back


焔の騎士に祝福を


 セイレーンの聖堂に、何人かの人影があった。
 祭壇の前に、豪華に仕立て上げられた大司教の法服を着け、バルキリーの聖杖を携えたクロードがいる。
 騎士叙勲の式典のさなかだった。
 しかし、ただの騎士ではない。クロードの…ひいては聖印の…前にひざまずくその姿には、暗闇の中のおき火のような穏やかな赤の光沢の髪があり、その瞳は、極上の赤を日に透かしたような落ち着いた光を宿している。
 胸には、今しがたつけられた徽章が輝く。どの騎士の徽章にも似ないその意匠は、素養あってはじめて認められる魔法を操る騎士…マージナイトのものだった。

 式典を終え、出てきたアゼルに
「おめでとう!」
と最初に飛びついたのは、誰でもない、ティルテュだった。飛びついた拍子に、徽章に銀色の髪が絡みついて
「あいたたた」
と声を上げるティルテュに、アゼルは髪を解きながら
「まったく、君ははびっくり箱なんだから」
という。しかしその顔はあくまで穏やかだ。
「でも、だって、一番最初に『おめでとう』って言うの、待ってたんだよ」
角口をするティルテュの頭を、まるで子供にするように撫でた後、
「ありがとう。
 でも、まだ寒いだろ。部屋に入ってなよ。長い話は後で聞く」
「どうして?」
「僕一人の力でマージナイトになれたわけじゃない。
 助けてくれたり、教えてくれたりした人に、お礼を言って回らないといけないし」
「そっか、そうだよね」
ティルテュはいつもなら「そんなの後でもいいから」と駄々をこねたりするものだが、今度ばかりは何か思うところでもあるのか、すんなりと、中に入っていく。
 暦の上では春といっても、まだシレジアは真冬にも思える寒さだった。

 「プレゼントがあるんだよ」
挨拶を終えて帰ってきたアゼルに、ティルテュは、少しはにかみながら言った。この城に入った当初は別々だった二人の部屋は、結局、アゼルの部屋にティルテュが移動して、その仲が周知されることになった。式も、暖かくなればすぐ挙げられるよう、準備が進められている。
 とにかく、ティルテュの言葉を、アゼルは怪訝そうに鸚鵡返しにする。
「プレゼント?」
「うん」
「用意していてくれたんだ?」
「んー…用意していたというか、偶然プレゼントになっちゃったって言うか」
まだはにかむような顔のティルテュの隣に座ると、彼女はアゼルに耳を貸せと言うように指で招く。
 耳打ちをされて、アゼルは座っている椅子から転げ落ちそうになった。いや実際に転げ落ちた。
「こ、こ、子供!?」
「…うん」
はにかむようだったティルテュの顔は、今はもう耳まで赤くなっている。
「…アゼルさ、突然、すごく…上手になっちゃったでしょ…」
何が上手になったのかは、いまさらここで述べ立てることではないが…
「私も夢中になっちゃって…そしたら…いつのまにか…来るものがこなくなってて…」
転げ落ちたところにぺたりと座り込んで、
「本当に、本当?」
アゼルの方が子供のように尋ねる。
「何度も言わないよ。本当よ」
唖然、というアゼルの顔に、目じりを染めながらティルテュが答える。腰でも抜けたのか、立ち上がろうとしないアゼルの前に、ティルテュも座り込んで、
「今度の冬ぐらいだって」
と、付け加えるように言う。そのあと、アゼルの顔をじっと見て、
「喜んでくれないの?」
そう、上目遣いに言った。
「嬉しいよ。でも、まだ、実感がないんだ。君の、その」
まだ何の変化のない体をちらり見て
「おなかの中に、…僕の? まあ、半分は、君の、だけど」
「間違いないよ。お父様はアゼルだよ。 だって、私、…神父様について、みんなと一緒になったときから、アゼルとしか、そういうことしてないもん」
そういうこと、に心当たりがありすぎて、アゼルはもう何もいえなかった。
「今日はなんだか、ものすごい日だ。
 今まで、ただのアゼルだったのが、嘘みたいに思えてきた」
「アゼルはアルヴィス様のおまけじゃないよ。ずっと前から、そうだよ」
これから二人で、がんばろね。そういうティルテュを、ゆるゆると手繰り寄せて、しまいには、アゼルは彼女の体をきゅう、と抱きしめる。力加減は、恐る恐る、といった態だ。何とならば、今の感激をそのままあらわすように強く抱きしめたりしたら、彼女の体に悪そうだから。
「いっぱい、みんなから注意を受けているんだろ?」
「うん」
「まだ寒いから、冷やしちゃいけないとか、好き嫌いしないで食べろとか」
「…うん。
 ほんとはね、横になっていたほうがいいって言われてるの」
「そんなに悪いの?」
思わずティルテュの顔をみたアゼルだったが、ディルテュはさして心配そうな顔をせず、
「ううん。何かあったらいけないからって。
 エーディン様なんか、『いつもみたいにはしゃぎまわって、転んだり滑ったりしたら、コトですからね』ですって」
「なんだ。念のため、か」
やっとアゼルの顔が緩んだ。それからひしひしと、何かの感慨が沸いてきたものか、
「次の冬かぁ…」
ため息のように彼は言う。
「遠いけど、きっとすぐだよ」
そういうティルテュの体が、急にくっと持ち上げられる。
「きゃ」
思わずアゼルの首に、ティルテュがしがみつく。
「…アゼル」
「ん?」
「いつからこんなこと、できるようになったの?」
「マージナイトになるのは、並大抵のことじゃないんだよ」
ベッドまで運んであげる。歩きながら、アゼルは、恋人からじきに妻になるだろうひとの頬に、ついと唇を寄せた。

 それから何週間もたつこともなく、ティルテュは懐妊最初の関門に苦しむことになった。
 「…もしかして」
と、寝台の中で、ティルテュがうめくように言う。
「暖かくなるの待ってたら、用意してたドレス着られない?」
「さあ、おなかにもよるんじゃない?」
見舞いに来たラケシスが、他人事のように言った。
「あと、仕立て次第じゃないかしら」
「たぶん、ビスチェ着ないと着られないようにした記憶が…」
「じゃあ、無理ね」
ラケシスがあっさり言って、「お茶飲む?」と尋ねた。
「…薄めで、レモンいっぱい」
「はいはい」
そんなときにこつこつ、とドアがノックされる。
「ティルテュ、入っていいかな」
「自分の部屋なんだから断らなくっていいのに」
「うん、それが、一人じゃないから」
「誰?」
「緊張しなくていい人だけど」
「…どうぞ」
その声に、アゼルが入ってくる、その後ろは
「なぁんだ、レックスじゃない」
「なぁんだ、はご挨拶だな」
レックスはそういいながら、ラケシスが運んできた椅子に
「あ、すみませんね」
と言いながら座る。ティルテュは
「私の心配しにきたの? アイラの方がもっと心配なんじゃないの?」
と言う。ティルテュが挙げるだろう式のころと言われているはずなのが、もうアイラは寝台で身動きできないほどのお腹を抱えていると、ティルテュも聞いているからだ。
「奴が余り余裕綽々なんでこっちの方が拍子抜けしてるよ」
レックスは肩をすくめた。
「それに、バーハラで不肖の親族扱いされてた三人がここに集まって、古傷なめあうのも、たまには悪くないじゃん」
「レックス、それ、全然慰めになってないね」
アゼルが苦笑いをした。
「しかし、ティルテュが人の親ねぇ…生まれて、ちゃんと育てられる自信、あるのか?」
「その言葉、そっくりレックスに返すわよ」
ただでさえ気分が悪いんだから、もっと気分の悪くなるようなこと言わないで。注文どおりの、薄めでレモンたっぷりの紅茶を飲みながら、ティルテュは角口で言い返す。
「アゼルが手伝ってくれるもん、心配なんかしてないよ」
「え」
突然話を振られて、アゼルが顔を上げる。
「ぼ、僕に期待されたって無理だよ、それに、乳母がつくはずだし」
「えぇ? 全部丸投げするつもりなのぉ?」
そんな会話がされている間に、また部屋の戸が叩かれる。今度は、寝室への扉ではなく、部屋そのものへの出入り口の方だ。
 貴婦人の得意技である「聞いて聞かぬフリ」を、三人の脇で決め込んでいたラケシスが、話の邪魔をしないようにす、と席をたつ。
「何か用?」
部屋の前のメイドに尋ねる。
「今ティルテュはお客様があって出られないの」
「では、このお手紙をお渡しくださるよう、お願いいたします」
メイドは、ラケシスの前に、封筒をひとつ差し出した。
「わかったわ」
部屋の戸を閉じ、もとに戻ったラケシスは、三人に、
「お話のところ悪いけど」
といった。
「ティルテュにお手紙よ」
「ティルテュに?」
「私に?」
三人が頓狂な声を上げる。本国からの手紙など望むべくもないこの状況で、一体誰が。
 渡されたティルテュは、差出の名を見た。その顔が変わる。
「…エスニャ?」

 エスニャって誰? という素朴なラケシスの問いに、
「私の妹」
と、ティルテュはこれも素朴に返した。
「でもなんで、エスニャから手紙なんか…」
アゼルが首をひねる。レックスもしかりだ。
「彼女、バーハラにあるフリージ家の屋敷にいるんじゃなかったけ?」
というレックスに、ティルテュは
「うん、今はちょっと説明できない。とにかく手紙読まないと」
とこたえ、封筒を開く。豪華ではないが、質素でもない紙だ。指でたどるように、読んでいたティルテュが、
「やっぱり…あの子…シレジアに来てたんだ…」
と、感慨深く言った。
「シレジアに来てた…って、セイレーンにはいないよな」
レックスが怪訝な声を上げ、アゼルがうなずく。ラケシスが
「妹さんは、別の道を使って、シレジアに入ったわけ?」
と尋ねると、ティルテュは、
「うん、それがね…私が神父様についてアグストリアに行く前に、あの子、駆け落ちしたんだ」
といった。
「駆け落ちぃ!?」
聞いていた三人の声が思わずハモる。
「駆け落ちって、あの、よく、物語に出てくる、結ばれたくても結ばれぬ二人は手に手をとって…って、あれ?」
ラケシスが言葉を継ぐと、
「そう。
 あの子、前から、お父様が宮廷で権力争いしている様子を聞いたり見たりして育ってて…そういうのがキライな子になっちゃったんだ。
 大きいエスニャ姉さまが、アルスターにお嫁に行ってしまって、お屋敷でひとりぼっちだったんじゃないかな」
私はおばあちゃまのところで育ったから、手紙でしか知らないけど、とティルテュは前置きする。
「シレジア生まれの神学生と、良く話をしていたらしいの。できるならこの人のところにお嫁に行きたいけど、大きいエスニャ姉さまみたいに、自分もどこかに嫁がされるだろうって言ってたのが…
 恋した女の子は誰よりも強いって、本当ね。その神学生がシレジアに帰ることになって、一緒についていっちゃったんだ」
「へーぇ、あの小さなエスニャがそんなことできるようになってたなんてなぁ」
レックスが感心の声をあげる。アゼルが
「で、彼女は今どこにいるって? 手紙にあるんだろ?」
とその先を促すと
「うん。ここから北東…だったっけ。トーヴェって町があったでしょ?
 例の彼が、そこでヒーラーの仕事をしているのを手伝ってるって。
 それでね… アイラとほとんど変わらないぐらいに、子供が生まれるって」
ヒーラーというのは、治癒(ライブ)の仕事を主に行う職である。おそらく、町の闘技場専属の治癒術師や、町の医師みたいなことをしているのだろう。
「それで、セイレーンにグランベルから流れてきた人が住み始めたって言ううわさが聞こえたから、もしかしたら私がいないかって、手紙をくれたんだって」
「手紙が空振りにならなくて良かったわね」
ラケシスがしみじみといって、
「…呼ぶのでしょ、その小さなエスニャさん」
「ん?」
「ドレスが無駄にならないうちに、式挙げないと、もったいないじゃない」
「あ、そっか」
アゼルが声を上げる。
「ティルテュ、エスニャも呼ぼうよ。お互い、いる場所もわかったんだし」
「そうだな。呼んだら面白いかもな、バーハラの宮廷で見た顔も多かろうし、みんなもエスニャ見たらびっくりすると思う」
レックスも、いやそうな雰囲気ではなさそうだった。
「そうだね…でも」
「でも?」
「ドレスは、仕立て直ししても、いいかな」
ティルテュにしては後ろ向きないい口に、三人は首をかしげる。
「エスニャに子供が生まれるの、待ってもいいかなと思うんだ。そのころには、私も落ち着くと思うし…
 今あのドレス着るのにビスチェでお腹や胸を締められると思うと…」
ティルテュはげんなりとした顔をすぐにころりと笑顔にして、
「それでいいよね、ね」
ね、といわれて、反対できる男たちではない。式はティルテュが主人公なのだから。
「じゃあ、このドレスどうしましょうね」
とラケシスが言う。部屋にはもう着るばかりのドレスが、トルソーにかけられておいてある。ティルテュがいらないならもらって着ちゃうわよ、とでも言いたそうな顔だ。
「うーん…」
ティルテュは少し悩んで
「そうだ!」
なにやら、ひらめいた顔をした。

next
home