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 「砦の中があわただしいようです」
ゆっくりと空を旋回してきた天馬騎士が、降りて様子を伝える。
「なに?」
聞き返すベオウルフに、天馬騎士が詳細を続ける。
「小競り合いのような、剣戟の音がしました。男達が…おそらく、あの場所は倉庫だと思います。向かっていきました」
「倉庫といや、姫さん達が入れられてるところだ」
と言うと、かかっと蹄の音がした。フィンが馬の首を砦の入り口に向けたところだ。ベオウルフは天馬騎士に、くるだろう援軍のためにその場に待機するようにいい、フュリーとそれを追う。
 すでに戦闘の中心は別の場所に移されているのか、倉庫周辺は静かだった。フィンはもう別の場所を探しているのか、ここからは姿は見えず、昏倒した男達が累々と横たわる。ラケシスが入れられていた場所の扉の前では、パニエをかぶったまま同様に倒れている男。それでベオウルフは、だいたいの事情を察した。
「えらいことやらかすな、あの姫さんは」
「さすがマスターナイトの称号を推挙されるだけありますわ」
そういいながら、男たちを縛り上げていると、
「たあすけてくれええ」
と、縮み上がった声が聞こえる。エリオットだ。彼はすっかり事態から取り残されて、扉にはまった格子をかくかくと揺らしながら、寒さに真っ白になった顔をさらしていた。
「あ、忘れてた」
ベオウルフは男達の中から鍵束を探し、エリオットを解放する。
「あああ、どうなるかと思った」
エリオットは今更に、大儀そうなため息をついた。
「ラケシスが突然静かになったと思ったら、外で小競り合いの音がしただろう。一体何があった、説明してくれ」
そしてやおらベオウルフにすがりつく。ベオウルフは
「あー…」
と困った声を上げた。今縛り上げたこのへんの男共を全員ノしたのは、誰でもないラケシスなのだ。しかし、エリオットは信用するだろうか?
「まあ、なんだ、援軍をつれてきたんだ、すぐ見つかるさ、連れ出されてなかったらな」
「ああ、そうだな」
捜索の目が増える分には悪いことはない、他の建物に移動しようとしたとき、上の方からまた報告があった。
「岸より少しはなれて、船が数隻停泊しています」
「旗印はわかる?」
フュリーがきいた。
「それが…海賊のものらしく」
「海賊?」
「ブリギッド様から離反したか、新しく興きた一団かも」
「おい、ラケシスはどうしたんだ」
「鋭意捜索中です、まだ発見できてません」
「だーっ 探して来いっ」
エリオットががなりたてる。その勢いに、天馬騎士は、
「は、はいっ」
とあわをくって高度を上げていった。
「お前、人使いが下手なようでうまいな」
「そうか?」

 さて。
 ラケシスは、最上階の手前にある、指揮官の部屋に使っていたのだろう、一番豪勢な部屋に立っていた。
 ここにいた男達は、全部倒したと思う。自分も腕足に少々かすり傷を負ったが、戻ってライブをかけてもらえば跡形もなく消えるだろう。
 あとは、さっさとここを逃げ出せばいい話である。しかし、ベオウルフに助けをつれてくると言われた手前、せめてこの敷地の中で待つべきだろう。ラケシスは、それでも内側から鍵代わりの掛け金をかけ、へたりと壁に背中を預けた。しかし、その休息も休んだと実感できるほどとれたわけではない。じきに、人の足音がした、その方を見やりながら、椅子を盾に隠れる。足音は扉の手前で止まる。
『鍵がかかってるな』
とこぼれてきた声は、久しぶりに聞く声だった。
「やっぱりきたのね」
ラケシスはそうつぶやいたが、声ので主がわかった以上、開けるつもりはなかった。どうせ一人で来たわけでもないだろう。さっきから、天馬の翼の音が近く遠くに聞こえる。そのうち、足音が増えた。
「おいおい少年、どうしたよ立ち止まって」
「いえ、鍵がかかっているものですから」
「廃棄を決定したときに、鍵はすべて開けたはずですが」
「まあ、ならず者がねぐらにするのにはちょうどよさそうだしな、手製の鍵ぐらいつけるだろう。
 それより、もうここしか部屋はねぇんだ、扉叩き割ってでも開けるぜ」
扉の向こう側の人物が体当たりを始める。掛け金はそのうちはずれるか壊れるかしたか、ばかん、という音とともに扉は開かれる。ラケシスは観念して、盾にしていた椅子の背から立ち上がって、入ってきた一同を見た。そして、ベオウルフに
「戻ってきたのね」
と言った。エリオットが飛びだそうとするのを、ぐいとおさえながら、ベオウルフはつくづくという体で半分あきれたような声を上げた。
「なんて艶姿だ。
 まあ、いつまでもじっとはしてねぇとは思ったがな」
「外の人たちは?」
「ああ、姫さんのおかげでな、成敗の手間が省けて助かったよ」
「部下が拘束して、見晴らせてありますからご心配なく」
フュリーが続ける。
「ですが、お気をつけください。海賊船が停泊しています。おそらく、援軍かと」
「そう」
ラケシスはいとも落ち着き払っていって、二人の隙間から見える影をみた。
「まあ、そんな目くじらを立てるもんじゃない、一時休戦しときな。
 あんたも大切な戦力なんだから」
「わかったわ、今はそうしておきます。
 でも相手の援軍なんて聞いてないわ。どういうことなの?」
「ああ、いくら姫さんが百戦錬磨のマスターナイト様だってもな、一人ぐらいは逃がしちまったかも知れねぇってことだ」
 あるいは、あらかじめ用意してあって、何かの合図で岸に上がってくる。考えられないことじゃ…」
そのとき、天馬の翼の音と、剣戟の音がした。
「ほら、おいでなすった。
フュリー君、姫さんを頼む。
 少年、王子さん、いいとこみせろよ」
フュリーが駆け寄って、ラケシスを保護しようとする。しかしラケシスはその手をぱしっと拒んだ。
「逃げ隠れなんかしないわよ。あなたが持っている剣を渡して。
 私も戦うから」
海賊の剣をからん、と投げ落とし、空いた手をベオウルフに差し出す。
「そういうと思ったよ」
ベオウルフはにやっと笑って、「祈りの剣」を渡した。階段を上がってくる海賊たちは、長柄武器の天馬騎士達とフィンが食い止めていた。一度なげすてられた海賊の剣は、エリオットの手ににぎらされた。
「なに、お守り程度におもっときゃいい」

 逆境を潜り抜けてきた歴戦の勇者の前には、海賊の俄仕立ての剣はまったく歯が立たなかった。ほどなく、部屋はるいるいと、傷ついた海賊で踏み場がなくなる。階段もふさがれて、援軍はそれ以上上れないと悟り、あらかたが逃げていった。
「まあ、俺たちは天馬で降りるか」
ベオウルフが言った。エリオットも、多少は役に立ったものらしい。少し血のついた海賊の剣を両手で握り、ぜいぜいと息をしている。
 ラケシスは、傍の古びたタペストリーで剣の血をぬぐい、しゃん、と鞘におさめる。そして、部屋の入り口を固めていたベオウルフたちを肩でよけるようにして、物見への階段を上がっていく。
「あ」
思わずフュリーが声を上げた。ベオウルフはそれを手で制し、
「おら、行け」
といわんばかりに、フィンの後ろ頭を押しやった。

 消えてゆくラケシスのドレスの端がちらりと見えた。小走りに追いつこうとするが、相手は走っているのだろうか、登り階段を上る姿がちらりと見える。
 それでも小走りにおいかけると、もうじき日暮れの冷たい空気にさらされて、ラケシスが立っていた。あたかも、後ろから誰かおいかけてくれるだろうということを期待していたようで、下り階段の見えるところに立っていた。
 フィンはつんのめりそうになりつつ足を止めた。そして、ゆっくりと足下に近づいてから、もっともらしく片ひざをついた。
「お迎えに上がりました」
「…」
ラケシスの返答はない。つい、と視線を背けて、落ちようという光を見た。
「若干手間取りましたが、王女に危害をあたえんを画策するものは、あらかた排除されました。
 賊への詮議に、多少お手を煩わすことも有りましょうが、今は一度セイレーンまでお戻り戴けますよう」
王女は物見の塀についと腰をかける。その頃には、後の人間たちも、物見に上がってきていた。
「ねえ」
槍を脇に置き、片ひざをついて、軽く視線を伏せたフィンに、ラケシスは探るように聞いた。
「たとえば、あそこにいるひとと、私が結婚するとなったら、あなたどう思う?」
フィンが振り返る。ベオウルフがエリオットを指し、
「ハイラインの王子様だよ」
と言った。フィンはエリオットをしげしげと見てから向き直り、
「アグストリアのやんごとない筋同志、私にはこれ以上もなく良縁かと思われます」
「本当に?」
「…はい」
そりやり取りを見て、ベオウルフは「お互い素直じゃないねぇ」という苦笑いをする。ラケシスは無表情で、その言葉を聞いた。しかしエリオットはそれに気を良くしたのか
「ならば障害は何もないじゃないか。
 なあ、ラケシス、アグストリアの未来は俺達の上に有るんだ。一緒に帰ろうじゃないか」
と甘ったれた声を出す。
「ええ、それもいいでしょうね」
ラケシスはそういいながら、物見のふちに腰をかける。
「私もアグストリアに帰りたいわ。私の故郷だし。
でも、私があの場所に帰ったとしても、私がいて欲しいと思うひとは、だれもいないの。
 それじゃ、帰ったとしても同じだわ。
 私はここで必要とされている。だから、帰らない」
「そんな」
エリオットが足を踏み出そうとする。
「近づかないで」
しかしラケシスはそれを声で制した。二人の間は数歩はなれてているが、近づくなと言われると、エリオットもぎょっとしてその場に立ちすくむ。
「私ね…」
と言うラケシスの瞳に、うるうると涙が溜まってくる。冬も盛りは過ぎたといっても、夕方になればまだまだ風も冷たい。しかし肩が震えているのは、決して寒さだけではない。
「アグストリアの王女っていわれるのが、今いちばんつらいの」
「…」
「私がめちゃくちゃにして、人々を苦しませて、悲しませて…私にはもう、あそこに帰る資格なんてないのよ…」
「ですが」
エリオットにはもとより、そのラケシスの嘆きに何も返す能力も機微もない。しかし、ラケシスの足下のフィンは、しばしうなだれてから、言った。
「アグストリアの民は、たとえ王女のおっしゃることが真実だとしても、王女にはお戻りいただきたいと、願っているはずです。
 王女はアグストリアを構成していた王国の王族であると当時に、砦の聖者ヘズルの枝葉として、伝えるべき血をお持ちです。
 お戻りになり、苦境の人々を慰撫することが、何よりの贖いと、僭越ながら存じます」
ラケシスの涙は、フィンの言葉の間にも、止まる気配はない。むしろ、ぬぐう側からあふれるようで、見てて痛々しいまでだ。
「ほら、そこの騎士もそう言うじゃないか。
 ラケシス、俺と一緒に帰ろう」
エリオットも、だんだんとなだめすかすような口ぶりになる。
「後のことは帰ってから考えればいいじゃないか。
 だから」
また一歩を進み出す。しかしラケシスは
「近くに来ないでっていったでしょ!」
と、今まで座っていた縁に立ち上がった。
「!」
場の空気が凍る。しかし、ラケシスは、すぐには動かなかった。
男たちに背を向けて、出てくる涙をいささか乱暴にぬぐった。
「お願いだから…気がついて…」
それでもこぼれる涙が、頬を伝う。寒さに白くなった唇がかすかに震えて、それはそれで妖艶とも言える風情だ。
「姫さん、動くなよ。頼むから動くな」
ベオウルフが言う。目を放すと、もっと最悪の事態になりそうで、目が離せない。天馬騎士の姿がないかと、視線を泳がせるが、こういうときに限って、海賊どもの見張りをしているのだろう、姿はない。日がいよいよ落ちてゆく。風が心なしか強くなる。パニエの入っていないドレスが、風をはらんでふわりと広がった。
 ラケシスは、男三人をゆっくりと一瞥した後、とん、と足場から足を離した。明らかに、風にあおられたようではなかった。
「うわああっ」
エリオットの取り乱す声。ベオウルフも我に返った。
「南無三!」
手を伸ばそうとしたが、ドレスの端も握れなかった。物見の下を見る格好になって、ほぉ、とため息をつく。
「お見事、フュリー君」
ラケシスは、天馬の上のフュリーに支えられるようにして、ゆっくりと物見に戻ってきた。
「よかった、ラケシス、もうだめかと思ったぞ、俺は」
エリオットが涙でぐしゃぐしゃの顔をして、へなりと腰をぬかした。しかし、助けられたラケシスの顔は、渋い。
「何で助けられなくちゃいけないの」
「ああ、助けなきゃいけねぇんだ。今後の筋書きにかかわるんでな」
ベオウルフがにや、と笑った。
「筋書き?」
ラケシスがいぶかしむ声を上げる。
「ああ、俺よりお詳しい方はセイレーンにいるよ。
 戻ろう」
ベオウルフがいって、またついと、フィンを押しやった。夕方の冷たい風に粟粒立つ彼女の肩に、自分のかけていたローブをかけようとしたが、ラケシスはそれを払い落とすようにして拒んだ。
「え」
フィンの顔に、明らかに困惑が浮かんだ。
「あそこまで言ったのに、あなた全然わかってない!
 あなたがいる限り、セイレーンには帰らないから!」
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