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 女性の魔力は、処女性に左右される部分があるという。
 たいがいは、まったく影響がないのだが、まれに、その処女性と引き換えに、その魔力が変質することがあり、ムーナはそのまれな例にあたっていた。
 アレンの屋敷に帰ると、ムーナは真っ直ぐ部屋に戻り、泥のように眠る。
 クールと結ばれてすぐ、彼女に出会った同僚は、
「あなたはあまり、魔法をつかってはいけない体になってしまったようね」
と言った。
「どういうこと?」
「あなたの魔力が、とても不安定に感じるの」
できれば、軍のセイジの職を辞して、宮廷の夫人に立ち混じる暮らしをはじめたほうがいい。同僚のそんな言葉を、ムーナはかぶりを振って拒んだ。一人のマージを育て上げるのは時間のかかることだし、何より、クール一人を戦場に送り出すようなことを、ムーナは望んでいなかったからだ。
 しかし、この話はしなければいけない。
 トラキアの襲撃の少ない期間に、彼女をアレンに迎え入れられるよう準備を進めているというクールに会い、率直に、自分の体の変化を伝えた。
「では、君を軍にそのままい続けさせることは、私にはできないな」
クールはそう言った。
「その不安定な魔力の中身がどんなものか、私にはわからない。
 しかし、君をそう言う体にしてしまったのは私だ。魔法と引き換えに、君の命が危なくなるようなことになっていたら、私は後悔を何度してもしきれない」
クールの深い青の目が、鈍く輝く。彼女のことは、知っているつもりだった。自分がいくらとめても、彼女は聞き入れないだろう。案の定、
「いえ、私はこのまま、軍にとどまります」
ムーナはそう言った。
「あなたをひとり戦場に見送って、何かあったら、…私」
「ムーナ…」
「私の魔力が変化したことより、あなたを失うほうが、私は怖い」
予想通りの返答が帰ってきて、クールは少し笑うように唇を緩めた。
「どう魔力が不安定になったのか、その中身はわかるのかい?」
「…いえ。ただ、まったく消え去っていないことは確かです。魔導書も杖も、今は普通に扱うことができます」
「君が望むまま、軍にいられる程度の、軽い変化なら、いいのだけどね」
クールは言って、人が回りにいない人を軽く確認してから、ムーナの肩を自分に寄せた。
「準備は、順調に進んでいるよ。じきにおわるだろう」
「…はい」
「魔力が消えても、私の心は変わらない」
「…はい」

 そう言う思い出話を夢に見て、目を覚ましたムーナは、ふう、と深呼吸して体を伸ばした。
 その魔力の変化を、ムーナは今になって感じ始めている。
「…私の命は、魔力と引き換え」
魔導書と杖を使うことは、確実に、彼女の命を縮め始めていた。疲労は、その表向きの症状で、その疲労が取れたとき、彼女の命は、何日か、何年か、それはわからないが、確実に縮まっている。
「神様どうか」
起き上がった寝台の上で、ムーナは聖印をきり、手を合わせた。
「…フィンが無事成長し、この領地のあとを継ぐその日を、この目で見届けられるまで、私を生かしてくださいまし」

 その年の、アレンの収穫祭は、十分な水と日差しのおかげで豊作だったせいか、いつもより賑々しく行われていた。
 クールは、例によって城詰めで今は領地にいない。周りの人々の、浮かれ騒ぎや挨拶を、笑顔で見ながら、ムーナは、フィンとひとつ馬に乗り合わせ、町の中をゆく。
 町を見下ろせる小さな丘に馬を止め、ムーナはフィンを馬からおろす。
「御覧なさい」
と、彼女は、小さく歓喜の声響く町を、息子に見せた。
「このアレンの町を、もっと豊かに、もっと幸せにするのが、あなたの務めです」
「はい」
「この夏に、おいでくださいましたね、キュアン王子様。
 あなたは、あの方がこの国に戻られたときには、あの方にお仕えするのです。
 この収穫祭が終わったころに、王宮に行けるよう、お願いをしていますからね」
「はい」
数歳のフィンは、クールから継いだ深い青い目で、町を見下ろしている。
「キュアン様の下で立派に騎士となり、殿下と、この町と、ついてはレンスターを守るのですよ。わかりますね」
「はい」
息子に魔力の素質のないことは、早くからムーナは気が付いていた。だから、父と同じ道がこの息子にはふさわしいと、そう考え始めていた。
 そして同時に、不安を抱えていた。自分の命が魔力に食い尽くされるのが先かどうか、という話ではなく、アレンを守ってきたクールの一族に、ひとつのひずみのあること。それが心配だった。

 クールが戻り、数日ぶりですごす夫婦の時間。執務室で、決済の書類に署名をするクールに、ムーナは呟くとでもなく言っていた。
「クール」
「何?」
「跡継ぎのことは、どうなりまして?」
「言うまでもない、フィンがそのままアレンを継ぐことになるよ」
「…一族の方に、それはもう、周知してまして?」
「周知するまでもない。誰もがそう思っているさ」
「…それならば、よいのですけれども」
「…どうしたムーナ」
心配そうに、顔に影のかかるムーナの顔を見て、クールがふと声をかける。
「今、そんな心配をしてどうする? あの子が私の後を継ぐのは、私が廷臣としての限界を感じ、この領地で余生を暮らそうと思ったときだ。何年後の話だと思っている?」
「なぜか、心が騒ぐのです」
ムーナは、今の気持ちを、率直に言った。
「クールの考えが、滞りなく実行されればいいのですが」
「…ムーナ」
指で妻を招き寄せ、クールはとがめるような声を出した。
「魔力で何か占いでもしたのか?」
「いいえ、私にはそんなことできませんわ。
 でも」
「でも…何だ?」
「はっきりと、今から周知をしたほうが、よいような気がしてならないのです。
 あの子よりほかに兄弟も姉妹もいないのですから…」
「まだ、時間はあるよ」
ムーナは、クールのなだめるような言葉に、頭を振った。
「お願いですクール、このことだけは、はっきりと、周りにおっしゃって。王宮にも」
「ずいぶん気弱になったことだね」
クールが、目を細めた。
「でも、君に何か感じるものがあって言うのだから、そのほうがいいのかも知れない。
 …次王宮に上がるときに、継嗣関係の手続きを済ませることにしよう、それでいいかな」
「…はい」
「…やっと笑ってくれたね」
クールは、唇を緩ませた妻の顔に、そっと手を当てた。
「もう遅いから、休もう。フィンと思い切り遊んであげないといけないからな」
「はい」

 数日、クールはいつものように屋敷で穏やかに過ごした。槍に興味を示し始めたフィンに、ためしに使わせたり、王宮のことや騎士の心得などを簡単に教えたり、ムーナとも、これまでになく、細やかに語らった。
 そして。
「では、行ってくる」
従者の待つ前、屋敷の玄関で見送るムーナとフィンに、クールはそれだけ言って、出立していった。

 クールが、他の騎士とともに、ランスリッターの錬兵を終えた時、近くの馬場に、馬が引き込まれてゆくのを見た。
「もうそんな季節か」
レンスター領になる各地から、基礎的な訓練を終えた馬が集められていた。そうした馬をに軍で使える馬にするのは、調教係の仕事だが、クールはついとその馬場により、
「今年の馬はどうだね」
そう世話係に尋ねると、
「はい、今年もよい馬がそろっております」
と言う。
「ですが、やっとハミをつけることになれた馬ばかりですから、まだ騎士様の御用に耐えうるものでは」
「わかっている」
クールは言って、まだ若々しい馬の群れを見た。と、馬の中で騒ぎがあがった。なれない環境に出されて緊張していたものか、一頭が高く鳴き、まったく違う方向に走り始めた。
「うわぁ」
その方向は、真っ直ぐクールに向かってくる。クールは馬場に入り込むと、まとっていたローブを馬の顔にかけ、その背に乗った。
「クール様、まだなれていないのです、いけません」
「視界を閉じてしまえばおとなしくなる、心配はいらない!」
鞍の乗っていないその背の上で、クールは手綱を手繰り引いて、
「どう!」
と馬を制動した、その時。馬が後足で立ち上がる。
「!」
クールは馬と一緒に、背中から馬場に落ちた。

 すでに、数人の兵士や騎士が集まっていた。おびえるような馬の群れを遠ざける。背中から落ちたクールはそのまま昏倒して動かない。救護に当たろうとするもの、報告しようとするもの、あたりは騒然となった。
 しばらく後には、アレンにも、その報告が入っていた。ムーナは、手にかけていた刺繍の枠をかたん、と手から取り落とし、
「それで…それで、クールはどうなりました!」
と、王宮からの使者に声高く問い詰める。
「今は、背中から落ちられたというその衝撃で、気を失っておられるようにしか見えません、
 一刻も早く、王宮においでくださいまし」
「わかりました」
ムーナは立ち上がったその足で、外に出て行こうとする。
「誰か、馬を!」


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