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<粗筋っぽいもの>
二百数十年の時を経て、現代に女神アテナが現し身をもって降臨したに時同じくして起こった一連の動乱により、聖域は、教皇派と反教皇派に別れ争った時期があった。
 だが、聖域当局より「異端」と称されたその反教皇派が、大々的に排斥されたのもはや六年も前のこと、その正体を隠して玉座に就く「教皇」は、再び頭をもたげはじめた、東洋出身の青銅聖闘士ら反勢力分子の存在に危機感を抱いていた。
 そこに白銀聖闘士・魔鈴の造反の報がもたらされ、彼はどうしても思いだされずにはいられなかった。魔鈴の師匠であり、かつてもう一つの名前で聖域はおろか全世界の「異端」をそのカリスマに酔わせた南冠星座の白銀聖闘士・アリアドネという女のことを。

ざんしょう

 「教皇」は、さすがに、今回の人選の悪さというものを自覚する。師を弟子の討伐に参加させれば、途中で妙な慈悲心が起きて然るべきことを計算すべきだった。そして、ここまで当局をてこずらせるという、青銅ながらあっぱれな悪運と能力を、ひいては彼等を育て上げた一人として、魔鈴の指導者としてのウデを、造反の容疑があるというだけで評価しないというのは、余りに大人げがない。
「我々の手のうちだけに甘んじておればそれなりに重用されようものを」
聞こえない程度のつぶやきであったが、左右の参謀は耳ざとかった。
「弱気を召されては困ります、教皇。例え鷲星座が有能な人材であったにしても、今回のこと、所詮は女の浅知恵でございます。いずれ非を悟って恭順の態度を新しくすることでしょう」
「教皇」は、大船に乗っている参謀たちをうさん臭そうに眺めていた。今まで造反した青銅聖闘士全員に対し、実は参謀と同じことを思っていた。なにぶん彼等は若い。まさにグラードが札束でも目の前にぶらさげて、とか、さもなくば「異端」の妨害工作が彼等を押し流しているのではないかとも思っていた。だが、報告を聞く限りでは、どうにも背後にはいろいろ予定外の因子が多いように感じるのだ。
 いわば魔鈴はその予定外因子の一つである。いや、考えられてしかるべきだったかもしれない。だからこそ、「教皇」は今自分のしたことに今後悔を感じているのだから。
「なんといっても、アリアドネの弟子なのだ、あの女は。あれがどんな指導をしたかは知らんが、青銅造反分子の筆頭ペガサスが思想的に直系であることは考えられてしかるべきだ。
 …五老峰も背後にあるのではという懸念もある」
今度のつぶやきは聞かれずにすんだ。参謀らは言う。
「それにしても、聖域の威信も落ちたものですな」
「いかがでしょう、黄金聖闘士の方々を召喚なさっては」
「召喚してどうする」
「教皇のご裁下をあおがずとも単独で一切の判断をもって全ての任務を遂行できる黄金聖闘士をも召喚できるという」
「わかった、もうしゃべるな、頭がいたい」
黄金聖闘士を召喚して威儀を示してたところでいまさらあの小僧どもが怖がると思うか。「女神」をも怖れぬあのガキどもが、黄金聖闘士が出て来たところで尻に火をつけて逃げ出すものか。「教皇」は、参謀たちの声を聞きながしていた。

 参謀たちが退ってから、「教皇」はアリアドネを呼び出した。
 つくづく、あの時この女を討ち漏らしておいてよかったと、今になって彼は胸を撫で下ろすことしきりである。二人の自分の混同を頑なに自制し、女子区の長老ゴルゴニオでさえ一目置くというその実力とカリスマの持ち主を、痛くもない腹を探るような当局の手入れにより失うとあれば、女子区との連携を保つことに努力をしていわば「中央集権」を目指す「教皇」の努力を、女子区からの信頼を失うことで揺らがせてしまうかもしれないということは考えてしかるべきである。
 とはいえ、呼び出しておきながら、「教皇」の気分は余りいいものではない。本当なら、こんな女一人何しようものぞという気概があっていいはずなのであるが、彼の小羊のような「潜在意識」が激しくうずいた。
 一体、彼女のどこを責めればいいのだ?
「お前を呼び出したは、…ほかでもない」
お前の、弟子のことだが。「教皇」は出来るだけ穏便に…卑屈とも思えるほど慇懃に…口を開いた。
「先日よりかまびすしい、青銅聖闘士の一部が、禁断の私闘に手を染めたことから始まる一連の造反、すぐに平定されるかと思いきや、予想外の因子が多く思いのほかてこずっておる。
 制裁のために差し向けた青銅は懐柔され、白銀は帰り討ちされた。
 そして今回、復命してきたものの報告によれば、お前の弟子、鷲星座の魔鈴が、青銅に手を貸すために造反に与したということである。
 たかが一階級の違いとは言え、青銅と白銀では、その実力に神と虫けらほどの隔たりがある。魔鈴一人がいるだけで、当局にはそれだけ御し難い存在になるのだ。
 だが、まだ、今のうちは、あれ一人の、弟子にほだされた気の迷いということも考え、説得により聖域に戻し、改めて恭順を誓わせることで、とりたてた罪に訴えないことにしようと思う。
 その説得の役、受けてくれぬか」
アリアドネは一瞬だが、何かを思ったようだ。だが、案の定、
「…お断りする、と、申し上げたら?」
言うまでもなく、聖域流に「説得」するといえば、永遠に弁解できないようにすることも容認される。だが彼女がその「説得」の役を拒否したと言うことに対して、「教皇」は敏感に、彼女の言葉の裏の「その必要はない」との思惑を読み取った。
「なぜだ」
「教皇」は下手に出ることを忘れて、いつもの苦虫を噛み潰したような声に戻る。
「魔鈴はお前が弟子として指導したのではないか、その弟子が造反の荷担をしたのだぞ? お前の指導の技術は疑われてしかるべきだ。例え弟子が独立したとしても、その心身の成長を引き続き見守り、適宜指導を続けるのが師匠と言うものではないのか」
「お言葉ですが。
 確かに、私は縁あって彼女の指導をしました。ですが、自立した彼女が何を考えどう行動するのか、いかに師匠とはいえ立ち入るべき問題ではないと思います。聖闘士としての価値基準を大前提にした上で、彼女には彼女の正義があるでしょう」
「では、今回の魔鈴の行動は、お前には何の責任もないというのか」
「御意。
彼女には、押し付けられた歪んだ正義より、『正道』にもとるとも、自分の正義と良心、世の常の道にしたがって考え行動するように教えました。今彼女がそれによって行動しているとするのなら、師匠としてそれは名利に尽きることですわ」
アリアドネの言うことは間違っていない。聖域の道理にしたがい行動するということと、教皇にワタクシを捨てた忠義立てをするということは同じことではない。
 そもそもの聖域のシステムに乗っ取れば、教皇と言うのは、女神と聖闘士、そしてただ人との間をつなげるものでしかない。女神との距離の遠近によるステイタスの高低はあろうが、聖域を運営していく限りで設けられた役職と割り切れば、あまりうまみのある地位でもない。
 とにかく、たとえ教皇が「我こそ教皇」と居丈高に出てきたとしても、アリアドネは少しも恐くないのである。「教皇」は、涼しい顔(の雰囲気)をしているアリアドネを見て、「うぬぬぬぬ」と奥歯を噛み締めた。彼女の抱えるステイタスを知る程、「教皇」はさらに一歩を踏み出せない。たとえ聖域の大義名分が勝って、アリアドネを失脚させ得たとしても、彼女を無二の親友とするヘリオドーラが泣く姿は見たくない。
「命令するぞ、アリアドネ、弟子の魔鈴を探し、討ち取り、おのれの指導に欠陥のあることを詫びよ」
奥歯を噛んだまま言った。だがアリアドネの返答は依然として動じない。
「お断りいたします。
 ですが、すでに報告をお聞き及びでしょう、師匠の私が出なければ、あとはさらに高位のやんごとない方々がお出でにならぬ限り、魔鈴はそうやすやす討ち取られるような女ではございませんが」
仮面の下から、アリドネが自分を睨んでいるのが、「教皇」にはすぐわかった。教皇が何も言うことがなくなったのを確認するように、アリアドネは続ける。
「…私は、私の指導に欠陥はないと自信を持っております。たしか造反の主力になっている天馬星座の星矢とは、彼女が育てたのでしたわね。末頼もしいことですわ」
「うぬう、世迷い言を!」
「教皇」はついに立ち上がる。やはりこの女の思想は放置できない。影響力が強いからこそ、自分に対する不信感がつのることを覚悟で、潰さなければならないようだ。
「アリアドネ、退出するにはしかと跪け。
 この私に恭順すること、それがすなわち、女神への忠誠と思え。
 世界に散り邪悪と戦う八十八の聖闘士、余はその代表として、女神に目通りを許されたただ一人なのだぞ?」
「恐れながら、教皇も、もとをただせば一介の聖闘士。その威厳は所詮、聖域の時代が過ぎるうちについたほこりのようなもの、ホコリだけに叩けば落ちますわ」
「黙れ」
潜在意識の制止を振払って、「教皇」のこぶしは鈍く光り始める。だがアリアドネは、足を肩幅に開いただけのスタンスで、真っ正面から突っ込んできた「教皇」の手を顔の前でうけとめ、そのまま捻った。彼の腕には神経がねじれる時の電撃のようなショックが走り、そのあとから骨と肉が軋む痛みが訪れた。
「私をお見くびりですか? いつかのこと、まさかお忘れになったとはおっしゃいませんよね?」
「神妙に…控えよ! 余を誰と思ってこのような」
「教皇とて、同胞に変わりありませんわ」
「教皇」は、力をゆるめたアリアドネの手を、やや乱暴に振払った。
「直々に制裁を加えてくれる!」
そう見栄をきると、今度は聖闘士らしく間合いをつめ、連続して拳をくり出してくる。だがアリアドネは、その拳やら拳から放たれた衝撃波やらを、身を左右に捻るだけでいなしてしまう。しかも最後の一発は後退で避け、一歩間合いを狂わせた「教皇」は前にのめる。片膝をついて、立ち上がろうとしたその顔の先に、アリアドネの手刀の先が迫る。仮面の奥で反射的に目が閉じられた。だが、その手の先は寸止めされ、ふたたびめを開けた彼の目の前には、綺麗に削られエナメルを塗った爪があった。「教皇」の体は屈辱に震える。唇は血が滲む程かみしばられた。
「…私を本気にさせると、恐いですわよ」
はったりには聞こえない。彼女の本気は、丸腰の黄金聖闘士の手足一本は確実になくすほどの実力にあろう。
 床に片膝をつけたまま動かない「教皇」に、アリアドネは今度はこれ以上はない慇懃な最敬礼をして、そして、玉座の間から退出した。





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