ブリギッドは目を覚まし、くらくらとした頭を押さえ込むようにしていた。気がついたら、オーガヒルの海賊砦とはまったく違う、豪勢な部屋に寝かされているのだ。夢かしらん。ぎゅうっと手の甲をつねったら、
「あいたた」
夢ではないようだ。しかし
「…なんだろう」
胸騒ぎがする。それが何か自分にはわからないが、ここにいるのは、この胸騒ぎが原因だということは、なんとなくかかるような気がした。
それにしても、妙に頭がくらくらする。ぽん、と寝かされていた寝台にもう一度背中を預けると
「お気がつかれましたのね」
と、自分のような声がしたので、ぎょ、っとして、顔をもたげた。
自分と同じ顔がいる。さっきつねって痛かった手の甲も、やっぱり夢の中のこと? そう思っているブリギッドに、自分と同じ顔をした女は、後ろの、女のような顔をした男に、持っていたものをうけわたされた。そしてそれが、自分の横になっている寝台の、開いている空間に置かれる。
「…弓?」
ブリギッドは、突然入ってきたこの人物たちは何者か聞く前に、目の前の弓に言葉をなくした。
まるで、自分に引いてほしいと、この弓が訴えてきているようなのだ。
「さわって…いいのかい?」
「ええ、もちろん」
女はそういった。ブリギッドは、おもむろにその弓を取り上げ、弦をはじいた。
その波動が、自分を奥底から揺らす。懐かしい、その感じ。
「…イチイバル」
その名前が、素直に頭の中に浮かんできた。女…エーディンは、目にいっぱいの涙をためて、
「お帰りなさい…お姉様」
と、呟くように言った。
マディノに担ぎこまれた件の女戦士が、やっぱりエーディンの関係者で、しかも聖弓イチイバルを引いた、という、その話を聞いても、ホリンは
「そうか」
といか言わなかった。
「順当に考えると、その時化で船内に逃げ送れたブリギッドが、何かの理由でオーガヒルの海賊に助けられ、棟梁の娘として育てられていた、ということだな」
「ブリギッド様から承ったお話と、こちらで把握している情報とをすり合わせると、どうもそのようです」
ミデェールがそう答えた。
「ブリギッド様がおっしゃるには、オーガヒルの海賊は昔から、このような悪事に手を染めるやからではない、手下としていたものに造反するものが出て、現状に至ったと」
「なるほど」
シグルドはそう頷いた。
「いかがしましょう、ご本人は、その手下を懲らしめるためにも、前線に出ることを希望されているのですが」
「…戦闘に参加できるものが多いのはうれしいが」
シグルドは腕を組んだ。
「この際、海賊相手でも少し実戦を重ねさせたい者もある。参加は後でもいい、今は養生をと伝えてほしい」
「わかりました」
その話を聞いて、ブリギッドは、
「本当に放っておいて大丈夫なのかい? アグストリアがごたごたにしているの便乗して、村まで荒らそうとした馬鹿の集団だよ?」
という。エーディンは
「村には、すべて、海賊への警戒を呼びかけて自衛するよう呼びかけが徹底されているので、安全のはずですわ。それに、オーガヒルの海賊砦は、事実上私たちに取り囲まれていますもの、これ以上の悪さなどできません」
と言い、やおら、ブリギッドのそばを立ち上がった。
「どこに行くんだい?」
そう言うブリギットに、
「まあ、まるで子供のようにおっしゃって」
エーディンはにっこりと笑んで、
「私は前線に行かなければなりません。治癒のシスターも交互に休んでいるので、私の順番が回ってきたのですわ」
「わ、私も」
と、寝台を飛び出そうとしたブリギッドを、ぐいぐいと、有無を言わさずまた眠らせ、
「さ、大事に持っていてくださいまし」
と、イチイバルを握らせる。
「この弓には、持つものを癒すのですわ。戦っていい時期は、イチイバルが教えてくれます」
そこまで言われてしまっては、ブリギッドもその場所から動くことができない。そのうち、ブリギッドの部屋の戸がたんたん、とたたかれる。
「ではお姉様、ちゃんとお静かにしていてくださいましね」
終始笑みを崩さずに、エーディンはするっとその部屋を出て行った。
「エーディン…」
ブリギッドは呆然とする。イチイバルを握らされて、よみがえってきた記憶の中のエーディンは、あんなに張り切った性格の子だったけか? そんなことを思っている間に、また扉がたんたん、となる。
「あいてるよ」
中っ腹に言うと、ぬ、という風に、誰かが入ってきた。
「ああ」
ブリギッドの顔が、少し緩んだ。あの船着場で、自分を助け出した男だったからだ。
「無事イチイバルは手元に来たようだな」
と言われて、ブリギッドは
「…あたしを知ってるのかい?」
つい眉根がよる。
「いや。前線で身元がわかったという話を、俺は聞いただけだ」
男は淡々とそう言った。
「お前の発見は、あのときの作戦で偶然についてきたものだ」
「あたしはおまけってことかい?」
「ブラギの塔から格別に下された思し召し、でもいい」
「はは」
ブリギッドはつい笑いが出てしまう。
「私を笑わせるために、わざわざ前線から帰ってきたのかい?」
「いや、今エーディンが出て行っただろう、代わりに休みに来た。
数日はとどまる」
「のんきな軍だね、あのやんちゃをおもちゃにしてるのかい」
「そんなところだ。
一度は引き下がるが、すぐ人員を集めてわれわれの陣を超えてマディノの村を襲おうとするのでね、それなりにあしらってもらって帰っていただくのだ」
「それでよくやつらがおとなしくしているものだね」
「おとなしくしているから不思議なのだ」
男は言う。そして、
「さて」
ときびすを返す。
「お前の顔を見て安心した。前線に出さないのはエーディンの過保護だな」
男はそう、笑うでもなく呟いて、自分の名を告げ、用があればその名で呼べば来る、と、ブリギッドの部屋を出て行った。
「お前」
レックスはつくづくといった。
「ブリギッドを落とすつもりか?」
「落とす?」
「ああ」
「どうだろう」
ホリンは興味がありそうななさそうな声で返した。
「どちらかにその気があっても、縁がなければ無理だ」
「エーディンがさっさとジャムカに射落とされて悔しい思いしてるやつが大勢だからな。油断されるとさっさともってかれるぜ」
「ははははは、もってゆくのゆかれるの、話がこじれてケンカするほど、俺はアツくもないしガキでもない」
珍しく、ホリンが口をあけて笑った。
「選択権は彼女にある」
そして、立ち上がって剣を一本レックスに渡そうとする。
「一本やるか」
「勘弁してくれ、この間みたいに、月光剣とか言うので打ち込まれるのはごめんだからな」
「馬から下りたら何で戦うのだ」
「俺にゃこれで十分」
持っている斧をレックスがこれ見よがしに示すと、ホリンは肩をすくめて
「なるほど」
といった。
ブリギッドは、起き上がれるようになっていた。
イチイバルは持つものを癒すというが、その効果に間違いはなさそうだ。
問題は、あのやんちゃどもを、いつまでもおもちゃにはしておけない、そういう焦りと憤りだった。
「オーガヒルの海賊は、義に反したら、それを命で償うのが、父さんの代からのしきたりだ。
実の娘であろうがなかろうが、あたしが棟梁である限り、そのしきたりをひっくり返したりは、させないよ」
ねえイチイバル、あたしはもう、戦場に出られるかい? そうささやきかけるようにして、弦をはじく。
びぃぃぃぃぃぃん…
その響きが、体に響きわたって、心地よく、彼女の琴線を揺らした。
「いける」
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