王子時代には程遠いが、それでも巡礼者ぐらしとは雲泥の空間のエリオットを再びエスリンが訪れていた。
彼女を出迎える従者らの顔は、一様に安堵感に包まれている。彼等に、ささやかに愛想を振りまきながら、エスリンは、シレジア貴族の侍女という身分と風体に身をやつして、部屋の主人エリオットに対峙している。ベオウルフはやや離れて、その様子を伺っている。しかし子の王子は、気味が悪いほどに、ラケシス以外の女性に興味はないようだった。
「先日は、名乗らずに失礼をいたしました。
何分に主人の微行の供をしていた折でございまして…
王子殿下のことを申し上げたら、主人が、ラーナ王后陛下にもこの旨申し上げたらしく、陛下が王子殿下の境遇にいたくあわれをもよおされ、殿下が無事アグストリアにお帰りになれる様、精一杯の支援をしたいと仰られたそうです。」
その言葉に、「主人」でもあるエスリンのいつわりはない。エリオットのことは、セイレーンのシグルドにも、シレジアのラーナにも報告した。シグルドはそんなことさえ興味がなさそうに、
「ラーナ殿にも、お前が報告差し上げたのだね?ならば私は何も言わないよ、お前が誠心誠意お世話して差し上げるがいい」
といって、それだけで終わった。もちろん、手荒に扱うつもりは毛頭ない。コトさえおわれば、エリオットにはハイラインに戻ってもらうつもりだ。もっとも、戻ってから先のことまでには責任は持てないが。シレジアでも、今頃官吏たちが、どうやって無事に王子を帰そうか、考え始めていることだろう。
とまれ、エスリンは、エリオットの身の上に、ひたすら同情した。
「シレジアは大陸のどこよりも誇り高くある国、グランベルにもそう簡単に手を出させはさせませんわ。
ここでアグストリア王族を二人もお守りできるなんて、とても鼻が高いことと、主人が申しておりました」
そして、頃合いを見て、探るように切り出す。案の定エリオットは、
「二人?」
と、いぶかしげな顔を向けた。
「はい。実は王子殿下のことを申し上げたら、これは秘密と前置きをされましたけれども、セイレーンでもうお一人、アグストリアの方を保護していると」
「ほぅ」
「なんでも、…それはお美しい王女様で…ええ、恐いこと、グランベルに攻められ、早くに国が滅んだとかで、これ以上の政争をさけて、アグストリアに逃げて来られた由…ラーナ様がいたく大切にお預かりしているとか…
いえ、主人が人より聞いたことで、私はその方をお見受けしたこともございませんけれども」
案の定、エリオットの顔がぴくぴくっと麻痺したような反応を示す。
「ラケシスがここにいるのか!」
と、その口からとうとう彼女の名前が出た。エスリンはただアグストリアの王女といっただけなのに。アグストリアの王女がラケシスに限ったわけでもないのに。しかし、そう言い出したなら話は早い。エスリンは先を続ける。
「まあ、あのアグストリアの宝と呼ばれたラケシス王女様のことだったのですか。私とんと考えもいたしませんでしたわ。
王女様はおいたわしいのですの。セイレーンで一息つかれたとおもったら、なまじご身分が公にできないばっかりに、旅流れの傭兵や、主なしの騎士から言い寄られて、とてもお困りとか…」
ベオウルフは、胸の中で
「俺もダシかよ、そりゃひでぇ」
と思った。
「ええ、本当に怖がって、それは痛々しいほど…
この間など、お部屋に入り込まれそうになったとか」
まあ、多少の誇張もあるが、セイレーンがそれだけの大所帯であることに 間違いはない。
エバンスからここまで、戦いに戦いを重ねる間に、雇い入れた傭兵や、主を求めてきた流浪の騎士は、結構な数にのぼる。傭兵はまだ簡単なのだが、主のいない騎士と言うのが実は曲者で、自称の場合も多いのだ。
騎士叙勲には、儀式をもって行われる正式なものと、戦場で行われる略式のものがある。略式のもっとも簡単なものは、手柄をみせ、居合わせた正騎士に認められるだけでいいのだ。騎士になったけれども、あまりにも略式過ぎて、叙勲してくれた正騎士の名前もわからない、そういう名前だけの騎士が、セイレーンには大勢いた。
「そういえば、あの子も仮叙勲だったわねぇ」
エスリンは、筋書きを確認する間、余計なことを思い出す。そのとき拠点になった城の教会で、簡単に式を終えはしたが、本国に帰らない限り、フィンも一人前のデュークナイトになれないのだ。
さて、エスリンがそういうことを思い出していると、
「それで、侍女殿、話はどうした」
と、エリオットがせかす声を上げる
「あ、はい。
主人が申すには、同じアグストリアびとの殿下が見い出されたのはエッダの神の思し召しと… よければ、ラーナ様に進言し、よしなにお取り計らいいただこうかと…」
「そうだ!」
エリオットがとうとう立ち上がった。
「ラケシスはアグストリアの至宝だ、他国の訳のわからんやつのスキになどさせられるか!
俺が責任持って、アグストリアにつれて戻ろうじゃないか!」
「ええ、殿下ならそうおっしゃるだろうと、主人も申しておりました、なんて頼もしいこと」
ついでに、コレだけおだての聞く男も見たことない。エスリンはうっかりいいそうになったのを飲み込む。
「アグストリアの王女にはアグストリアの王子、これほどの良縁、またとございませんわ。それに、そうしてお帰りになれば、今や大陸を席巻しようとするグランベルへの、よい牽制にもなりましょう。ラケシス王女様といえば、かの魔剣の聖者の由緒正しき末裔、ともすれば、魔剣も、そのお手元に…」
ラケシスから魔剣の使い手を生み出すことは、当代ではおそらく無理だろう。レンスターに疎開したアレス王子がいるのだから。でも、それを言うと、エリオットのやる気をそぐ。案の定、エリオットは
「うむ、俺が魔剣の使い手の父になるのも悪くない。
お前の主人は洞察が深いな」
胸をそらした。
「たしかに、以前はなびかぬラケシスに業を煮やしたこともあったが…今やそのような勝手は通用せぬだろう、俺と二人で、アグストリアを再興させるのが、彼女に与えられた運命にほかならぬ!」
「その意気ですわ、王子!
王子の心意気は、世界をも左右なされますのよ!」
「そうだろう?そうだろう?」
ハタから見れば、持ち上げられたエリオットは滑稽この上ない。エスリンは内心笑い転げながら、もう救国の英雄になったつもりで陶酔しているエリオットを満面の笑みで眺めている。
「ですが、お分かりでございますよね、殿下? ここで大層なお名乗りをされては、主人の考えも全て水の泡になりますわ、シレジアにとっても、グランベルが注意すべき相手であることは変わりませんもの」
「うむ、それもそうだな」
エリオットは、貴族然にどっかりと、椅子に座り直す。
「ええ、なるべく秘密にことを運びましょう。ラケシス様もきっとお喜びになります。王女様は、それはもう、翼があるなら飛びたいと、アグストリアを恋しがっておられるとか」
「うむ、うむうむ、頼むぞ侍女殿」
すっかりその気になったエリオットが、椅子にふんぞり返るのを見つつ、エスリンは面会を終えた。
よくもまあ、あそこまで並べられるものだ。ベオウルフは正直、そんなことを思った。
あんな具合に、エリオットとラケシス双方に都合のいい話をして、まず形だけでも急接近させるつもりなのだろう。フィンの野生のカンが完全に馴らされていないなら、ソレについてなんかアクションを起こすはずだと。
「筋書きとしちゃわるくないですが、その日和見な理屈が通じるのは、そのバカ王子と少年だけですぜ、奥様」
ついでる声も苦りきっている。
「ただの窓枠直しに、ここまで大掛かりにする必要が」
ちくりと言っても見るが、エスリンには通じないようだ。
「…退屈だった私の前にあらわれたのがエリオットの不幸だわ。大丈夫、表ざたになるようなことは何もしないし、物騒なことも何もしないし、ね」
「…やれやれ」
ベオウルフが肩を竦める。
「そんな顔しないで。これからあなたにも協力してもらうんだから、気を抜いちゃダメよ」
「はいはい」
楽しそうなエスリンの後ろ姿に、ベオウルフはそれからの一切の毒気を抜かれてしまった。
「お貴族様は、コレだから、わからねぇ」
エスリンは、帰ったその足で、ラケシスの部屋を訪れた。ラケシスは、侍女を相手にチェスをしていたが、形勢は不利のようだ。一瞥して、盤では、ラケシスのクィーンが取られそうでも取られていない。侍女の配慮なのだろう。その盤から目を離さず、ラケシスはぼんやりと言う。
「エスリンさま、遅くていらしたのね。キュアン様が待ちくたびれておられたわ」
「あらそう」
エスリンは笑いながら、メイドにお茶の用意を言い付けた。空いた席に座る。
「行かなくてよろしいの?」
「ええ、あの人は、私がいないとさびしいってだけのひとだから。それより」
エスリンがあらたまる。目配せをすると、侍女たちは、音もなく部屋からいなくなった。
「このあいだセイレーンにお邪魔したときのことで、ラーナ様からお話を伺ってまいりましたの」
「はい」
「どうもお城の中であなたをお見受けしたらしい方が…名前はあかせないけれども、大層に高貴な方が…ラケシス様をお気に召した…とか」
「え?」
盤の上で指を動かして、駒の動きを考え込んでいたラケシスは、は、と顔をあげる。
「どういうこと、エスリンさま?」
「どういうことも…こういうこと」
「でもそんなお若い方が居られた覚えはありませんでしたわ。
…それなのに?」
「先様は、あなたと名指しをされたそうよ」
エスリンは、しれっとして言う。
「およろしければすぐすすむお話ですの。でも、ラケシス様にもご都合が有るからと、ひとまずお話だけとおもって」
「…」
ラケシスは気乗りのしなさそうな顔をした。さりげなく言われてしまったが、自分の人生を決定する一大事ではないか。一人での判断なんて出来そうにない。とはいえ、誰かに相談しようにも、一番相談したいその誰かを部屋から追い出したのは、誰でもない自分なのだ。そもそも、こうなってなかったとしても、どういう顔で彼に打ち明けたらよいものか。ラケシスの都合優先とエスリンが断わったのも、そういうことなのだろう。ラケシスは、盤の上からナイトの駒を一つ摘まみ上げて、弄ぶ。
そのラケシスに、エスリンが茶をひとすすりしていった。
「いつまでも、あの子でよろしいの?」
「え?」
「あなたの気持ちもわかってあげられないなんて、私とキュアンはどこであの子の育て方を間違えてしまったのかしら」
そういって、エスリンは自身の子供のことを言うようにふう、とため息をついた。
「それに、もともとあの子は、戦場でのあなたをお守りするようにつけたのですもの、今のような状況を、あの子に許した覚えもありません」
「エスリンさま、どうされたの?」
ラケシスの顔が引きつってくる。
「どうもなにも…
今のあなたをごらんになったら、エルト様が何を仰るかしらと思って。
きっとご存命で、フィンの不調法のことを知ったら、あの子は今頃魔剣の錆だわ」
もちろん、魔剣はそう簡単にさびるものではないが。ラケシスは、半分泣きそうな顔になりながら、侍女が出してきたお茶を一口含んだ。正直、「お兄さま」と言う大義名分は、今は反則に近い説得力だ。
「ねぇラケシス様」
「はい」
「もしかして、フィンを遠ざけたことを、後悔しておいで?
ちゃんとお話は伺ってましてよ」
エスリンに言われて、ラケシスは、あの恥ずかしさを思い出す。あのクローゼットの中の物慣れた物音が、ざわざわとよみがえってくる。あの中には、まだ秘密に用意させてた服だって髪飾りだって、下着だってあったのに。
さしものお兄様も、お姉様のクローゼットにだけは入らなかった。それが男の気遣いだといった。自分もそうだと思う。そのあたりの機微をベオウルフあたりに教えてもらってから、ごめんなさいの一言でもあれば許そうとも思ったが、あろうことかあの男はあれ以来、ぱったりと自分の前に姿も現さない。
「後悔なんか、してません」
ラケシスが顔を上げて、手に持っていたナイトの駒をたん、と盤においた。
「エスリン様、次シレジアに伺うときは、私もご一緒させて」
「ええ、そのつもりでおりますわ」
エスリンが、目を細めた。
「じつは、ラーナ様もお喜びでいらしてるのよ」
お喜びも何も、エスリンが書き始めたはずの筋書きの続きは、途中からラーナ王妃との共同作業になっていた。
そのラーナ王妃は、二人にそれぞれ話をしたというエスリンの報告を
「あらそう」
という顔で受け、
「では、どういたしましょうねぇ」
と言った。
「ラーナ様がお持ちのお屋敷をひとつ、お貸しいただければと」
「はいはい、お安い御用ですわ」
ラーナ王妃は傍の官吏に何か言う。官吏はさらさらさらりとなにやらしたため始めた。
「なんだか私、娘時代のようにわくわくしておりますのよ。
あの若くてきれいな騎士様が、いとしの姫君に四苦八苦なんて、なんてかわいらしいロマンスなんでしょう」
出来上がってきた書類に署名をし、封筒に封ろうをたらし、
「はい、屋敷の管理人への指示書です」
あっという間に、書類はエスリンに渡された。
「ありがとうございます」
エスリンはそれをおしいただく。
ラーナ王妃がまさかこんな人となりだったとは、レヴィンの母親だから少しは納得できたようなものの、親子関係がわかっていなかったら、エスリンのほうが戸惑っていただろう。
もっとも、ラーナ王妃は、ロマンスの筋書きだけではなく、ロマンスの主人公にも興味津々らしいが。
いつかシレジア城に、総出で客分としてもらえる礼をしに来たときだ、懇談中、ラーナ王妃はしきりにフィンを見ては、
「あの子があのように聞き分けがよくてかわいらしいままなら、もう少しシレジアも平和であろうものを」
そんなため息をついて、レヴィンをおもいきりへこましていたのを、そのときはわらってすましたが、ゆかりのご令嬢を世話したいという話になってしまったとき、やっぱりエスリンも、口を滑らしたのだ。
あの騎士が寝室に入ることを許している姫がいる。そう聞いたラーナ王妃の目は、一瞬だがきらん、と輝いた。あの光はこわかった。抵抗できなかった。
エスリンの算段は、頃合いを見てエリオットとフィンを直接あわせて、何かあったら面白いぐらいにしか思っていなかったのだが、ラーナ王妃は
「それでは足りません」
ときっぱり言って、この算段を考え出したのだ。
周りが天馬騎士という、別の意味で偏った環境の反動なのだろうか、それとも、やさぐれて自分に会おうとしない、遅い反抗期真っ盛りの息子の代わりなのだろうか。
「ごめんなさいねフィン、こんなことになるなんて、私も思ってなかったの。
後で笑って済ませるようにするから…
今は天とエルト様が与えてくださった試練と思って、耐えてね」
帰りの馬車の中、書状を胸に、エスリンは天を仰いだ。
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