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弓張月


 ほぼ、闇夜に近かった。遅く出た月は頼りなく、たとえるなら、ガラス細工でできた弓を思わせた。
 マディノ北の集落を超えたあたり、オーガヒルの海賊砦を睨む様に、陣が敷かれていた。
 この二三日は、海賊たちも何の怪しい動きも見せず、陣はつかの間、安らいで見えた。
 しかし、この陣を仕切る大将シグルドは、それでもまだ不安なところを隠しきれず、
「クロード神父は本当に大丈夫なのだろうか。
 海賊は、聖職者は世間知らずと決め込んで、きっと襲うに違いない。もしかしたらすでに、塔からお出ましになるのを待ち伏せているかもしれない」
ぼつぼつと、落ち着きのない呟きをこぼす。ちょうど、見張りがてらシグルドの相手をしていたのはレックスで、
「まあ、自分から志願してティルテュがついていってますからねぇ。跳ね返りなのはバーハラにいたころとまったく変わりませんが、あれでも一応、神器が使えないってだけで、雷魔法に関しちゃ誰の追随も許してませんから」
徒然とそれに返す。
「あいつは昔から、怒るとそりゃ手がつけられなくて…」
ともすれば、何か思いつめて厳しい表情を崩さないシグルドに、笑い話のひとつでもしようかというレックスの言葉をふさぐように、見張り台に立っていた兵士から
「海賊が動きました!」
と、あわてた報告が入ってきた。シグルドはやおら立ち上がり、
「状況を」
そういうと、兵士は、
「はい、オーガヒルの海賊砦から、松明の明かりのようなものが多数出てきています。」
「方向は?」
「こちらから見て左方向…ブラギの塔方面です」
「わかった。報告ご苦労。
 レックス、聞いたとおりだ。最悪の事態を考えて、準備を」
「了解」
レックスは、出て行った兵士を追うように、天幕から出てゆく。シグルドも、傍らに立てかけていた愛用の銀の剣を腰に吊るした。

 なにぶんに、ほぼ闇夜である。大掛かりに炊かれた明かりの下で、集められた面々は、一様に不安そうだ。もしかしたら、「神託」を聞き終えたクロードを狙っての動きではないかと思えば、なおさらである。
「フュリー」
シグルドは、一人天馬を引き出してきたフュリーに声をかける。
「こんな状況の単独行は危険だが、神父達のもとにもっとも速く到達できるのは君しかいない。海賊の弓にはくれぐれも注意してくれ」
「わかりましたシグルド様」
フュリーがそれを指示と仰ぎ、拝命の姿勢をとったとき、
「ちょっと待って、フュリー」
と、エスリンが声をかけた。
「どうなさいました、エスリン様」
「使える人に、これを渡して回っていたの」
エスリンは、フュリーに、あまり見ない杖を一本差し出す。
「あなたこのごろ、ファルコンナイトになったわね、それなら、杖が使えるはず」
「はい、あまり難しいものはいけませんが…」
そういうフュリーに握らせた杖をさして、
「これはね、こっちではあまり使わないけれど、トラキア半島ではよく使われるトーチという杖なの。一定時間、回りを明るく照らしてくれるわ。
 一本預けておくから」
「はい、お預かりいたします」
フュリーは杖を押し頂いて、天馬にくくりつけている武器入れの中にその杖を差し込んだ。

 残りの騎兵は、二つに分けられることになった。
「一方は、オーガヒルからこれ以上の人間を出さないよう、牽制をする。
 一方は、機動力のある歩兵を同乗させ、ブラギの塔方面に向かった手勢を追撃すること。
 出陣!」
シグルドの号令一下、騎兵たちがオーガヒルに通じる橋を次々に渡る。シグルドはそれをみとどめけて、自らしんがりとして出陣した。

 海賊の跋扈する一帯の地面は、砂と岩場でできていて、馬にとってはあまり条件のいい足場とはいえない。それでも、機動力はまだ人間の足を超えていたから、騎兵は歩兵を乗せて海賊たちを追う。
 明るいうち見た限りでは、ブラギの塔に向かう道は、ほとんど海岸線一本だけという細い道だ。
 歩兵は適当なところで馬から下り、それぞれ得意の武器で背後から海賊に迫る。そうしながら
「妙だな」
とジャムカがつぶやいた。
「こいつらは、何かを探しているように見える」
「探すって、何を探すのさ」
デューが、倒された海賊の懐を探りながら言った。それを見てジャムカは呆れたように
「お前、まだそんなことをしていたのか」
「慈善事業だよ。どうせ、こいつらの懐は、この変の村々から巻き上げたもんなんだからね」
「本当の慈善事業なら本来の持ち主に返してこそ言うものだ。
 あとでエーディンにお灸をすえてもらう必要がありそうだな」
ジャムカは言いながら、たすっ、と、隙を見せた海賊の急所を一矢に打ち抜いた。

 「この辺でよかろう。降りる」
「ああ、降りてくれ。男二人乗せるのはさすがのテュランノスもきついとさ」
大剣を手にざっ、と馬から飛び降りたホリンを見て、レックスがあまり面白くなさそうに言った。後ろがアイラならまだ背中のぬくもりにもうれしさはあろうが、あいにく、彼女は体調を崩してマディノの城で臥せっている。そのアイラが、自分の代わりにこき使えといってつけてきたのがホリンなのだ、彼女の配慮なのだろうが、男二人で馬に相乗りでは、雰囲気も何もない。
「しかしお前、こんなところで降りてどうする?」
とにかく、そうレックスが言った。ホリンが降りた場所は、ブラギの塔への道にははるかに手前のほうだったからだ。
「すぐ下が崖になっている。昼見たが、馬には少し厳しい。しかし人間なら降りられる」
「なるほど、早道ね」
レックスは納得した顔でそういって、
「まあ、死なない程度にがんばりな」
と、そのがけを降りて行くホリンに声をかけた。

 天頂に近いところにある欠け行く月が、こころなしかぼやけて見えた。
 オーガヒルの海賊砦に近い漁村の船着場に、彼女はいた。
「…ったく、あんにゃろたち…急に手のひら返しやがって…」
と毒づいては見るものの、今の自分は果てしなく無力だ。逃げしなに、なげられた斧で割られた肩の出血が月をぼやけて見せているのだろうが、同時に傷の痛みが彼女に、気絶することを許さなかった。
「村に入っても…無駄か」
彼女はそうつぶやいて、船と船の間に身を潜めた。足音と声が、村の方から聞こえる。どうやら、自分をかくまっていやしないか、問い詰めているようだった。
「バカだねえ、今さら脅して何が出るって言うのさ」
オーガヒルは昔から義賊で食べてるんだ、いつのまに、あんたら見たいな根の曲がったやつが出てきたのか、…それを見抜けなかったのは、棟梁のあたしの責任か。
 彼女は船の一艘に身を預け、あざけるようにつぶやきながら、出血からいよいようすらいで行く意識に身を任せようとした、そのとき。
 ちかっ。
 遠くで、何かが光った。たいまつの明かりなどというかわいいものではない。いっそう身を潜めていなければ、自分も「追手」に見つかってしまいそうな、白い激しい光だ。
「なんだい、あの光は」
傷のことも忘れて、彼女はそう言わずにはいられなかった。そこに、思いもしない方向にざっ、と足音がして、とっさに身構える。この距離では弓は使えない。腰に下げたナイフを抜き、逆手に構えた。
 しかし、この、得体の知れない白い光にぼんやりと照らされながら自分の目の前にある長躯の男は、自分と一戦交えようという気はまるでなく、むしろ、自分を見知っているような顔をした。
「…何故お一人で、こんなところにおいでか」
そういわれた。しかし、男の言葉は、ぜんぜん意味が理解できなかった。
「あたしを知っているなら、何であたしがここにいるのか、すぐわかりそうなものだろうけどねぇ」
そう返すと、男は「…人違いか」と拍子抜けしたような顔で、それでも
「…他人の空似にしても、ここまで似るとかえって不気味だ」
と言う。
「あんたこそ一体何者なんだ、突然あたしを見つけて、不気味だって? 馬鹿や冗談も休み休みお言いよ」
そうすごんて見る自分の体を、男はしげしげとみた。しかし、その視線に下心などはなく、やや会って男は
「ずいぶんとひどい手傷を負っているな」
と言った。
「ああ、やられたんだよ、もともと手下だった男たちにね。
 急に、先代の頭目だった親父の娘じゃないから従う必要はないってね。抵抗したら、このとおりさ」
ことさらに、男に傷口を見せようとしたが、切られた肉がつれて
「ぐうっ」
激しく痛む。男は、抑揚のない声で
「海賊にとって敵となったならば、われわれにとっては味方となりえよう」
そういい、動かせるほうの手をとろうと、自分の手を差し出してきた。
「治癒のできるところまで行こう。
 歩けるか?」
「…どうだろうね」
気丈に振舞ってきたが、どうも限界のようだった、踏み出そうとした足は、船を引き止める綱にからめとられ、勢い、男の体にしなだれかかるようになる。しかし、それを踏みとどまろうとする力は、残っていなかった。
「思ったより深手のようだな」
ブリギットは、男が持っていた持っていた大振りの剣と、自分がからがら持ち出してきた弓と矢筒とを、利く腕に全部抱えさせ、ひょい、と自分そのものまでなんなく横抱きにされてしまう。
「少し目立って追手がわれわれを見つけるやもわからん。耐えられるか?」
何色かはわからない、男の目が、鈍く光った。
「耐えて見せるさ」
そう答えると、男は
「いい返答だ」
そういって、トーチの明かりを避けるようにしながら、たっ、と海岸線を走り始めた。

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