ラケシスは言うだけいって、とうとうその場に泣き崩れた。フュリーがかわりに、一度投げられたローブを拾い、着せ掛ける。
「だああ」
ベオウルフは頭をかきむしり、フィンは差し出した手を引っ込めることもできない。
「どうして…」
泣きたいのはこっちのほうだ。いつの間にか追い出されて、いつの間にか仕事をはずされて、かと思ったら、いつのまにかとらわれているから助けろときた。この王女は何の筋書きに巻き込まれたのか、自分もその筋書きに巻き込まれたのか。件の朝の一件以来、自分が何か大きなものの上で踊らされている予感はしたが、それがその、筋書きと言うものなのか。
「さっき、筋書きといいましたね」
フィンは、困惑顔のままベオウルフに向き直った。
「ああ、言ったよ」
「何の、どういう筋書きなんですか。
エスリン様のおつもりも、王女のおつもりも、私にはまったくわかりません」
「だろうな、片棒を確かに担ぎはしたが、俺も自分が知っている以上のことは知らん。
特にこの一悶着は、完全にその筋書きの外だ。」
ベオウルフは、腕組みをした。筋書き通りなら、ここでめでたしめでたしだ。しかしラケシスがああなったとなると、今までの筋書きはすべてご破算、振り出しに戻ったということになる。エスリンはこれ以上、どんな筋書きを搾り出すのだろうか。
しかし、
「俺はわかったぞ!」
エリオットだけが気炎をはいて、ばしっと、何かをフィンの胸元に投げつける。拾い上げると、一組の手袋だ。
「さあ申し込みだ、受け取れ不届き者」
「は?」
フィンは、鳩が豆鉄砲を食らった顔をしている。相手がエリオットとわかっていなければ、不届き者といわれてそのままになっているフィンでもないのだが、相手が相手なだけに、心外さを含んだ声だけにとどめている。
「やっと思い出したぞ、お前、ノディオンで俺をコケにしたあの見習いだな!」
「覚えていてくださったのですか、光栄です」
とフィンは答えたが、それも社交辞令のような感情のない言い方になった。
「ああ、忘れたことなんかないぞ、お前から受けた屈辱を晴らすために、俺は流れ流れてここまで来たんだ!
決闘だ!」
「はあ!?」
フィンの声が裏返る。わからないことがまた増えた。
「ラケシスに言い寄って、困らしとるというのは、お前のことだろう、根拠はないが、俺はお前をそう認識した!
正々堂々、やれるところまでやろうじゃないか」
エリオットが、傍ではらはらした顔の天馬騎士の槍をとった。
「槍を取れ、見ればお前も槍を得意にするらしいな、願ってもない」
「え、あ」
フィンはエリオットによってぐるぐると強引に回される展開に、声を出すこともできない。いつものフィンなら理路整然と自分が何かに勘違いされてることを抗議して、ついでに口のひとつでも滑らすだろうが。ベオウルフもどうその場をとりなしていいかわからず、あっちこっちを見回すだけだ。方やラケシスは、そう離れていない同じ空間で、感情が向くままにしゃくりあげたままでいる。こんな修羅場は初めてだ。
そこに。
新しい天馬の羽音、貴婦人の到来を告げる鈴の音。
「陛下!」
フュリーが言って、天馬騎士たちがいっせいに最敬礼を取った。出現した人物がラーナ王妃と知って、一同が膝をおる。
「エリオット王子」
「…ははっ」
相手がシレジアの女王ともなれば、さしものエリオットも頭が上がらない。
「こんなところで決闘をしても、あなたの名誉は回復しませんよ」
「はっ」
「シレジアは平和を旨とする国。大義名分があっても、騎士同士の決闘は私の許しなしには行えません」
「はっ」
「あなたが申し入れた決闘は、私が預かりましょう、それでよろしいですね」
「は、陛下のおとりなしならば」
エリオットは満足そうな顔をする。ラーナはこれでよし、と言う顔をして、
「ベオウルフ卿」
と向き直った。
「エスリン様のお手伝い、ご苦労様でした」
それだけ言う。
「は?」
顔を上げたベオウルフに、ラーナ王妃は軽くウィンクだけをした。それだけで彼は、エスリンの筋書きのそのまた裏にあった、大きな存在の正体を知る。
「フュリー、ラケシス様をセイレーンにお連れしなさい」
「はい、ですが」
ラケシスがセイレーンに戻りたくないと言ったことを伝えようとしたが、ラーナ王妃は穏やかな顔をしたまま
「おつれなさい」
としか言わなかった。その有無を言わさぬ剣幕に、ラケシスがぽそぽそ言う。
「ラーナ様のお考えあってのことでしょうから、セイレーンに戻して」
「は、はい」
フュリーは、ラケシスを乗せて、先にセイレーンまで飛んでいった。
後は、わからないことだらけのフィンだけがのこされた。ラーナ王妃は、彼を立たせる。
「決闘は、初めてですか」
との問いに、フィンは「はい」とうなずいた。
「正直のところ、何がいかようになってるのか、私には何もわかりません、王后陛下がここにおなりになって理由さえも」
と言うと、ラーナ王妃は
「それは…」
といいながら、天馬騎士の後ろに乗せられて、にへらとしたエリオットを見て、
「あなたがどれだけ幸運なのかを、自ら知らないから」
また、謎解きのような言葉を言った。フィンは、これ以上は聞く必要もないと思った。たぶん、何かを試されているのだと、それだけはわかってきた。
「エリオット王子の決闘の申し出をおうけなさい。
いえ、申し込まれた決闘を断るのは、騎士として最大の恥。もっとも臆病な行為です。
それはわかりますね?」
「は」
「ならばよいのです。
真実は、時がたてば、自然と見えるでしょう」
ラーナ王妃はそれぞれに戻るようにいい、自分も、シレジアに帰っていった。
「フュリー」
「はい」
「セイレーンに戻る前に、少しゆっくり飛んで」
「…はい」
フュリーは天馬の手綱を引く。天馬は、セイレーンの手前で大きく旋回飛行をはじめた。
「お寒くないですか」
「大丈夫、天馬が暖かいから」
ラケシスは、着せられたローブにそのまま身をくるみながら、日が落ちて、夕闇の迫る空を見上げた。
姿の見えない妖精の夫をもった娘の物語を思い出していた。
続きはこうだ。
妖精の夫は、ひとつだけ、妻に約束をさせていた。
『私は、昼には姿を現せない。夜は形をもてるけれども、私がどんな姿をしているのか、どうか知ろうとおもわないで』
娘は、最初それを固く守っていた。しかし、そんな不思議な生活をいぶかしむ、
『それはきっと妖精じゃないよ、お前を食べようとしてる魔物かもしれないよ』
周りのそんな言葉にまどわされて、娘はある夜に、夫の姿を見ようと試みる。
姿を見られたくないほど醜いのだろうか、でなければ、本当に魔物なのだろうか。
夜、眠っている夫の部屋にそっと入り、寝台の中にろうそくの明かりをかざすと、そこには、魔物と呼ぶにはあまりにも似つかわしくない、美々しい妖精がいた。
驚きに震える娘の手は、その時に熱いロウを一滴、夫の肩にたらしてしまう。夫はその熱さと痛みで起き上がり、妻を見た。
『私の姿を見たいと求めなかったのを、君の真心と思っていたのに。
もう君とは暮らせない。さよなら』
夫は、さびしそうにそう言って、消えてしまった。
ラケシスは、そのろうそくの一滴をたらした娘と、今の自分と、何の変わることもないと思った。
「…っ」
止まったはずの涙が、またこぼれてきた。ローブが暖かすぎて、泣けてきた。
あの声が聞こえてきたとき、本当は自分は安心していたはずなのに。
自分の落としてしまったロウの雫は、どんなに熱く、痛かっただろうか。
フュリーは何も言わないで、ゆっくりと、天馬の手綱をさばいていた。
そのころ。セイレーンの執務室に、特大の雷が落ちていた。
「エスリン! お前は、自分がいったい何をしようとしたのかわかっているのか!」
目の下にクマをふたつ盛大に浮き上がらせた顔のシグルドが、ともすれば執務室のデスクをひっくり返しそうな剣幕で、目の前の妹を怒鳴りつけたのだ。傍で控えていたセリスの侍女が
「きゃっ」
と黄色い声を上げて、奥に入っていった。
「エリオット王子はお前が責任もって世話をするというから、私は任せたつもりで安心していたんだぞ、しかし何だこの騒ぎは! お前はアグストリア王族を根絶やしにするつもりか!」
「だって、兄上…」
「だっても何もへったくれもない!」
どかん! シグルドの両のこぶしがデスクにたたきつけられる。
「ただでさえ、こちらは客分で、何もかにも遠慮をしなければならない立場なんだぞ、それに、私がディアドラを見失って、どれだけ血をにじむ思いでここにいるか、そんなことも知らずに」
「まあまあまあまあ、シグルド、おちつけ、な」
話し相手をしていたキュアンがシグルドの肩をおさえ、いすに座らせる。
「それについては、十分彼女に言ってあるから、キミは何の心配もしなくていい、ラーナ王妃が全面的に解決に協力してくれたのだし」
「これでまたひとつ、シレジアに借りを作ってしまった。
われわれが借りをつくると、それだけシレジアが不利になるんだ、ああ全く」
シグルドは椅子の上でかっくりと脱力した。
「まあ…エリオット王子の件は、君も彼や兄上にこうして言われたとおりだ。もうないだろうが、突飛なことはこれ以上は、な」
「…ええ」
結末はわかってはいる。しかし、兄の雷と落胆振りと、目の下の落ち窪んだクマを見せられると、さすがに今回は跳ね返りがすぎたかと思う。うつむいたままの顔がなかなかあげにくい。
「兄上にご心配はかけません、私の責任で、なんとかしますから」
と言う。事実そうだ。ラーナ王妃が全面的に後ろ盾になってくれるとはいえ、まいた種だ、かりとらねばならぬ。
「当たり前だ、私は今君に聞かされるまで、そんなことになっていようだなんて知らなかったのだからね」
女房がなぞの失踪をし、血眼で捜索するその手も一向にはかどらない一方で、不仲の取り持ちやら恋の鞘当ての決闘話など、聞かされる側ではつもりがなくても逆恨みのひとつでも出したくなるのが、人情というものでもあろう。
二人に聞こえないようなぶつぶつ声で何か言い始めたシグルドを、ちょうどシレジアからの書状を持ってきたオイフェに任せて、夫婦はこれ以上神経を逆なでする必要もあるまいと部屋を出る。
「あいつは根が楽観的すぎて逆境に真正面にぶちあたられるととことんだめなんだ」
「そうだったわねぇ」
「それにしても、だ」
キュアンがあごに手をあてる。
「退屈しのぎにしては、少しやりすぎた感があるのは、俺も否めないところだなんだが。しかし、君の片棒がベオウルフで少し安心した」
「けなされてるのかほめられてるのか、わからなくなってきたわ」
「ほめているんだよ。傭兵としての守秘義務をきちんとわきまえているし、君と共有している情報を必要なだけ、当事者たちに説明したことで、結果当事者たちは大体君が考えているように行動した。君の計画の達成は彼の行動によるところが大きいと俺は思う」
「私をほめてはくれないのね」
「手放しで君をほめることができるのは、終わるものが終わって、収まるところが収まって、エリオット王子の身柄が完全な安全圏におかれるまでお預けだな」
「ん、もう」
エスリンは廊下の真ん中で、大仰に不満をあらわにした。それにキュアンが苦笑いした。
「まあ、君の懐に偶然飛び込んできたのが、かの王子の幸運で運のつき、かもな」
「でしょ? キュアンもそう思うでしょ?」
夫の言葉尻で機嫌を直すエスリンに、キュアンは、にやりとして
「アイラ王女の国では、ラケシスみたいな女性を『傾国の美姫』という」
ともっともらしく言う。
「知ってる知ってる。すごい美人って意味でしょ?でもそれが?」
「意味が微妙に違うな。傾国っていうのは文字通り、『国を傾ける』つまり国をダメにするってことだ。
そもそも、我々がノディオンに援軍に出たのも、彼女が要請したからだな? そして、シャガールがそれに過敏に反応し、われわれは彼との全面対決を余儀なくされた。
それからは、言わなくてもわかるだろう?」
懐かしい名前をくるくると口からつむぎだすキュアンの言葉に、エスリンはふと考え込む。
「そういう破壊力、いや、穏便に決断力といおうかな…それを持つラケシスを、エリオットが本人の思うように意のままにできると、思うか? 彼もラケシスを得るための箔をつけたくて、空のエバンスを陥落させようと勇み足を踏んだクチなんだぞ?」
「それは…正直な所、エリオット王子の器の中で大人しくしておられるようなラケシス様でないことは、私もわかっているつもりですけれども」
「どうしてだと思う?
そして、どうして今まで、フィンが当然のように彼女の側にいられたのか」
夫の問いに、あっさりエスリンが肩をすくめた。
「さぁ」
「わかっているからわざとエリオット王子をたきつけたのだと思ったんだが」
「ノディオン攻防から今までに、ラケシス様から話を伺ったことがあったからよ、拒んでも何しても、自分を諦めないどうしようもない人がいらっしゃるって」
「まあいい、答えを言おう。二つの疑問は、おそらく根を同じにしているはずだから」
二人はすでに、二人の部屋に入っている。ちょこりと椅子に座って、夫の言葉を待つ妻のしぐさにすこしくときめきながら、キュアンはにやりとした顔のまま言った。
「獅子の妹もまた獅子さ。御しようと思えば思うほど牙をむく」
「…ふぅん」
「なんせ、そういうように育てられたからな。
もしあの時の彼女に、もう少しの年齢と機微があったら、俺たちを呼ばずに丸腰単身でアグスティに乗り込んで、相手がシャガールだっても舌戦で渡り合うぐらいしたはずだ。
最終的に同じことになったとしても、もう少し、その時期は遅くなっていたかもな」
「そう、かもね」
エスリンは、わかったような、わからないような、そんな相槌を打った。
「ねぇキュアン、そろそろ、何が言いたいか教えて」
「わからないかな?」
眉根を寄せた愛妻の顔を覗き込み、キュアンは満面に笑みをたたえた。
「私は、戦を私の仕事にして深窓でおしとやかにしている女性よりは、一緒に戦場を駆けてくれる君がほしかった。
彼女も、同じだよ」
「?」
「彼女が求めているのは、誰かが進む方向に合わせて引っ張る手ではなく、彼女が進みたい方向の、数歩前を探りながらエスコートしてくれる手さ。
だから私は、それができる奴を無期限で彼女に貸し出した。
それにだ。こんな数週間程度のお預けで、へこたれるようなフィンじゃない。育てた私が言うんだ、間違いはないよ」
「あらやだ」
エスリンが声を高く上げた。
「結局、自分がほめられたいんじゃない」
|