴方だって、わかってるんでしょう? エリオット王子の逆恨みの相手って言うのが」
ベオウルフがそれにとぼとぼついてゆく。
「ええ、その当時俺はまだ…マクベスに雇われてましたが…そういうことをやりそうなのは、今の所、一人しか心当たりぁありませんね。今ごろセイレーンのお城でしおしおのパーですがね」
「私、よっぽどほんとの事を言いたかったわ」
「はあ」
「ベオウルフ」
「はい」
「私にひとくち乗らない?」

 王子時代には程遠いが、それでも巡礼者ぐらしとは雲泥の空間のエリオットを再びエスリンが単身で訪れていた。
 彼女を出迎える従者らの顔は、一様に安堵感に包まれている。彼等に、ささやかに愛想を振りまきながら、エスリンは、シレジア貴族の侍女という身分と風体に身をやつして、部屋の主人エリオットに対峙している。
「主人が、王子殿下の境遇にいたくあわれをもよおされ、殿下が無事アグストリアにお帰りになれる様、精一杯の支援をしたいと申し出ております」
その言葉に、「主人」でもあるエスリンのいつわりはない。コトさえおわれば、エリオットにはハイラインに戻ってもらうつもりだ。もっとも、戻ってから先のことまでには責任は持てないが。
 エスリンは、エリオットの身の上に、ひたすら同情した。
「そういえば、このセイレーンにも、アグストリアのお方がかくまわれているとか、主人より聞き及んでおります」
そして、徒然を紛らすように、探るように、その話を切り出した。
「なんでも、先のアグストリアの戦いの原因になられた…お美しい王女様で…ええ、恐いこと、兄王さまを失い、さらなる政争をさけて、アグストリアに逃げて来られた由…ラーナ様がいたく大切にお預かりしているとか…
 いえ、主人が人より聞いたことですけれども」
案の定、エリオットの顔がぴくぴくっと麻痺したような反応を示す。
「ええ、そうしたらば、その兄王様を手にかけたそのどこかの貴族とやらが、セイレーンにまで追い掛けて来られて…妻に望まれて、王女様はそれはそれはおびえておられるとか」
エリオットの反応がさらにはげしくなってくる。エスリンは、内心爆笑を堪えながら、実兄をもダシにした話を続けた。
「主人がいうには、同じアグストリアびとの殿下が見い出されたのはエッダの神の思し召しと… よければ、ラーナ様に進言し、よしなにお取り計らいいただこうかと…」
「そうだ!」
エリオットがとうとう立ち上がった。
「ラケシスはアグストリアの至宝だ、他国の訳のわからんやつの自由になどさせられるか!」
「ええ、殿下ならそうおっしゃるだろうと、主人も予想しておりました」
引っ掛かってね、という余計な言葉を、エスリンは飲み込む。
「アグストリアの王女にはアグストリアの王子、これほどの良縁、またとございませんわ。それに、そうしてお帰りになれば、今や大陸を席巻しようとするグランベルへの、よい牽制にもなりましょう」
「そうだろうそうだろう。お前の主人は洞察が深いな」
エリオットが胸をそらす。
「たしかに、以前はなびかぬラケシスに業を煮やしたこともあったが…今やそのような勝手は通用せぬだろう、俺と二人で、アグストリアを再興させるのが、彼女に与えられた運命にほかならぬ!」
「その意気ですわ、王子!
 王子の心意気が、世界をも左右致しますわ!」
「そうだろう?そうだろう?」
ハタから見れば、持ち上げられたエリオットは滑稽この上ない。エスリンは内心笑い転げながら、もう救国の英雄になったつもりで陶酔しているエリオットを満面の笑みで眺めている。
「ですが、お分かりでございますよね、殿下? ここで大層なお名乗りをされては、主人の考えも全て水の泡になりますわ、シレジアにとっても、グランベルが注意すべき相手であることは変わりませんもの」
「うむ、それもそうだな」
エリオットは、貴族然にどっかりと、椅子に座り直す。
「ええ、なるべく秘密にことを運びましょう。ラケシス様もきっとお喜びになります。王女様は、それはもう、ここのお暮らしにすっかり倦んでしまわれて」
「うむ、うむうむ、頼むぞ侍女殿」
すっかりその気になったエリオットが、椅子にふんぞり返るのを見つつ、エスリンは面会を終えた。


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