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 そして、エリオットは、あの騎士が、帰還の供という大任をおったうえで、ハイラインに送られて行くことになった。
「首は手柄にはならないが、お前が王子を無事にハイラインに送ることができれば、その事実は少々の功績になりうる」
かの見習いの主君は、出立前の部下にそういった。
「アグスティがハイラインを、あるいは王子本人を、トカゲの尾にする可能性もなきにしもあらずだ。気を緩めず送り届けるように。
 帰ったら、お前にぴったりの使命をやろう」
「はい」
騎士は馬上で素直そうな笑顔でこたえ、手に縄をかけられたままのエリオットを乗せた馬の手綱を引いた。

 「王子と槍を合わせることができて、光栄でした」
道々、まったく悪びれる様子もなく、その騎士が言う。
「ああそうか、それは結構なことだ」
エリオットは横柄な声で言った。あまりに今の境遇が悔しくなって、
「お前、俺が自分の手柄にならないのが悔しくないのか」
そうして騎士を皮肉ってみたが、騎士はきょとん、として、
「いいえ、まったく」
と言った。
「私はまだ従騎士で、手柄になることならぬことも見分けもつきません。
今回のシグルド公子のご判断は、無用な血を流すことのない、ご英断だったと思います」
「その見習いの手柄にもならんと一笑にふされた俺の立場はどうなる。
 アグストリアの王子が殊勲の星にもならんほど、グランベルはこの国を見下げ果てているのか」
騎士が振り返りもせず、何も答えもせずなのをいいことに、やいやいとエリオットは声を荒げた。
「大体なんだ、グランベルは、ナーガが他の神器よりえらいと思っているのか、五つも他を下にして、まだ足りないのか」
「こっちはひとつの神器の下で汲々とその神器持ちのご機嫌をとらんとやっとれんのだ、よりによって当代がアレなんだぞ、過去ナニがあったのか知らんが、シャガール陛下のもとに神器の継承が発生しなかったのか、それがわからん」
「そういうところでもシャガール陛下はおいたわしいお方なのだ、アグストリアの盟主であるのに、神器があるというだけでエラいカオをしているエルトシャンに一目置くことを強いられてこられたのだぞ」
「イムカ様が、実の息子を差し置いてエルトシャンばかりかわいがるから、奴は増長して自分が盟主とばかりに勝手をしたんじゃないか、それを隣国として諌めて何がおかしい」
「エルトシャンなんか、しばらく地下牢の中でお灸をすえられてちょうどいい、表面は忠義ヅラしよって、奴に忠誠心なんか本当はないんだ」
「ところで、グランベルは、どこまでアグストリアを好きにする気なんだ、マクベス殿のことはお前たちと直接関係はないだろう」
「さては制圧して、シャガール陛下をゆするタネにするつもりじゃなかろうな、それぐらいでひるむ陛下じゃないぞ」
「まあ、ラケシスをおとなしくアグスティに差し出すが一番利口だと思うぞ、かねてより陛下はご執心らしいからな、マクベス殿のことはお許しになるかもしれん」
「だからな、ラケシスを粗末に扱ったり、ましてや、アグストリア攻略の証明とか言って、本国に送ったりするなよ、彼女はアグストリアの宝だからな、エルトシャンの妹と言うところが少し気にいらんが」
「しかし女があまり表に立つと、ロクなことがないな、ほら、あの、何だ、レンスターもいい迷惑だな、ヴェルダンに近いシアルフィの娘をもらったばかりに、蛮族狩りの露払いだ」
騎士が手を上げ、隊列が止まった。
「王子、少しお口を慎みなされたほうがよろしいかと」
回頭し、騎士の馬が、エリオットの隣に寄ってくる
「そのお口から出るお言葉の重みを、御自覚なさってください」
「俺に何か言われて不都合があるなら、あの時さっさと俺の首を切っておればよかったんだ。
 王子の首だぞ、ほれ、手柄にも何でもするがいい」
騎士は、何も言わず、エリオットの顔を見た。凍てつくような青の瞳が鬼気をはらんでいるのを、体験者のエリオットはすぐに気がついた。
 騎士は、敵意のないことをあらわすために、武器は何も持っていなかった。唯一、もっていた短剣を自分の腰からはずす。
「そこまで仰るならいたし方ございません」
そしてそれを、鞘のまま、エリオットに差し出した。
「生きながらえるのが恥と思われるなら、この場でご決断を」
「な」
「責は私が負いましょう。護送中の自決とならば、捕虜同然の帰還を潔しとせずの王子のお心意気やあっぱれと、仰る向きもございましょう」
「おおおお、お前、俺を脅すのか」
「滅相もございません」
失礼をいたしました、と、騎士は短剣を腰に戻す。
「ノディオンを助けた我らが軍は、王子には生きてお城にお戻りになり、お父上を説得し、ノディオンと和解され、これから先のことは、御目をつぶってくださるだけでもいいと思っております」
「そんなことできるか。
ノディオンを助けただと? あれは接収というんだ、ノディオンはグランベルの出先になったことがわからんのか。そのままノディオンをたぶらかして、マッキリーあたりをやってしまえば、後はアグスティまで一直線だからな」
「王子、ですから我々には戦意はないと」
「わかるものか。
 無血開城のネタになって生きながらえたとされるよりは、グランベルの勢を前に善戦むなしく散ったと歴史には書かれたいんだ、俺は。
 見習いにはまだわかるまい、この境地は」
騎士の目がまたギラリと青く光った。
「ハイラインが、今後歴史をつむげるほどの落ち着いた発展を遂げられるか否か、その鍵をお持ちなのもまた王子であることを、お忘れのなきよう」
「ひ」
最初出くわしたときのあの気迫をまた感じ取り、エリオットの全身から冷や汗が出た。
「お前、やっぱり、俺を脅しているだろう」
「とんでもありません」
しかし、次の瞬間、騎士はころりと、あの目をどこかに隠してしまったかのような、穏やかな顔になる。
「さあ、ハイラインがそろそろ見えてまいりますよ。
 王子らしく、堂々とお帰りくださいませ」
隊列はその乱れを粛々とただし、また進み始める。エリオットは、生かされてしまった安堵と、生きて帰ってしまった一握りの気まずさを抱えて、とぼとぼと馬に揺られるよりなかった。
 この攻防で何の功績も挙げられなかったのが、自分にとってどんなに情けないことかわからないのか。城に帰ってもほめられることは何一つない、その上かえって父を落ち着かせろと。
「そんなことできるか」
言おうとしたが、もう騎士は聞く耳なさそうだった。

 ハイラインの城門の前で、騎士は、エリオットを王子として、できる限りの礼で城へと送り出した。
 「王子、またお目にかかれる機会がございましたら、次もお手合わせを」
城に入る間際、騎士は朗らかにエリオットに言った。残酷なまでの純真さが、エリオットの良心をちくちくと苛んだ。
 しかし、だ。
 帰れば既に、ハイラインはグランベルの威力におされ、戦意をまったく喪失していた。
 かつ、グランベルを止められなかった責任をハイラインが一手に背負うことになった。
 そして、父ボルドーは、これまた全てを、息子エリオットの采配ミスにして、彼を城に入れないまま放逐したわけだ。勘当されなかったのがのが、せめてもの親心といえば親心か… 主人を見限らなかった(いや、見限りそびれた?)従者達によって、巡礼者に身をやつし、いずれ国に帰る機会をと、思っていた訳である…

 酒場の部屋が、変な空気に包まれる。エリオットはそこまでの恨み節を一気にうなり上げて、
「こんな屈辱あるか」
だしだしだし、とテーブルをたたいた。重ねた皿ががしゃがしゃんと踊る。従者たちが
「ご、ご主人様、落ち着かれてください」
とたしなめる。
「見習い騎士の分際で、とうとうと説教をたれよったのだぞ、奴は!
 ただでさえ、ノディオン攻略もできず、ラケシスも助けられないまま返された俺の自尊心にどんな傷がついたか、お前らにもわからんだろう!
 そうだ、ラケシスといえば、俺があの見習いにたたかれたのは、ノディオン城の西の尖塔から一番よく見える場所だった、俺はそこに陣を取っていたのだから、間違いない! ラケシスの好みは何もかも知ってるんだ、あの尖塔からの眺めを好んでいたのも知っている、きっと彼女は、俺の無様な様子を、笑ってみてただろうな。
 とにかくだ、ゆるしておけるか、あの見習いを!
 どこの所属だか知らんが、あって決闘のひとつも申し入れたい気分だ!」
エリオットの話を聞きながら、ベオウルフとエスリンは、あまりにもあまりな運命のいたずらに、思わず顔を見合わせていた。エリオットにも、それは奇妙に写ったようで
「何だ何だお前たち、俺の話がどうかしたのか」
と怪訝な声を上げる。
「う、あう」
ベオウルフは唸るしか出来なかった。が、エスリンの頭の中はエリオットの話を聞いている間に、何らかの計算が働いていたものらしい、急に瞳を輝かせた。
「いえ、何でもありませんのよ、王子様。
 おつらい旅をされてきたのですわね、ささ、もっと召し上がって、お酒も運ばせましょうね」
と始める。ベオウルフが突然のエスリンの変わりように泡を食った。
「な、どうしたんですか、奥様」
「まあ、見てなさい」
エスリンは、口元にほんのりと、いたずらそうな笑みを浮かべていた。

 エリオットは、さんざ飲み食いした挙げ句に、セイレーン城に一番近い一番の宿の一番の部屋にかくまわれる身になる。もちろん…エスリンの金で、だ。
 従者らの涙を流さんばかりの感謝を背に、宿を後にする二人。もう夕暮れが近かった。
「知らなかった、あなた、エリオット王子に面識があったのね」
エスリンが感心しきりの様子で言う。ベオウルフは、後ろ髪を軽くかきながら、
「まあ、面識と言うか、腐れ縁と言うか」
と返した。
「エリオット王子がご執心の例の姫さん、生まれはマディノなのはご存知ですかね」
「ええ、エルト様とはお母様が違うって伺ってるわ。
 もちろん、あなたを金貨一枚で雇おうとしたことも知ってるわよ」
「ああ、どこまでご存知は知りませんが、話が早い、実は俺が姫さんと一緒にいた間に、エリオット王子に見つかりましてね」
「ええ」
「ともすれば、ノディオンとハイラインが婚姻関係になりそうになったことが一度あるんですわ」
「あら、それは知らなかった。肘鉄をしてもしても求婚してくると、うんざりしてらしたのは、そういうことなのね」
「姫さんが、あの王子の話になると偉く仏頂面なのは、そういうことですわ」
「なるほどねぇ」
「あの王子、姫さんがここにいるってわかったら、一体どんなカオしやがりなさるでしょうね」
ベオウルフが、失笑を堪えきれずに言った。
「その上、恨み心頭の見習いが…」
言って、エスリンの顔を見て、ぎくりとした。
「ふーん、へぇ、そういうことなのねぇ」
と、しきりに納得したような声を出す彼女の顔は、ものすごく楽しそうだった。
「奥様…なんかお考えで?」
探るように聞いてみるが、エルリンはちらりとベオウルフを見て
「別に、何も?」
と言うだけで、後は一人でニヤニヤしている。ベオウルフは、そこで自分が口を滑らしたとやっと自覚した。しかし、もう遅い。
 かの流浪の王子が、エスリンに見出された形になった。かの王子の不運は、それに尽きる。
「さぁ、早くお城に帰らないと。
 明日はラーナ様のところにうかがって、報告をしなきゃ。
 それに、リーフもキュアンも心配してるわ」
エスリンは、踊りだしそうな足取りで、人がぼつぼつ少なくなり始めた夕方の道を小走りに進み始めた。
「ああ奥様、走ったらあぶない」
それを追いながら、ベオウルフがそれとなく苦言を呈してみる。
「奥様、楽しそうなのは結構なんですがね、あのへっぽこ王子になんであそこまで貢ぐ必要があるんです、ダンナ様にお愛想つきたとおっしゃられるにしても、相手がエリオットでは」
「私はそんなことしないわよ、キュアンひとすじだもの」
「じゃあ、どういうおつもりで」
ベオウルフは、ひしひしと迫るいやな予感を、あえて口にした。エスリンは、くるりと振り向く。
「ベオウルフ、あなた、前に私がキュアンとケンカしたとき、何をいいましたっけ?」
「は?」
「夫婦喧嘩と外れた窓枠は、ハメればなおるって」
「ハメ…」
ベオウルフは、それがよりによってエスリンの口から出たと言うことで、ガラになく赤面した。
「そらまあ、そう言ったこともありましたけれども… いいところの奥様がそうあけすけに言っていいお言葉じゃありませんぜ」
「でもそういうことなのよ。どうせさせたい仲直りなら、ロマンスぐらいの大げさぶりでしたほうが、次を起こさせないためのいい薬になると思わない??」
そういうエスリンの声にまた笑いが含まれる。
「そういうものですかねぇ」
エスリンの思考回路など、ベオウルフが知るはずもない。しかし彼女の頭の中では、恐ろしい速さで、そのロマンスの筋書きが書かれているに違いないことはわかる。
「奥様、レヴィン坊ちゃんにそのネタをいくらで売りつけなさるおつもりで」
「失礼ね、売ったりしないわよ」
踊る足取りのエスリンの後ろをベオウルフは、図星を探り当てたわが身の勘のよさに、あきれながらとぼとぼついていく。
「でも、エリオット王子には、フィンが怖くみえたのねぇ、知らなかったわ」
「セイレーンでしょげてる姿からは、まったく想像できませんがね」
「そうそう、その裏腹さがおかしいのよ」
エスリンは笑いを含みながら、
「ねぇベオウルフ」
と改まった。
「そこまで勘がいいのなら、もう共犯よ? よくて?」
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