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Stephanos Elainos

 アテネ市街を抜けてギリシア内地に入ること幾許か、聖域はそこに、紀元前一千有余年の創建以来、女神アテナの真の聖地、彼女を信奉する人々の総本山として、三千年近くの間、ただ人を寄せ付けず、森閑とした沈黙のうちに、世の平和を見据えて来た。
 そこには、教皇を初めとする女神の近衛隊「聖闘士」と、頭脳面でそれを補佐する「参謀」、将来の聖闘士を目指す候補者達、ただ人を越え得ずとも、その志し高くある「雑兵」達と、彼等の生活の場、そして家庭があった。
 聖域の時間の流れは、実に緩やかだった。修業に差し障りのあるとされる一切の世俗から隔離されたこの場所では、この住人の考える時間の感覚と言うのも、また緩やかであった。二百年以上前に終わった聖戦を前聖戦と違和感なく呼び、その聖戦の再びやってくるまでの長い時間からすればまばたきにも見える、人生の中でもっともかっ達な時間を、女神アテナために捧げていくのである。
 聖闘士である時間をこえた大人達は、後を継ぐ少年達のために、一部はその指導に当たり、一部は聖域の自治の世界に入っていった。聖域の自治も、古代ギリシア、あるいは古代ローマのように、大勢の大人達の合議ですすめられていたのである。その自治も、この数百年は寡頭政治のさ中にあった。
 いずれも、長く聖域に根ざし、代々その青春をアテナに捧げ続けてきたほこり高い一族である。その一方で、聖闘士同士の婚姻により、その血と星の運命を引き寄せ続けてきた、野望高い一族でもあった。
 聖域のこの頃の寡頭政治というものも、その自治機構のほとんどをこの二家で掌握し、それでもなお、さらなる権威獲得のために牽制しあっていた結果のことである。といっても、両家の特に「業界」の男達は聖域に生きる目的を同じくしていたから、その競争心はプラスの方向に伸びて行った。だから、両家意地の張り合いは専ら女達と競争心が屈折した元聖闘士を中心にした年寄りの仕事だった。

 閑話休題、聖闘士業界に目を向けてみれば、これから語ることになるこの年・一九五八年は、計ったように、前聖戦の年一七四三年から経ること二一五年である。
 最新の聖戦が終結して二百有余年、平時と呼べるこれまでの時間は、邪悪を封じたアテナの封印の効力が強い間であった。その聖戦の記憶を伝えるべく、奇跡の法をもって生き長らえたのは、元牡羊座の黄金聖闘士で、今は教皇として業界全域に影響を与えるシオン、現役の黄金聖闘士・天秤座として、五老峰で邪悪の監視を続ける童虎、二人をはじめとするごくわずか。彼等を初めとする生存者が、聖域再建を始めたときから、その心根に引かれてか、多くの少年たちが彼等に従っていた。
 欠員だらけとなっていた聖闘士となったものも少なくなかったが、二〇〇年の間には少年たちは育ち、育て、老い、死んでいき、シオンと童虎がその盛衰を見守る中で、世代という単位で世は幾度となく変化した。

 このごろは、老齢まで聖衣は一人当たり長いこと保持されていたが、折しも当代の黄金聖闘士はすべて、寄る年波にそろそろ勝てなくなってきていた。
 最若手といわれた射手座のデウカリオーン…に、そろそろ子供ができようというのだから、老黄金聖闘士たちが、後続を養うなり見いだすなりを考えてしまうのも、尤もな事ではある。そして彼等を継ぐものは、近くきっと訪れる聖戦の激しさに耐え得る、心技体に優れたものでなくてはならない。そこがさらに、彼等を悩ませ、各地で新しい黄金聖闘士の後継者を見い出そうとしていたこの時に、話は始まる。

 さて、その再若手というデウカリオーンは、先にあげた例の二つの家のうちのひとつ、バシレウスという家の棟梁であった。
 何年か前に、一族の古老たちが定めたとおりに、聖域でこの人有りと言われた女聖闘士を妻とした。 気丈であり、じゃじゃ馬と呼ばれる女で、必ずしもデウカリオーンの好みに沿う女ではなかったが、何よりも、その聖闘士としての能力が、一族の気に入った所であったのだ。
 こうしてバシレウスももう一つの家も、濃縮に濃縮を重ねた、聖闘士の潜在的な血を薄めぬ努力をして来たのである。
 そしてこの一九五八年の春に妻は身籠った。それがわかった直後、六月に入ってすぐ、時の双子座の黄金聖闘士…八〇を優に越す最長老である…が、教皇に、聖衣の返上を申し出ていた。
「何をそのようにに弱気になっているのだ」
と、教皇シオンは壇上から驚きの声を上げた。
「思い立つにも歴とした訳がございまして」
老双子座は下座に跪いて返す。
「先日の事でございます、私めの孫娘に赤子が生まれまして…、しかも双子。この老いぼれと、奇しくも同じ星の巡り合わせとは、これも何かの縁、あるいはアテナの御諚、ならばこの聖衣をば返上し奉り、身はあの赤子らの頑具にでもなろうかと」
「そうか」
教皇は玉座で一つ溜め息をついた。
「聖戦より振り返ればもう二一五年… そのお前のひ孫が聖衣を取るころには、間違いなく新たな聖戦の時代となろうなあ。
そのころには私もすべからく、お前らか次代のものにこの座を譲っているのだろう」
そこに
「お主、本気か! 聖衣を返上するなど!」
と驚いた声が、朗々と御座所に響いた。教皇は顔を上げ、老双子座は振り向く。彼等の遥か下座の入り口には、やはり老人と、射手座のデウカリオーン。老双子座はやってきた声の主の老人に言う。
「長いこと、お前ともよい付き合いをして来たなあ。わしはもう年じゃ」
「そんな悲しいことを」
老人は返し、教皇に跪いて
「彼が聖衣を返上するというのなら、私も引退して惜しくございません。
どうか教皇、私が長年預かりて申してきた獅子座の聖衣も今ここに返上致します!」
と言上する。しかし教皇シオンは、仮面の奥で戸惑った顔をした。聖域の重鎮がよりによって一度に二人もやめられてしまっては大変である。しかも教皇には、この老双子座も、老獅子座も、自分に比べれば子孫のような年齢なのだ。だから彼は老獅子座の言葉には少々難色を示して、
「その勢いでならまだまだではないか。
私と共に、もう少し頑張ってはくれんのか」
と言う。老双子座も、
「ああ言って下さるのだ」
と老獅子座の肩をたたいた。
「もう少し達者に頑張ってくれ」
そしてデウカリオーンには、去り際に、
「次期双子座は決まったぞ。後はお前の子の番だ。大事なくうまれてくれば、きっとお前と星の生まれ合わせは同じくなろう程に、よい跡継ぎとなるぞ」
と、決して嫌みでなく言い残した。

 この老双子座のひ孫として生まれ出たのが、サガと、そしてカノンだった。
 老双子座は前述の二つの家のもうひとつ、クリュメノスの棟梁を隠居した身分だった。現在の棟梁は彼の息子であるから、サガ・カノンはその棟梁の、婿取りの一人娘リムノレイアから生まれたことになる。
 時のクリュメノスは、老獅子座とその甥デウカリオーンが率いるバシレウスにいささか威勢をおされていると思っていたので、一度に双子が生まれたとなると、将来を考えてその侘しさも吹き飛んだ。
しかし老双子座は、子供達が哀れにも思えていた。
神話では、生まれでてからは勿論のこと、母親の胎内においても喧嘩をしていた兄弟がいたというが、それほどまでではないとしても、一つしかない双子座の聖衣を巡って、この双子が後々争うのは予想し得ることである。
 老双子座は、双子に与えられるはずの二つの栄誉を一人が独占するのは片割れが不憫だ、もし片方が聖衣を得たら、もう一人には家督を許すことにしようと思っていたがしかし、どうもそう簡単な話ではないと彼等が気付くのは、もっと後のことである。

 そんなサガ・カノンに比べれば、彼等に遅れて生まれること半年のアイオロスは、まだこの時はその地位も名誉も独り占めしてもしかるべく生まれたというのは羨める話であった。
彼は窓の外の厳しい寒気から守られるように暖房の効いた部屋の揺り篭の中で、何の罪もない顔で眠っていた。妻はそのアイオロスに頬を寄せ
「アイオロス…、デウカリオーンの子として、私の子として、この家の子として産まれたからには、聖域すべてをその手中に収める覚悟でいなければなりませんよ。
 …お前が名前をいただいた、猛々しい嵐をもお前のような赤子の如くにあしらう神のように」
と囁く。そばでデウカリオーンが聞いていて
「やたらなことを言うな。育ってその気を起こしたらどうする」
と言うのを、
「私はおこしてほしいわ」
と妻は切り返した。
「私が望み得る限り最高の権力者になってほしいもの。アイオロスがバシレウスの名前を持つ限り、それはきっと可能になります」
「物騒な」
デウカリオーンは苦笑した。
「聖域の男の生きる理由はただ一つ。女神を守る御為に」
「何を言っているの。この子が偉くなればそれだけ家の格も上がるというものじゃない。
…それにクリュメノスにも、折よくアイオロスと同じ年頃の子達がいるということだし」
「…まあな」
「とくにその子達には負けられないわよ。ねぇアイオロス」
妻は猫撫で声で最後をアイオロスに囁いた。


 そして時間は過ぎてゆく。期待され生まれてきた子供達に、いつまでも子供らしい暮らしは許されない。数歳になれば、しかるべく師について、聖闘士への扉を叩くときが来るのだ。
 アイオロスは、父デウカリオーンと、その友人とに連れられて、聖域に程近いある酒場にいた。そろそろ息子の修業もはじめ時だろうと判断したデウカリオーンは、友人であるもの聖闘士の男を呼び出して、彼に息子の修業を任せようと思ったわけだ。手ずから教えてはきっと甘くなろう、歴史から かんがみれば、アイオロスが成人する頃には間違いなくおこる聖戦、その記録に名前が残るようにという、ささやかだが大きい望みを、アイオロスは図らずも、一身に浴びていたことになる。

 酒場の煙草の煙と慣れないアルコールの匂いは、アイオロスには正直気分のいい物ではなかった。できれば、これきりで縁のない所になりたいな、と彼は思った。
 父は店の主人とも顔なじみで、中央に近いテーブルに通され、程なく酒肴が供された。
「まだお前に酒は早すぎる。これでも食ってろ」
と師匠から目の前に肴の皿が出され、アイオロスは干し肉を噛み、大人達の難しい話を話半分に聞きながら、この中央にテーブルも何も置いてないのはどういうことだろうと考えていた。
 壁の一隅のドアのない出入り口から、微妙に設置されたテーブルのため花道のようなものが伸び、この中央に至って直径ざっと5メートルの円形に近い空間。上から見れば天眼鏡のような形であろうか。給仕用の道とも言えなくもない。実際給仕の女はここから自分達に酒肴を差し出した。しかし、他に別の目的があるのは確かであろう、というのも、酒場に集ったむくつけき一団は、しきりにこの空間に目をやっては何かを囁きあっている。
 そこに、主人が、常連への顔出しに、この三人のテーブルに近づいて来た。
「どうも、旦那方」
と、彼は愛想いい挨拶をする。
「随分、ご無沙汰でしたね」
と、デウカリオーンに言う。
「女房に咎められてね」
彼はそれに照れ臭い笑いをした。さて友人が、
「あれ、あの娘はどうした? いつも、お前について挨拶に回っていたのに」
と言うと、主人は「済みません」と言った。
「いいヒトができちまったみたいで、辞めてっちゃったんですよ。そういう訳でここ二三日何の出し物もなしでさぁ。
ですが、心配するには及びませんや。そんな事をこぼしていたら、いい娘がいるよって、聖域の筋から聞きましたんで、この間からやってもらってんですが、これがなかなか、まだ六つなのに、たいした腕を持っているんですよ。だれにも教わっていないというのに、ですよ。
 まあ、まずは見てくださいよ。えらい可愛い娘でね、もし旦那方のお気に召さなかったら代金半額でいいですわ」
それだけ支配人が言っているのなら、と彼等はおとなしく待ってみることにして、そのうち、主人は、
「旦那方、今までつまらないお酒でしたでしょう? 用意も整いました所でひとつ、アフロディーテも裸足で逃げ出す美女の登場ということで。
 何分まだ慣れず、へまをしてもそれはご愛嬌。お気に召さずば代金半額!」
と告げ、隅へと退がる。この主人は『代金半額!』がすきなんだなと、アイオロスは素直におかしく思っていた。
 朝顔つきの蓄音機から、擦り切れたレコードに収まったなにかの一節が聞こえて来ると、小さな踊り子が一人、例の花道を通って足取りも軽やかに進み出て来た。
主人の言った通り、その踊りの技は不思議な魅力があり、この年にして一道を持っているに値するものである。その顔立ちは愛らしく、異国情緒を漂わせる黒髪と黒い瞳が鮮やかであった。

 さてアイオロスは、親にも師匠にもくだらない話はさっさと切り上げてもらっていいかげん帰りたい、と思っていた。しかし、鳴り出した音楽が少し耳障りで、何が始まったと顔を上げたところで、飛び出した踊り子と目があってしまった。踊り子は、そう教えられているからかもしれないが、彼と目があった途端、目も覚めるような笑顔を返して、身を翻した。
 アイオロスは、瞬きもできなくなってしまっていた。一〇秒ぐらい経って、足の先から頭の先まで、理由不明の鳥肌が電光石火で駆け抜けた。
 もはや音楽も聞こえず談笑も聞こえず、彼はただ、踊り子の一挙動一投足まで見逃すまいと舞台に釘付けになった。

 「アイオロス!」
数日後の夕刻。デスクワークの時間にいないので師匠がアイオロスを呼ぶが、天に溶けたか地に潜ったか、彼の姿は見つからない。
「どこに行った、あいつめ。まさかもう嫌になって投げたしたか?」
と師匠は呟くが、当のアイオロスにはれっきとした目標があった。
 例の酒場。
「おや、デウカリオーンの旦那の坊ちゃんじゃないですか」
と主人は、腰をかがめて声をかけた。
「また、旦那来てらっしゃるんですか」
それから、伸び上がって四方を見回すが、アイオロスは
「俺一人だよ」
とそれに答えて
「あの子は?」
と単刀直入に尋ねた。
「あの子」
あの子、あの子、と主人は呟いて、それから
「ああ」
と手を打った。
「もうじき始まりますよ。まだ前のほうが空いてますから適当に座っていいですよ」
その言葉をバネのように、店の真ん中に飛び込んで行くアイオロスに、後から主人が
「なにかお持ちしましょうか、お菓子とか」
と声をかけるが
「何も要らない!」
と彼は言葉を返した。
 本当に、あの踊り子の姿を身さえすれば満足だった。まだ、彼女にしてみれば、ヒイキとしてもみないようなとるに足りない存在でアイオロスはあったのだが、一端の通の顔をして、酒場に通う日が、一体何日になったであろうか。どこにどういう儲けた話が転がっているか、人生というのは不思議なもので、一度近くでその顔を見てみたいとてぐすね引いていたアイオロスに、聖域の往来にいた彼女の後ろ姿がわからないはずがない。

 踊り子は、その往来の路肩から伸び上がる土手に寄り掛かるようにして、頭上でぽつねんと名残惜しく折れ曲がった葡萄房の垂れ下がったオリーブの大枝の下に座っていた。折からの微風に、肩で切り揃えられた黒髪が揺れて、ふっくらとした頬にかかってるが、彼女はそれを気にもかけていない。アイオロスは思わず、新種の蝶でも見付けたような好奇心の瞳で、
「…くろかみ、だ」
とつぶやいた所、その声は踊り子に届き、彼女は振り返った。
「…だあれ?」
と踊り子は尋ねる。突然現れて何の了見だ、という顔をしていた。しかし、
「…やっぱり本物だ」
と、アイオロスは踊り子の真っ黒な髪と、それに負けないくらい真っ黒な瞳を交互に眺めている。
「…ねえ」
と再度踊り子は尋ねた。
「あなた誰?」
アイオロスは
「…どうして俺を知らないの? 俺は君を知っているのに」
と当然の口調で言った。ほとんど毎日酒場で見ているのに、踊り子には、自分に面識がないらしい。
「君こそ、何をしているのさ、こんな所で」
「なんだって、いいじゃない」
踊り子は妙に馴れ馴れしいこの少年を見ずに言った。
「あそこから落ちただけよ。ぶどうがほしくて」
「え」
アイオロスはつられて上を見上げた。そして、折れ曲がった枝を見て目を真ん丸くした。
「登ったの?あの木に?」
「だって、こんな大きなブドウがなっていたんだもの」
踊り子はアイオロスに向かってこんな、と手で形を作った。思わずアイオロスは笑ってしまった。本当は、笑うどころか、よくやったと感服していた。しかし、踊り子は、アイオロスの反応に気を悪くしたらしい。
「なにがおかしいのよ?」
と角口をした。笑いを堪えながら、あわててアイオロスは
「あの木、俺の仲間でも登れない奴いるぜ。それなのに」
と言った。実際、同じ木に挑戦した子供は大体が、道半ばで戦線離脱して、子供の重みにも堪えられない場所まで行った者は、アイオロスを含めて、ごくわずかしかいない。しかし踊り子は彼の言葉の後を
「女の子が登るなんて、でしょ」
として話の腰を折る。そして
「おばば様も同じこというわ」
と言う。
「おばば様?」
「おばば様よ。
 気難しいの。雑兵の人達が言ってたけど、ああいうのゴウツクババアっていうんですって?」
踊り子ははこんな難しい言葉しらないでしょ、とアイオロスを見た。彼女の目には彼はきょとん、としているように見えた。しかし、アイオロスは、踊り子のくるくるとかわる表情に瞬きも忘れていたのだが。踊り子は
「おばば様はね、女の子はおとなしくしてなくちゃいけないなんて言うの」
「俺もそう思うけれど」
「不公平よ」
踊り子は、「おばば様」に賛同するアイオロスをはねつけて、
「私、聖闘士になりたいの。だって、かっこいいじゃない?
 おばば様だって『人のためになることをするのはいいことだ』って言ってるのよ? それなのに、おばば様は私が聖闘士になってはいけないって言うの」
と言った。そこでアイオロスの格好を上から下に一瞥した。
「あなた聖闘士になるの?」
「うん」
とアイオロスは思いがけない質問に屈託なく答えて
「まだ修行始めたばかりだけど」
と言う。しかしそこに、アイオロスは、この場に近づく人間の気配を察した。
「だれか来る。きっとそのおばば様だ」
こう呟き、そして
「んじゃなっ」
と、丘を駆け上がりその向こうに消えた。
「あ」
踊り子はその後を追おうとしたようだが、それはできなかったらしく、見えないように崖下を伺うと、
「やっとみつけたぞ、このお転婆が」
踊り子を見付けた「おばば様」なのだろう、老婆の声がした。
「やれやれ、服がをこんなにしおって。それに顔でも怪我したらどうするつもりじゃ、全く」
老婆の叱咤を踊り子はは甘んじて受けているらしい。老婆はぶつぶつ言って、それから
「ともかく、帰ろう。酒場に行く時間が近かろう」
と言った。崖上のアイオロスは
「おばば様…って、あのゴルゴニオおばばじゃないか。きっと、俺がいたことなんか、ばれてるぞ」
そういう後ろめたい、そしてなんとなく後ろ髪引かれる思いで、その場を離れた。

アイオロスがこんな将来楽しみな巡り合わせにのろけている間にも、別な場所では、また違う人生の転機が訪れていた。


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