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 シレジアの城からもどり、
「さあ、何があったか教えて頂戴」
と、立ちはだかるような勢いのエスリンに、ベオウルフは不承不承、フュリーにした話を繰り返した。
「あ、あは、あはははははははははは」
案の定、この話はエスリンのツボを的確に刺激したらしい。テーブルに突っ伏すようにして笑い続ける雇い主に、
「そう笑わないでやってくださいよ、あの少年ならしそうなことでしょう」
朝には自分がそうやって笑ったことを棚にあげて、ベオウルフは苦笑いをした。
「そ、そうね、でも…あははははは、もうちょっと…うふふふふふ」
ひとしきり、顔の肉が痛くなるまで笑って気が済んだのか、エスリンはそのほほを手のひらでもみながら
「だからフィンがあんなにしおれてて、ラケシス様が仏頂面なさっていたのね」
と言った。
「でも、何も話をしていないんじゃ、仲直りもまだそうね」
「それ以前の問題でしょう」
「しょうがないわね、キュアンはそんなこと全然なかったのに」
エスリンは、続きの部屋にいる小さなリーフの様子を見ながら
「ベオウルフ、ひとつお願いしていい?」
「何でしょう? あの二人の間に立つこと以外なら」
「たいしたことないのよ、リーフのおもちゃでも見つけてあげようかと思って。明日町につきあってくれる?」
「俺でいいんですかい?」
「だって、キュアンは兄上の相手で精一杯だもの。あなたがついてくる条件で許してもらったのよ。
 絶対よ」

 ラケシスもラケシスだが、エスリンもエスリンだ。王女とか公女とかいう方々は、人を振り回して楽しむのが仕事なのかと、ベオウルフはそんなことさえ思ってしまう。でも、外出ができるというだけで、エスリンはうれしそうだ。
「やんごとない姫君様が一度機嫌を悪くすると、それはそれは直すのにかかるのよ」
と、道々解説をしてくる。
「一流の宮廷人が苦労するところを、文字どおりの真面目一歩槍のフィンがやれって言われても、それは無理って言うものだわ」
「でしょうねえ」
ベオウルフは、それにナマな相槌を加えながら、セイレーンの城下町にはいってゆく。
「にしても、いいんですか奥様? お子さまもお有りになる方が、俺みたいなのひとり付けただけでお出歩きとは」
「いいじゃない、毎日毎日、お城の中にいたら退屈しちゃう」
エスリンは、町娘という風情のいでたちで、雪で真っ白の往来を、小走りに歩いてゆく。
 グランベルを追われた流浪の軍勢が、今はシレジアにいることは、周知の事実になっている。大掛かりな軍勢を動かすよりは、柱石を暗殺してしまったほうが崩壊の早いこの軍勢のために、どこに当局の刺客が放たれているものだかわかったものではないのに、この奥様の足取りには、恐れと言うものがまったくない。
 そのエスリンが、ぴたっと、足を止め
「ベオウルフ、」
と、駆け寄ってきた。
「なに? あの人たち」
「はい?」
さされたほうを向いて、遠巻きだがしげしげと眺めた後、ベオウルフは
「ああ…『巡礼者』、かもしれないですね」
と言った。
「巡礼者?」
「はぁ、エッダの聖地を巡って回って、その間は人様からああして施しを受けて暮らしている輩で… まあ中には、どっちが目的かわからんようになったのもいます」
「そうなの」
エスリンはやや眉を潜めてその方を見た。見ている巡礼者は数人で、一様に道行きの外套を頭からかぶっているが主従と言った趣で、主人らしい一人を背後に据えて、後の者が道の左右を見回して、慈悲を求めている。
「巡礼でございます」
「巡礼でございます」
ふとエスリンが、服のあちこちを叩いて、見つけた袋を取り出した。
「えと、これでいいかしら」
「うわぁ」
ベオウルフは、その手をあわてて引っ込めさせる。
「奥様、巡礼に金貨なんて… このへんじゃ金貨一枚で二三日遊んで暮らせるってのに」
そして、自分の服の隠しから、銅貨を数枚出した。
「これでも出し過ぎなくらいだ」
と、巡礼の差し出す器に投げ込む。
「あ、ありがとうございます」
「御主人様、これで今日のお食事は何とかなりますよ、この方にお礼を」
「…」
主人らしい男は、適当な木箱にどっかりと腰をおろしたままで、何も言わない。外套のすそからのぞいている靴は、徹底的にはきつぶされていたが、もともとはなかなかのつくりであろう。
「御主人様」
「ええい、うるさいっ」
主人らしい男が、立ち上がって、従者を一喝した。
「御主人様御主人様と、往来で連呼するな!」
立ち上がる勢いに、外套がずれて、男の顔があらわになる。
「見せ物じゃないぞ、立ち去れ!」
男が、あっけにとられて動けなくなっている二人にも向き直ったが、その顔が一瞬凍る。
「げ、お、お前は!」
ベオウルフとその男と、二人が同時に声を上げた。
 エスリンはきょとん、としている。

 出くわしたのは、たれあろう、元ハイラインの王子エリオットそのひとであった。
 ベオウルフにとっては、過日の遭遇以来だったが、貴族としても品性のかけらもない貧相さは相変わらずだ。ベオウルフは、できれば知らぬ振りを決め込みたかった。だが、
「お前、何でここにいるんだ!」
本人が騒ぎ出し(しかも往来で)、それはやがてひそひそと後ろ指の気配や、人だかりを呼びはじめ、やむなくベオウルフは、エリオットの薄汚れた外套を掴んで、適当にあった酒場に引きづりこむことになる。
 エスリンは、話が見えたようた見えないような、そんな顔をしていた。請われるままに、酒場の個室と、エリオットと従者の食事代を、件の金貨で建て替える。その後で、ベオウルフから正体を教えられた。
「あの方がエリオット王子? いつかノディオンを攻めてきた?」
「ですよ」
「言われないとわからなかったわ」
「ああ、セイレーンにいらっしゃるやんちゃな方々だって、あんなに下品じゃねぇですからね」
「一応、ご挨拶したほうがいいかしら」
「やめた方がいい、ここであんたの素性がばれると、俺があんたを護りきれなくなる。
 ご主君様をこんなとこで泣かせちゃダメさ、可愛い奥さんでいたかったらな」
ベオウルフはそういって、とりあえず持ってこさせた食事の山に囲まれたエリオットの見えるところに座る。エスリンも名乗らないまま、本来なら自分が座る一番の上座に、エリオットを座らせるままにさせていた。
「で、エリオットさんよ、なんであんたがここにいるんだね」
と聞くと、彼には目もくれず、
「お前こそ、先に俺が同じことをたずねたはずだ」
エリオットは、がつがつとやりながら聞き返す。
「俺は、…紆余曲折があって、さる筋に雇われてるんだが」
ベオウルフは、これ以上なく簡潔に現在の身の上を告げた。
「あんた…ほんとにどうしたんだ? 俺ぁてっきり、ノディオンの攻防で死んだものかと」
「いつぞやと変わらず、いきなり無礼な奴だな、勝手に殺すな」
エリオットは、何やらかにやら一杯の口の中に、ワインをかっと流し込む。エスリンは、思わず眉間にしわを寄せた。
「今でこそ巡礼の身だが…俺は一大決心を心に秘めて、こんな有り様でも生きてきたんだ。
 今までの俺とは違うぞ」
「ほぉ、どうちがうんだい」
「良くぞ聞いたな傭兵、ならば話そう。
 雪辱のために、今俺があえてさらしている生き恥を!」
があっと、エリオット口が開いて、なにやら口の中のモノがぼたぼたっと落ちた。エスリンが露骨にイヤな顔をする。ベオウルフは、生き恥なんぞ今さらしっぱなしじゃないか、と言いたくなるのをぐっと抑えて、エリオットの話の先を聞くことにした。

 話は、ざっとこの時点から二年ほど前、そのノディオン攻防にまで遡る。もちろん、そのときベオウルフは、アンフォニーのマクベスに雇われていたころだから、この顛末を知らずに死んだと思っていても、無礼でもなんでもない。
 エリオットは、ハイライン精鋭の騎士団を率いて、ノディオン直下まで押し寄せていた。
 ノディオンはエルトシャンが虫の知らせるままに残していった三つ子の騎士団が城門を守っていたわけだが、報告によれば大陸屈指とかいうクロスナイツは王に随行して不在、いるのはただの近衛騎士団だということで、正直、エリオットは高を括っていたわけだ。
 何より、彼には当座の目標があった。グランベルがヴェルダンを攻めた際、その居城になったエバンス城を守ると突然言い出したノディオンである。
「ヴェルダン制圧がすんだ今、アグストリアが次の矛先になるのは予想できる範囲だった。
 それをエルトシャンは、グランベルにはアグストリアに敵意はないと言い張って、そのまま陛下のご勘気をこうむりおったわ」
と父ボルドーが言う。
「グランベル軍を指揮しているのはシアルフィの総領息子、エルトシャンは奴を友人といっておったから、おそらく、ノディオンをわが国を攻勢するための拠点にすることを条件に、延命を図ったのだろう。ずるがしこい奴だ」
「ですな、父上」
「エリオット、お前もノディオンには恨みつらみがあるだろう。
 シャガール陛下がハイラインにノディオン攻略の先陣をお許しなさった。
 お前ももう、軍を率いて戦うことを本格的に知っていい。
 行って、陛下がお喜びになるような功績を挙げてまいれ」
「はいっ」

 思えば、いつか放浪娘に身をやつしていたラケシスをノディオン王女と見いだし、その保護にかこつけての関係を企てたところを、もののみごとに当のノディオン王に看破されて以来、求婚してはえげつなく拒絶されるの繰り返しで、ノディオンとラケシスについてはケチのつきまくりだったエリオットのことである。進軍を公然に認められた今となってはかわいさ余って憎さ百倍、シャガールはラケシスの身柄を手付かずで所望らしいがそんなことは知ったことではない。出会って数年、見るごとに美しく、今やぴちぴちぷりぷりのあの体、初手は自分だと決心してきたのだ。こんな儀仗兵ばっかりの騎士団などさっさと料理して…と簡単に考えていたのだが…
 このノディオン騎士団は強かった。考えてみれば、クロスナイツ以上にエルトシャンの手心を知る三つ子が操る騎士団なのだから強くて当たり前なのだが。
 手こずるうちに、エバンス方面からノディオンへの援軍がやってくると言う。
「援軍だとう!? エルトシャンめ、こうなることを読んであらかじめ要請しておったのか、どこまで小賢しい奴だ!」
報告に目を白黒させた刹那、従者の「危ないエリオット様!」の声も聞こえればこそ。馬群の隙をついて向かってきた圧力にも似たなにかに、エリオットの馬がおびえて後ずさりをはじめる。馬上で均衡を失い、首に取りすがりかけた彼に、
「その紋章、ハイライン王子エリオット殿下とお見受け致します、高名な騎士と槍を交える栄誉を賜りたいと存じます、お相手を!」
の声。我に帰ってよくよく見れば、これがさっきの殺気の主人かと疑う、まだ無邪気さの残る顔。
「受けていただけますか?」
と、かっ達とした表情で、槍を捧げて礼をとってくる。
「なんだとう? 悪いが、俺はお前などにはかまってはおれん、ノディオンを落とす使命が俺にはある!」
「ならばなおさら、この私のお相手を!私はそのノディオンを守るために参りました!」
「なに!」
ノディオンが呼んだ援軍の一部か、それなら多少痛い目にあわせても何の問題もない。しかも目前の騎士は、まだ従者のひとりもつれていない、本当の見習いだ。
「見習いの分際で、デュークナイトの称号を得た俺にかなうと思うてか!」
エリオットはまずそう気概を吐いて、槍をくり出す。しかし、騎士は馬をいなしもせず、ただ体を左右にして受け流す。
「なに!」
エリオットの顔が驚愕にゆがんだ。青い髪の騎士は、エリオットの攻撃が終わったとわかるや、槍を一度持ち替えて、
「では、こちらも参ります!」
と、手綱をさばいた。

 自分の建てた筋書きが、こんな、文字どおりの青二才に叩きのめされてゆく。鈍感なエリオットでもそう自覚せざるを得ないほど、この騎士は強かった。反撃の暇もつかめず、数合、迫ってくる槍を逃げるようにして避けたエリオットは、回頭の勢いが余って落馬する。
「うわあ」
この日のためにあつらえた銀の槍も取り落とす。取り戻そうとあたふたする背後にこんな声。
「バカヤロ、こんなところで一騎討ちの練習なんかしてるな!」
「ノディオンはもう解放されましたよ!」
と声がする。振り向くと、件の騎士は、かけられた声に
「了解しました、すぐにも!」
と反応し、さっさと後を付いて行ってしまう。そして自分はと言えば、ノディオンの兵士達によってぐるぐると縄をかけられてしまっていた。
 槍裁きにかけては、ハイラインでは誰にも負けなかった。
 デュークナイトの称号を推挙してもらったら、簡単におりた。
 それなのに自分の槍は、あの見習い騎士にはまったく通用しなかった。でも自分の槍の腕が落ちたとは思わない。
「運だ…運が悪いんだ」
エリオットはガックリと頭をたれた。

 話は、これだけでは終わらない。
 ナワをかけられたエリオットは、遠征軍の諸将の前にひったてられる。その中にはあの若い騎士もいる。
 当然の成りゆきとして、敗軍の将は、見せしめのために処刑されるだろう。エリオットは、それもよかろうと、珍しく高潔な覚悟に身を固めた。
 が、あの若い騎士の主君らしき貴族は、エリオットをざっとためつすがめつして、
「やめとけ、フィン。こんなやつの首なんか取っても、おまえの名誉にゃならん」
と言った。エリオットは縄を後ろ手に回されたままで、
「なにお!」
と食って掛かろうとする。
「こういう馬鹿王子は、生かして取り引きのネタにするのがいいんだ。第一、おれたちの目的はハイラインとの喧嘩じゃない。
 だろう? シグルド」
「うむ」
大将らしい男は、難しい顔のままでいう。命を取らず生き恥をさらさせるのか。エリオットはそう言おうとしたが、そんな意見など黙殺されるほどに、この部隊は何か違っていた。大将らしい男はエリオットのまえにつとひざまずき、
「聞いた通りだ。私達はいつでも、非道はしないことを旨に戦っている。余計な死者を出すこともないことは良いことだ。聞けばアンフォニー王が、野盗と結託して開拓村をおそっているとか。上に立つものとして赦せぬ行為だ。被害を食い止めるためには迅速な進軍が必要だ。君を処断するかどうか、議論している余裕もない。
 エリオット王子、君の身柄とひきかえに、ハイラインを通らせてもらう」
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