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 新調した軍装も勇ましく、ブリギッドが陣に、今度は戦士として入ってきたのは、それからまもなくのことだった。
「大丈夫なのかい?」
対面したシグルドは、いささか心配そうだ。
「もともとはあたしの手下のやんちゃが起こしたこと、もうこれ以上、手を焼かせたくはない。
 立派な軍隊なら、こんな海賊で戦争の練習なんか、させるものではないさ」
「なるほど」
「オーガヒルはシレジアに近い。シレジアにはさまれた東側の海が凍れば、凍らない西側に悪さをしに出てゆくよ。
 そうなる前に、あたしが始末をつける」
「自分の手下を手にかけるのか」
「軍隊だって、規則違反をしたら最悪そうするだろう? 同じことさ」
ブリギッドのいい口は、海賊の棟梁として、有無を言わさない力を持っていた。シグルドはふぅ。とため息をついて、
「言い出したら聞かないのは同じだね」
と言い、海賊の始末一切をブリギッドの差配に任せた。

 何日たったかは、その日見える月の姿でわかる。傾きはじめた太陽を追うようにして、これから満ちる月が、まだ青い空にぼんやりと浮かんでいた。
「精鋭としてよりぬいてくれたことには、まず感謝すべきか」
と、ホリンが言った。
「城にいた間に、剣の腕は大体見せてもらったよ。あんたになら、あたしの前を任せられる」
「なるほど」
「弓は接敵されたら何もできないんだよ、それに、イチイバルがどんなものだか、まだ実際に引いたことがないんでね」
そういう間に、砦の見張りに二三人が立った。
「二人とも、まずはそこをおどき」
吶喊要員として選ばれたレックスとホリンを退かせ、ブリギッドはイチイバルに矢をつがえる。
「こんな遠くから、届くのか?」
後ろでレックスが言う。
「すべてはイチイバルの…お告げのままさ」
ブリギッドは、きゅうっと弓を開き、矢を放った。
 矢は、空を飛ぶ間に光弾に変化し、見張り台の一人に焼きつくように刺さる。
「すげ…」
「これがイチイバルのちからですわ」
エーディンが言った。そのうち、わらわらと、海賊が飛び出してくる。ブリギッドは、見張り台を一足飛びに飛び降りて、
「遠慮するこたないよ、やっちまいな!」
と、後から続いてくる吶喊要員たちにそう声高く命じた。

 「もうわかっちゃいると思うが、今この海賊たちを握っているのは、ドバール・ピサールのバカ二人さ、見つけたらあたしに教えておくれ!」
そういいながら、ブリギッドも海賊たちの中に突っ込む。中には、ブリギッドを見知った顔があって、
「お、お頭!」
とたじろぐものもある。
「逃げるやつは捕まえて、陣にでも放り込んでおきな!」
そういいながら、ブリギッド自身も、振りあがってくる斧を、聖弓で受け止め、受け流す。
「荒っぽいねぇ」
「これっくらいでなくて、海賊の棟梁が勤まるわきゃないよ」
ブリギッドの顔が、そう余裕に緩んだとき、がきぃっ、と音がした。
「!」
「甘っちょろい小娘なのは相変わらずだ」
「…ピサール」
そこからブリギッドがとびすされたのは、振り上げられた斧が、レックスの斧に抑えられていたからだ。
「色男引き連れて、海賊の棟梁の座でも取り返しにきたかい? お嬢ちゃん」
「誰が棟梁を降りたって?」
ブリギッドがいいながら、イチイバルに矢をつがえる。ピサールを狙って向けられた矢は、イチイバルの影響を受けて、金色に輝きだす。
「まだだ」
ホリンが声を上げ、ブリギットがかまえをとく。
「もう一人いるんだろう、そっちをやれ」
「…」
「棟梁は、部下を信じるものだ」
「わかった、ここは任せる。
 ついてきな、ドバールは手ごわいよ」
ブリギッドは矢をしまい、後ろにつづくホリンにそう言った。やがて突入した制圧部隊と、海賊との戦闘が、二人が上って行く階段の下で始まった。

 ドバールは、斧の刃を磨きながら、一人だけでそこにいた。
「もう遅ぇよ」
そして、ブリギッドにそういった
「ありもしない正義を掲げて海を走るのはもう時代遅れさ。陸の上はどこもキナくさいっていうじゃないか、そのすきに付け入るのが海賊の本当の姿…ちがうかい、『お頭』さんよ」
「どうだろうね」
ブリギッドは、それに返す。
「あんたに斬られた傷がうずくよ。
 でもおかげで、あたしは、本当のあたしに戻れた
 オーガヒル義賊が義に反したら、その償いは命…父さんの時代から、そうだったね」
「そうだったなぁ、大勢の手下を路頭に迷わすような正義を嘯くのは、手下に対する義理を欠いてはいないかい?」
「言っておくれじゃないの」
ブリギッドが矢を取った。その前に、ホリンが立つ。接敵されたら弓は使えない、そのために、あえて間に割り込んだのだ。
「大したもんだ、用心棒つきかい」
ドバールが斧を構えた。ホリンが
「弓を構えろ、すぐにカタがつく」
そういい、大剣を構えた。その後姿が、青くほの輝く。
 …ぃぃぃぃぃぃぃん…
 イチイバルを引き絞った弦の響きが金属的に部屋に反響する。ドバールが振り下ろした斧は、ホリンの剣に跳ね上げられ、返す刃がドバールをハスに斬る。
「撃て!」
ホリンが声をあげた。ブリギッドの手から離れた矢が、ドバールの額を貫通して、光弾になって、後ろの壁に深々と突き刺さった。

 ピサールも、後続の部隊によってすでに処断されていた。
 降参した手下に対し、ブリギッドはオーガヒルの海賊は引き続き義賊であることを確認し、オーガヒルを放棄し、やや南にあるマディノに開かれた自由都市に本拠を移し、海上の安全を守る仕事があることを伝えた。
「ご時勢柄、ブラギの塔参りの船がまた増えるだろう。
 あたしみたいなかわいそうな子供がもう二度と出ないようにするのが、あんたらの仕事さ」
最後を、ブリギッドはそう締めた。

 日が沈みかけて、青空に頼りなく浮かんでいた満ち行く月に、その光が移ろうとしていた。
 エーディンが、その月を仰ぎ加減にして、
「きれいな月ですわ」
と言った。
「こういう風景を見ると、世界もまんざらつまらなくもないと思うね」
ブリギッドがそう答えると、妹はくす、と笑うように
「弓張り月、というそうです」
と言った。なるほど、弦を張った弓の形に見えなくもない。
「弓形の月ねぇ」
レックスが唸るように言って、エーディンに、
「これも何かの『縁』ってやつか」
と、意味深に問いかけた。エーディンがそれに
「そうかも、しれないわね」
そう答え、二人はくくくくく、とかみ殺した笑いをする。
「あんたら、なにがそんなにおかしいの」
ブリギッドがその二人を見て、何がおかしいのかよくわからない、という顔をした。


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