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とりかえっこにご用心


 「特別に、おめかしなんかしなくってもさぁ」
と、シルヴィアがもっともそうに言った。
「ブリギッドさん、きれいだよ」
ブリギッドは、ドロワーズにビスチェという、彼女の人となりからは連想しにくい下着姿で、
「そうだよねぇシルヴィちゃん、ねぇ本当に」
かいぐりかいぐりと、いともかわいがる風にシルヴィアの頭をなでる、と、
「だ・め・で・す」
ぐいっ、と、エーディンがそのビスチェの紐を引いた。
「うぷっ」
不意の締め付けで、ブリギッドの顔が青ざめる。
「ちょ、ちょっと待って、そんなに締まらないって」
「お昼をたくさん召し上がるからいけないのですよお姉様。
 このビスチェの、背中のスキマが消えるまで締めておかないと、次が入りませんの」
とはいえ、弓を引いて十数年のブリギッドの隠れた筋肉は、そう簡単にビスチェからの束縛を受け入れはしない。ともすれば、背中を足で押さえつけてでもその紐を締め付けようとしたエーディンも、さすがにあきらめたのか、
「まだお時間はありますから、おなかがもうすこし休まってからでもいいでしょう」
と、クローゼットにおいてある椅子に、やれやれ、という様子で座り込んだ。
「ねぇエーディン、本当に、こんな格好をしないといけないのかい?」
ブリギッドが、背中から、みるみるビスチェが緩んでゆくのを感じながら言う。エーディンは
「必要でないことを祈りたいのですけれど」
と、また立ち上がり、服を見繕いながら言う。
「シレジアに渡るお話、お姉様もお聞きでしょう?」
「うん、まあ」
「あちらで、ユングヴィ家の者として、お行儀が試されるところがあるかもわかりません、私もそのままのお姉様がいいと思っているのですけど」
「エーディンさん、ビスチェなしでもなんとかならないの?」
野次馬のようにその場所にいるシルヴィアが、あれこれ服を取り上げながら見る。エーディンは、クローゼットの奥まったほうにある服を一着取り出して、しげしげと、姉と服とを見交わす。
「ビスチェだけには慣れていただきます」
「え」
「今日は、ただつけるだけでそう締めはいたしませんわ。ちょうどいい服が見つかりました」
「本当?」
ほっとした顔でブリギッドはそのほうを見たが、同じように振り返ったシルヴィアは、
「…エーディンさん…それ」
と、唇を笑いたそうにゆがめた。
「何? なにかいわくでもついてるの?」
ブリギッドが変な顔をする。エーディンは言いにくそうに
「一、二度袖を通しただけなので、気づかれなければよいのですけれど…
 息子を身ごもって、まだそうおなかが大きくないときに作らせた服で…」
そう答えた。その説明が引き金になって、シルヴィアはきゃはははははは、と床に突っ伏す勢いで笑い出した。

 ブリギッドが旅団に加わって、しばらくになる。
 はじめのうちは、エーディンの姉妹としての、まるでどこかのお嬢様のような扱い(実際お嬢様なのだが)に戸惑いまくっていたが、今はもう、あきらめた様子らしい。それでも、彼女に会ったことがあるのは、旅団の中でもほんの一握りの人間である。
 その姉をお茶会に出して、せめてもうすこし見知った顔を増やしてあげたいというのがエーディンの妹心と言うものであった。
 そのやいのやいのの騒ぎが聞こえたのだろう。クローゼットの戸が、外側からごんごん、とたたかれて、
「なにをしてるんだ一体」
と言う声がした。そのまま入ってきかねない勢いだったのを、
「あ、ちょっと待ってくださいまし」
エーディンがその声に答え、持っていたくだんの服をかぶせる。
「シルヴィ、背中をおねがい」
「はぁい」
ビスチェをゆるく締め、背中のボタンをぽつぽつと締め始めてから、やっとエーディンは、外の声に
「お姉様に服を合わせていたのですわ」
と答え、
「見てくださる?」
と、ブリギッドをクローゼットから引きずり出した。

 エーディンのクローゼットの扉をたたける男など、旅団探しても二人といるものではない。
 しかもブリギッドは、それが同じ弓仲間のジャムカだったことで、実に気まずい。彼が成り行き上義弟で、今自分が来ている服のいわくもわかってるのだろうからなおさらである。
「…ぶっ」
ブリギッドの姿を見るなり噴き出したジャムカは、
「まあ、なんだ、そういう格好も、してみればサマになるものだな、姉妹なだけはある」
と、これまた笑いでゆがむ唇で言った。
「お姉様、弓でだいぶお体を鍛えられているようで、当座着られるものがこれしかなくて…」
やっぱり選択をあやまったかしらん、と言う顔でエーディンが言う。斜め後ろのほうから、突き刺さってる姉の視線がなんとなく痛いのは気のせいか。
「茶会には誰がくるんだ?」
と尋ねられ、だれかれと指を折るエーディンに、ジャムカは
「それなら、ことさらに着飾る必要もないだろう」
と、一言そう言った。
「ええ、でも」
「もっとも、ブリギッドがその必要があると思うなら別だが」
「でも、あの」
エーディンが、今後何があるともわからないから、と、さっきの事情を繰り返すと、
「それなら、作法が問われるときだけエーディンがブリギッドの代わりになるか?」
ジャムカはそう笑う。しかし
「それ、無理」
とシルヴィアが言う。
「顔は同じだけど、体つきは全然違うもの。ブリギッドさん弓使うし」
「そうだな」
見る人が見ればわかるか。三人はしばし考える。そのうちエーディンが、
「いえ、やっぱり、慣れていただかないと困ります。備えあれば憂いなし、です」
そう言う。
「しかし、本人は嫌がっているようにしか見えないのだが」
「ようにしか見えないんじゃなくて本当に嫌なんだけど」
「いけませんわね、お姉様」
しかしエーディンはいともまじめに言った。
「みっちりと、そのあたり、わきまえていただきますからね」

 ちなみにその日のお茶会は、服のいわくについて言及するものは誰もなく、エーディンの服だとうちあけたら、「では、そのうちブリギッド様の服も用意されたほうがよいようね」と言う一言ですんだ。
 お茶会の後は、厚手のネル地で作った足首ほどの丈のチュニック風のワンピースドレスで、「あ?楽ちん楽ちん」と部屋で手足を伸ばしていたそうだ。
 そんなこんなで夜が更けて。
「世話焼きと言うか、お節介というか…わかってはいたが」
ジャムカがそう言う。
「ブリギッドは特別か?」
「特別に見えまして?」
腕の中ですとんと眠りに落ちたレスターを世話係に預けて、エーディンがふふ、と笑った。
「もしかしたら、そうかもしれませんわ。だって私達、双子なのに、ずっと離れ離れで…
 その分を今取り戻していると思って下さって」
「なるほど」
それからすすす、と寝台に入る。普段の居住まいも尼僧のように質素だが、夫婦水入らずになっても、そのつましさは変わらない。
「お姉様のことばかりであなたやレスターに迷惑はかけませんわ」
「レスターはともかく、俺は別に、一人では何も出来ないわけではないから別にかまわないが?」
そして一つ寝台の中で語らう姿は、他の夫婦となんら変わることもない。
「どうせ、お前しか知らない何か魂胆があるのだろう」
「わかりまして?」
「じゃじゃ馬ならしは普通妹が姉にするのではないだろう」
「まあ」
エーディンはくすくす、と笑って、そのまま身をついと夫に寄せて眠る。
 が。しばらくして、
「…あ」
エーディンが、寝言にしてはあまりになまめいた声を上げた。ジャムカがその声に思わず向き直ったほどだ。
「…大丈夫か?」
「ええ…」
エーディンはそう答えはしたが、眉根を寄せ、何かをこらえるように身じろぎをしている。
「あまり悪いようなら、医者にでも…」
「いえ、それは…」
必要ない、と言う息で、また彼女が「あ」と声を上げた。わずかに息を上げたほんのりと暖かい肌に、思わずジャムカは息を呑む。
「これは…」
いたずら心がふと頭をもたげる。この悩ましげな姿を放っておくほどに朴念仁には出来ていない。
「わかった。必要なら呼ぼう」
「はい、そうしてください」
「もっとも、その様子なら俺でも治せそうだが」
「…え?」

 暗転。

 夜明けて。エーディンははた、と目を覚ます。いつもより深く寝入ってしまったのだろうか、夜中に決まって泣き出すレスターの声も聞こえなかった。
 ちらりと、横の夫を見て、ふうう、と長いため息をつき、昨晩を思わず省みてみる。
「もしかして」
エーディンにしてみれば、羽目をはずしたような昨晩の様子に、メイドたちは声をかけあぐねたものか。
「…恥ずかしいわ、もう」
人の話に比べて淡白な関係だと思っていたが、レスターが生まれれて以来さらに淡白なところを取り返すようだった。
「いけないいけない、朝のお勤めの前にこんなことを考えては」
一人だけする、と寝台を抜け出し、ぱたぱたと身支度を済ませ、城にある礼拝堂へ、エーディンはそっと部屋を抜け出た。

 このごろの朝は冬といってもおかしくないほど、めっきり冷えるようになっていた。
 ブリギッドはあまり頓着のない様子だったが、やはり、よんどころなくして居場所を変えるというのは、大なり小なり不安である。昨日のお茶会ももっぱらその話題だった。
 行く先にも慈悲のあらんことを。礼拝堂でひとしきり祈り、その帰り道のことだった。
 息子の様子など気にかけながら、城の中、自分達の部屋に戻る途中、どこかの曲がり角で何かにすれ違った気がした。向き直って、角のかげから今来たほうを見ると、…あの長躯の大また歩きには、見覚えがあった。
「やっぱり」
エーディンはそうつぶやいて、再び部屋への道を行く。
 きっと夜も冷えただろう。昨晩声がかからなかった分、レスターのところを訪れて様子を伺うに、珍しく、夜中にむずがるようなことはなかったらしい。落としたら壊れそうな小さな体をそっと抱かせてもらい、小さな指がほほにぴたぴたと触れてくるのを、
「お母様は今お外から戻ったばかりで冷たいわよ」
と笑いながら味わって、部屋を暖めて夫を起こす準備を始めるよう、周りにあれこれ指示を出す。こうして交代交代で誰かしらが起きているメイドたちを除いたら、ジャムカたちは一番の早起きになる。
 このごろの気候やレスターの様子、そしてこれからのことなど話題にしながら朝食を終えたころ、やっと、ほかの部屋のメイドたちが動き始めて、静かに城全体が目覚め始める。それを見計らうようにして、エーディンはするっと部屋を出ようとした。
「何だ、ずいぶんうれしそうだな」
その様子に普段と違うものでも見たのだろう、ジャムカがそういうと、
「そう見えまして?」
エーディンはふふ、と笑って、部屋の戸を閉めた。そのあまりに嬉し楽しそうな妻の後姿に、ジャムカも何とはなしに昨晩のことを思い出し、
「…回りくどい芝居などなしに、誘ってくればよいのに」
とつぶやいていた。

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