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 「ちょっとまて、そこまでは私は計画はしなかったぞ、確かに、休暇を残しているエルトをノディオンから連れ出そうと言い出したのは私だが」
とシグルドが言うのに、キュアンは
「シアルフィじゃあ、お前がしんねりむっつりの腐れ縁と縁が切れないじゃないか」
といい、
「俺たち三人は、シアルフィから先は身分を隠し、レンスターから遣わされてきた側近、アレン伯クールの領地で残りの休暇を過ごすことにする」
お前にも異存はないよな。キュアンに確認されて、側近は
「キュアン様はやると言ったら必ずされますからね、断れませんよ」
と、肩をすくめた。
「シグルドもそのつもりで、シアルフィで旅装を調えるんだ」
「ああ、しかし」
シグルドはエスリンをさす。エスリンは、自分も連れて行ってもらえると思っているように、瞳をきらきらさせてキュアンの言葉を待っているようだった。キュアンは
「忘れてた」
と小声で言って、
「エスリン、残念だけど、今回は君はシアルフィにちゃんと帰ってもらえないかな」
「ええーっ」
エスリンは案の定、拒否の声を上げる。
「その代わり、来年は、君だけ正式にレンスターに呼ぶよ。式は挙げられないけど、お披露目しないといけないから」
エスリンは「ううう」と未来の貴婦人らしからぬ唸り声を上げて、
「絶対ですよ、来年、絶対ですからね」
と言った。

 「エスリン嬢と俺を交換すればよかったのに」
シアルフィからメルゲンに向かう船の上で、エルトが言う。
「交換?何故」
キュアンは一度怪訝な声を上げたが、
「ああ、グラーニェのことがあったか」
といった。
「心配するな。俺たちがクールのところにいくのは、レンスターにいる父上母上には内緒だ。
 グラーニェもわからないよ」
「内密に頼む」
「ああ、クールがうまくもみ消してくれるよ。
なぁ、クール」
側近クールは
「努力はいたしますが」
と言う。
「お前のことだ、失敗しないって信じてるよ」
「もったいない言葉です」
エルトは、その、キュアンが全幅の信頼を預けている側近の顔を見た。視線に気が付き、彼は尋ねる。
「いかがされました、殿下」
エルトは、純粋に興味から、側近クールの目を見ていたのだ。
「碧眼は見慣れているが…卿ほど青いのは見たことがない」
「先祖からの受け継ぎですよ、こんな顔でもご帰国の後の座興になれば幸いです」
側近クールはなんでもないように答え、やがて見えてくるメルゲンの港を見た。
「シグルド、メルゲンに着いたぞ、そろそろ起きろ」
キュアンが、船室の奥のほうに向かって声を上げた。
「残念だな、シグルドはこの風景を見られなくて」
エルトは、珍しく頬を緩ませて、船酔いで千鳥足のシグルドの肩を、キュアンと一緒に支えた。

 メルゲンからアルスターを経由し、馬で走ってしまえば、レンスターの手前になる側近クールの住む町にはその日の夕暮れには着いた。
「ご無事でお戻りで、ご領主様」
と、領主館の執事が出迎える。しかし側近クールは左右を見めぐらし、
「ムーナはどうした」
「はい、レーナ様がいよいよご出産とかで…そちらの方に。一段落つけば戻りましょう」
「そうか」
しかし、執事は、領主の後ろにいる顔に諸膝をもつけかねない勢いである。クールの後ろには、王太子キュアンの顔があったからだ。
「だ、誰か、王宮に使者を」
「その必要はない。
 他の二人のご素性は明かせないが、殿下のご友人、その殿下が以前のように、市井の暮らしをご覧になりたいとおっしゃっておられる。
 そのつもりで」
「か、かしこまりました」
平伏してその場を去る執事の背中を見て、
「クール卿」
エルトがつい言った。
「やはり、こないほうがよろしかったか?」
「そんなことはありませんよ」
クールは何でも無いようにいい、
「いつもお使いのお部屋に比べたら本当に質素なものですが…お部屋にご案内しましょう」

 ムーナと呼ばれたクールの妻が戻ってきたのは、三人が領主館で最初の夜をすごし、明けた昼間のことだった。
 夫から事の次第を洗いざらい説明されて、ムーナは「わかりました」と一言でまとめ、
「また、お小さいころみたいにキュアン様のお世話ができるなんて、うれしいですわ」
といった。
「レーナはどうした?」
「妹なら朝方に双子の男の子を…今のところは心配ないようでしたので、それで戻ってまいりました」
そう言う夫婦の何気ない会話を、ハタで聞きながら、
「いいなあ、こういう雰囲気」
シグルドがうっとりといった。エルトが
「気味悪い顔をするな」
と眉を寄せる。
「しかし、お前が夫人のような方が好みとは思わなかった」
「『運命』が天から落ちてくるのは一体いつの話になるものやら」
友人二人が苦笑いをする。シグルドはそれを見咎めて
「想像するのは自由だろ」
と、あさっての方を向いた。
「好みとかの問題じゃなくて、雰囲気だ、雰囲気」
「つまりシグルド、お前はあのご夫妻のように、琴瑟相和するような夫婦になれる女性ならいいと、そう言うわけだろう」
「わかってくれればそれでいい」
「夢が描けるのはいいな」
と、エルトが言う。
「キュアンはそれとして、俺はもうそんなことを考える隙間もない」
「気が進まないのもわかるが」
それに今度はキュアンが眉を寄せる。
「グラーニェは、ノディオンにいける日を待ち続けているんだぞ?」
「わかってる」
エルトはそれ以上、話をしたくなさそうだった。シグルドは、なんとなく気まずくなった二人に発破をかけるように、
「座ってないで、何かしないか?
 キュアン、この町のこと知ってるなら、少し案内でもして欲しいんだが」
という。二人は我に返り、
「そうだな、少し、町を歩くか」
そうして、町に繰り出すことになった。

 町に出て、広場の商店の冷やかしをし、いよいよ暑くなってきたころあいに、領主館に近い川に、着のままで飛び込む。
 一見すれば、王宮づとめの若い兵士が短い休みをもらって遊びまわっているようにしか見えない。しかし、良く見れば、それぞれの体には、まるで刺青でも刺したような神器の聖痕があり、それが何かわかっているものがいたら、ゆくゆくの神器継承者が供も見張りもなくどうしたご乱行かと目をむく向きもあっただろう。
 一足先に川から上がったシグルドが、シャツの水気を絞りながら
「あれ、城だ」
という。
「ここから見えるなら、レンスター城だな」
川にぼんやりと浮かびながらキュアンが言う。
「まさか、息子がこんな指呼の間にまで帰ってきているとは、ご両親が知ったら驚かれるな」
「士官学校を出たら、おちおちこんなこともできなくなるからな。シグルドとエルトは住まいが近いからちょくちょく会いもできるだろうが、私はここで半島の南を監視しなければならない」
エルトが混ぜ返しでもなく言うのに、キュアンは真面目に返す。
「実のところ、少し怖い」
「怖い?」
「今は父上が持つ地槍には、代々の継承者に、その生涯の中で一度、大きな悲劇をもたらすと言われている」
「ゲイボルグのさだめ、か」
「…ああ」
キュアンも川から上がって、川岸の木陰にごろりと寝た。
「それが何だろうと思う。もしかして、エスリンを失うことだったらどうしようと、一年これでも悩んだ」
「悩まれるほどとは、エスリン嬢は幸せ者だな」
なあ兄上。エルトに話をむけられて、シグルドは
「継承もしてないうちから悩むなよ。それにエスリンは、自分がさだめをもたらす人間だとわかっていても、きっとここに来るよ、そう言う子だ。私以上の一本気だからな」
という。
「大体、キュアンもエルトも、くだら…なくはないか、先々を見すぎだ」
シグルドはもう一度水の中に飛び込む。
「私ぐらい楽天的なほうが、楽しいぞ」
「俺も、お前ほどの単細胞になれればな」
エルトが苦笑いをすると、急に、その影が川の淵から消える。
「わぶっ」
「単細胞で結構」
ぶく、と浮き上がってきたエルトの仏頂面に、シグルドは底抜けの笑い顔をした。
 と、
「キュアン様、お友達の方」
件のムーナ夫人の声がする。
「あらあらあら、お三人ともずぶぬれで。
 お屋敷にお戻りくださいな、夕方になると冷えますわよ」
「わっかりましたぁ」
シグルドが朗らかに返事をする。ムーナ夫人はそれにくす、と笑いを催されたようで、
「さ、お屋敷でお兄様方をお待ちしましょうね」
と、自分の足元に向かって声をかけ、元来たらしい道を戻っていった。


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