今年の冬は暖かく、雨が多かった。きっと、この年も豊作になるだろう。
ムーナの暮らしぶりも相変わらずだった。最も、マージの実務教練は、一度行ったら、一日は昏睡するようになったが。
何度目かの昏睡からさめて、ムーナはふうっ、と、身が軽くなるのを感じた。
体に、そのときが近づいているのを、ムーナは悟ったのだ。
春の花の話が王宮でも多くなる頃。ムーナは王宮を退出するときに
「王妃様に特別にお願いが」
と言った。
「あら、ムーナが珍しく私にお願い、ですか」
「これを、フィンに渡していただきたいのです」
封筒をひとつ、うやうやしく差し出すのをアルフィオナは
「まあ、息子に出す手紙に、大仰なこと」
と言った。しかし、すぐ眉を曇らせて、
「王宮に流れているうわさ、本当ですか?」
尋ねる。
「『片目のエド』を新しいアレン伯、ひいてはあなたの新しい伴侶にするなんて。
クールのことはもう忘れてしまったの?」
ムーナは、笑みを崩さぬまま小さくかぶりを振って、
「彼のことは忘れません。だから、私はフィンにその手紙をお願いしたいのです。
今は、彼には難しいことが多くかかれています。書かれていることが、すべてわかったとき、あの子は立派に成長し、王妃様、ひいてはレンスターを守る随一の騎士となっていることでしょう」
そう言った。
「私は新しいアレン伯にしだがいます。王宮に上がることもなくなりましょう。
王妃様、どうかご健勝で、行く末長くあられますよう」
そして、深々と膝を折り、アルフィオナの前を下がっていった。
もう、王宮の前にまで迎えに来るほどになっていたエドに、ムーナは、
「今夜、中庭にある、私のお部屋から入ってきてくださいますか?」
といった。
まさに、夜陰に乗じて、という言葉の通りだった。
「迷わずたどりつけまして?」
というムーナに、エドは
「あんたにしちゃ、面白い遊びを思いついたものだな」
と、薄暗がりの中にやりとする。
「てっきりクールに操立てして、肘鉄食らうかも知れないかと思ってたぜ」
「夫となるひとには従うものと、私は心がけておりますの。
どうせ式やお披露目など、後からついて回るもの」
ムーナの、その薄明かりの中の嫣然とした顔に、エドはにやりと笑った。
ムーナの上で、エドがうごめく。
「クールの奴…こんないい女一人にして…さっさといっちまうなんざ、運がないね」
そんな声が聞こえる。ムーナがエドの口に指をあてて
「その話は…」
という。
「何だか私、悲しくなってしまって」
「なぁに、じきにに頭からすっぱり消えてなくなるさ」
「…」
触るほどに粟粒立つ肌を、エドは、守り抜いた貞操を捨てる覚悟に震えているものと勘違いでもしていたろうか。
ムーナは、身をよじり、枕に手をかけた。
「いいねえ、そう言う姿」
エドがくつくつと笑う。ムーナが、その体を、誘うように手を差し伸べた。
「ああ、くれてやるよ」
そういって、エドが一層体を深く合わせようとしたとき、
「…」
ムーナがうわごとのように、何かを呟いた。しかし、エドには聞こえなかった。
「ヘイム…砦の勇者の中にありて、最も尊き、黄金の竜の御遣い…御身の業なす我に…我に祝福と、力を…
黄金の竜、その勲は、闇に引導を渡す閃光となりて、前なるものを滅ぼさん…清浄なる光、その魂を正義の天秤へといざなえ…
邪なる者…滅せよ…」
枕の下にしたオーラのページに指をかけ、ムーナは小さく、オーラの呪文を唱えた。
汗が滲むエドの背中に、ヘイムの印を描き、間もなくそれは、呪文の通りの閃光になって、部屋を真白に包んだ。
翌日。
朝の身支度のために、入ってきたメイドが見たものは、機能していない片目が確認できなければ「片目のエド」とは思えないほどに変わり果てた姿と、寝台の上で、衣装をあられなくくつろげて、昏睡するような表情で横たわるムーナの姿があった。
婚礼のために用意されていた花たちは、すべて、ムーナの葬礼のために使われた。
オーラの書に挟まれていた遺書には、クールと同じ丘に葬って欲しいことと、同じ樹を植えて欲しいことと、この地に嫁いで、今は一族の未来になる双子の母となっている妹リーナを、決して責めないでほしいと、それだけ書いてあった。
<フィン。
白く美しい雪の降る日に、私達が天から授かった大切な宝物。
あなたを、大きくなるまで見守って上げられない私を、どうか許して。
あなたに幸せがありますように。
クールのような、立派な騎士となれるように。
いえ、騎士にならなくてもいいのです。
クールがあなたにくれた、その美しい青い目を、心からいとしんでくれる方を見つけて、きっと、きっと、幸せになりなさい。
アレンの丘にある樹、それが私達ですから…>
†
「魔力が命と引き換えなんて…」
話をすべて聞き終えて、ラケシスは涙をせきかねているようだった。
最初、『あの樹はどうなっているの?』と彼女が尋ねてから、もう十数年の年月がたっていた。
あの時ラケシスが拾った木の実たちは、庭師の丹精で若木となり、領主館の庭や、教会の庭、広場に植えられて、大切に守られているという。
「また、おいでになりますか、あの樹のところに」
フィンがそう言うと、ラケシスはすすり上げながら、頷いた。
最初見たときは、まだ二本だと見分けられた樹は、もう根と幹が複雑に絡み合って、よくよく見ても、それが二本であるとは見分けられないほどになっていた。その根元には、落とされた木の実が自然と芽を出して、新しい若木となっている。
「連理、というそうですよ」
フィンが、はるか上になった梢を見あげ言った。
「れんり?」
「はい、こうして、二つの樹が、まるで一本の樹のように同化することを、そう言うのだそうです」
「クール様とムーナ様…お二人の心と同じなのね」
「はい。
父母なくして、私という木の実は落ちなかった。
そして、連理の誓いを、破らねばならなかった母は、自らに、最期の魔力をぶつけたのです」
何気なく眠っていた寝台に、そんな話が隠されていることもわからず、ラケシスはまたほろりと涙を落とし、その樹の根元につと膝を着いた。
「お父様お母様、命がけで守られた芽は立派な樹になりました。その影で、私はいま、安らいでいます。
これからも、私たちを見守ってください…」
夏に近い、さすような日差しも、その連理の樹の、何枚となく重なる葉が柔らかいスクリーンのようにすかして、地上に届けてくれる。
光の照らされる町を丘から望むと、「二人」の子供たちの小さな緑の影がいくつも見えた。
と、
「父上!」
「お母様!」
と、馬の止まる音がした。
「どうした二人とも」
「いえ、道の脇にお二人の馬が止まっていたので…
休憩ですか?」
「ええ、涼んでいたところよ」
ラケシスは、涙をおさえて、自らの落とした木の実たちにそう言った。
「デルムッド、ナンナ、あがってらっしゃい、お父様がいい話を聞かせてくださるわよ」
連理行 をはり
|