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にじゅうご・承前そして、夜の白々と明け始める時

 「先のクチがあろうと、余には関係ない」
グスタフは悠然とした。バルコニーの端にまで進み出て、
「誰かある!」
と声を上げた。すぐさま近くの騎士が駆け上がってグスタフに膝をつく。
「余のナワを解け」
「は」
騎士が剣を抜く。
「失礼いたします」
すぐに、ぱらりとナワが落ちた。グスタフは肩をほぐす。
「モイラ」
そして声をかける。モイラの肩がふたたび震える。
「過去何があろうと、余にとっては何の障害でもない。
 モイラ、余のもとに来い。全てを捨てて、后となれ」
グスタフは寛大に手を広げる。モイラはする、とナヴィユの傍らを離れた。衣装の裾を鮮やかに捌き、グスタフに最敬礼をする。予想外に素直そうなその様子に顔を緩ませていたグスタフは、続いた言葉に唖然とした。
「お断りいたします」
「何でだ」
憮然と聞き返す。モイラは上半身をおこして、答える。
「私のようなものが参上いたしませんでも、こちらにはすばらしいかたが大勢おられます」
「そんな女達、何人束になってもお前には勝てぬ」
(ユークリッドのいることなどまったく忘れたように、)グスタフは唇をゆがめる。問答の内容も兄と妹で似たようなものだった。
「何もわからぬお前に無理を強いた異国の騎士に操立てするのか?」
いや、忘れたわけではなかったようだ。控えるユークリッドを流し見て、揶揄っぽく笑う。
「そこの!」
控えている騎士に言う。
「あの騎士を斬れ」
「は?」
突然言い渡されて、騎士は目を白黒させた。グスタフを見上げる。
「早く斬るのだ。アレックスの時より数倍やりやすいわ。ブランデルにはそんな使者など来なかったと返事をしておけばよい。モイラはオーガスタの宝にも等しい。異国の騎士風情にくれられるか」
「…は」
騎士は剣を抜いた。だが、すぐには動かない。自分のしたことが最悪どうなるかということがわかっているのだ。
「団長!」
槍をもったベンヤミーノがかけようとする。だが、続々と上ってきたオーガスタ騎士に阻まれる。バルコニーの下では、ふたたび小競り合いが始まっていた。
「こりゃ、のんびり話合いなどしている場合ではなくなりましたな」
こちらに。モイラやクローディア達をバルコニーから建物の中に押し込もうとする。だがモイラだけは抵抗して、その場所に残ろうとした。
「姫様、危険ですよ!」
ベンヤミーノが叫ぶ。だが、モイラはしゃ、と剣を抜いた。

 このどさくさにまぎれて切り掛かってくるものがいるかもしれない。そんなことをモイラは考えていた。ヒュバートの言うとおり、下がっているのがいいのじゃないか、そうは思うけれども、足は、いや、体は、その場所から離れることを許さない。
「グスタフを斬れ!」
そういう言葉が聞こえた。その言葉にモイラは身震いした。兄のかたきを打てる感動にではない。
「まだ、まだよ!」
体から響く何かを自分の言葉に直したものが口をつきかけた。
「今その人を殺してはいけない!」
でも、のどまでで出てくるのを止めた。
「でも、どうして?」
自問しながら、頭を巡らせた。ユークリッドが囲まれている。かれは丸腰だ。オーガスタ騎士にもまれながら、得物を渡せずにベンヤミーノが困っている。剣を抜いたまま、呆然と立っているモイラを、ユークリッドが見のがすはずもなかった。
「王女!」
かき分けるように、近付いてくる。だがその背後に。
「きゃ!」
無名の騎士の陰が動いた。まとわりついてくる手勢をはらいのけて、ベンヤミーノが、
「団長!」
と預けられていた槍を投げようとしたが、ユークリッドは受け取ることもできなかった。

 槍もモイラも、あと一歩手を伸ばせば届くところにあった。無名の騎士の剣は、ユークリッドの脇腹に食い込んでいる。ナヴィユが素速く回り込んで、その騎士を斬っていなかったら、背骨を崩してたかもしれない。一瞬、ユークリッドの気配が激しく輝いて、周りの者は身を引いた。何かを掴もうとした手を引き、傷口に当てる。グスタフの嘲りが聞こえた。
「見たことか! これが余に寄せられてるオーガスタ二十代の誇りと信頼よ!」
その目は血走っていた。
「これが、お答え、ですか」
ユークリッドは傷の衝撃で途端朦朧としてくる目の前を奥歯で噛み締めながら、動くのには邪魔な剣を抜いた。血の感触が足をつたう。胃から血があがって来ないところからすれば、幸いにも内蔵に傷はついてなさそうだ。だが、割られた腹筋がつれる。
「そもそもなぜ、余に質問するのに、もっとましなやつをよこさぬ、ブランデルは? 王太子本人をよこせ!」
グスタフは異様に興奮していた。
「モイラは誰にも渡さぬ、オーガスタの宝だ、余の后だ!」
歩み寄って、フィアナの面々とナヴィユが守るモイラの腕を取り、輪の中に引き摺り出そうとする。だか、そののどもとに、す、と剣の切っ先があてられた。
「ですから、それはおとこわりしたはずです」
動けないユークリッドに、自分の顔を見せる。ベンヤミーノを目で促して、バルコニーの床に足を投げ出させる。グスタフに向けられた剣を
「失礼」
と下げて、半分気を失いかけてるユークリッドの額に口付けてから、向き直ってモイラは微笑んだ。
「私はパラシオンから陛下をお見守り申し上げます」
「んぐ」
グスタフののどから、疑問がでかかったが、ことばにはならなかった。
「兄の心を継いで、陛下をお見守りいたします。側におりましたら、何も見えませんもの」
さぱ、と、衣装の裾が音を立てた。
「オーガスタの諸卿、パラシオン会議の皆さん。
 いまここで、全ての決着をつけ、最悪陛下を弑したてまつるのは、あるいは簡単なことかも知れません。
 ですがそれをいたしますのは、私達ではないと思われます。おそらく後世、書物、あるいは私達の子供達。
 私とパラシオン会議は、陛下を審議する存在とお心得ください。
 もし、私達の心空しく、陛下がお心を新しくなさいません時、その時こそ、陛下の御首、脅かされる時かと存じます」
グスタフはがくりと膝を落とした。モイラに圧倒されて、立っていられなくなった。モイラは、剣をふたたびもたげ、グスタフの額に当てた。
「この傷が陛下を苛みます時には、かならず私をお思い出しになりますように。その時は陛下の御所業に何か後ろめたさのございます時になりましょう」
グスタフの額から血が滴る。モイラも跪き、グスタフに最敬礼してから、ユークリッドたちに振り向いた。
「さあ、パラシオンに帰りましょう」
モイラの笑みは女神のようだった。

 折から雷鳴が轟き、打ちつけるような雨が振る。
 あるいは、これから始まる、各人の波瀾の人生の幕開けか、すでに終わった運命を悼む涙か。
 モイラ達がいなくなったあとも、グスタフは呆然と、バルコニーに膝を落としていたという。

 ユークリッドは、オーガスタ宮殿城下の某所で行われた、ぱっくり裂けた傷を縫い合わせると言う拷問にも耐え、帰るモイラ達と一緒にパラシオンに搬送された。
 エルンストは、秋の節目に合わせてユークリッドを各種式典に参加させたいと考えていた。ユークリッドには、現在の彼の身分を与えてくれたバスク卿の人脈が用意されているとはいえ、彼独自の人脈は将来につながる大事なものだ。それは、ブランデル本国に戻り、中枢に関わっていけばそれだけ内容も濃いものになる。ディアドリーのようなへき地にいたり、あるいは国外に出ていては作り得ない類いのものだ。
 帰国直前、場内のユークリッドのこれまた殺風景な部屋を訪れ、本国で彼に待ち受けているものの説明をした後、謙遜した彼にこう言った。
「当たり前だ、お前は俺の懐刀としてこれからブランデルの未来を担う大事な体だ」
その言葉に、ユークリッドは病床から平伏するように感謝した。
「それに、生まれてくる俺達の子供が、男でも女でも、お前にまかせようって、オルトと相談したところなんだ、どうにかなってもらっちゃ困る」
「え」
「重責だぞ」
エルンストはニヤリと笑う。ユークリッドはつい体を動かそうとした。傷がつれて呻いて仰向けにしかなれなかった。
「とにかく、今は静かにしていてくれ。傷が開きでもしたら、帰国がおくれるし、モイラも必要以上に大騒ぎする」
 ユークリッドがパラシオンに搬送されてからこの方、モイラは文字通り寝食を投げ打って彼の介抱をしていた。
「遠征の間にすっかり慣れましたもの」
と言ってははいたが、とうとう本人も体調を崩して寝込むという二度手間を取らせることになってしまった。機微を察して見兼ねたナヴィユがそういうモイラにお説教したところ、彼女は初めおおいにむくれていたが、今は観念して侍女たちの監督に勤しんでいる。
「まあモイラが四六時中側にいたら、お前の治る物も治らないだろうからな」
 エルンストは、ユークリッドがある程度回復したらブランデルに移送して治療を続けることをモイラに打診したが、モイラは
「いえ、パラシオンに関わってのお怪我ですから、パラシオンで責任もってお世話します。
それに」
その先は言わなかったが、機微を察してエルンストはそれ以上ユークリッドをブランデルに戻す話はしないことにした。
「…モイラは本当にお前の事を心配しいるのだから、とにかく治療に専念してくれ。
 そうだな、オルトが出産して里帰りするぐらいに一緒に帰ってくればちょうどいいだろう。その時はモイラも一緒だな。父上が会いたがっているから」
「え?」
「いつまでも独り者のつもりでいるんだな、お前は」
エルンストはにやりと笑ったが、いつもはすぐわかるはずのその笑い顔の内容を、この時だけはユークリッドははかりかねていた。

 そして。
 パラシオン王家の墓地は、城に近い教会に、庭園に仕立てられて佇んでいる。だいだいの小国王に当てられた一角の、最も新しいその場所が、アレックスの終の住処である。モイラ達はその場所にいた。
「…」
献花する人々は引きもきらない。だが、モイラが現れたことに遠慮しているのか、その時は誰もいなかった。
 墓碑名が見えない程花に埋もれたその中に、もう一つ花束を捧げて、モイラは黙って立っていた。
 今はもう何も言うことはない。ついてきたエルンスト夫妻、ディートリヒ夫妻、ナヴィユ達も何も言わない。アレックスの墓を目の前にして、なにか言いたいことがたくさんあったような気もしたが、春が来れば融ける雪のように、その気持ちも融けていったようだ。ひょとしたら、そういう自分が悲しいと思うこともあるかも知れないとも思ったが、不安になるくらい穏やかに、モイラは墓の前に立っていた。
「いいお顔しているよ、姫様は」
ナヴィユの言った声が聞こえたので、モイラはふと振り向いた。
「どういうこと?」
「ちゃんと、見えているって事さ」
古いことはすぐ忘れるって事を悪いと言っているわけじゃないけれども。ナヴィユは進み出て、うふふ、と笑う。
「いつまでも小さなモイラではいられませんもの」
そうでしょ? と、水を向けられて、エルンストは一瞬当惑した後
「そ、そうだな」
と声をつまらせた。
「だが正直、君がこううまく落ち着くとは、俺は思っていなかったな。なあ仕掛人」
「人聞きが悪いわ」
オルトが嫌な顔をする。
「いろいろ変な予測を立てていたのはナヴィユじゃない」
「…団長を焚き付けられたのはそもそも殿下でしょ」
「結局俺が悪者かい」
そういう彼らを、話の見えないモイラはきょとん、として見ている。
「何にせよ」
そういうのを後目にして、ディートリヒが口を開く。
「アレックスもこれで落ち着いてくれるだろう」
「はい」
モイラは華やかに笑んで、折から高くさえずり出た小鳥を見上げた。柔らかい風が一同をなでる。
「ライナルト」
「はい」
「お前はこのままパラシオンに留まれ。エルンストはなかなか行き来もできまいから、お前を通じて、私だけでも常に彼女を見続けてあげたい。モイラはナヴィユと離れたくなさそうだから、ちょうどいいだろう」
「大役慎んで承ります」
ライナルトは姿勢をただす。それを聞いて、モイラはそばのナヴィユを抱き締めた。
「!」
「ありがとうございます、ディートリヒ様!」
「君はもう一人の妹みたいなものだ。君が寂しそうな顔をしているのはしのびない」
そう言うディートリヒの脇腹を、いつ破裂してもおかしくないようなお腹をしたオルトがつねる。
「あう」
「兄様、毎朝ちゃんと鏡を御覧になっているのでしょうね? 自分がモイラのお兄様だなんて、よくもまあ」
 そこに、である。
「ああ、おくれました」
と声がする。まずモイラが声の方を見、他がそれに続く。ユークリッドの姿が見えてきた。
「お前、何してたんだよ」
そう言えば姿が見えなかった、と、エルンストが言い、訪ねると、彼は後ろ頭を撫でこう弁解してから、並みいる面々に対し膝をついた。
「迷いました」
「はあ?」
「考え事をしている間に殿下達とはぐれまして」
皆はた、として、それから墓地の静寂を踏みにじる大声で笑った。ユークリッド本人はいつものように片膝をついている。
「申し訳ありません、迂闊でした」
「いいよ、それでお前をどうこうする俺だと思うかい」
エルンストはユークリッドを立たせた。他にオルトやディートリヒ、そしてモイラがいるために、最初渋ったユークリッドだったが、最後には立ち上がる。
「いろいろ、お前には苦労をさせたよな」
「いえ、それが私の使命です。何をどう恨みましょうか」
そういうユークリッドの謙虚さを、目を細めて見つめていたエルンストは、ふいに腕を引かれる。
「なんだよオルト」
と怪訝な顔をするエルンストに、オルトはなにか耳打ちする。はやディートリヒ達はいない。
「そうか」
エルンストはにわかに納得した顔をして、アレックスの墓の前を離れようとする。ユークリッドがそれについていこうとしたが、それをづい、と肩を突き放した。
「朴念仁」
と捨て台詞を残して。

 アレックスのまえにつと膝をついて、ユークリッドは聖印をきった。その後しばらくそのままでいたのを、モイラが立たせようと背中を促す気配がした。立ち上がり、遠慮がちに振り向くと、モイラは彼を微笑んで見返してから墓碑を見遣る。
「お兄様がお考えになっていたことって、こういうことだったのかしら、だとしたら、これで安心されたかしらね」
「いつまでも私としては自信がありません。今でさえも夢のようで」
ユークリッドは頭を下げた。
「そんなことありません、お兄様がそのように、貴方を信頼なさったのですもの、自信を持って」
モイラは返す。だがすぐに思案顔になって、
「…こういう言い方はあなたに失礼ね」
と言った。ユークリッドは、モイラの数歩後に下がっているが、彼女はあえて彼の元に歩み寄って、胸に手をまわした。
「王女、そういうことは、どうか」
ユークリッドはおたおたと、さりとてモイラをむりやりに引き剥がすわけにもいかず、そこだけ自由になっている腕のやり場に困る。
「なぜかしら。とても気持ちがいいの」
「は?」
「今私は私の足で立っているのね」
「…」
「あなたのおかげです」
ユークリッドは言う言葉が見つからず、呆然とモイラの金色の柔らかな髪を見下ろしていた。
「私、あなたがいてくれてよかったと思います」
「ありがとうございます、そうおっしゃっていただけるのは」
「謙遜しないで」
モイラは、ユークリッドの胸の中で頭を振った。
「そうでしょう? あなたはこの先何百年も語り継がれるかも知れない歴史の中にあって、名前も残されて当然の人よ、それに」
顔をあげるモイラの頬がほのかに赤い。
「…」
だが、その先の言葉はない。モイラは照れた顔を隠すようにふたたび顔を埋め、ユークリッドも正視できず困る。だが、そのまま、真面目な顔で額を抱え、そしてモイラのうでをとり、片膝をつき、見上げる。
「実はこのたび参上がおくれたのは、王女に申し上げることを考えていたからなのです」
「!」
モイラは一瞬は驚いた顔でユークリッドを見た。見つめ返されて、体が中から震えてくるのがわかる。
「王女、いつまでも、お側にいることを、お許しいただけますか?」
モイラは驚いた顔のままでその言葉を聞いた。だが、ユークリッドの真剣な視線は、眼差しに関わらず穏やかで、モイラもやがて華やかに微笑んだ。
 帰ればパラシオンの城で、ディートリヒやエルンストや、この一連の出来ごとに心を尽くしてくれた人々を労うための宴が待っている。「パラシオン会議」が、正式に国の意志決定最高機関であることをしらしめることも目的に入った、きっと今後歴史に残る宴になるだろう。その席で、モイラは、この男をそういう存在として紹介するつもりだった。そうして彼の心に報いたかった。
 だが、この男には、そんなものはあるいは必要ないのかも知れない。
 ただ私がいるだけで。
「ひどいわ。私の言いたいことを先におっしゃってしまうなんて」
悲しくないのに涙が出てきた。どこかから、アレックスが微笑んで見つめているような気がした。

 墓地を出ようと、二人は急いでいた。墓碑の中を縫うように、石畳がしかれていて、ほかの皆は礼拝堂で待っているはずだ。
 宴を催す主人が遅刻では笑い話にもなるまい、日が少し傾き始めて、モイラの髪はいっそう豪勢な金の輝きを見せた。
 植え込みの角をまがって、礼拝堂が見えた時、進む方向に人影があるのを二人は見た。足をとめる。
「だれか、迎えに来たのかしら」
モイラが首をかしげた。人影が歩いて来る。
「ごぶさたしております」
そういう声がした。
「クラウン!」
二人同時に叫んだ。モイラを背中に回しかばうようにユークリッドが進み出る。礼拝堂に物騒なものは持ち込めないと、武器の一切をパラシオンの城に残してきたのが悔やまれた。
「どうしてここに」
ユークリッドが奥歯をかむ。次に出会った時は敵になると言ういつかの言葉に、クラウンが含んだ内容は考えたところでわかるはずもない。言葉だけを捕らえて、警戒せざるを得ない。クラウンはいつになく感情を出したユークリッドの問いに、明日の天気を聞かれたようにあっさりと答える。
「もちろん、私の唱う物語を完成させるためです。
 姫様の物語を完成させるためには、どうにもやり残したことがありましてね。
 まあご安心下さい。私は今日この時を限りにもうお目にかかることはありませんから」
クラウンは、道行きの物らしいマントを脱ぎ捨てた。貼り付いた笑みのままで、背中にとめてあった細長いものを慣れた手付きで見せる。刃は傾いた太陽に、一瞬だけ輝いた。
「それでは、エピローグを、…御存分に」

 「パラシオン会議」参与ヨシュア・アイゼルの私的な手記には、ユイーツ統一暦四七二年・「パラシオン会議」創立について、こんな話が残ってる。
…「パラシオン会議」がパラシオン小王国の意志決定最高機関と宣言されたのは、私のうまれる前年だったと聞く。だが、その日、式典の前に何があったかについて、アクター代表本人は「この場合、見ていないものは信じないのだ」と言うだけでなにも語らない。ロクサーナ卿(ジャーヴィス・ダラス・ロクサーナ。「パラシオン会議」参与、もとパラシオン騎士団長)もしかりである。せがみ倒して母からその話を聴いた今になっては、やはり私の口からこの事実を語るのは辛いことに思う。
 とにかくその事実がもたらされて、みな絶句したと言う。そのあとに、ロクサーナ卿が叫んだという。いわく
「やはり、モイラ王女のお言葉があったにしても、その場で斬り捨てるべきだった!」
と。あるものは言葉なく天を仰ぎ、あるいは地を眺めて、一様に声なく慟哭したそうだ。
 この話をしてもらった時、私ははじめて、母の涙を見た。事実にまつわる責任の一端は自分にもあると、母は言い、最後にこんなことを言った。
「ヨシュ、満月の明け方、外に出て、よく空を見ることだよ。日が出ようと空が輝き始める時、その真向かいでは月が沈んでゆくものさね」…


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