その当日はすぐに来た。
アイラは、用意された服の中で少し飾りがついたものを着付けてもらうことにする。今まで来ていた服よりも、ことさらに胸高ににする必要もなく、鏡の中の自分は化粧までされて、まるで自分が自分でなくなったようだ。その自分の顔をつくづく見ながら、髪が結われているのを鏡越しに見ている。
やがて髪飾りが一そろい出てきて、結った髪が解けないように、また、ただでさえ光の下つやつやと輝く黒髪に興を添えるように、すいすいと挿されてゆく。しかし最後の一つになってから、アイラはその手を止めさせた。
「それはよい」
髪結いのメイドは機微がすぐ働いたのだろうか、何も言わずに、残った髪飾りをしまった。
そのうちに、
「アイラ様ぁ」
エスリンが入ってくる。しかし、すぐと眉根を寄せて、
「まあ、そんな地味な格好を」
と言った。
「主役なのだから、もっと華やかにされてもいいのよ」
「そうですよ姫様、せめてこちらに」
とメイドがもう少し華やかなものを持ってくる。アイラは正直、服のことはよく分からない。しかし、勧められたということは、そのほうがいいのかもしれないと思い、
「では、そうしよう」
と言った。
「そのほうがいいわ。だって、華のない雪ばかりの季節ですもの」
そういうエスリンに、雪模様のよさを説くのは、レックス相手以上に難しそうだったから、アイラは黙って人形のように着替えさせられる。
「体、苦しくない?」
「むしろ、楽で」
「お腹を押さえておられなかったので、一番下にお腹を支える帯を入れさせていただきました」
着付けのメイドは家庭でもあるのだろうか、この城に来て、部屋着に替えるときに
『まあ姫様、腹帯をなさってなかったのですね』
と言い出して、急ごしらえに寝台のリネンを細く縫わせて、それを巻いてきたのだ。そのせいか、自分が懐妊の体であることを忘れそうなほど楽だ。
「出来上がりましてございます」
後始末を終えて、椅子に座るアイラに、
「こんなにお綺麗になるとわかっているのだったら、もっと前からお化粧などおすすめするのでしたわ」
とエスリンが言う。
「もともとお綺麗だから気がつかなかったのですけども」
「…ありがとう」
その言葉には、こんな風にしか返せないが。そのうち、入り口のほうが賑やかになる。
「いっけない」
エスリンははじけるように飛び出して、何かを押しとどめているようだ。
「だめだめ、まだ立ち入り禁止よレックス、キュアンも。
アイラ様は私がお連れしますから、待ってて」
帰ってきてから、エスリンは、
「もう少し後で行きましょうね」
とアイラに言った。
おそらく、誰もアイラのこんな姿を見ていなかっただろう、エスリンに手を引かれて出てきたアイラを見て、場の一同がほぉ、とため息をつく。
「いゃあ、もう、がちがち」
座ったとなりのレックスが小声で言った。
「一言何か言えってせっつかれたから何とか言ったけど、もう俺あんな思いごめんだ」
「存外に度胸がないな」
アイラがふふ、と含み笑いをすると
「ああ、そういいますか」
レックスはぷん、とむくれてから、おもむろに立ち上がる。
「えーと、アイラからも、みんなに一言あるみたいなので、それを聞いてもらいましょうか」
振り返ってにんまり笑うレックスに、アイラは目を細めて、
「いいだろう、そういうことなら受けるぞ」
と言った。
「まず、この席を設けることを許してくださったシグルド殿に感謝を申し上げる。ご自身まだ由々しいことのさなかにあるのに、このような仕儀を見せるのは心苦しいところもあるが、どうかこのことに引き続いて、シグルド殿に朗報のあらんことを。
先頃より、あれこれと私事で騒がせてしまって、大変申し訳なく思う。特に心配をかけさせたエーディン、あのころは礼も満足にいえなくて済まなかった。ここで改めて礼を言わせてほしい。
このセイレーンから先のことは、誰にもわからない。ただ、今は、私達が皆の前でこの永遠を誓う、わがままに乗じて忘れてほしい」
立ち上がり、そうすらすらと言うアイラに、レックスは
「こりゃ負けたわ」
と呟く。そのアイラが、つい、と彼の服の袖を引いた。
「あれを」
「あ、ああ、あれね」
言ってから、レックスが、服をパタパタと叩く。
「どうした?」
「…部屋に忘れてきたかも」
「取って来い」
「…と、まあ、そのときのアイラの顔は別の意味で怖かった」
ずっとずっと後になって、シャナンはその話をした後、その顔を思い出したのか、非常に複雑な顔をした。
「へぇ、ラクチェとスカサハが生まれる前にそんな話があったなんて」
パティがその傍らでいかにも面白いものを聞いたといった顔でいた。
「あの双子のお父さん、ヨハンとヨハルヴァの、どっちに似てた?」
「難しい質問だな」
シャナンは首を傾げる。
「似てもところもあり、違うところもあり。それより、あの底抜けに明るくて屈託とこだわりのない性格は、ラクチェがそのままだ」
「そうなんだ」
「と言うわけでパティ、ほら」
それから、シャナンは、パティの帽子を持ち上げて、その中に何かを仕込む。
「なによなによ」
帽子をはらってパティが頭を振ると、からん、と音がして、小さな髪飾りが落ちてくる。
「わぁ、髪飾りだぁ」
それを拾い上げて、パティが声を上げた。
「くれるの?」
「もちろん。
後で挿させてくれれば、文句はないが」
「それって、『パティは私のものだから、誰も手を出すな』宣言?」
身長差から、必然的に上目遣いになってくるパティの視線をそらすようにシャナンは
「茶化すな」
と言った。
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