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 一方。
 エスリンは、エーディンを馬の後ろに乗せ、トーチの杖をかざし続けている。
「何故、こちらのほうには、この杖が出回らないのかしら」
エーディンがのんきそうに言うと、エスリンは
「竜との戦いには、昼も夜もないもの。向こうもトーチを持っているから」
そう答えた。
「必要に迫られているのね」
「そんなところね。私も最初は驚いたけれども。
 こっちにくるときに、こういうこともあるかもしれないと思って、無理して荷物に入れてきたけど、まさか本当に使うなんてね、皮肉な話だわ」
「本当に」
と言った後、エーディンは少し息を詰まらせるような気配を見せて、その後、ふうう、と長く息を吐いた。呼吸の仕方がおかしい。エスリンは振り向いて
「エーディン、大丈夫?」
とたずねた。
「眠っていたのを突然起こされたのだものねぇ…まったく、兄上は」
そしてそうぼやくのをエーディンはくす、と笑って、
「仕方ありませんわよ。クロード様がいつ塔からお帰りになるか、シグルド様は気が気でなくていらっしゃったところにこれですもの…」
エーディンはそういいながら、ぐうっと体を折り曲げ、そのまま、馬から滑り落ちるようにして、足から地面に倒れこんだ。
「エーディン!」

 エーディンが気を失っていたのは、ほんのわずかな間だった。
「エーディン、大丈夫?」
とエスリンが体をゆすると、エーディンはうっすらと目を開き、
「ええ、大丈夫…」
立ちあがろうとしたが、また体を折り曲げて、うずくまってしまう。
「もしかして、流れ矢!?」
エスリンは左右を見めぐらした。しかし、弓を使う海賊から、この場所は一番離れている。どんなに豪腕の射手でも、ここまで矢を飛ばすことはできない。現に、エーディンが押さえている場所には、刺さった矢もなければ、出血もなかった。
「違うの…これは…」
エーディンは、今にも気を失いそうな声で言った後、何か思い立ったように、
「私を一度、陣に戻してくれる?」
といった。

 そういうエーディンたちと入れ違うようにして、手傷負った身元不明の女戦士を抱き上げながら、ホリンが後衛のシスターたちに声をかけていた。
「回復できるものはあるか?」
女戦士は、出血が進んだ野か、顔を真っ青にして、すっかりおとなしくなっていた。シスターたちが入れ替わり立ち代りライブを当て、傷を癒してゆくが、彼女の意識は戻らない。失った血が回復するまでは、それなりの時間が必要だろう。
 そしてシスターたちは、押しなべて、治療されるものの顔を見て、不思議そうな顔をした。つい先ほどまで、尼僧の姿だったエーディンが、突然戦士のような格好にかわり、しかも重症なのだ。
 そのうち、
「おや、珍しいやつが後衛にいるもんだ」
と、レヴィンが入ってくる。そして、彼は、すぐ、件の女戦士に目を移した。
「…エーディン? いよいよ生き別れの姉妹が見つからなくて、とうとう自分で弓を引くのに決めたのか?」
そう、混ぜ返すでもなくいうと、ホリンは
「違う」
その言葉をすっぱりと切り払った。
 治癒を担当したシスターから話が広まって、エーディンに瓜二つの女性が重症で担ぎ込まれたというその顔を拝みに、手の空いたものが治癒の天幕の中に入ってくる。
「この女性がエーディンでないとすると、」
シグルドが、いかにも腑に落ちない、という顔で言った。
「彼女は一体何者なのだ? 他人の空似にしては気味が悪いほど似ているじゃないか」
「確実に、とは申し上げられませんが」
関係ありそうだからと、一緒に呼ばれたミデェールが首をひねる。
「私の記憶が確かであれば、シグルド様は一度ならず、この方にお会いなさっている気がします」
「私にはそんな記憶はないが?」
シグルドがそう返すと、ミデェールの声のかわりに、
「すでにお忘れであってもせん無いことですわ」
という声がした。

 エーディンは、エスリンに支えられるようにして、手に何かを持っている。そして、もう片方の手は、胸の下に当てられ、そこから起こる異変が彼女をただならぬ状態にしているのだと如実に物語る。
「大丈夫かエーディン」
人だかりの中を掻き分けるように出てきたジャムカが、エスリンに変わって肩を支える。
「はい、私は大丈夫です。この方の傷に比べたら」
そういうエーディンに、
「エーディン、ミデェールが言うには、私はこの女性に面識があるようなのだが?」
と、シグルドが言う。
「確かに、お会いになったことがあっても、不思議ではございませんわね。
 でも私は、この方とは、生まれる前から一緒でしたのよ」
「?」
シグルドはまだひらめかないようだった。そういうシグルドに、
「シグルド様、『ブリギッド』という名前に、お心当たりはございませんか」
逆にエーディンがたずねる。
「聞いたことがあるような気もするが…」
「私の、ウルのみしるしが痛むのです。みしるしの痛みは、継承者へ敬意を表せよとの、聖者からの無言の言葉…
 この方と私の顔を見れば、見知る市をことさらに探すことは必要ないと思います。 間違いなく、この方はブリギッド姉様…まさかここでお会いできるなんて」
「思い出した」
シグルドが、やっと、というように言った。
「君が探し続けていた双子の姉だね」
「はい」
そう答えるエーディンの目には、はやも涙が落ちそうなほどになっていた。

 それは、エーディンにとっても数歳のころの出来事であるというから、より詳細な話は、近衛騎士ミデェールからしか聞き出すことができない。
 ともかく、彼の話によると、ある年、ユングヴィ公家が海路ブラギの塔に参詣した折に時化に遭い、それが収まったとき、忽然とブリギッドはいなくなっていたのだ。
 数日の、夜を日についでの捜索もむなしく、ブリギッドは見つからず、聖弓継承はエーディンの役とされたが、エーディンはそれを拒み、ブリギッドの生存を神に祈るシスターとなった。
 そして、聖弓継承のために、彼女が自分の足でブリギッドを探し出そうと思い立つにいたった事情は、いまさら述べ立てるまでもない。
 ただ、これまでの話は、この、ホリンが保護してきた女性が本当にブリギッドであったら、という仮定の上での話である。失血による昏睡から目を覚ました後の彼女には、いろいろと、してもらわねばならないことがある。
 まず第一に、本当にブリギッドかどうか。エーディンは聖痕の確認は必要ないといったが、念のため一度見る必要はあるだろう。
 ブリギッドであるとして、イチイバルを継承するのに値する器量であるかどうか。
 そして、何よりも大切なのは、彼女が、自分が何者であるかを覚えているか、である。

 ブリギッドは、前線の奥にあるマディノの城まで運ばれ、目が覚めるまで手厚い看護を受ける身になる。その間に、彼女の体に、鮮やかに浮き上がるウルの聖痕が確認され、その身元は確定された。
「まさか今お姉様が見つかるなんて」
と、エーディンはほんのりと時雨模様である。
「なぜそんなことを言う?」
と、寝台の中でアイラが言った。マディノの…というよりは、アグストリアの秋雨が体にあわなかったのか、アイラはぼんやりと、微熱で浮かされたような声である。
「お父様がお元気の間に、お姉様の見つかったことを、お知らせできていればと。
 お姉さまがおられなくなって、一番心配されていたのはお父様でしたもの」
イザークからの遠征帰りに、バーハラの王太子が暗殺された事件は、すでに彼女らの耳にも届いていた。王太子暗殺の嫌疑はほかならぬシアルフィ公にかけられたが、近侍していたユングヴィ公は、そのときに、口封じとばかりに同じく殺害されたと。
「…公は、聖弓を引けるお方であったのか」
「ええ。ですが、早くに軍籍から離れて、内政に力を入れるようになっていましたわ。
 ヴェルダンとの不可侵条約は信用できないと、国境警備を強化するよう、バイゲリッターを指揮する弟とは、少し意見が食い違うときもありましたけど…」
「あたら名君を無駄にするものだ、グランベルという国は」
アイラは彼女なりの冗談なのだろう、そういうことを言った。
「しかし、公の逝去が、姉上を見出すきっかけであったとは、考えられないだろうか」
「…」
「特別に継承を行わない場合は、先代となる者の死去が当代を作る。
 姉上は、公がエーディンに残してくれた形見であろう。
 偶然とはいえ、それをホリンが見出すとは、わからぬものだ」
最後、アイラは笑うように言った。
「これも血か」
「お珍しいこと、アイラがそんなに笑っているなんて」
エーディンが涙をよそにして、きょとん、とした顔をする。
「ホリンが見つけてはいけなかった、何か理由がありますの?」
「いや、そうではなく」
アイラが、怪訝そうな顔をしたエーディンを少し振り向くようにして、
「彼は私の眷属なのだ」
といった。
「イザーク王家の出身なの?」
「分家だがな。偉大なるオードは、広大な国土を、その御子たちに分け与えた。その中にソファラという一地方があり、ホリンはその領主の子だ。
 だが、そのソファラ領主というのがくせもので」
「まぁ」
「女性に目がない。城の中に美女を大勢抱えては戯れが過ぎるのを、たびたび父がいさめていたという話だ」
「つまりホリンは、そのご領主がお抱えになっていた、どなたか女性の子、と」
「そういうことになる。
 母などのことは、私も聞いたことはないが」
「見る限り、ホリンには、そういう浮ついたところはなさそうですけれど」
「おそらくは」
アイラが、とろとろと、眠るように言った。
「聖痕のあるものは、他の聖痕あるものに対し、特殊な指向性がある。聖痕の危機を肌で感じて、放っては置けなかったのであろう。
 いや、あるなしにかかわらず、せねばならぬと思ったことはする。彼はそういう男だ」


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