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となりでねむらせて(逆襲のエリオットversion)

 セイレーン城東翼最上階の部屋は、提供のラーナ王妃から眺望無二との御墨付きを戴いている。その部屋が、ラケシスにあてがわれているということは、ひとえに、入国当時傷心の極みだった王女を慮った王妃の心遣いに他ならない。
 セイレーンでの生活は、確かに、彼女の傷心を十分に癒した。もっとも、部屋だけがその薬になった訳ではなく、かつてにかわりないあでやかな微笑みが戻る頃には、部屋の住人はひとりではなく、二人になっていたわけなのだが。

 シレジアの春の訪れは遅い。フィンは目を覚ましても、起きるには早い時間だとおもい、寝床の中で体をのばした。
 小鳥のさえずりに混ざって、聞こえてくるのは馬のいななき。
「熱心なお方がいるものだ」
彼は、半分寝ぼけた頭で、そう考えていた。模擬戦闘会が近くあるのを思い出した。戦のカンを維持するのには、多少の役に立つと思っているから、彼はそれに出るのを多少なりとも楽しみにしていた。
『隊長、準備整いました』
『ありがとう、あとは王女様がいらっしゃるだけね』
そんな声が聞こえる。片方はフュリーだ。シレジアの言葉には堪能ではないが、朝の教練の準備なのだろう。
 …しかしこの部屋は、こんな武具馬具の音が近かったか? そこまで考えてから、彼はおもむろに、
「しまった!」
飛び起きた。

 前夜の会話を思い出した。
「あのね」
部屋の主・ラケシスはほくほくとした笑顔で言う。
「明日の朝、フュリーと一騎打ちの練習することにしたの」
「ご教練ですか、ご熱心で結構です」
フィンはそれに感心したような声で言った。シレジアに来た当初の彼女は、寝ることも食べることも億劫そうにしていたのだから、そういうことを言い出せるようになったが、自分のことのようにうれしい。
「だから朝は、少しだけ、早く起こしてね」
ラケシスはそうとも言って、お願い、と手を合わせた。
「かしこまりました」
 それなのに、だ。
 翌日そういう予定があるとわかってたはずなのに…いざ夜もふけてしまえば、お互い誘い誘われるままに夜の楽しみをもっぱらとしてしまう。人肌で暖めあうには、ちょうどよすぎる夜だった。
 ところがそんな腰がじんわり重い感慨など、すでにふっとんでいた。
「何てことだ」
フィンは自らを叱責するように一人ごちて、脱いでいた服を着なおす。そうしながら、
「王女、お目をさまされて下さい、王女!」
傍らのラケシスを揺すり起こそうとする。まだ王女は夜半からの陶然とした余韻を引きずっていた。いくら用事があるとはいえ、彼女にはまだ早い刻限なのだ。ラケシスは目を開けたようだったが、「うん」となにか呟いて、すぐにそっぽを向いた。
「フュリー殿から槍の教練を受けたいと、おっしゃっていたのは王女ではございませんか、それに、昼からはラーナ王妃殿下の御招待を戴いております。
 早くお目をさまされて」
言葉をかけている間は少しでも目を開けるが、黙るとまた目が閉じてしまう。フィンは、ふとんを叩き、まくらもとを叩き、肩を叩き、ほほを叩く。ラケシスはそこで、やっと、はしばみの瞳をぱっちり開けた。
「…教練は、やめる」
「いけません、それではフュリー殿に失礼です。さ、王女」
「いやよ、起きられないんだもの」
「…」
フィンは実に困った顔をした。
「今度の模擬戦闘会の前に、教練でフュリー殿の手の内を御覧になりたくて、お約束をなさったのではありませんか?」
剣なら互角以上に戦えるのだが、馬上の槍の扱いには、まだ不慣れなところがあるのがラケシスだった。槍でいつも彼女に一歩及ばないのを、常々彼女は気にしていたのだ。
「…大丈夫、その代わり、あなたに教えてらうから…」
「そういうことではなくて」
フィンがいいかけた時、小さく天馬のなく声がする。これ以上は待たせられない。いよいよいせき立てるように
「失礼しますっ」
と、羽根布団を剥がした。
 昨晩、気を失うように眠った時のままの姿で、ラケシスがぼうっと腕を寝台の面についていた。身に付けているものといえば肌より白い絹の靴下と、それを腰から吊りとめる、これも真っ白なレースのガーター止めぐらい、肌には未ださめやらぬ事後の上気が残り、二十四金色の髪が寝乱れて、無理矢理おこされるよりは蒸し返しの一回でもお願いされたそうな風情なのだが、…いかんせん、相手がフィンではその風情を理解せよというのは無理というものだろう。理解する以前に、動転していた。
「お召し替えしましょう、いま用意いたします」
「あ、待って」
あわてて目を覚ましたようなラケシスの言葉も聞く暇があればこそ、フィンはクローゼットの中に入っていく。こういうこともあろうかと、目星はあらかじめつけてあったのだ。
「えーと、あれと、これと」
一式を棚から引っ張り出し、足で扉を開けるようにして戻る。
その目の前に、寝台のリネンで軽く体を隠したラケシスが、腕を組んで立っていた。
「あ、お目覚めになりましたか」
「ええ、すっかりね」
という声は、まったく平静を取り戻して、凄みさえ感じる。
「お召し替えの服はこちらになります、どうぞ」
それを差し出そうとしたとき…
「何考えてるのよ!
 もうしらない!
 早く帰って!
 もうここにこないでっ!」
 …フィンのバカっ!」

「だぁっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
 そのしばらく後、城の大食堂。そこにベオウルフの爆笑が響く。
「そ、そんなに笑わないで下さい…」
その差し向いに小さくなっているのが、先程追い出されてきた話題の主・フィンである。
「すまんすまん、しかしなぁ…はははははは」
何か言おうとするが笑いの方が先に立って、やがてその笑いも苦しそうになってくる。
「ひぃ、…ひぃ…」
フィンは半分ぐらい、こうなった事情が分からずに、こんな反応をするベオウルフに、憮然としている。
 ラケシスは、寝室にもどるや、羽根枕をつかんで、これでもかという勢いでフィンの顔面に叩き込んできた。枕そのものに破壊力はないが、極限の心技体をもって初めて名乗ることの許されるマスターナイトの腕力である、ことと次第によればフィンのそれより上回るかもしれない、勢いで枕が破れ、柔らかい羽根が二人の間にぶわっと散った。フィンの髪にも体にも、その羽根がまだだいぶまとわりついている。払い落とす余裕もなかったのだろう。大食堂に入ってきたときのどよっとした雰囲気で、ベオウルフも思わず振り返ったのだから。
 フィンは、それでもなんとかかんとか一部始終を話し、
「その上、こんな姿を部屋付きのメイドに見られて…
 しばらく王女の前には参上できません…」
すっかりへこたれた声を出した。そして、ベオウルフを笑うのをやめないので、つい口を出した、という具合である。
「それはやっちまったな、少年」
「な、何を、ですか」
フィンが顔を上げた。おそらく、ここに飛び込んできたのも、自分を頼ってのことだろうと、ベオウルフはそう思っていた。少年の手には負えない何かが起こるたびに、的確に分析・傾向・対策を教示してくれる、ある意味自分は師匠扱いでもされているのだろう、そういうのも悪くないと、ベオウルフは笑ってからからののどをエールで潤した。
「いくらお前でも、着替えの世話は出すぎだよ。そんなことは、お前の任務の中にゃ入ってないはずだ」
「ですけれども、王女が」
「メイドに任しゃいいんだよ。お前は寝床の中で『昨晩はどうだったかい?ハニー』とかいってりゃぁいいんだ」
「はぁ…」
ピシャリと自分の言いたいことを鼻先ではねられたはしたが、フィンの顔は納得していない。ベオウルフは、また一口エールをあおった。
「まあ、それがお前のいいところなんだろうけどね…
 過ぎたるは何とやら、だ」
「はぁ」
「で、姫さんには詫びのひとつも入れて来たんだろうな」
「それが、お部屋をそのまま辞してきたので」
ベオウルフは、処置ナシ、とでもいいたそうに肩をすくめた。その場で弁解の一言もないのでは、何か誤解をしていたとしたら、誤解のしっぱなしということである。
「おいおい、姫さんのおかんむりはそのままか。
 最悪の展開だね、長期戦だな」
「長くなりそうですか」
「なるだろうねぇ」
ベオウルフの言葉には、半分投げやりなところもあった。こうして相談をもちかけられさえしなければ、回避したい話題だ。しかし一割のそのまた一割ぐらいは、「ざまみろ」と思ったのも否定できない。たまたまベオウルフが知っているだけで、表向きまだ誰ともそのベクトルを示していないラケシスをともすればと思っていたのは、両手両足でも余るほどいるのだ。

 そこに、である。食堂にさっと気配が入り込んで、その場所が一瞬静まった。軽快な部屋着のラケシスが、そこには立っていた。穏やかそうな顔はしていたが、目は笑っていない。
「フュリーを探しているのだけれど」
といいながら、左右を見めぐらす。途中で、ベオウルフの陰になっている羽根の塊を見つけたらしく、
「やぁ」
と手を上げるベオウルフには、視線だけ投げた。やがて出てきたフュリーに、
「フュリー、朝はごめんなさい」
とラケシスが言った。フュリーは宮廷のように軽く膝を折って挨拶を返した。時間に来なかったことを責めもしない。
「とんでもありません」
「今からで大丈夫なら、少し相手してもらえるかしら?」
「光栄ですわ、すぐ準備いたします」
天馬騎士は朗らかに答えて、食堂を出てゆく。ラケシスも、その後を追うようにしてその場を離れた。ベオウルフと視線が合ったような気もしたが、たぶん、違うものを見ていただろう。
 王女の容貌を小声で誉めそやすざわめきが始まる食堂で、フィンのあるかないかのため息が、彼の気持ちを何よりも的確に表していた。
「少年…」
ベオウルフがつくづく言った。
「青春だな」

 その昼下がり。
 セイレーンの城入り口あたりでは、女性たちの朗らかな笑い声が聞こえる。
 ラーナ王妃に招待を受けたやんごとないあたりの方々が、用意された馬車に分乗しようとしているところだった。
「すぐ近くとはいえ、刺客には気をつけるんだぞ、それから、ラーナ殿の前ではおしとやかにだな」
シグルドがいうのを
「はいはい、わかってますから」
と、エスリンは話半分にしていた。シグルトは、いつ何の話が自分のところに来るかわからず、セイレーンを離れがたくなっているのだ。
 とまれ、この一行に、突然ベオウルフが護衛を頼まれたのと、朝の件と、決して無関係ではあるまい。いくらなんでもエスリンの見送りぐらいするだろうと思ってあたりを見たが、フィンの影は髪の毛一本ない。同乗したエスリンやアイラが戸惑うほど、ラケシスの表情は硬かった。
「ベオウルフ、ラケシス様はどうしちゃったの」
物見から身を乗り出したエスリンが、耳打ちしてくるが、彼は
「そのことはまたあとで」
といい濁した。
 同じことを、フュリーにもたずねられた。すでにシレジアの道の上だったから、天馬を寄せてきたフュリーに、
「何でそれを俺に聞くんだね、フュリー君」
と言った。
「差し出がましいとは思ったのですが、お手合わせの相手をして差し上げている間、ラケシス様のご様子が穏やかならなくて… お耳の早いベオウルフ卿なら、何かご存知では、と」
「卿ねぇ、そんな風に持ち上げられちゃ、俺口滑らしそうだな。
でもよフュリー君、朝の食堂で俺をみたなら、大体わかろうよ」
「…はい」
フュリーが複雑な顔をした。
「ご勘気のことは、部下から聞いております。王女様のためを思って、口止めをいたしましたわ。
 でも、なぜ、ご勘気とは縁遠そうな方が」
「フュリー君」
ベオウルフが馬にゆらゆらと乗りながら、逆にたずねた。
「もしお前さんに彼氏がいたとしてだな、朝起きて気がついたら、そいつが今日着る服を上から下まで揃えてきたとしたら、どうする?」
「どうっ…て」
フュリーは生々しい質問に、年端もいかない少女のような紅潮した顔をした。
「わ、私個人の場合としては、お答えできかねますが、普通の女性なら、戸惑われる方は…あるかも…」
「そういうことさ」
だがこまったことに。ベオウルフが肩をすくめる。
「方や、どうせ持ってくるなら夜明けの珈琲がいいとおねだりする方法も知らず、方や一晩中可愛がった朝に、その気はなくても蒸し返しをお願いする機微も知らず、さ」
「蒸し返しって、何のですか」
と的外れの質問をして、ここでの意味を教えてもらったフュリーはまた耳までまっかにさせながら
「可能なら、私が中にたって、と思っていましたが… 私には無理ですわ、その道には疎くて」
と言う。もとより、ベオウルフは彼女にそれをしてくれと頼むつもりなどさらさらなかったのだから、余計な手を出してくれないほうがありがたい。
「まだネンネちゃんなら、やぶへびはつつかないほうがいいぜ」
ベオウルフはそうまとめて、フュリーに向かって片目をつむった。自分だって、できるだけ手を出さないで、本人らがどうするかを見守るだけにしようとしているのだ。そこで
「隊長ぉ」
と、天馬騎士が一騎降りてくる。
「シレジア城が見えました」
「わかった、行くわ」
フュリーは、さっき聞いた話などもう忘れたように、天馬を高くのぼらせていった。
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