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あらまし===1958年、半年違いで、反目する二つの家に生まれたサガとカノン、アイオロスは、長い歴史の積み重なる間に行われてきた聖闘士間の婚姻と言う「純粋培養」でえた天賦の才をもって、将来の黄金聖闘士と、幼少の頃から、疑うべくもなく望まれていた。
 しかし、ある時、双子には転機が訪れる。老ゴルゴニオがその占いに、双子に内乱の火種を見たとなったとなり、その火種とは、その能力を傘に来て暴力沙汰を絶やさないカノンであろうという結論に至る。サガ達の一族・クリュメノス家は、カノンをエーゲに浮かぶある島に幽閉させることを決定、実行したが、それは、聖域に数年の安穏をもたらしたのみにとどまった。
 カノンが、その凶暴さをまして帰ってきたきたとうわさされたその直後に、聖域は、大きな転機をむかえることになる。


<あかときやみ>

 1973年、アイオロスは地中海の某島に視察に向かったところを、翌日になって、教皇から突然の帰還命令が下った。しかも最高の格式をもった使者から伝えられたので、なにか火急の用事かと現地の関係者との別れの挨拶もそこそこに立ち戻ってみれば、聖域には表立って何の変化もない。いつもの様に極めて安穏としているので、
「一体何の用なのだろう?」
と彼は小首を傾げる。

 戻ったその足を休める暇もなく、教皇の元に小走りに急ぐその道で、二人は顔を合わせる。アイオロスを見るなりサガはきょとん、として
「アイオロス?」
と驚き戸惑った声を出した。
「どうしてここに。視察に行っていた筈じゃ」
アイオロスは答える。
「教皇に聞いてくれよ。自分で命じておきながら、そんなものはどうでもいいから早く戻って来いって、そんな勢いで呼び戻された」
「私も、私用で聖域を出ている間に、宮でなく自宅の方にその使者が来たとか、無理やり連れ戻されたようなものなんだ」
「一体、教皇は何をそんなに慌てておられるのだ?」
とアイオロスがまた首を傾げると、
「どのみち、我々如きにあの方のお考えは理解できないと、そういうことか」
と、サガは半分呆れた顔で言った。
 いつの間にか、彼等は教皇の間に続く控えにいたが、その時ふと、先導の雑兵が現れた。

 二人が教皇の玉座の前に進み出て名乗りを上げると、壇上から、教皇の重厚な声が聞こえた。
「突然の…しかもアイオロスには視察中の身でありながらの…この招集はお前達に折り入っての話があるからだ」
「と言いますと」
「実は昨日、この奥のアテナ神殿の御神像の下に、230年振に、女神アテナが人の姿を借りて御降誕あそばした」
「それはおめでたいことにございます」
とサガが言上する、しかし教皇は
「めでたいことばかりでもないぞ」
と返し、
「このことは、すなわち前の聖戦において封じられた数々の邪悪がふたたび蔓延らんとする前兆である。
お前達も知っての通り、アテナ女神が人の姿を借りて御降誕あそばすその理由は、ほかならぬその邪悪を再び打破しこれを封ずるため。
前の聖戦において女神が施された封印も、二世紀を経て効力が尽き始めていると、童虎が言って来た。
 生憎聖戦の始まりは予知ができぬ、これからの生活にも、一切の予断は許せぬ。そして、私にも役目の果てる時が近づいて来た。運命に従って、この座を、お前達のうちの何れかに譲ろうと思う。
 聖闘士に不可欠の仁、知、勇を兼ね備え、且つ下の者を十分に束ね得る統率力を持つ者に。
…アイオロスよ」
突然名を呼ばれ、アイオロスは一瞬身を震わせた。
「は?」
そして、柄になく怖ず怖ずと
「わ、私が、ですか」
と聞き返した。これに対して教皇は
「…お前達を除けば、黄金聖闘士は未だ幼いものが多い。白銀、青銅もまた然り。しかし、時の流れに容赦はない。遅くともこの10年の間に必ずや、聖戦は始まろう。
 お前はまず、いとけなき女神をお守り申し上げ、そして、多くの聖闘士を育て鍛えてほしいのだ。…その情熱をもって」
と言い、アイオロスの返答もましてや抗議も聞きもせず、さらに
「サガよ」
とサガに呼びかけた。彼が「はい」と畏まると、
「聞いたとおりだ。お前は次期教皇たるアイオロスのよき協力者となり、ともに聖域を守ってくれ。
お前達二人がいるのなら、私は安心して退ける」
と教皇は言う。サガは
「アイオロスならば、その務め、きっと恙無く果たすことでしょう。
私も、女神のため、正義のため、惜しまずすべてを捧げる所存でございます」
と述べた。

「待ってくれよ!」
平然と教皇の間から退がり、十二宮の階段を降りて行くサガの後を、アイオロスはこけつまろびつ捕まえて、
「ど、どうして俺が、そんな大それたことを請け負わなくちゃいけないんだよ!」
とまくし立てた。しかし、サガは落ち着いたもので、
「教皇がそう判断されたのだ。少しは喜べ」
と言う。
「君らしくない」
「らしいとか、らしくないとか、そういう問題じゃなくて、俺はてっきりお前が教皇を譲られるとばかり…」
とアイオロスが言うのを、サガは「しっ」とおし止める。
「声が高い! 教皇が公にされるまで一切他言は無用! だったろう?
どこで誰が聞いているのもわからないのに」
「でも、俺よりもお前のほうが1年先輩なんだぞ、この世界じゃ! それなのに…
とにかく、俺にはこの仕事を果たせる自信がない!」
それでもアイオロスがいじけたことを言うと、サガは
「君も私もそうだ。始めから完璧な人間などいやしない。そうだろう? 
 でも大丈夫、君にならきっと果たせる。何のために私がいると思う?
 私は常に君と共に悩み、憤り、喜ぶことを教皇より命じられたのだ。
 何でも言うがいい。私に出来る限りのことはするよ、教皇殿」
と言い、念を押すように笑ってさっさと先を急いで行った。
 相談できるただ一人の相手がこの有り様で、しかし外の人間には相談できる訳もない。アイオロスは益々思考が持ち前の短絡経路をぐるぐる巡りながら、鬱屈ばかりを重ねていた。そして、いいかげん脳細胞が煮え切った所で出た彼の結論は、
「明日、サガを誘ってもう一度お伺いしてみよう。
教皇はきっと考え直して下さるかも」

 そして足は、図らずも通いなれた道を行く。

 酒場は人で一杯だった。
「どうしてました、この二三日お見えがなくて。心配してましたよ」
と主人は、定席へとアイオロスを導きながら言うと、彼は
「用事があった」
とだけ答えた。主人はそれに対して
「まだまだ世間じゃ子供だって言ってる歳なのに、聖闘士…まして黄金ともなると、厄介な仕事が沢山なんでしょうね。凡人でよかったですよ」
と肩をすくめた。そこに
「おやじー!早く始めろ!」
と怒号が上がる。主人はふと懐中から時計を取り出して、時間を見るなり
「おや、5分も遅れている、始めないと。
 まったく、あの娘がここで踊ってくれるころから連日この有り様、売上も伸びてるんですよ」
と言い、慌ててアイオロスの前を退がった。そして、花道の奥で
「さあ、用意はいいかね、うちの女神や。お前の聖闘士様がお見えになったよ」
と主人が、控えている踊り子に告げるのが聞こえた。

 踊り子の舞は、相変わらずの艶やかさで、しばしアイオロスは身辺の煩わしい事項も忘れてその舞に見入っていた。夢うつつのうちに舞台を終えた終えた踊り子を拍手をもって讃え、頭の中では繰り返し彼女の嫋やかな舞の手を反芻し、ここに来ているその他の常連と変わらぬように余韻に浸っていたが、しばらくして彼の許に踊り子が歩み寄って来る。
 彼女は空いていた彼の差し向かいに座って
「どうしたの?」
と声をかけて来た。我に返れば、踊り子のうっとり潤んだ黒い瞳が彼の目をしっかりと射抜いている。アイオロスはその目の回りからたちまち顔中まで熱くなり、鳥肌までが一瞬の間に全身を駆け巡った。
「悩み事でもあるの?」
と続けて踊り子は問いかける。アイオロスはとたん表情を取り繕って
「あるように見えるか?」
と尋ね返す。すると踊り子は
「目が濁ってる。いつもの色じゃないわ」
と答えて
「何かあったの?」
しかし、今の彼の悩みの種は口外に憚るべきこと。ごにょごにょと口ごもる彼に向かって踊り子は
「いやならいいのよ、無理に言わなくたって。聞いた所で、私なんかがわかる話じゃないし」
と言って、折よく通り掛かった給仕の女に何か言う。そして向き直って
「おごってあげる。元気出してよ。あなたに悩みは似合わないんだから」
と言った。

「私、今でもはっきり覚えてるのよ」
と、いそいそとアイオロスに飲食を供しながら踊り子は言った。
その話を、筆者の取材からの事項も含めてまとめあげるとこうである。

どうやら、聖闘士というものは、天分の才能を早く強く発揮した子が勝ちらしい。それは地位が高くなるほどいえることらしく、サガは9才にして双子座の黄金聖衣を先代より譲り受けた。
それは付加事項に止めておいて、本当の話はこの聖衣をかけた最後の戦いの舞台となる闘技場に始まる。
聖域に長いこと住み、その試合を見ることに一種の生きがいをも見いだしているゴルゴニオの言うことにはこの試合は、やはり、黄金聖闘士の代変わりに伴うものであるということである。
踊り子…ブリトマルティスはサガのことに関しては悪い風邪をこじらせて寝込んでいたのでよくは知らない。
だから、ゴルゴニオの喜びようは異常だった。
「当たり前じゃ。この前はお前につき合わされて、せっかくの好試合だったというのに棒に振ってしもうた」
と「嬉しそうね」というようなことを言ったブリトマルティスにゴルゴニオは言い返して
「わしゃもう行くぞ、早くついて来いブリトマルティス!」
と勇んでいる。ブリトマルティスは
「はいはい」
と半分呆れて部屋から出た。

 闘技場は既に人でごった返している。運よくゴルゴニオの知り合いが場所を取っていてくれたため、なかなかの場所で観戦できるようである。
「まだ始まらんかのう」
とゴルゴニオが言えば、知り合いは
「そろそろだ、教皇がお出なさったぞ」
と言う。
 遥か向こう側で、教皇は、彼の前に跪いている二人の少年の前に金色のパンドーラ・ボックスを指し示した。そして、教皇がなにか言ったのを合図にして、聖衣の拝受をかけての最後の戦いが始まった。
その歓声に紛れてゴルゴニオは、意味深な台詞をブリトマルティスに言った。
「よく見るがいいぞ、お前は今日定まる黄金聖闘士の運命共同体ぞ」

 この試合の少年たちは、一人はブリトマルティスと同じほど、もう一人はそれより少し年かさで、その実力は伯仲し、どちらが勝つか、長いことこういう拝受の試合を見て来たゴルゴニオのような老人にも、全く予想がつかないらしい。ブリトマルティスはそういうことにはあまり興味もなかったのだが、ゴルゴニオが応援に身を乗り出さんほどなうえに観衆のいるのはひどい斜面なので、ゴルゴニオが転がり落ちてしまうかもと、支えるので懸命だった。
 しかし、目ざといのはどこにもいるもので、直線距離にして2mほど離れたところから大声が上がった。
「ああああああああっ」
その男のすっとんきょうな声と指さした先から、驚きと観戦のものとは違った歓声が波紋のように広がった。
「ブリトマルティス!」
「天下りし優雅の姫神!」
「この戦いの勝者に栄光を!」
「橄欖の冠と接吻を!」
そしてこの大音声。あまりのハプニングで試合が一時中断までされてしまった。ブリトマルティスは、それこそ穴があったら入りたいほどであったが、下手にここを動いてゴルゴニオが白熱し過ぎて転げ落ちたとすると大変である。だから彼女はただ小さくなっているしかなかった。

 その騒ぎもやっとおさまり、試合も再開される。
 それにしてゴルゴニオの言った「この試合の勝者と自分とは運命共同体だ」の台詞が引っ掛かった。あの少年二人のどちらにも面識はないはずだと自覚しているブリトマルティスではあったが、「ひょっとしたら擦れ違いでもしているのかも」と思い直し、「顔を見れば」と思った。
 ブリトマルティスはゴルゴニオに少し離れると言って…ゴルゴニオは聞いていないようだったが…群衆の最前列へと駆け降りた。幸いその場所に酒場の常連がいたのでその隣に滑り込む。試合の様子はこの場所の方がよく見えたから、小さい方の少年が劣勢であるのが分かった。そこで
「どら、小さい踊り子さん」
と隣でその常連が声をかけた。
「お前さん、この勝負どっちが勝つと思うかね」
ブリトマルティスは
「大きいほうかしら? でも小さいほうはこれからやり返すのかしら? わたしにはよく分からない」
「そうか」
常連は言って
「ではどっちを応援しとるかね」
「どっちって?」
ブリトマルティスが聞き返すと彼は
「あの小さいほう、よく酒場に来ているあの坊主に違いない」
と言う。
「え?」
とブリトマルティスは驚いて
「じゃきっと、大きいほうが勝つと思うわ」
と言った。
「どうして」
「だって、あの子、よく酒場に来るなんて、きっと修行さぼってばかりいるのよ」
「そうか」
と常連は言って、
「しかし」
と付け加えた。
「あの坊主が、大事な修行をさぼって来てまでもお前さんを見たいという気持ちは察しててやってもいいと思うぞ。お前さんに会えばこそ、修業にも張り合いが出ると言うものだし」
「え?」
ブリトマルティスが聞き返そうとした途端、常連は「危ない!」とブリトマルティスを自分のほうに引き寄せた。
びっくりしたその視界に、例の常連少年がすさまじい勢いで彼女のいた場所まで吹き飛ばされて来た。
彼はしばらく伸びていた。その身体の上に
「おらおら、しっかりしろよ 」
「俺はお前に有り金全部賭けてんだぞ!」
と罵倒が容赦なく降り懸かった。
少年はしばらくして、一瞬眉間をしかめた後目を開ける。
「生きてるぞ!」
と声がブリトマルティスの頭上を越えて後ろへ飛んだ。ブリトマルティスはびっくりしたまま少年の顔を覗きこんでいたが、少年がふと彼女の顔のほうに眼球を動かしたのにまた驚いた。
「へへ…」
と彼は笑ってゆらりと起き上がった。群衆の罵りは
「いいぞ坊主!」
「親父さんにいい顔みせてやれ!」
の励ましに変わる。少年はそれを聞いたような聞かないような顔をして
「見てたんだ」
と言うと、ブリトマルティスは言葉を失って頷く。少年は彼女だけに聞こえるように
「こんな時言うことじゃないだろうけど…俺が聖闘士になったら君の名前を教えてよ。俺は君をよく知っているつもりだけど、これだけまだ知らないんだ」
と言うなり中央に飛び出し、さっきとはまるで違う小宇宙をたぎらせて相手に飛び掛かっていった。
ブリトマルティスはアッケに取られれたままである。
「あれほどのされていたのにすぐに生気を取り戻すなど、さすがバシレウスの子よ」
と常連が言うように、それからの試合は、圧倒的にあの少年のペースで進んでいった。
「勢力の配分をよく心得てますなぁ。これは天賦の才能というが正に相応しい」
「これは近年またとない好試合ですなあ」
という台詞も、ブリトマルティスの後ろで聞こえた。先刻からの観衆につられた高鳴りが抑えられず、自分の胸をしっかりと押さえていた。

 試合も果てて、結局快勝を収めたあの少年の前にその聖衣は姿を現した。そして聖衣を拝受した少年の、明るい栗色の髪と透き通った秋の空色の瞳と信念の籠った凛々しい表情はブリトマルティスの瞳深くに突き刺さる。
 その勢いはあたかも背の一対の黄金の翼が雄々しく照り返す日の光のように。
 否もその聖衣の輝きも失せるほどに。

 その彼にブリトマルティスが名を明かしたかというのは愚問と言うものである。


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