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 「エルナというのは、このティルナノグで生まれ育った子で…ああ、もしかしたらもう本人から聞いているかと思いますが」
時間を戻す。エーディンは、見知っていた村人の家で接待を受けながら、彼女の人となりを説明する。
「知ってか知らずか、この村がドズル辺境部隊の標的になって…兵士達に『傷』を負わされた子なのです。
 その傷がいえないままに間をおかずにまたドズル兵が襲ってきたときに、誰にも傷を負わせたくないといって、自分から兵士の慰みになりに行った…そういう子なのです」
「なるほど…」
勧められたイザークの茶は、草原のような翠色をしていた。「レンスターの青き槍騎士」にして、デルムッドの実父・フィンは、それを不思議そうな顔をして一口含む。
「大人たちは、嫁入り前の体に自分からわざわざ新しい傷をつけに行くなんてと、随分あの子を怪訝に思ったようですわ。
 エルナはそれがよほど自分の腑に落ちかねたのか、斜に構えた言動をして、大人を信じないような雰囲気を漂わせていました。
 デルムッドだけなんですよ。あの子を、真正面から受け止めようとしたのは」
一度この人と決めたら一本気なのは、あなたと同じですね。エーディンはそういって、くすりと笑った。
「でも、エルナの相手をしているデルムッドは、不思議と、何もいわれませんでしたのよ。
 なぜか、村の女の子達には一番人気があって…レスターなんか随分やきもちを焼いたようですけど」
「それは、私にはないところですね」
フィンは、自嘲するように、少しだけ笑った。
「気がつくと、中心にあって、前に進む力、何かを決める力を周りに与えている。
 そんなことは、私は出来ません」
「ご謙遜」
エーディンはそう返して、同じように、イザークの翠の茶を一口含んだ。

 大陸見聞の先遣隊として、旅立つ当日。
 多くの村の人が見送る中に、エルナの姿があった。デルムッドは馬からおりて、人の壁をかき分けるようにして、エルナのもとに駆け寄る。
「よかった、見送りに来てくれないかと思った」
「ま、私がそんな薄情をすると思った?」
「まさか。でも、君は人ごみが嫌いそうだったから」
というデルムッドが、ふと見ると、エルナの髪に、あの髪飾りがついている。耳の辺りを寄せて、うるさくならないようにつけるものだったのだ。
「手紙書くよ」
「いらない」
エルナはそれだけ言った。
「帰ってきてくれれば、それで」
「わかった」
エルナの袖の下で、絡めていた指を、ゆっくりと離した。
「デルムッド、おいてくぞ!」
というレスターの声がして、
「僕、もう行く」
「うん」
エルナの目じりに、ほんの少し、光るものがあって、それに胸を痛めながら、デルムッドは先行してしまった二騎を追うようにして、駆け出していった。

 「あれから、何年になるかなぁ…」
気がぬけたのか、そのまま眠り込んだようで、冷えた風に目を覚ましたデルムッドは、起き上がりながらそうつぶやいた。
「四年」
と答える声がして、
「四年かぁ…」
とまた呟く。が、その声にぐるり、と振り返る。
「落ち葉が積もってて、誰か死んでるんじゃないかと思ったわ」
「…エルナ?」
「そうよ」
「本当に?」
デルムッドが、エルナかもしれない娘の腕を取って、もっと顔を見ようとする。が、
「あ」
二人は勾配の従うままに、もつれ合うように転がってしまう。落ち葉まみれになって、デルムッドが娘の体をしっかりと受け止めていた。
「やっぱりエルナだ」
「言ったじゃない、そうよって」
と言う髪に、きらりと髪飾りが光っていた。
「まだ、使ってくれてたんだ」
「ええ、便利だもの」
「髪、伸びたね」
「デルムッドが帰ってくるまで、髪を切りませんって、オード様に誓いを立てたの」
「じゃあ、もう切るんだ? もったいないなぁ」
「切るかどうかは、後で決める」
起き上がって、お互いの髪や服の落ち葉を払い落とす。エルナは、すらりと細身の体をしなりと起こして、相変わらずの黒目がちの目でデルムッドをみていた。
「いくつになったっけ」
「デルムッドの二つ下だから…」
「わ、ナンナと同じだ」
「ナンナ?」
直感的にそれが女性の名前と判断したのだろう、エルナの目が鋭くなる。
「違う違う、僕の妹」
「妹、いたの?」
「遠征先でであって…最初、僕は他に兄弟はいないものだとばっかり思ってたから、びっくりしたんだよ。でもすごく嬉しかった」
「ふぅん…
 デルムッドも、すごくかっこよくなって帰ってきたね」
エルナが言うのに、デルムッドは思わず顔を赤くする。
「そんなことないよ」
「それは、あなたが毎日自分を見ているからでしょ」
エルナが混ぜ返す。
「姿かたちは、背が伸びただけで、変わらないわよ。でも、なんていうかな…雰囲気が」
「鍛えられたからなぁ」
「いろんなところ、回ってきたんでしょう? あとで、その話、してね」
「いいよ」
あ。デルムッドが、服に隠してあった髪飾りの事を思い出した。なくさないように、しまいこんから、あることはわかっている。でも今は、切り出せそうな雰囲気ではなかった。
「君はどうしたの? 君の母さん達は?」
「母さん達は、ガネーシャの町でお店を始めたの。
 でも私は、残ったの。だって私は…」
と言いかけて、エルナはあ、と口を閉じる。
「エーディン様? …と、後ろの方は誰かしら」
「え?」
振り返ると、家の入り口のあたりで、エーディンとフィンが立っていた。
「父上、話終わったんだ」
と立ち上がるデルムッドに、エルナがさすがに毒気を抜かれた顔をした。
「デルムッドの、お父様??」

 「なにをしとったんじゃエルナ、お客様じゃぞ、お接待をせぬか」
村の古老に言われるままに、エルナがあわただしく右往左往するなか、デルムッドはフィンを伴って家の中を見せて回っていた。
「僕が使っていた部屋は、ここです」
と、その中に父を招き入れる。
「最初は母上と僕がいて、そのうち、みんな大きくなったら、セリス様やレスターやスカサハも一緒に寝てましたけどね」
「なるほど」
抑揚なくフィンが答え、部屋の中をゆっくりと回る。窓から、庭の紅葉と、時々落ちる葉を見ながら、
「彼女が、エルナなんだね。いつか話してくれた」
と言った。
「はい」
「村を守っている老人に聞いたよ。お前が帰るまではどこにも行かないといって、両親はガネーシャに行ったというのに、一人残っていたと」
「やっぱり」
「手紙を出したのだろう、忘れてるな。そのせいだ」
「…ああ」
デルムッドはぽん、と手を打った。
「すっかり寂れた村に、一人残ってお前を待ち続けたのだから、ねぎらってあげるといい」
「はい」
そこに、後ろから
「あのぉ…」
と、エルナがおずおずと顔を出した。
「お茶、はいりました…」

 滞在するようなら使う分だけでも部屋を掃除すると言い出すエルナを、デルムッドは
「それはあとでいいから、座って、落ち着いて、話しよう」
と、あえて自分の隣に座らせた。エルナは、髪と袖とをまとめていた紐をほどいて、ぽつねんとその隣に座る。
「はじめてみるわね、エルナがこんなに緊張してるのは」
エーディンがふふふ、と笑った。
「あの、やっぱり、私」
「ダメだよ」
立ち上がろうとするエルナの袖を、デルムッドが押さえる。
「大切なことなんだから」
「で、でも、あんまり突然で、普段着のままで」
「大丈夫。私はそんなことには頓着しないから」
フィンがゆっくり口をひらいて、エルナの顔が真っ赤になる。
「話を大体聞いたよ。不肖の息子のために、今までこんな辺境で待たせてしまって、父親として申し訳なく思っている」
「あ、き、気になさらないでください。私が、私の勝手でここにいただけの話ですから」
「本当に君が用があるのはデルムッドだけだ。私はただの野次馬だから、固くならなくていい」
「…はい」
「エーディン様、ここは滞在するには少し広すぎますね」
「そうですね。宿になるところを探しましょうか」
「そうしましょう」
大人二人は立ち上がって、さっさと部屋を出て行こうとする。フィンは去りしな、デルムッドに、例の青い目を細めて見せた。


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