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というのも、同じ月日を、たった数時間の違いだけで兄弟と別たれた双子、サガとカノンは、周囲でも驚くほどの性格の違いをもっていた。
サガは、利発かつ聡明でも、つい一歩を引いてしまうおとなしい性格は聖闘士という向きではなかったし、カノンは、聖闘士としての能力には先行き期待できるものであったが、その力に頼りたがり、言ってみれば尊大ぶる嫌いがあった。
二人黙って座っていても、普通は肉親ですらも時々わからなくなる区別が、彼等の場合には、他人であってもすぐわかった。
それでも区別を聞かれた場合、母リムノレイアはこう言うことにしている。
「いつもどこかしらほこりっぽいのがカノンよ」
彼女は、サガは掌中の玉と慈しみながら、カノンには愛情の手を抜くようだった。というのも、彼女は、老双子座の孫娘、現棟梁の一人娘として、幼時から要求の通りやすい状況にあり、だから嗜好のムラがすぐ態度と表情に出て、名のある聖闘士として勇名を馳せていた夫すらも、それを扱いかねて結果尻に敷かれている状態である。
そして母としてこの双子を育てるにあたっては、毎日何かしら、家の内外で起こすカノンをうっとうしく思うのも、育ちを抜きにしても、若い母親では持て余すだろうと同情もされよう。

老双子座は、この双子の身の振り方について、彼等の適性をじっくりと、彼なりに考慮した。しかし彼だけではいい結論は出ず、
「どうだろう」
と、息子、孫娘、その婿、その他一族の重鎮達を集めて議論にかけた。すぐ、
「現在の様子から鑑みれば、サガには一族を任せ、カノンには聖闘士を志させる方がいいように思う」
と、一人が言った。するともう一人が、
「それは承諾できない。貴殿が、カノンの活発さとその能力からそう考えられるのは危険すぎる感がある」
と言った。別の者が、
「カノンのように濫用しないだけで、サガも対等な能力を持っている。同じ年頃の聖闘士候補者にも劣らない。
そして、戦は、行動力だけではなく、判断力や思慮深さも必要なのだ。
サガこそ、聖闘士として推すべきだ」
と言う。先の者はそれに食ってかかる。
「貴殿は、カノンに聖闘士は向かぬというのか」
「女神をお守り申し上げるのだ。カノンは、戦をすることそのものに興じてその本分を忘れてしまいそうな気がする。
その点、一族を率いるというのなら、少々の至らぬ点は我らがいくらでも尻拭いできよう。一族が破綻したとしても、それは我らだけの問題で済む。
サガならば、その点も心配が要らないと思うが」
「サガが聖闘士になったとしても、いざというときに一歩引いてしまえば、臆病者として末代までの笑い草になってしまうのだぞ」
「我らにはあの一族がいる限り、競いの手を休める訳には行かない。
彼を一族の当主に据えても、同じように肝心の場所で一歩引いてしまえば、あの一族に出し抜かれることになるのだぞ。我々には最も喜ばしからぬことではないか。
その点、聖闘士は、女神の前には何があろうと平等。我らも、家の利益のための介入は許されない。全くの天涯孤独になるのだ。そんな時には、理知的になることも必要、そして同僚や部下との協調性も必要になる。
カノンはその連帯を壊すような気がするのだ」
サガ公職派、カノン公職派、いずれも一歩として譲らない。老双子座は、思った通りの平行線に溜め息が出た。
それが意外な方向に決着しそうな気配を見せたのは、こんなことがきっかけだった。
これは双子の家クリュメノスにも、アイオロスのバシレウスにも共通したことだが、聖域で言うところの「血の濃い」家は、まさに栴檀は双葉よりの譬え通り、幼時からただものでないものが感じられるらしい。
それはある種小宇宙に似たようなものであろうが、あくまでも子供の持ち物であるから、本人の感情を反映して暴走を始めるとするならば、これは並の大人では落ち着かせることはできない。
このころのカノンがまさに暴走寸前の状態だった。
第一に、母リムノレイアが、サガばかり可愛がるのが気に入らない。
彼と自分とは何一つとして変わらないはずだ。あえて母の言うように変わっているとするならばそれはサガの方だ。サガは、大人をてこずらせないようにやりたいことも我慢した窮屈な暮らしをして、それでも大人が褒めてくれるのをいいことだと思っていると見える。
大人も大人で、手をわずらせない子供がいい子供だと思っているようだ。

勿論大人の中には、彼みたいにに放埒な子供でも、
「遊んで、いたずらして、大人を困らせて、それでもそれが子供の本分だ」
とそれなりに扱ってくれる者もあった。ゴルゴニオは、
「大人になれば、四六時中何かに縛られて、やりたいこともなかなかできなくなる。…今のうちに大暴れするがいいよ」
と言ってくれる。
そして当然、家にいて可愛がってもくれない母と、利口ぶって大人の機嫌をとって満足している兄弟と顔を突き合わせていても楽しくない。カノンはよく聖域の中をうろついていた。そしてお決まりの悪戯とケンカを始める。サガは、大人同伴でない外出は、ちゃんと用件行き先を言い残しておくから、どこか突拍子もない場所で、どっちかわからないがクリュメノスの若君が暴れているという情報が家に入って来れば、それは全てカノンの事だった。
老双子座達は、元気でいいことじゃないかとそれなりに執り成して来たのだが、内心、このままでカノンが図に乗るようになって来たらと思って身震いをしていた。
そこを、知らぬが仏のゴルゴニオが、老双子座に、たまたま見た水晶玉のことを話してしまったのである。
ゴルゴニオは、クリュメノス・バシレウス双方に親しく、常に両家には中立で、言わば両家の橋渡しで、ご意見番でもあった。うわさによれば前の聖戦も見たと言うが、それとして、老双子座すらも、しゃあしゃあと意見する彼女にはかなわない。
さてゴルゴニオは、
「厄介じゃぞ」
と老双子座を呼び出して言った。
「あの双子には、将来聖域を脅かす者になる種を持っておる」
「え」
老双子座はきょとん、として、
「もう少し、詳しく話してくれますまいか」
と一歩進み出る。
「うむ、今すぐにのことか、もっと先のことか、あの子たちのうち一人か、さては二人もろともか、そこもわからんし、しかもほんの一瞬だけ見えたものじゃから、大手を振って言えるわけではないがの。
ただ、あの双子を示すであろう光が、聖域を焦土に変える有り様を見たのじゃ」
とゴルゴニオは言った。
「あの子達にどう聖衣と家督を公平に分け与えようか、お主達はかなり真剣に悩んでおるそうじゃが、この手の石橋は何度もたたいて渡れよ。目の前だけで判断をするな」

老双子座が、ゴルゴニオの捨て置けない水晶玉の話を心に引っかけながら帰って来た、その日の夕方近くなったころである。
この事件が起こってしまったことは、カノンにとっては、一族の中での支持を失うという致命的な結果を招くことになってしまった。
その日もカノンは、聖域の中で、仲間の聖闘士候補生達とともに、対立グループと組んず解れずの取っ組み合いになっていた。擦れ違い様の態度が悪いの何のという口論が切っ掛けと言う、他愛のない物である。カノンは率先して、相手の大将につかみ掛かっていた。
相手は自分より身体も大きいし年も上だ。しかしそんなことは関係ない。聖域の他の場合と同じ、実力主義なのだ。
さて、相手を負かしたカノン側の一人が、
「危ない!」
と叫んだが、もう遅かった。
カノン達は、折しもあった斜面をごろごろと転げ落ちた。そして、カノンが肩をつかんでいた相手の身体が下になったとき、ごっ、と不自然に震え、二人の転落は止まった。
相手の頭がたまたま草むらに隠れていた岩の角に、頭をしたたかに打ち付けてしまったのだ。
勿論、これは全くの偶然であった。相手は白目を向いて、岩を枕に仰向けになったまま動かない。その唇からは血が流れ、頭からはもっと流れ、白い石を真っ赤に染めた。異変を察した一同が、敵も味方も斜面の上から顔を出した。そして起こってしまった状況を見て、相手側の一同は、
「あああ…」
と泡を食った顔をして、どこかに逃げてしまった。

敵も味方も、自分のいさかいに没頭していたし、カノンに危機を呼びかけた彼も、瞬間も見ていたわけではないので、今のところ、カノンに過失がないということをその場で立証させることはできなかった。
ところで、家のものに身柄を受け渡され帰ってきたカノンを、母リムノレイアは、彼の頬を有無も言わせず何往復も打ちのめし、
「なんてことをしてくれたの! お前は!」
と叫んだ。その目には涙。しかし、こんなことをしでかしたカノンを哀れんでいる訳ではないし、勿論、自らのカノンに対する態度が今回の事件を起こしたと思っている自責の涙でもない。
「お前はこうして家の顔に泥を塗って行くのだわ! どうしてサガはあんなに聞き分けが良いのに、お前は!」
カノンのしたこと(濡れ衣だが)に呆れ果て、家のつぶれた面目を哀れむ涙だった。カノンは当然
「俺は悪くない」
と母から一瞬も視線をそらす事なく言ったが、
「馬鹿も休み休みお言い! お前が、その子の頭を岩に打ち付けたに決まっている! やりかねないのだから!」
との母の言葉と、再度強烈な平手打ち。カノンはその場で、回りから集められた大人達に取り押さえられ、まずはクリュメノス邸敷地内の独房で反省、ということになった。

と言うのは建前で、その実は、「自分がやった」のカノンの一言を待っていた訳である。
事件当時、家は、老双子座が、ゴルゴニオから得た不思議な先見を引っ提げて帰って来て、彼女の見たことは一体何を意味するのだろうかと考えていたのである。帰ってきてから、リムノレイアはいまだ悩む風の老双子座に、
「おじい様、そんなにくよくよと悩むまでもないことですわ」
と言った。
「あの子たちのことはこの私がよくわかっております。
第一、ひいきをしては可哀想だなんて、おじい様が妙な仏心をお出しになったから、進む話も進まないのですわ」
「リムノレイア、ではお前は何かいい案でもあるというのか」
と老双子座がたずねると、彼女は簡単なことだという顔で
「聖衣も家督も、みんなサガに譲っておしまいになればいいのです。
カノンはそのおこぼれを拾って生きるだけで十分すぎるぐらいですわ。あのどうしようもない風来坊には。
きっとその、聖域を乱すという相も、あの子が持っているに決まっています。
私にしたら、あんな子供は恥ずかしくて表に出せたものではありませんわ!
それにサガに限って、そんな大それたことをするなんて、とても」
と言った。
「あの子は本当にいい子。きっと、二人分のよい心を持って生まれて来たのだわ」
重鎮達も、リムノレイアの、「カノンに擾乱の相あり」の言葉を鵜呑みにしてしまったのも無理のないことではある。彼等は早速、聖衣も家督もサガに譲られることにしてしまった。

しかしカノンは、母リムノレイアが言う如くにおバカさんではない。
確かに性格は違う。しかし頭脳は、聡明の誉れ高いサガに比しても、一片の凋落すらない。否、実戦に役立つ一瞬の判断力や決断力は、この時点では、カノンの方が上だったに違いない。
しかも今のカノンには、このことがきっかけで、自分がもう聖域に正面切って表立つことはできまいとわかっていた。
これを口実にして、母は贔屓のサガに何もかも譲ることを曾祖父に進言するだろう。最も身近な敵であるところのサガが、そういう訳でちやほやされるのを、このまま表にいれば自分でも知らないうちに物欲しげな顔で見つめているだろうことを思うと、自分が今まで振る舞って来たことに反省を感じていることになる、でもそれは彼のプライドが許さない。
さて、
「お前は、もうこれ以上聖域に置いておくわけには行かない」
と、後日独房を出されたカノンに祖父の棟梁が言った。
「将来女神にお仕えすべき運命を得んとする者を、例えお前が言うように過失であったとしても殺めるとは、それだけでもうここにいることは許される事でない。命を以て償えば、行き過ぎとも言われようから、お前がいう過失を尊重して、追放という形に止めて置く。これがもし、お前が成人であってのことと思ったら冷や汗が出るぞ」
カノンは、この、よくも悪くも意外な処理に、ぽかん、としてしまった。そして、母はどう思っているのだろうと彼女を見た。しかし彼女は、案の定ふい、と彼から顔を背けて、
「サガはまだ帰って来ないの?」
と用足しに出したらしい彼のことを心配している。そういえば彼女がこの期に及んで自分に同情を覚えてくれるということは考えられることではあまりなかった。棟梁はこの不肖の孫に用件だけを伝えて
「明日にも出てもらうから、わかったな」
と最後を念を押した。

エーゲの島の中に、業界の出先集落とクリュメノスの別荘があった。カノンは、ここに、軟禁という形で滞在することになった。
自由に身動きできる身でなくしておけば、聖域(とサガの地位)を脅かすことにはなるまいと、重鎮の考えた最良の方法だったのだろう。
しかし、もうカノンには表立つ手だては残されていないのか。
否。彼はここで、再び聖域に帰るまでの間に、こんな考えに至った。
「これまでは、自分の信念を通すための詰めが浅かったのだ。
自分のような人間がもっと普通にいて、ある程度社会的に認められていれば、こんな貧乏くじを引くことはなかっただろう。
ゴルゴニオがいつか話してくれたが、歴代の霸者も、始めは自らを認めてくれる余地を築き上げ、そこを覇業の一端としたと言う。
それが人的なものであったとしても土地的なものであったにしても、まず自分を認めてくれるものを探そう。
もう一度聖域に帰って、今度は聖域を牛耳るのも一興だろう。
俺のような人間が普通の世の中にすればいいのだ」

ゴルゴニオは、一連の騒動を、最後には何も言わず見ていた。老双子座は、カノンが追放されてもなお、双子ゆえに聖域が焦土となる幻が消えないことを、彼女から聞かされていた。
「気休めにしかならぬよ」
ゴルゴニオはそう言った。
「サガ坊の中にも、邪悪なるものは息を潜めている。いや、ほんとうは誰もが、邪悪なるものを持っていなければならぬのさ。
聖者賢者と呼ばれるものは、そう言った邪悪の御し方がたまたまうまかっただけ。あるいは、賢者と呼ばれる方が気をつけねばならぬのよ。
どんな形で、何に姿を代えてあの子の邪悪がかま首をもたげるか、そこまではわしにはわからぬ。
後数年もして、年ごろになれば、ある程度わかりそうなものではあるがの…」


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