例の騒ぎがあってから、セイレーンで行われる決闘までには、数日の間が置かれた。
その数日とはつまり、作法どおり決闘に伴う手続きに費やされる時間であった。もちろん、双方とも、それぞれ興奮と遠慮が先にたって代理人で済まそうなんてことは考えていない。ラーナ王妃が今現在酔っている「かわいらしいロマンス」としては、そうでなくては面白みがなかろうが。
逆に王妃の側近は、エリオットが雪辱の手段として提示したのが決闘だ、と訊いて、頭をいためていた。
これが、トーナメント(馬上槍試合)ででもあったら、催しとしてもっと華々しくすることもできただろう。しかし困るのは、発見されたエリオット王子の出自であるところのハイラインはおろか、アグストリアを構成していた各王家が、一族離散で音信がつかないことだ。間接的に支配をしているグランベルに、音信自体を握りつぶされている可能性だって、否定できない。アレでナニな王子でも王子なのだ。
「せっかくデュークナイトのご資格をおもちなのだから、トーナメントと仰ればよかったのに」
と、ため息混じりになるのもむべなるかな、である。決闘は、名誉回復の方法としては、その公然性の点においてトーナメントのジョスト(一騎打ち)に劣る。もちろん、作法としてないわけではないが、ともすれば王子の受け入れ先も見出そうとする廷臣たちにとっては、当事者と極少数にだけその事実を知ることが許されるという決闘の閉鎖性が問題解決の大きな壁となっていた。まさか、シレジアの官吏が、見物を許されるものではない。決闘は、閉鎖的であるがゆえにより神聖で世俗によって侵し難いものなのだ。
そこで黙っていないのが例のラーナ王妃であった。廷臣の進言したそういう説明を
「なさりたいようにさせておあげなさいな、それに、決闘なら普通剣で行うものでしょう」
の一言で済まし、
「エスリン様にお預けした私の別邸があったわね、そこでさせなさい。
もちろん、私も微行で参ります。楽しみだこと」
と、嬉々としてのたまうたのだ。
そんなことなど、当事者たちの知るところではない。とくに言いだしっぺのエリオットは、これで堂々と国に戻れるのだと思うと、いても立ってもいられなくなっていた。しかもその帰国はアグストリアの至宝というお土産付きなのである。こんな幸運、かつてあっただろうか、いや、あるはずがない。
正式な決闘の次第はするすると水面下で進み、日時ともにその決闘が剣で行われるといわれたとき、
「待て、俺はデュークナイトだぞ、何で剣を使う必要がある」
と、あのエリオットが声を上げたのもなんとなく納得できなくもなかった。しかし、ベオウルフはその横で、「槍だったらあんた、ハイライン素通りして天国行きだぜ」といいたかったのを、むずむずする思いでこらえる。夫々のもつ同じ称号の意味が裏と表ほどに違うことなど、今のこの王子には説明しても余計意地になるだけだ。
「それが公平ってことだ」
と、ベオウルフは極簡単に説明した。
「いずれ姫さんを連れておもどりになるあんたが、そんな余計なことまで心配するにはおよばねぇさ」
「そうだな、剣にも、槍ほどではないが心得ぐらいはある」
ベオウルフの持ち上げに、エリオットはあっさり納得した。確かに、エスリンの言うとおり、持ち上げときゃ話の早い、便利なお人だ。
「で、何でお前がここにいる」
と、エリオットが改まった。
「雇い主の指示でな、一応王子のあんたが刺客にでもやられんよう、見ているだけさ」
ベオウルフは淡々と返す。
「そうか、それは殊勝だ。
なぁ傭兵、これも何かの縁だ、俺がハイラインに帰るときに一緒に来ないか、それなりに取り立ててやってもいいぞ」
エリオットが、それこそ殊勝なことを言ったが、ベオウルフは押しのけるようにして断った。
「あいにくだが、雇い主との契約がきれてねぇ。俺は傭兵にしちゃひねくれたほうなんでね。裏切りをしないことを売りにしてるんだ」
「そうか、食うのも大変だな」
エリオットが、また殊勝なことを言った。ベオウルフの背筋が、ぞくっと寒くなる。こんないい子のエリオットの方が、なにやら怖かった。
「あの、」
一度帰ろうとしたベオウルフに、エリオットの従者が声をかけた。主人が主人の騎士道に酔っている間にも、この従者達は身を粉にして東奔西走し、エリオットの助けになればと話を聞いて回っていたのを、ベオウルフも知らないわけではなかった。そして従者達は、一様に主人の勝敗の行方について憂えていた。
「殿下は、無事にハイラインまでお帰りになれましょうか」
「そうだねぇ、一応王子だし、命は助かるだろうが、怪我しねぇと太鼓判はおせねぇな」
「それでも構いません、何分、話を聞いて回るほどに恐ろしくなりまして。
巡礼にやつした旅の間、酒場できいた吟遊詩人の歌の、『レンスターの青き槍騎士』が、まさか殿下のお相手とは露思わず」
「まあ、おもえんだろうな。吟遊詩人の話が本当なら、も少し無骨なのを想像しても仕方ない」
エリオット本人は知るまいが、ネタの最初がレヴィン作なら、王子にとって意地悪なエピソードのひとつふたつは仕掛けられているだろうに、どうもそういう都合の悪いところは聞こえないようにできているのだろう。
「きっと、剣もおつかいになりましょうね」
「さて、使った所なんか見たことないがな」
「その方は、ほんとうに、殿下に慈悲をおあたえになってくださいますよね」
「ああ…たぶんな、吟遊詩人が正しいことを歌っているなら、奴は命はとらないだろう」
「ありがとうございます、それを伺って安心しました」
従者達の諸膝をつく勢いに、ベオウルフは少しく戸惑いながら、その場所を後にした。
その槍騎士と、待ち合わせをしたのだ。
春の話もぼちぼち聞こえてくるようなこの季節に、雪が降るのも珍しいと、酒場の主人は言いながら、フロアに何台かすえてあるストーブに、燃料を足した。その雪のせいだろうか、酒場には、人がまばらだった。
「この雪じゃあ、折角の春の花もしおれるねぇ」
という主人の何気ない言葉に、生返事の相槌をうったとき、その酒場に新しい客が来たようだった。きい、と、その入り口の開いたほうをみやり、ベオウルフはやっと来たなという顔をした。
その彼に指で簡単に招かれて、入ってきた客はベオウルフの隣に座り、注文を聞こうとした主人を手で制した。何も飲まない、という意味だ。
「決闘を前にして精進潔斎かい、少年?」
ベオウルフは構わず一杯やっているわけだが、雪よけの外套を預けて座りなおしたフィンは
「もともと、あまり飲まないタチですから」
と、ぼつぼつ言った。
「そうかな、一本ぐらいはいけるようになったんだろう?」
そう混ぜ返すと、
「用件は何でしょうか」
いかにも早くその場所を立ち去りたそうな風情で、フィンが言った。
「まあ、そうあせるな。種明かしをするつもりで呼んだんだからよ」
ベオウルフはにや、と笑って、主人に、
「下戸でもいけるのをなんかだしてやってくれや」
といった。
丁寧に沸かされた湯で程よく割られた甘いベリーを漬けた蜂蜜は、シレジアの春の始まりに似つかわしい、新鮮な香りを湯気にまとわせていた。
それを、ラケシスはひとすすりして、落ち着いたように、ベリーの香りの息をついた。
「この間ベオウルフがきて、良心の呵責になるから、今自分が知ってることをって話してくれたんです」
「へぇ」
つぶやくような彼女の言葉に、キュアンが相槌をうった。エスリンは、寝ぐずりをしたリーフの相手に疲れ果てて、今は母子共に眠っている。
「大変なことになってるって、私知らなくて」
「そう」
「シグルド様もだいぶお怒りのようって… 今になって、何であんなことしたのか」
あんなこと、とは、たぶん砦で一暴れしたことをさしているのだろう、単純にキュアンは思ったが、
「奥様がいなくなられておつらいところに、恥ずかしいお話を聞かせてしまって…」
そうでもなかったようだ。キュアンははは、と軽く笑って
「ああ、シグルドのことを心配する必要はないよ。あとはエスリンが全部引き受けたし、ラーナ殿が手伝ってくださるそうだ」
「ラーナ様の御差配で、決闘になるそうですね、…明日」
「らしいね。それで、眠れなかったとか? こんな時間に」
「あの」
ラケシスが言いよどんだ。
「心配で」
「どっちの」
キュアンがにやっとわらった。その顔を見て、ラケシスは、暖炉の火にあてられたように頬を染める。その表情で彼女がナニを言わんとしているか、部下と違ってこの男はよく知っていた。
「俺は、お前が負けるとは思ってないぜ」
ベオウルフは一杯あおりながら、いった。いつの間にか、フィンの前にもこんな寒い夜にはよくきく強いスピリッツが置いてあった。
「武器を剣に指定されたとは言っても、剣士の見本市にいたようなお前のこった、そのへん、あのバカ王子よりゃ多少分があるだろう。だが、あの王子にはさっき話したとおり、姫さんとの顛末がある。あの王子の本気さ加減が、剣の腕より明日のお前にとっちゃ手ごわいはずだ。
だから本気出せよ、本気の加減が勝負の分かれ目だ。
あの王子に花もたせようなんて、変な考えは捨てちまえ」
「明日どうするか、それは私が決めることです」
フィンが、ぼつぼつと言った。
「いずれにせよ、私は近々一度レンスターに帰らなければならないかもしれない」
「帰るんか」
ベオウルフが、思わず椅子に座りなおした。
「リーフ様を、まだレンスターの国民にお披露目しておりませんし、正式の騎士叙勲を急いだほうがいいというお言葉もありまして」
「お前、デュークナイトと違ったか?」
「仮称号です。本国に戻らないと手続きは完了しません。それに」
「それに?」
「時局が悪化するようなら、ランスリッターも多少呼ぶ必要が」
「ああ、そうだわな、ここで骨をうずめるわけじゃねぇんだ、いつかはそうなるだろう」
「十中八九、そうなるでしょう。トラキアを抑えているランスリッターが減員したとわかれば、向こうでも衝突が増えるでしょう、理由はどうであれ、戦火が拡大します」
「で、それがどうしたっていうんだい」
ベオウルフがいぶかしげに訊く。フィンが机に突っ伏すようにうつむいた。
「王女には、できるだけ安全なところにおいでになったほうがいいのです。
すでにグランベルが間接的に制圧したアグストリアのどこかならば、多少のご不自由があっても、お命が脅かされることはないでしょう。あの方にヘズルの血脈を伝える使命が、回ってくる可能性もないとはいえません」
へなへなとした力のない言い分に、ついついベオウルフはクチのきき方も荒くなる。
「だからバカ王子にあげちまえってか?
それこそ本当にいいんかよ少年、姫さんをアレにまかせて、体中ねぶりまわされて、もしかしたら孕まされるかもしねぇのを指くわえて見てるのがシュミか?
それにだ、一度あの大将にかかわった姫さんが、だ、グランベルの支配下に転がり込むってことは、グランベル当局に拘束されて、拷問代わりにあーだこーだされる可能性がなくもねぇってことだぞ、わかって言ってんのか」
「…」
「え、お前はそれで、ほんとにいいんかよ」
フィンは、突っ伏したまま、しばらくピクリとも動かないでいた。しかし、やおら顔をあげた。
「いやですよ、本音を言えば。
あの方は、私の運命を大きく開いてくださった、……女神なんですから」
「そうだろう。
そういうのを、直接姫さんに言やいいのに」
酒の勢いとはいえ、やっと言ったか、という空虚感の中で、ベオウルフが返す。しかし、フィンの顔がまたしなしなとうつむき加減になる。
「でも」
「アホタレ、お前がぶら下げてるそのビー玉はただのはったりか」
ベオウルフは、握ったこぶしのとがった部分で、フィンの額を何度も小突き上げた。
「いたた、た」
「今更あのバカ王子についてけとお前が言って、あの姫さんがはいそうですかというもんか。
お前の騎士道節はいいかげん聞き飽きた。
俺はお前ならと思ったから身を引いたんだ、お前がそんな弱音はくなら、今からでも乱入するぞ。バカ王子も混ぜて三つ巴組むか? あ?」
「結構です」
フィンは、ベオウルフのこぶしをぐいと押しやる。
「あなたとは戦いたくない」
「そうだろうな、俺もそうだ」
こぶしを引っ込めて、ベオウルフがもう一杯あおった。
「男と女真っ裸の部屋の中で、ナニ考えてたんだお前は…
まったく、こそこそしねぇでおおっぴらに付き合っておけば、助け舟ももっと多かったのによ。
さもなきゃ、既成事実とかな」
わざと聞えるような呟きに、フィンはにわかに紅くした顔を隠すように、タンブラーを一気にあけた。
「それぐらいにしとけ、宿酔いするぞ」
「大分夜が更けてしまったね」
キュアンが立ち上がって、続きの部屋に入る。すっかり夢の世界に入っているリーフを抱きかかえて戻ってくると、自分が眠っていた傍らに寝かせた。
「このお城も、赤ちゃんが増えて、だいぶにぎやかになりましたね」
と、ラケシスが言うと、
「そういえば、他の公女方とは違って、君にはまだ懐妊の話がないね」
キュアンが、寝台を軽く整えながら言う。
「え」
ラケシスがさ、と目尻をそめた。
「それならば、エスリンも、エリオット王子を引き合いに出して、君たちをかき回すこともなかっただろうのに」
「え、そう、ですね…でも、えと」
ラケシスの返答がたどたどしくなってくる。懐妊は一人ではできないのを、知らないキュアンじゃあるまいし。そういえば何日離れてるだろう、そんなことを思った。そのそぶりを見てキュアンが少しあわてたように言う。
「ごめんごめん、君を困らせるつもりはないんだ。子供は授かりものだから。君だけがあせってもどうしようもない。
明日のことだって、何も心配は要らないよ。ベオウルフの言う筋書きに続きがあるのなら、ラーナ殿がきっと、大事になる前によろしく御仲裁くださる」
言いながらキュアンは、今度も軽々とエスリンの体を抱き上げて、寝台の空いた一方に乗せる。
「…はい」
「エスリンの後ですまないが、隣で眠るといい。冷える中戻って、一人の寝台で眠りたくはないだろう」
ラケシスがまた頬を染めた。そんな言い方では、眠るなといっているのと同じようなものだ。キュアンは、ラケシスがそういいたそうにしているのも見ない顔で、嬉々として眠る妻子の世話をしながら、言葉を続ける。
「君から子供が生まれれば、きっと可愛いだろうね。女の子だったら、リーフのために予約しようかな」
「もう、キュアン様ったら、少しお過ごしですね」
「そうかもしれないな、少し飲みすぎたかもしれない」
笑いでなんとか感情を引きつくろいながら続きの寝室に入ってゆくラケシスを、キュアンは引き止めた。
「そうそう、エスリンは君達になんといったか知らないが、フィンの任務を、私は解除したつもりはないし、これからもするつもりはない」
ラケシスが瞳をくるん、と輝かせた。
「私からいうのは、それだけだ。
よい夢を」
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