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 「ひょっとして、父上のほうが好み?」
エルナの反応に、デルムッドは心中穏やかでない。父と言ってもまだ四十路にもならず、それなのに言動には貫禄があって、レンスターの古くからの廷臣も、一目おくほどなのだ。それをエルナは
「違うの、そうじゃないの。でも、すごい…吸い込まれそうな人で…」
と表現した。テセルムッドもそれにうなずく。
「僕も最初はそう思った。あの人の息子だと、聞いたときも驚いたけど、実際出会ってみたら…いろんな意味で計り知れない人で、今でも僕は、父上を詳しく説明してくれといわれても、本人にあってくださいとしか言えない」
「どうして、あなたと一緒にここにいらしたの?」
「父上は、単純に、君を一度見たいというから一緒に来ただけだよ」
と言い、改まって
「僕はもう少し、真剣な話をしに来たけど」
と言った。
「真剣な話?」
「うん。
 ロプトウスの脅威から大陸全土が救われて、みんなこの後どうしようって話になったんだ。
 僕は、父上のいるレンスターでも、イザークでも、どこでもよかったんだけど」
「…うん」
とうなずくエルナの前に、デルムッドは自分のヘズルの聖痕をみせる。
「僕の従兄になるひとで、ヘズルの正式な継承者が見つかったんだ。
 アグストリアを再興する手伝いに、僕の力がほしいって言ってくれてる」
「て、いうことは、デルムッド…アグストリアに行くの?
エルナの顔が急に曇る。
「きっとそうなる。そこなら、僕の力が本当に試されるし、なにより母上の故郷だし」
「…」
「あの父上と母上が出逢った、大切な場所なんだ。
 子供でいる間、僕は何も出来なかったけど、今ならきっと、それに対してなにか、手助けが出来そうな気がするんだ」
「デルムッド、私はどうすればいいの?」
と、エルナが尋ねる。
「どうって…僕はここで君と再会して、それじゃあまたね、で済ませるつもりなんて全然ないよ」
「え」
うつむいていたエルナの顔が上がり、デルムッドが差し向ける、深い青のまなざしをじっと見入る。
「僕と一緒に、アグストリアに行く勇気はある?」
「…」
「僕は、君と一緒じゃないとダメだ。だから、そのつもりで来た」
「一人でなんて、決められない…
 ガネーシャの母さん達に、話しないと」
「話なんか、しなくていいよ」
「ううん。私の気がすまないの。
 困らせたけど、親だもの」
「…そうだろうね」
デルムッドは言って、エルナの袖の中に手を入れて、指をゆっくりと絡める。
「でも、この村を出なきゃ、ガネーシャにもいけないよね」
「…うん」
「この村を出る勇気は、ある?」
といわれて、エルナはやっと、自分の調子を取り戻したのか、
「何で私がここにいたのか、忘れてるでしょ?
 あなたがここに帰ってくるのに、私がここを動いたら、あなたはどこで私を探すつもりだったの?」
と、やんわりと、しかし的確にえぐるように言った。

 当座の話をまとめて、
「さて、父上たちがどこに宿を取ったか、探さないと」
とデルムッドが立ち上がる。
「その必要、ないと思う」
エルナがすわったままで言った。
「さっき出てゆくとき、デルムッドのお父様…そういう顔をしてた」
「嘘!?」
「ほんと」
エルナも立ち上がり、ぽんぽん、と膝を払った。
「私の家に来なさいよ。部屋なら困るほど空いてるわよ」
「それだっても…一応、居場所ぐらいは言うよ」
「デルムッドのバカ、鈍感、朴念仁」
部屋を出ようとしたデルムッドの後ろから、エルナのそんな言葉が襲い掛かってくる。
「え?」
エルナは真っ赤な顔で、そこに立っていた。
「…覚悟、揺らぐじゃない」

 なりゆくままに彼女の家にはいり、なりゆくままに来し方を語り、なりゆくままに夜が明ける。
 ぱっちりと目を開けたら、隣にいたはずのエルナはいなかった。
「エルナ?」
探そうとして、部屋を見めぐらすと
「おはよう」
と、鏡越しにエルナが顔をみせた。途端、昨晩のことを思い出して、デルムッドはつい笑いが引きつる。その彼に、エルナが何かを見せた。あの髪飾りだ。
「これ、あなたの? 床に落ちてたの」
「あ、それは」
デルムッドが起き上がろうとして、全裸なのに気がつく。
「ち、ちょっとまって、着替えるから」
あったものを適当に着込んで、
「それは」
と言いかけると、
「それとも、妹さんの分?」
「そんなわけないよ。ナンナは今頃、賑やかになったミレトスでパールのティアラを見繕ってもらってるはずさ」
「じゃあ、私がもらっていいのね」
「…うん。
 本当は、僕から渡したかったけど」
「ごめんなさい…でもね」
エルナが、といた髪の一部をまとめ始める。やがてシニヨンができて、それがずれないように器用に髪飾りをさしてゆく。
「練習したんだ…」
と言いながら、体を横に向けて、デルムッドに件の髪飾りが渡される。
「それを、この辺につけて」
といわれるままに、それを付けてあげると
「はい、おしまい」
と、エルナはにこやかに言う。でも、このにこやかな顔のまま、エルナがつう、と涙を落とした。
「あれ、大丈夫? 痛かった?」
「そうじゃなくて…」
涙を押さえて
「初めてのひとに、結った髪に髪飾りをつけてもらうのは、その人にずっとついていきますっていう、儀式みたいなものなの」
エルナが言う。
「え、それじゃ」
「どこでも行くよ、デルムッドの行くところなら」

 出立の日。
 デルムッドの馬には、エルナが乗り合わせている。
「あらあら、お熱いこと」
エーディンが混ぜ返すが、デルムッドはそれにいびつな笑い顔しか出来ない。
「父上、途中、ガネーシャに立ち寄っていいでしょうか」
と問うと、フィンは
「ああ、いいよ」
とあっけなく答えた。
「リボーまでは一緒に行こう」
「はい」
「もう砂漠もさして危険ではないが、念を押すに越したことはない。メルゲンが到着地か、通過地点の旅人やキャラバンを募って、大勢で旅をするといいだろう。
 メルゲンから船でグランベルに上がれる。
 後は頼むぞ」
「はい…
 でも、父上は?」
デルムッドはつい尋ねたが、フィンは何も言わなかった。
「リボーからそのまま、砂漠を行く」
それだけ言った。そして、馬をよせて、エルナに
「息子を支えてあげてほしい。
 戦うものには、安らぐ場所が必要なのだ」
と言った。エルナは今度は恐れることもなく、
「はい。
 私も、一緒になって、がんばります」
「よい娘が二人になって、私も安心できる」
フィンはまた目を細めた。
「さあ、出よう」
「はい」

 「お父様は」
と、エルナが後ろで聞く。
「砂漠に何の御用なの?」
「たぶん、母上を探しに行かれるんじゃないかと思う」
デルムッドは行った。
「どこかで生きておられるらしいんだ。小さかった僕を自分の今いるところまで迎えに来ようとした母上が、最後の連絡をくれたのがイード砂漠のオアシス都市だって…」
「みつかると、いいね」
「僕もそう思う」
「お母様だものね」
「君にとってもね」
「あ、そうか。
 どうしよう…」
「見つかってから考えればいいよ」
父上、と、先頭を行くフィンに馬を並べて、
「先行します」
と言うと、フィンは何もいわない代わりに、深い青の視線でそれを許したようだった。
「サララ、ちょっと走るよ」
デルムッドは馬に拍車をかけた。ちゃりん、と、エルナのシニヨンに刺さった髪飾りが、馬の揺れに触れ合った音を残して、馬はやや速度を上げて走ってゆく。
「…あれ、彼女はあんな髪をしていたかな」
と、フィンが首を傾げる。エーディンは
「イザークで髪を結うのは、夫ある女性の印ですよ」
と言い、複雑そうな顔をした父の顔を、とても面白そうに笑った。


をはり

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