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 セイレーンとトーヴェに離れた姉妹の間で、細々と文通が始まり、やがてシレジアに、遅い若葉の季節が訪れる。アイラも無事出産し(双子で周りを驚かせたが)、そしてエスニャも男の子を挙げ、ティルテュの体も、少しは落ち着いたようだ。
「ねえティルテュ」
まだ大事をとらされて横になっているティルテュの枕元で、アゼルが言う。
「エスニャ、そろそろ会いに行ってもいいね」
「そうだね、もう、おきてもいいってお医者様言ってくださったし」
「そけと、なかなかいい考えだったんじゃないかな、着られなくなったドレスの使い道は」
「そうかな」
えへ、と、半分布団に顔を隠してティルテュが目じりを染める。ドレスは、体型を問わない意匠に手直しされ、手直しに使われいらなくなったり余ったりの布地はというと、アイラの双子と、エスニャの子供への、それぞれ、洗礼式用の晴れの産着になった。
「正直ね」
「うん」
「エスニャはともかくとして、アイラに断られたら、私どうしようと思った。レックスのことだって、もともと余りよく思ってなかったんでしょ、そこに私が来て」
「気の使いすぎだよ」
「でも」
「というか…
 そうやって気が使えるところが、本当のティルテュじゃないか」
「そうかな」
「君はそんなことはないと思っているだろうけど、僕はお見通し」
アゼルは短く笑って、
「さて」
と立ち上がる。
「レックスと行き帰りの道の相談してくるよ」
「え、もう?」
「善は急げ。君のことを考えると、あんまりゆっくりもしていられないしね。
 ティルテュもそろそろ起きて、体力つけないと、エスニャに会う前にバテてしまうよ」

 セイレーンからトーヴェまでは、林のような木立の中の街道を馬で二三日、ということだった。途中の村に印がつけてあるのは、トーヴェまでの間に逗留することになる宿屋のある場所だ。
「野宿でもいいよぉ」
とティルテュが言うと、
「バカ、腹に大事なもの抱えてんのに野宿なんかするな」
とレックスが言う。ティルテュがくるん、と金色の目を瞬かせて
「へぇ、優しいんだ」
そう言った。
「『人の親』って言うところじゃ、お前より先輩だからな、言うことは聞いとけよ。
 それと、アイラも連れて行くが、いいか?」
「アイラも?」
またティルテュがきょとん、とする。
「僕は別にかまわないけど…」
アゼルはおおように返す。
「でも、いいの?」
しかしティルテュは戸惑うような声を出す。
「いや、シレジアにきて、まだ遠出のひとつもさせてあげられなかったし、お前も」
とレックスはしたりという顔で
「経験者がそばにいたほうが安心できるだろう」
「うーん…」
ティルテュは少しうなった。アイラとは、ほとんど面識がない。最初、この軍に入ったとき、ティルテュの出自を知るなり持っていた剣を抜きかかってきたアイラの姿の印象が強くて、ティルテュが一方的にアイラを苦手にしていた。
 しかし、だからといって断れる状況でもなさそうだ。レックスの奥様孝行を、個人の感情で突っぱねるほど、ティルテュももう子供じみてはいない。
「わかった。それは、任せる」
「すまねぇな、根は悪くないんだ、仲良くしてやってくれ」
「うん。努力する」
「それにな…ちょっと、いやな話も聞いたんでね」
「いやな話?」
アゼルとティルテュが一緒に声を上げると、
「冬動けない分、夏は盗賊や山賊が多いらしい」
「それなら、アイラはなおさら一緒がいいね」
「そう言うことだ」
レックスはぱさぱさぱさ、と地図をたたみ、アゼルに「ほれ」と手渡す。
「この地図は俺が持っている地図の写しだから、お前持ってろ」
「うん」
「準備に一週間ぐらいみて…それで出発にしようか」
そう意見がまとまって、レックスは部屋から出て行った。

 出立当日。
「本当に気をつけてねみんな、盗賊とかやっぱり多いみたいだし」
と、城の出口で言うラケシスに、
「ま、三人もついてりゃそう簡単に盗賊にやられもしないだろ」
とレックスが笑った。
「アイラの流星剣がとべば震え上がるさ」
「…流星剣はそう安売りするものではない」
アイラが、別の馬の上でそう呟く。
「本当なら、私も一緒に行きたかったけど」
ラケシスが申し訳なさそうに言う。
「わかってる。マスターナイトの修練が大詰めなんだよね」
とアゼルが言った。
「そうなの。あの気難し屋さんがそういうときなのにとんでもないっ…て」
心底ラケシスはもったいなさそうに言った。
「小さなエスニャさんによろしくね。お式で会いましょうって」
「うん。行って来るね」
アゼルの馬の上で、ティルテュが手を振った。

 ティルテュは、そぉ、と、アゼルの肩越しにアイラを見た。ほとんど瞑目しているのかと思うほどまぶたを落として、黙々と馬を歩かせる。しかし時々、レックスに何か言われて左右を見めぐらす、その黒髪にちか、と何かが光った。
「? アイラの髪、なにかついてる?」
アゼルに小声で尋ねると
「髪飾りじゃないかなぁ。詳しいことは知らないけど、イザークの女性は、本当は、結婚したら髪を結って、飾りをつけるって聞いたけど」
「結ったら綺麗だと思うんだけどなぁ…」
ティルテュはそう呟いた。ティルテュたちとはまた違う基準の上で、アイラはとても美しかった。ティルテュの視線に気が付いたのか、アイラがふと顔をあげ、馬を寄せてきた。
「休憩にしようか?」
という声は、落ち着いて、とてもよく通った。
「ううん、まだ大丈夫」
「だがもう少ししたら休憩を取ろう。馬に揺られ続けるのもなかなかつらいからな」
ちゃりん、と髪飾りを揺らして、アイラが少し離れた。良く見ると、髪のごく表面を浅く編みこんで、そこに髪飾りを挿しているようだった。その彼女の声が
「ちがう!」
と聞こえる。
「ん?」
「ああ…レックスのいつものアレだ、冗談だよ。
 アイラ、馬には余り乗らないから、お尻痛くないかとか聞いたんじゃない?」
「なぁんだ」
あはは、とティルテュは笑った。あまり笑ったので、のけぞりそうになり、
「おっと」
アゼルの手がそれを押さえる。
「馬の上ではしゃぐと、落ちるよ」
という彼の顔は、いたって真面目だ。
「はぁい」
ティルテュが首をすくめると、少し先を行っていたレックスが馬を止めて待っていて、
「この辺でいいよな」
といった。

 「本当に、盗賊なんて、出るのかなぁ…」
木立の間が少し空いてできた空間に馬を止めて、四人は軽く休憩を取る。
 木陰は、まだ少し肌寒い。外套をかけられて、ティルテュは熱いお茶を持たされる。
「大事はないか?」
とアイラが尋ねた。
「う、うん。大丈夫」
「何事も君を最優先した計画にしてあるから、好きにわがままを言っていいとレックスが言っている。
 気兼ねなく休むといい」
「…うん」
「アイラ、やっぱり痛いんじゃないか?」
レックスが、自分の尻の辺りを叩いた。
「そんなことはない。まったく馬に乗ったことがないわけじゃないのだから」
「痛かったら素直に言えよ、宿で冷やしてやるから」
というレックスの頭を、わざと指を尖らせた拳でがつん、とアイラは殴った。
「いってー」
「こんなところで言うな!」
ぷすん、と頭から煙でもふかしたような顔で、アイラが座り込んだ。アゼルがそれをくすくすと笑ってみている。
「前なら、ああやって言われるのはアゼルだったのにね」
そうティルテュが言った。
「そうだねぇ…」
「思ったより、アイラっていい人そう」
「いい人だよ。言葉はすこし硬いけど。最初目にしたころに比べたら、ほんと、四角がまん丸になったみたいに」
「…お父様のこと、どう思ってるかな」
まだほの温かいお茶のカップに目を落として、ティルテュがぽつりと呟く。
「それを聞くのが、少し怖くて」
「それは、本人に聞かないとわからないね」
アゼルは、わざとはぐらかすようなことを言った。ティルテュはしばらく考えるような顔をして、
「ね、もう行こう」
と言った。

 その夜の宿。
「参ったなぁ」
と、外で待っている三人にレックスが言う。
「空いているのは一人部屋が二つだけだって」
「そうなんだ」
と、アゼルも少し困った顔をする。
「お前とティルテュ、俺とアイラで分けるか? もう押さえたから」
「ううん、私とアイラにして」
しかし、ティルテュがそう言い出す。二人は目を丸くする。アイラは表情を変えなかったが、多分、同じ気持ちだったかもしれない。
「だって、何があるかわからないでしょう、私。部屋を移動するより、最初から一緒のほうが、安心かなって、…思って…」
最後はもう呟くようだった。アゼルは、その彼女の言葉に、何か機微を察したのだろう。
「アイラ、ティルテュを頼むよ」
と言った。
「…わかった」
「今になって別々かよ」
レックスは余りいい顔をしなかったが、渋々といった態でそれを承知する。アゼルは、荷物の中から何かを取り出して
「じゃこれ、持ってて。使えるよね」
と渡す。魔導書のようだった。
「お守り」
「…うん」

 といっても、そもそも面識の浅い二人に会話などすぐ出るでもなく、アイラは
「寝台は君が使うといい」
といって、そばの床に座り込む。そのまま剣をとりだして、手入れを始めるようだった。
「あ」
いつか、自分を斬ろうとした剣だった。レックスが止めなかったら、これで自分は真っ二つになっていた。しかし、アイラは、特別に思い入れでもあるのか、暖炉の火にすかすように、剣を見ている。その所作が、自然で、滑らかで、美しい。
「…綺麗」
ティルテュは思わずそう言っていた。アイラがそれを流し見て
「どうした? 調子が悪いか?」
といった。
「休憩を挟んだといっても、一日馬の上は辛かったろう。横になってかまわない」
「ちがうの」
ティルテュはそれにかぶりをふって、
「剣を見ているアイラが綺麗だなって」
「…」
アイラは、それになんと答えていいのかわからないような顔をした。
「…レックスみたいなことを言うのだな」
そういいながら、剣を鞘に納めた。
「あのね、アイラ」
「何?」
「私、謝りたいの」
「謝る? 君が私に謝るようなことをしたか?」
「私じゃなくて…」
「お父上の件なら、その謝りは聞かない」
アイラはふと顔を背けるようにした。ティルテュの顔が曇る。
「え?」
「君本人がイザークに何をした? 謝るべきは、お父上の公爵だ」
「でも…」
「君は今、そんなことを考えてはいけない」
アイラが振り返る。
「贖罪は求める。しかし、フリージ公にだ。
 君は、君のからだと、生まれる命のことだけを、心配していればいい」
「…」
やっぱりはねつけられた。ティルテュはそう思った。つくねん、と、アゼルから預けられたお守り代わりの魔導書を抱えて、ティルテュは寝台にうずくまる。しかし、アイラはふ、と表情をゆるめた。黒真珠のように、瞳が淡く輝いて、
「そういえば、君に礼がまだだった」
「?」
まだおびえた感じの抜けないティルテュの隣につと座って、
「ラクチェとスカサハの洗礼用の晴れ着、君の婚礼衣装から作られたと聞いていたのを忘れていた。
 気を使わせてしまって、すまない」
ティルテュはきょとん、として、そのあと、ぶんぶん、と首を振った。
「全然、全然気にすることないから。ドレス直すときにあまった布で…余計なお世話だったら、こっちこそごめんなさい」
「いや」
アイラは唇を緩ませて
「おかげて、式の体裁がより整って、神父が君の徳をほめておられた。
 レックスは何も?」
ティルテュは、何もきいていない、と言うようにまた首を振る。
「仕方がない男だ。礼などいっておいて欲しいといったのに、全部、子供が生まれて舞い上がって忘れている」
ふふ。アイラが、今度は笑い声を出した。
「ラクチェの晴れ着はレースがことに綺麗で、これでやっと区別がつくなんて、言っていたのだよ、父親だというのに」
「あはは」
ティルテュも、つい笑いを誘われた。
「…アイラは、もう双子の区別はつくの?」
「まだ的確にではないが」
「セイレーンに帰ったら、見に行っていい?」
「もちろん」
アイラの笑みは実に穏やかだった。

 翌日、また馬に揺られる。ぼんやりと、トーヴェらしい城が木立の間に見えてきた。
「ねえアゼル」
と、ティルテュが、わたされた魔導書をじっと見ていった。
「これ…何の魔導書?」
「何って…ファイアだよ」
「え? ファイアの魔導書って、こんなに豪華だったかなぁ…
 おばあちゃまが持っていたファイアは、ただ、表紙が赤いだけだったよ」
「特注なんだ」
「特注? へぇ…」
「セイレーンにおいてある、君のトローンだって、すごい装丁してあるじゃない」
「うん。おばあちゃまの形見だもの」
「僕のそのファイアはね」
道なりに進むよう手綱をさばきながら、アゼルが言う。
「僕が魔導士になるといったときに、兄上が作ってくれたんだ。自分の弟なら、きっと立派な炎使いになる。この魔導書を限界まで鍛え上げろ…ってね」
「それで、エーディン様のことがあって、このファイアもって飛び出していったのね?
 アルヴィスさま、しばらく手がつけられなかったんだよ。歩いた後のじゅうたんが焦げてたって」
「そんなに?
 …でも、後からだけど、許してくれて、良かったと思う。
 そのファイアは、本当にお守りなんだよ。…今は君のためのね」
そういわれて、ティルテュははと顔が熱くなった。
 休憩のとき、アゼルがそのファイアの書をとって、装丁に施されている紅玉石を手で覆って、
「ほらティルテュ、みてごらん。ぼんやり光ってるだろ?」
「うん」
「僕は、この本を鍛え上げたんだよ。使い方しだいでは、エルファイアより強力になる」
そう言った。しかし、魔導書も武器も、その鍛え方は変わらない。つまり、その魔導書で奪った者の魂が、魔導書に還元されて、「鍛えられていく」のだ。
「このファイアには、命の重さが染み付いているんだね」
「そうだよ」
「頼もしいけど…少し、怖いね」
「怖いことは無いよ。この中に込められた魂は、ファラの炎で清められた魂だから」
さ、持っていて。アゼルはまた、魔導書を渡す。ぼんやりと輝く表紙の紅玉石は、触れるとなんとなく温かかった。


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