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 エスニャが、その恋人と住まうのは、トーヴェの城下町から少し離れた山を、少し上った高台にあった。
「ティルテュ姉さま!」
エスニャが飛び出してきて、ティルテュに飛びついてくる。
「だめだよエスニャ、おとなしくしてないと、体がびっくりしちゃうぞ」
「お姉様だって、お腹が」
「お医者様から太鼓判押してもらってるから、大丈夫。動けるうちに、エスニャに会いたかったんだ」
「私も、まさかお姉様がシレジアにおいでだなんて、びっくりしました」
エスニャは、ティルテュのような銀色の髪を持っていない。顔立ちはさすがに似通っていたが、
「フリージ家は多産の家系なのか?」
と、アイラが呟くように言った。
「多産…てわけでもないんだろうけど、確かにレプトール卿は子沢山の方に入るかな」
アゼルがそれに答える。
「まず一番上に、今はアルスター王妃になられた大きいエスニャ様がおられて、その下にブルーム公子、それで、あの、ティルテュと小さなエスニャ」
「俺ん家には、一応兄貴と俺しかいないことになっているが…あの親父のことだから、どこかで余計な種まきしている可能性があるな」
「ふぅん」
アイラは納得したようにうなずいた。複数の妻を持つという概念に違和感のないアイラは、その話を素直に受け入れたようだった。その三人に
「ティルテュ殿のご友人方ですか」
と声がかかった。
「お手紙をいただけるだけでも過分のお計らいのところを、まさか直接おいでくださるとは、礼のしようもありません」
聖職者らしい一礼を受けて、三人は思わず戸惑う。
「申し遅れました、私はディアンと申します。城下の教会に、癒し手として勤めています」

 一同は、山荘の様な二人の家に入る。ディアンの顔は、いささかならず戸惑っていた。面々の出自がわかったからである。
「あなたが、ティルテュさまのご夫君でしたか」
と、アゼルに頭を下げる。
「ご夫君なんて、そんなもったいぶった言い方は止めてください。もう僕たちはもともといた家を放逐されて浪々の身なのですから」
アゼルはディアンの頭を上げさせる。
「エスニャと同じです。むしろ、エスニャは自分から家を捨てて、あなたととともに覚悟してここまで来た。勇気がなければできないことです」
「もしや、エスニャを探しに来るものがあるのではないかと思って、こう人目を避けてはきましたが…お話を聞く限りは、その心配はなさそうですね」
「それぞれの親父たちにすりゃ、孫の代までご神器安泰が決まったも同然だしな、後は野となれ、ってつもりなら、俺たちもそうするまでのことさ」
レックスがそう言う。ティルテュはさっきからはしゃぎまわって、エスニャと引っ張り引っ張られるようにして、家の中を見て回っている。
「危ないなぁ」
アゼルが苦笑いをした。アイラが立ち上がって、
「二人を見ていようか?」
といったとき、
「アイラ、来て来て、かわいいよ」
と、奥でティルテュの声がした。

 「ディアン殿に似たのだねこの子は」
と、アイラが、ゆりかごの中をのぞいた。
「でも、トードのみしるしが、もう出ているのですよ」
とエスニャが言う。
「名前はなんていうの?」
「アミッド」
「へぇ…アミッド、おば様といとこがここまであなたに会いに来ましたよぉ」
ティルテュがいいながら、その頬をつつく。ほかの二人がふと笑いを漏らし、
「あ、そうそうお姉様」
と向き直った。
「贈り物、有難うございます。お姉様たちがいらっしゃったら洗礼式をしようと思って、いただいた晴れ着、まだとってあるの」
「寸法が合うかなぁ」
「もう合わせました。赤ちゃんはみんな同じような大きさだから、大丈夫でしたよ」
「そうなんだ、でも、ラクチェとスカサハには、ちょっと大きかったんだよね」
「?」
「レックスの子供の話。双子なの」
「ええ?」
エスニャが目をぱちくり、とした。
「レックス様にお子様?」
ティルテュはアイラをさして、
「こちらお母様」
「一度にお二人お産みになったんですか」
「偶然ね…」
アイラは、いきなり話をふられて、少しいいにくそうに言った。
「確かに、一人一人は小さかったが、私の体にも限界というものがある」
「大変でしたね」
「難儀は確かにしたが、何だか今はそれも遠いことみたいに思う」
エスニャがうなずく。
「そうですね、私も、もう死にそうってほどお腹痛かったのに、何だかいい思い出になりそうで」
「そういうものなの?」
納得しているような二人に、ティルテュが首をかしげると、
「そういうものなの」
アイラが混ぜ返すように言った。

 心づくしのもてなしがあって、三組の夫婦はそれぞれ、語りつかれたように床についた。
 が、アイラだけが、寝付いたと思ったら目をぱちりとあけて、外をうかがうようだった。
「どうしたアイラ…」
その気配に眠りを破られ、鬱陶しそうに言ったレックスに、アイラは
「敵意を感じる」
といった。レックスが跳ね起きて、立てかけてあった斧を取る。
「敵意?」
「セイレーンを発つ前聞いていただろう、盗賊か、山賊の類だ」
「よりによって今来るかよ」
「日を選んでなど来るものか」
アイラが目を閉じ、耳を澄ました。
「ふもとが騒がしいな…ここに明かりでもつけば、じきに気取られる」
そういいながら、荷物からしゅる、とくみ紐を取り出す。髪をあげ、紐で軽く結い、枕上においていた髪飾りで押さえる。
 ここまで物音がすれば、誰も気が付かないはずがない。アゼルが部屋の扉を叩いて、
「何かあった?」
と尋ねる。
「アゼル、魔導書か魔法剣はあるか」
「どっちも持ってるけど…」
「ふもとで盗賊が暴れている。ディアン殿を起こしてほしい、治癒が必要になるはずだ」
「わ、わかった」
アゼルの声が遠ざかる。

 全員が起きていた。
「アゼル」
と、ティルテュが、例のファイアを差し出そうとするが、アゼルはそれを押しとどめ、
「それは君が持ってて。いいね」
という。
「エスニャは、魔法は使える?」
「サンダーの書なら、おいてあります」
「それをもって、アミッドのそばにいてあげて。
 ディアン殿、少し大変だけど、治癒を」
「ライブなら、私も使えるよ」
ティルテュが言うのに
「そうだね。ライブが複数あるなら、分けてもらって、待機していて。でも、ティルテュ、前に出ちゃだめだよ」
「うん…きをつけてね」
そう言うティルテュに、アゼルは、片目を瞑っただけで答えた。

 「アゼル、この暗い中馬で駆け降りるなんて軽業、したこたないだろう」
レックスがそう言った。
「ないよ。でも、しないと」
「よくいった、着いてきな」
レックスが手綱をさばく。その音に合わせて、アゼルも、坂道を降りてゆく。ざ、と違うほうで足音がした。
「あれは」
「アイラだ。あれは足で降りたほうが速い」
「納得」
「いいかアゼル、良く聞けよ、おまえは途中で、ひきつけながら上に上がれ。俺とアイラが残りを山のほうに誘導する。
 お前の魔法で一人二人丸コゲにすれば、奴らもおとなしくなるだろう」
「そうだね」
言っている間に、ふもとに降りる。盗賊が、固く閉じられた家々の扉をこじ開けようとしていた。見張り役のたいまつの明かりをしたから受けて上空に白く漂っているのは、巡回の天馬騎士だろうか、しかし、盗賊の中には弓の姿があり、そのせいか、その射程距離に入らないようしているように見えた。
「ああいうの見てると、泣き虫フュリーちゃんも勇敢に見えるから不思議ってもんだ」
レックスが軽口を叩きながら、
「おらおらおら、そんなところにゃお宝はねぇぞ、こっちだ!」
と声を上げる。盗賊は、それを仲間の声と勘違いでもしたのか、一斉にその声の方を向いた。しかし、レックスは片頬を持ち上げて、
「嘘だよ」
という。
「邪魔するんじゃねぇ!」
飛び出てきた盗賊を、ひと斧で叩き伏せる。
「アイラ、殺すんじゃねぇぞ」
「誰に向かって物を言っている」
いつの間に隣にいたアイラは、ふわっと飛び上がって、その間に剣を持ち直した。イザークの剣は、刃が片側にしかついていない。その刃のついてないほうが盗賊たちと当たるように持ち直したのだ。
「アゼル、剣を使いながら、上にあがってゆけ」
三人に群がってくる盗賊たちを叩き伏せながら、レックスが言う。
「わ、わかった」
後ろから襲ってくる敵を剣で牽制しながら坂道を登るのは、マージナイトになりたてのアゼルには始めてづくしの経験だった。その背中は、まるで無防備に見えても仕方ないだろう、ひゅ、と矢の飛ぶ音がして、アゼルの背中に刺さる。
「うあっ」
声を上げたが、それを抜くことはおろか、泣き言を言う暇もなかった。

 とにかく、山荘まで上がってきて、まとわり着いてきた盗賊たちを剣で払い落とす。
 ざ、ざざ、と音がするのは、木立伝いに仲間が上がってくる音なのだろう。
「アゼル!」
背後にしていた山荘から声が上がる。
「背中、血がすごいよ!」
「僕のことは心配ない、それより、中に入れ!」
「できないよ、アゼルがそんなにがんばってるのに、私だけ中にいるなんてできないよ!」
ティルテュが飛び出して、アゼルの背中に刺さったままになっている矢を抜く。その傷口にライブの杖を直接押し当てて、無理やりにも傷を癒そうとする。
「だめだよティルテュ、僕から離れて!」
「離れない!」
「じゃあティルテュ、あのファイアをかして。そしたら、僕の馬を盾にしながら、後ろに下がるんだ」
「うん」
ティルテュが、ファイアを渡す。そのファイアの紅玉石は、夜の中、はっきりと輝いて見えた。
「アゼル! 大丈夫か!」
レックスの声が近づいてくる。ひきつけは成功したのか。
 いや、考えている暇はない。アゼルはファイアの本を開いた。

 ふう、と息を吸い、ふう、と息をはく。
「ファラ、焔の女帝、紅玉の竜…」
ファイアの本が赤く輝き、宙に浮く。アゼルは指でファラの聖痕を空に描いた。
「我御身が裔にして、御身が騎士にならんとするものなり…
 嘉せよ、御身が業なす我に、祝福と、力を…」
ファイアの本の輝きが増し、ゆらゆらと何かが立ち上る。ファイアの輝きが、あっけにとられてそのさまを見ている盗賊たちを照らし、熱気が、その風景をゆがめる。
「アイラ、レックス、僕の正面に立たないで!」
そうアゼルが言う。それから、また詠唱に入る。ファイアの本から、赤い輝きが切り離されて、
「炎の竜、その勲は、灼熱の炎となりて前なるものを焼き尽くさん…」
その詠唱が進むとともに、大きさを増してゆく。
「う、うあ…」
本能的に危機を察した盗賊が逃げ腰になる。アゼルは、その盗賊たちをゆっくりとにらむ。ファイアの輝きが瞳に移り、あたかも、神器を扱うもののそれのように、真紅に輝く。
「清浄なる炎よ、我が意のままとなれ!
 邪なる者…滅せよ!」

 炎の玉が、周りの空気を巻き込みながら、盗賊の真ん中に落ちる。あらゆるものの燃え尽きる音と、盗賊の断末魔、逃げ惑う悲鳴が収まると、夏のシレジアの夜明けが山合から忍び入ってきて、その惨状をてらした。
 ファイアの本は、ぱさり、と、アゼルの手に落ちてきた。開かれたページに書かれてあったファラの聖痕が、ふっと消えて、そのページに込められた魔力がなくなったことをおしえてくれる。
「アゼル…」
かちかちと、歯の根の合わないティルテュを、アゼルは下馬してそっと抱き寄せた。
「言ったろう? 僕のファイアは、特別なんだよって」

 アミッドの洗礼式に立会い、さらに数日をその山荘で過ごした一行は、今度はエスニャたちをつれて、帰りの道につくことになる。
「また魔力を入れておかないとなぁ…」
魔力の消えたページをつくづくと眺めて、アゼルが呟いた。
「で、でもアゼル…あのファイア、すごかったよ…」
馬上で、ファイアとはいえみたことのないアゼルの全力詠唱を目の当たりにしたティルテュは、まだおどおどとしていた。アゼルは、極上の赤を日に透かしたような色の瞳を今度は柔らかく細めて
「ただの全力詠唱じゃないよ。君がそばにいた。君の魔力と一緒に放ったファイアなんだ、威力も相当あったとおもうよ。普通の倍…それ以上あったんじゃないかなぁ」
「あ、あのねアゼル」
「何?」
「たとえば、私とアゼルが何かのことで喧嘩したときとか…そのファイアは、使うのはなしね」
すがってくるティルテュの下からの視線に、アゼルは一瞬きょとん、として、「はは」と短く笑った。
「使わないよ。喧嘩のたびに魔力を入れなおしてもらうなんて、不経済この上ないじゃないか」
「うん…」
「それに、僕には、君と喧嘩する理由は、今のところはないな」
「今のところは…って」
「ティルテュも、あんまり怒ると、お腹に悪いよ。
 君は昔から、怒ると魔力が暴走して手がつけられなくなっちゃうじゃないか。子供にまでそれが移っちゃう」
「ん、もうっ
人が真面目に心配しているのにっ!」
ティルテュが、アゼルの胸板をぽかぽかぽかっと叩く。そのあと、
「あ」
と目じりを染めた。
「ん?」
「アゼル…体、硬くなったね」
「マージナイトは剣も使えないといけないんだから、当然の成り行きだよ。
 ラケシス姫の教練は厳しかったよ、『そんな腕で私から一本とるには、まだまだ早くてよっ』って、あれはある意味怒ったティルテュより怖かったな…」
アゼルは、本を閉じて、またティルテュに持たせた。
「全部、君を守るために。君だけじゃないね、新しい家族も、丸ごと守れるように」
「うん」
いつのまにか、二人が乗る馬の歩みは遅くなっていたのだろう。先のほうから、
「そこ、ちんたら歩くな、いつまでたってもセイレーンに戻れねぇぞ!
 ラクチェが俺の顔忘れてたら、お前らの責任だからなっ」
そんなレックスの声が響いてきた。二人はそれを聞いて
「急ごうか」
「うん」
「いやでも、急いで馬が揺れたら君の体が心配だな、僕たちが着くまで、待っててもらおうか」
「それもいいね」
あくまでもゆっくり、馬にゆられていくことにした。

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