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 そう遠くない場所に、ブリギッドの部屋があった。ちょうど彼女を起こしに行くのだろう、身支度の一式を持ったメイドたちが向かってくるのを、
「私がするからいいわ」
その仕事を奪い取り、部屋の中に入る。次の間つきの、公女におかしくない部屋だ。その寝室の扉をわずかに開け、
「お姉様、おはようございます」
と、まだ寝台の中だろうブリギッドに声をかける。部屋からふわりと、らしからぬ香りが漂ってくる。
「ああ…わざわざ起こしに来たの、あんた」
と、扉を開けたブリギッドは、いかにも今起きましたという風情で、着崩れた夜着の隙間から、ふっくらとした線が見える。
「あんたは朝早いんだねぇ…」
朝が弱いのか、そんな姿であることも自覚していないようにブリギッドは言う。
「朝のお勤めがありますから」
「ああ、プリーストだったっけねぇ」
他愛なくそう言い交わしながら、
「今、お部屋を少し暖めますね、まだ寝台の中にいらっしゃいましよ」
「いや、あたしには十分あったかいから平気だよ」
ブリギッドは寝台にぽすん、と腰をかけて、枕もとの小机に乗せてある長いものを取る。別の箱から何かをその片方に押し込むようにして、暖炉のおき火から火をうつして、ふう、と息をつく。寒い外で出るものと違って、その白い息は、そのままふわふわと部屋を漂い、やがて、彼女の寝室の香りがそれとおなじものだということに気がつき、
「どうされましたの、それ」
エーディンがきょとん、とそれをみた。ブリギッドは一服二服でその息を楽しんだ後、
「タバコだよ。お勧めしないけどね」
と言った。
「慣れないとむせるだけだし、こんな匂いの女はあんたの周りにゃいないだろ」
自分で着替えを始めるブリギッドを後目に、エーディンはさっき彼女が使っていたものを見た。細い管で、両端に金具がついてて、金具の一方は曲がったものが取り付けられている。タバコを知らないわけではない。しかし確かに、女性がたしなむのは聞いたことがない。
「面白い形だろ? ただのパイプじゃなくて、煙管ってやつなんだ。オーガヒルのあたしの部屋から持ってきたんだ…ないと落ち着かなくて」
「ええ、お姉さまのご趣味にとやかくは申しませんけれど」
早くに着いた習慣なら、やめろといってもなかなかやめられるものではない。酒や博打も同じようなものだ。本人や他人に危害のない範囲なら、別にやかましく言う必要はない。
「でも」
ブリギットの使う煙管と、煙草入れは、ちゃんと統一されたデザインになっている。しかしそれに明らかに合わないもう一本がそこにある。そしてエーディンは、これを使う人物を知っている。
「なぜ、その煙管が二本、ありますの?」
「!」

 エーディンが物好きらしく問い詰める必要もなく、ブリギッドはあっさりと、その煙管の持ち主のことを白状した。まったく、予想通りの人物だった。
「この間、手下を懲らしめに一緒に行ったときから妙に気が合っちゃってね
 それで昨晩…ちょっと話すだけのつもりが、いつの間にか」
「そうでしたの」
それでエーディンはそれで昨晩の合点がいった。双子の間には不思議な共鳴関係があるとは聞いていたが、あそこまで直接的とはおもわなんだ。自分も縁があって子供がいるほどなのだ、ブリギッドの過去や現在に何があったとしても、もう驚くようなカマトトなことはしない。
「ともかく、」
エーディンは視線でその余った煙管を指し、
「この煙管、持ち主にお返ししないといけませんねぇ」
そういうと、ブリギッドは一度
「そうだねぇ、朝ごはんのついでに返しに…」
と言った後、おもむろに振り向いた。
「…もしかしてあんた、ついてくるつもり?」
「はい。いずれ私のお兄様ですもの、ご挨拶はしないと」
「律儀と言うか、悪趣味な子だね、あんた」
「悪趣味だなんて、まぁそんな」
エーディンはそう笑う。悪趣味でなければなんだと、よほど言い返したかったが、根が同じなのだ、まったく逆の立場なら、自分もそうしない保証がない。
「…勝手におし」
ブリギッドは、たは、とため息をついた。

 エーディンは冬物の普段づかいのドレスのすそをとりついついと歩き、ブリギッドは例の、パニエの入ってない町娘のようなワンピースドレスですたすたと歩く。
「お姉様は、お食事は部屋でおとりにならないのですね」
「その日動けるだけ食べられればいいんだ、豪勢なのはいらない」
一般の兵士や傭兵が使う大食堂は、今まさに賑わいのさなか、と言う様子だ。よく見れば、海賊上がりのような顔もちらほら見える。二人は、机の間をするすると縫うように歩き、ちょうど食後か、しかし何か落ち着きのなさそうな男を見つける。
「ああ、ブリギッドか」
すぐそばに見つけた姿にふとらしからぬ声を上げ、
「ひとつ聞きたいが」
と言うその後ろから
「こちらをお探しなんでしょう、おにいさま」
と、エーディンが煙管を片手に顔を出した。
「エーディン殿、貴女が来ていいような場所じゃない」
受け取りながら、それでも見咎めるようにホリンが言うと、
「あんたに挨拶するって聞かなくて、着いてきちゃったんだよ」
ブリギッドは仕方ない、という顔で言う。確かに、エーディンの姿はこの場所には少し華やか過ぎて、しかも同じ顔がもうひとつあるのだから、いやがうえにも視線が集まる。
 ブリギッドが食事を受け取りに行っている間、エーディンがぽそぽそと
「お姉さまのお部屋にいらして、お二人で食べたらいいのに」
と言うと、ホリンはわからないようにわずかに頭を振って、
「それは彼女に悪い」
と言った。エーディンはそれに、聞いたような事を言う、といった顔をする。
「こと、俺のような男では、不面目もはなはだしいだろう」
そう彼が言うにあたって、やっとエーディンは、これはアイラの思考回路だ、と思い出す。もっとも彼女のほうは、「男を早くに帰らせる」といっていたが、男のほうが自発的にそれを実行すれば、ホリンのような言い方になるわけだ。
 そのうちブリギッドが戻って来る。遠目にも、二人が二言三言声を交わしたのが見えていたのだろう。
「何話してたの」
「いえ、別に…」
「ま、なんでもいいけどさ」
言いながら、ブリギッドが座る。ホリンとはさまれる形になって、
「あら、お姉様、こんなのでよろしいの?」
ついエーディンが声を上げると、
「いいお育ちの、しかも人妻がきていいとこじゃないってこいつが言ったろ? 虫除けされてると思って、黙ってそこにいな」
ブリギッドは言いながら、二人分運んで来たお茶のマグをひとつ、彼女の前に置く。エーディンはその湯気をふう、と一度吹いてから、
「お披露目、してしまえばよろしいのに」
と、内緒話を引き継ぐように言った。ブリギッドはきょとん、とし、ホリンは吸い込んだ煙のおさめどころを誤ったかごほ、と咳き込む。
「な、何の話よ」
「いえいえ、噂話をしていただけですわ。そこまでのご関係なら、お披露目してしまえばよろしいのにね、と」
「へえ、そんなのがいるの?」
「ええ、まあ」
ホリンが何か言おうとするのを、エーディンはその足をやんわりと踏んでとどめた。
「時期が時期だけに、関係を公に出来ないとか、したくないとか、そういう方たちはたくさんいらしてよ」
「そんなもんかねぇ」
「お姉様がお茶会にしばしばいらっしゃるようになれば、じきに見えてきますわ」
ふふふ。意味深な笑みをこぼしてエーディンはお茶を含む。
「こういう場所も、私、嫌いではありませんのよ」

 食事の終わったブリギッドたちと、適当なところで別れ、部屋に戻ると、ジャムカは案の定矢場に行ったという。
 外套をかけて教練場に行くと、ジャムカはもう何本か矢筒を空にして、的から矢を外してきたところだった。
「ずいぶん話し込んでいたんだな」
と言うジャムカに、
「ええ、いろいろ面白いことを伺いました」
エーディンはそう答えて、ざっと、まだ使える矢を見繕って矢筒に収めた夫に、朝から見聞したことを、手短に話す。ジャムカは感心したような声を出し、
「…もの硬い男だと思っていだが、存外にやわらかい奴だったんだな」
「やわらかいというよりも、やはりご縁だったのでしょ。見た姿もお似合いだし」
「まあ、育ちはどうあれ、君と同じだけ生きてきた人だし、見守るだけにしたほうがいいと思うがね」
「ええ、今お姉さまが幸せなのは、私にも十分伝わってますから、お邪魔なんてしませんわよ」
「見てわかるというのは聞くが、伝わっているというのは面白いい方だな」
「ええ、だって、本当のことですもの」
そういう彼女には、今まさに、その幸せの胸騒ぎを感じてるのだ。別れるときに二人でいたからまさかとは思ったが、そのまま夜の続きを楽しんでいるのをこんなところで妹に気取られているとは、ブリギッドもわかるまい。
「ねぇジャムカ」
「ん?」
「双子って、けっこう得よ」
外套の下で、寒さからではない腕の鳥肌をなでながら、エーディンは実に楽しそうに言った。

 シレジアに渡ってしばらくのことである。
「お姉様、ご機嫌はいかが?」
ブリギッドの部屋に、ひょこり、とエーディンが顔を出してきた。すっかりくつろいだ様子でぷか、と煙を吹いていたブリギッドは、扉のほうに顔を向けて、
「久しぶりだね、この部屋に来るなんて」
と言った。周知もすんだ後のことで、「あまりしばしばここに来るのもご都合が悪いでしょうから」と、部屋には頻繁にはこなくなっていたので、ついブリギッドの顔も緩む。
「何か用?」
「用、と言うほどでもないのですけれど、お祝いを」
エーディンは、メイドに持ってこさせた薄い衣装箱をことことことん、とテーブルに置かせ、一度さがるよう言う。ブリギッドは煙管の始末をして、
「何をいまさら、そんなことされたら恥ずかしいじゃないか」
と言うが、その実まんざらでもないと顔に書いてある。
「この間、こちらで着る服の作るのに、お姉さまの体の寸法を測らせていただいたでしょう」
「あ、ああ、そんなこともあったね」
「できあがりましたの」
と、箱の一つから中を取り出すと、ちょうど今、エーディンが着ている服と同じものだ。
「あ、あんた、それもしかして」
「はい、おそろいですわ」
「およしよ、子供じゃないんだから」
「たまにはこういうお茶目もよろしいでしょ、おそろいはこれだけですのよ」
エーディンはためらうことなく、クローゼットの扉を開け、
「お召しになってくださいな、お手伝いしますから」
目を細めて、姉に手招きをした。

 ブリギッドのほうが若干背が高いうえに、かかとの高い靴は苦手と来ているから、服を着せてみれば、何気なく一瞥したぐらいではほとんど見分けがつかない。
「ね、面白いでしょう?」
「なんか、自分が二人いるみたい」
「ええ、本当に」
「気味悪くないの?」
「全然」
育ちが違うと、感覚も変わるものなのか。ブリギッドはふう、とため息をついた。
「ま、そんな顔なさらないでくださいな」
皮肉のようにも見えるそのしぐさにも、エーディンはくす、と笑っただけで、あしらいはなれたものである。
「で? 自分をもう一人作って、何のつもりなのさ」
「そうですわねぇ」
ブリギッドの憮然とした問いに、エーディンは少し考えるしぐさをして、
「皆様にそれをお見せしてから考えましょうか」
「な、見せるって」
「申しましたでしょ、お祝いって。
 皆様からいただいたのですもの、ね」
あんたどこまでそういうシュミなんだ。ブリギッドはよっほどそう怒鳴りつけたくなったが、怒鳴ったところでどうなる場合でもなさそうだ。黙って着せられることにする。
「く、苦しいからそんなに締めないでってば」
「我慢くださいまし、これでも十分ゆるいのですのよ」


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