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 アマルテイアは、いかにも城の女主然とした態度と、物おじしない目で俺をしっかりと見据えて言う。
「生憎、主人は所用にて出ては来られません。あなた様のご用向きはよくわかっておりますが、ここはどうか、お引き取りをいただきたいのですが」
俺もメリッサも、目が点になってしまった。メリッサは開いた口も塞がらなく、やっと
「…そんな…」
と声を出した。アマルテイアはそこでやっとメリッサに気がついて、少し困った顔で俺を見た。俺は、メリッサがついて来るまでの事情を手短に加える。するとアマルテイアは困った顔のままで
「村にお伝えください。魔物はもう村に危害を加えない。毎年の作物は今の十分の一でよい、と」
と言う。
「姉さんは? 姉さんはそれでどうするの?」
メリッサが尋ねると、
「私はここに残ります」
「そんな! わたしは姉さんを助けに来たのに! バッサリスになっていても構わないって思っていたのに!」
 アマルテイアの言葉は、メリッサにこれ以上ない衝撃だった。てっきり、今の生活にすっかり嫌気がさしていて、飛びついて帰ろうと姉が言うことを、メリッサは頭の中で描きそのつもりでいた。しかし姉は、人間をやめるのと同じことを言ったのである。アマルテイアは、当てが外れてへたりと力なく崩れ落ちたメリッサの傍らに腰をかがめ
「わかって、メリッサ。私がこうすることが、村があのひとから解放される道なのよ。村の人はいい人ばっかりだから、きっとお前一人でもうまくやっていけるはずよ。
 ね? 早く帰りなさい。村も心配するし、あのひとに見つかったら…」
ととくとく諭している。メリッサは、聞く耳持たぬというように幾度も幾度も首を振っていた。
 そして俺は、ここに何かが近づいて来るのを悟った。姉妹の前に立ち、スォードを扉に対して構える。
「アマルテイア?」
扉の向こうで、誰かがアマルテイアを呼んだ。
 主のお出ましだった。
 アマルテイアはつと駆け出し、扉を細く開け外に滑り出した。二三話声がして、次いで横柄な音を立てて再び扉が開いた。
 メリッサの話と同じ、つまり、村の伝承と同じ顔があった。緑色に輝く黒い炎のような髪、魔物らしく血の気の失せた顔に、鋭い眼光。貴族であった誇りと畏怖感をそのままに魔物としての気迫を備えた、生粋の魔物にもなかなかいない美々しい男である。
 さて貴族は
「私の手から、アマルテイアを奪うつもりか」
と、我々に何のあいさつもなく言った。
「そのつもりなら、何人たりとも容赦はせん!」
そして、城主の貴族は手を大上段に振りかざした。しかし、そこからは何も出て来ない。
「生憎だな。速やかに話を進めるために邪気を封じてある」
と俺は言う。メリッサの手にある水晶玉はまだ輝いている。貴族はギリ、と歯の根を噛み、また横柄に扉の音を立て、部屋を出て行った。
 それを見送ってアマルテイアは
「ご安心ください。あのひとはあんな風にふて腐れた時は、しばらく部屋から出てはきませんわ」
と言う。俺は水晶玉の「モルプ」を消した。
「話の続きをしよう」
俺は、一瞬ではあるが、あの貴族と戦うことも考えた。だが、アマルテイアの事も考えると、そうやすやすできることでもないな、とも考え直す。
 貴族を見送る彼女の母親のような目が彼女の内面を覿面に語っている。
 彼女は今や、鬼のフンドシもいそいそと洗える女になったのだ。村人から見れば恐怖この上ない魔物でも、アマルテイアにとっては唯一無二の「夫」である。その助命を請うのは、当然なのかもしれない。
 こうした変化も条件に入るとすれば、人とは違う想いを持ったアマルテイアは立派にバッサリスなのだろう。しかしそれはあくまで頭の中で、俺は
「ずいぶん、あの魔物に大事にされているらしいな」
と言った。
「ですが、それを逆手にとらせてもいただきました。もう村に出ないことも、収める収穫のことも、私のたっての願いといえば聞き入れてくれました」
「転んでもただでは起きんな」
俺はつい笑ってしまった。しかし、アマルテイアはニコリともせずに
「私にできるのはそれくらいですわ。村をこれ以上ひどい目にあわせないために」
と言う。
「しかし、アマルテイア、所詮、魔物とと人は相入れないぞ。たとえ、もともと人だったとしてもな」
「わかっています。ですがそこを枉げて、あのひとへの容赦をお願いします」
彼女は深々と頭を下げた。俺はメリッサを見る。彼女は、不満と戸惑いがありあり浮かんだ顔で睨み返した。
 姉妹の間で、俺はしばし途方に暮れた。が、どちらを取るかということは、一目瞭然であった。
「しかし、村のものの恐れのほうが、お前の愛情より大きいのは確かなのだ。
 出来る限りお前の意思は尊重するが…すまんな」
俺はそう言って、部屋から出ようとした。メリッサは立ち上がって、
「姉さん!」
と、腰に吊していた小ぶりのスォードを外した。
「村の、おばばから預かって来たの。何かあったら、これで身を守って!」
そして、それをアマルテイアに押し付けると、俺の方に向き直る。彼女は真剣だった。
「どうすればいいの 」
「来い! 奴の部屋に突っ込むぞ」
俺は言って、アマルテイアに
「早まるなよ」
と言った。彼女がその時どう思っていたかはわからない。だが、このときは、とりあえずそう言うべきだ。それがお約束というものだ。
 扉を破ると、貴族は邪気を、調度品が煽られて部屋中を飛び交うほど発していた。
「どうしてもアマルテイアを奪って行くつもりか!」
と言う。そして
「そうはさせぬ 」
ゴバア、という音を立てて、邪気が滝のように俺に襲い掛かってきた。
「アリク!」
俺はとっさに口訣を唱えシールドを張った。邪気がはね返り、紫色の波が弾ける。俺は
「話し合わんか」
とふってみる。
「アマルテイアに、お前の命を取らぬように頼まれた。
…どうやら、お前も少しは彼女に教化されて、村には降りぬと約束をしたらしいからな、時と場合によっては、そうしてもよい」
「ぬかせ! その前に、お前を木っ端微塵にしてくれる 」
魔物は言う。
「何度も言うぞ!アマルテイアはお前達には渡さぬ!
 私と共に、永遠の時を生きるのだ!」
そして、何度かシールドに挑みかかったが、その度に邪気は徒にはね返った。
「…実行もできぬうちからそう声高に言うのはやめておけ。村のものは、さらわれた娘は永遠の青春を与えられるが、それに見合う寿命は与えられず、いいように弄ばれながら死んで行くとややこしい伝承をしているが、その実は、寿命を待たずしてお前が食ってしまうのだろう? バッサリスとの差し向かいの日々に飽き果てたあげくにな。
 そうでなければ、お前のその姿、まさに五十年とはもつまい。
 そのくせに、数年もすればまた懲りずに村に降りる。そんな暮らしの繰り返しなど、永遠の時があっても何の意味もないぞ!」
 俺はそうして、魔物の出方を見ていた。これにいくらか、魔物が反省的かつ進歩的な事を返せば、アマルテイアと誓った内容も守るはずだと思って、彼女の望みを容れようと思った。しかし、もはや邪気に冒され数百年の、この人間からのたたき上がりには、そんな高尚な思考回路は残っていなかったようだ。魔物は、部屋の壁にかかっていたスォードを掴み取り、さやを抜き払った。
 黒光りする、よく鍛えられたスォードだった。
「指図するというのか?
生まれ落ちて三十年にも満たないお前が、数百年を生きたこの私に?」
魔物は、スォードを振りかざした。紫色の邪気が切っ先にまでじわじわとみなぎる。
「おもしろい!」
そして、彼は床を蹴った。一気に間合いを詰め、俺の張ったシールドに、ためらいなくスォードを突き刺した。シールドが、白い光となって砕け散る。こんな形で破られたことのない、少々自慢の品だったので、俺は意表を突かれ、どう出ようかと正直戸惑った。
 魔物は、シールドのなくなった赤裸同然の俺に休む間もなくスォードを繰り出した。その太刀筋は鋭く、魔物に落ちぶれても貴族である。数回合わせる間に、俺はぐんぐん押されてしまった。
 魔物がスォードを横に振るう。それは真一文字に俺の首筋を狙っていたが、俺は紙一重の間合いでかがんで避ける。しかし、それからの俺は立ち上がる暇もない。
「どうした、大口上を述べたわりには情けなさ過ぎるぞ!」
魔物は、狂気じみたというか、魔物然とした笑みを浮かべ、まるで舞でも楽しんでいるかのように切り込んで来る。俺はそれをやっとのことで避けていた。
 そこに、である。
「モルプ!」
という、メリッサの甲高い声がして、部屋の邪気が急に失せた。魔物はこの現象に一瞬驚いたか、太刀筋が乱れる。その隙に、俺はやっと立ち上がれた。
「娘…何をした…」
魔物は、戸口に立っていたメリッサを睨みつけ
「魔力など使わなくとも、お前一人ぐらい、素手でひねり殺せる!」
とスォードを投げ置いた。メリッサは真っ青になり、水晶玉を取り落とし、廊下を駆け出す。魔物はそれを追う。
「メリッサ!」
俺もアマルテイアもほとんど同時に叫んでいた。そして、俺より早く、彼女は駆け出していた。
 俺は自分のスォードが、すっかり刃こぼれていたのを確認し、魔物が投げおいたスォードを失敬した。これには何の罪もないから、俺は
「ミレム!」
と邪気を暫る魔法を水晶玉から移し、それから三人を追う。
 すぐ3人に追い付いた。しかも、メリッサの駆ける先は、大きな扉にはなっているが、そこがどうも突き当たりのようである。魔物は、メリッサのかけた「モルプ」が水晶玉の落ちた拍子に失せた(かけた人間が人間だけに仕方がないことではある)ということをわかっていた。だから、全身から邪気を発し、後ろからメリッサに圧迫感を与え続けている。
 メリッサは、その突き当たりの扉にぶちあたり、わななく手で押した。空いた隙間に転がり込む。魔物は、邪気で扉を吹き飛ばす。
「娘! どこに隠れた!」
と魔物は呼ばわるが、メリッサは見えない。魔物は両手の先に邪気を反応させて、青白い光を放りあげた。その光に照らされてメリッサのいた部屋の隅が見つかったのもさることながら、その部屋にあったものに俺は度肝を抜かれた。
 骨、骨、骨。
 しかも新旧取り混ぜて。恐らく、歴代バッサリスと、いつかこの城に入って全滅したという村の有志のものだろう。生粋の魔物なら、精気を吸い取った後は、骨も残らず風化するものだが、人間からたたき上がったこの貴族は、まだ数百才という「若輩」でもあるために、そんな高等なことはまだできず、結局精気を得るためには食うしかなかったのだ。
 メリッサは、魔物と骨というありがちなシチュエーションだが、その恐怖に声も出ない。
「おとなしくしておればよかったものを! あながちに邪気を封じて、お前達に勝算があると思っているのか!」
と魔物が、気迫を撒き散らしながら迫って来る。腰でも抜けたが、身動きも取れないメリッサだったが、それでも逃げようと部屋の隅をおたおたと動く。
 アマルテイアが戸口でただすんで、その様子を眺めていた所に、俺は駆け付けた。
「!」
勿論、メリッサの有様は見逃さない。俺は、魔法を与えた例のスォードが、邪気にうなるのを手にひしひしと感じながら、部屋の中に踊りこもうとした。が、
「お待ち下さい」
と、アマルテイアが引き止める。
「『人間の』命を救うほうが先だ! やむを得んが、お前の旦那は殺さねばならんぞ!」
俺は息巻いたが、しかしアマルテイアはなおも
「どうか、しばらく」
と俺をなだめて、部屋を入り、魔物に近づいた。
 魔物の手が、今しもメリッサの首にかかろうとしている。「惜しい娘ぞ。姉と共に可愛がってやろうとも思ったが…」と、魔物は笑んでいる。アマルテイアはその背後につと寄り、
「あなた」
と魔物に声をかけた。当然彼は
「何だ」
と振り向く。途端、アマルテイアの持っていたスォードが、魔物の身体をハスになめ上げた。
「!」
魔物はかっと目を見開く。まさか、彼女に暫られるとは思ってもみなかったのだろう。
しかし、「おばば」こと村の魔法使いの老婆仕込みの魔法のスォードの傷は、浅くても、魔物を昏倒させるのには十分だった。
「なぜ、おまえが」
とぶつぶつつぶやきながら、魔物は、目の色を濁らせてその場に崩れ落ちる。傷口から、紫色の煙が立ちのぼる。
 アマルテイアはその傍らになよやかに立ち、俺に言った。
「…とどめを、お願い致します」
 俺が魔物の心臓を例のスォードで貫くと、全身から邪気が迸った。その肉体は見る見る年老いて、ついには骨と皮だけになって、細々と横たわる。
 アマルテイアはその一部始終を、まつげ一本動かさずに見ていた。魔物であれ、愛情を持った相手に対する態度にしては、随分非常な様子に、傍からは見えただろうが、彼女の心中には、魔物に可愛がられ、城に迎えられてからの一年の間の、さまざまの悲喜が去来していたにちがいない。 勿論これも、俺の推測に過ぎないが。
 煙が完全に吹き去り果ててから、アマルテイアは、まだ腰が抜けているままのメリッサを立たせた。
そして俺に、
「本日は、お手数をおかけしたうえに、妹のわがまままで聞いてくださって」
と深々頭を下げた。俺は
「いや、こんなことは」
どうということもない、と返そうとしたが、アマルテイアは
「お手数ついでに、妹のこれからのことをよろしくお願い致します」
と、含蓄ある言葉を言った。
「ふつつかものではございますが、お手伝いの一人にでもおつけくださいませ」
メリッサは、きょとん、とした顔でアマルテイアを見た。しかし、アマルテイアはメリッサを見ず、俺の手の魔物のスォードを取り、メリッサのスォードを握らせた。そして
「今はこのまま、決して振り向かずに去ってください」
と、俺達を部屋から押し出した。
 俺は、そう言われていながら、一度だけ、振り向いた。 アマルテイアは、床の、見る影もなくなった魔物の傍らに倒れていた。彼女が、どういう道を選んだのか、それだけでわかった。
 メリッサは、姉がとうとう自分を見なかったことで姉の覚悟を悟ったらしい。城を出て村に帰るまで、声ひとつ出さなかった。
 日暮れになれば帰るだろうと、言い残しておいたものが、帰って来たのが夜明けになっていたので、村人達は気揉みしていたものが小躍りして、早速祝杯の準備になった。しかし、今回の内部事情を考えると、どうも魔物が死んだからと言って、村人達と馬鹿騒ぎをする気にもなれない。
 こういうときは嘘も方便というものである。かねてから入っていた大きい依頼があって先を急ぐと訴えたら、
「それは、致し方ございませんな」
と、快くわかってくれた。
 まだ、戦いの疲れが若干残っていたが、俺達は、日が昇りきったときには既に、あの村を後にしていた。
 宴会が開けない代わりにと、報酬には色がついて来たが、その重さも、今回の内容にしてはやたらに後ろめたい。
「南に行くか」
と、俺は後をとぼとぼついてくるメリッサに言った。
「このまま行けば、昼には結構な宿場町に出る。俺が得意にしている武器屋兼宿屋があってな、スォードの直しと買い物がてらお前を預ける。
 アマルテイアには悪いが、俺の信念は枉げられん。しかし、あの店の得意になっているパーティはいい奴らばっかりだ。俺のことを言えば誰かが拾ってくれるはずだ」
メリッサは、行くところならどこでもいい、という顔で頷いた。
 その町のその店。
「おやナノスさん、随分とお見限りじゃないですか?
 前に来たのは確か五年前…」
「三年前だ」
主人と軽口をたたいて、俺はスォードの直しを頼んだ。それから
「水晶玉をくれ」
「へえ」
主人は棚から、柔らかい布の上に転がっている水晶玉を取った。
「こいつはどうでしょう。光沢も丸みも一流品」
「何でもいい」
品代を払う。すると横でメリッサが
「どうするの?」
と首を突っ込んで来た。
「魔法を仕込んで、この間の様に使うんだ」
「もうあるじゃない」
「あれはお前にやる」
「え?」
「口訣を教えてやるから、後で部屋に来い」
俺が彼女に与えられる餞別はこんなものであった。これで彼女のこれからに、少しでも希望の兆しがあればよいが。
「しばらく、お前には持て余すだろうが、ないよりはましだろう。そのおばばのスォードも、大事に使えよ」
と、彼女に口訣を教えた後は、しばらく談笑になった。
 メリッサは半分以上が姉との思い出話だった。
これ程影響絶大の姉を失って、彼女はいかに気を落としているのだろう。目の前でメリッサのはしゃぐ姿は、それだけ中が虚ろに思えた。
 あまつさえ彼女は、このまま俺の部屋で寝るとまで言い出した。
「お前な、俺を何だと思っているわけ?」
しかし、寝台は二つあるし、俺は信用できるとメリッサは言い張って、そのまま泊まり込んだ。
 夜中、ふと目を覚ますと、メリッサは俺に背を向けていた。じっと眠っているようだったが、俺は、お節介にも、彼女の忍び泣きを聞こえないふりはできなかった。
「そのうち泣けもしなくなるさ。
 所詮戦士は、こんな後悔しか残らんものだからな」
俺は聞こえるように寝言を言い、布団に深く潜り込んだ。
 

PLOTUP19940719 TYPEUP19970722
BY KIYOHARA YORUKA(ex.TEMBIN NANAKO) WITH LOVE


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