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にじゅうよん・王笏を抱いて眠れ

 晴れていた空に、雲が現れ始めた。夕立の気配だ。まだ日ざしは強かったが、時々上空から叩き付けるような冷たい風が流れてくるようになる。
 オーガスタ宮殿、あの中庭。カイル私兵とパラシオン会議に属する騎士たちとの戦いはまだ続いていた。一二年前は、並んで宮殿を守っていた仲間同志が、あるいは改革を求め、あるいは大義を尽くし、剣を交えようとは、一体誰が予測できただろうか。それぞれの物語を抱え、致命傷をさけるような勝負はいたずらに時間を費やすだけであった。

 突然、その剣戟も小さくなってくる。かわりにどよめきがおこる。
 パラシオン議会参与ヒュバート・アクターのうしろから数人に囲まれて、ナワをかけられたグスタフが現れたのだ。
「陛下!」
宮殿を見限らずに仕えてきているオーガスタの騎士だろうか、中には、小競り合いの途中でも現れたグスタフに対し、膝をつくものもある。
「静粛に!」
一歩前に出て、ヒュバートが声をあげる。バルコニーからの呼び掛けは威勢よく中庭に響いた。
「同志諸君、この男を見てもらいたい」
よく見えるようにグスタフをバルコニーの前面中央に据え、ヒュバートが口火を切った。
「同志諸君にも、オーガスタ騎士諸卿にも、言いたいことは山とあるだろう。今日は我々とこの男と、存分に意見を闘わせる場を設けたつもりである。もっとも、この男は、腰を低くした申し出では一向に応じなかろうから、このように少々手荒な手を使ったが」
すぐとオーガスタ騎士の間から、グスタフに彼等けているナワの事で声があがった。ヒュバートは声の出てきた方向を一べつして、
「たしかに、このナワは少々手荒な方法ではあろう、だが、長い間我々が受けてきた重圧を味わっていただくと言うつもりの上では、この程度の痛みなど序の口だ」
と言う。
「さて陛下」
ヒュバートが向き直る。
「単刀直入に申し上げましょう、陛下にとって、我々民衆はどのようなものでしょう」
「…」
グスタフは、ヒュバートをハスに睨んで何も言わない。
「それを答えと解釈してよろしいですか?」
「勝手にしろ」
グスタフはそれだけ返した。
「お前たちに言うことは何もない」
ヒュバートはにやりと笑った。
「陛下、いま置かれている状況を分かってのご発言でしょうな?」
そしてグスタフにまで足をすすめ、ちょうど踏み出した足でグスタフの足をぐい、と踏んだ。
「ここにいる大勢の者が、あなたの敵なのですよ?」
つま先に力を込める。
「生きていたければ、よけいな見栄はすてることです」
「余にしたがうものもいないわけではない。各国の小国王がなにより余にしたがうかぎり、貴様たちに夜明けなど勿体無いものだ」
「あなたの首を落としてしまうのは簡単なことです。アレックス王のようにね」
グスタフは、その言葉に反応してじろりとヒュバートを見た。
「あなたのために、アレックス王が亡くならなくてはならなかった。これ以上の理不尽はありません」
「お前たちは、余がおらぬようになればいいのだろう? だったら余計な御託を並べずに、さっさと首を落とせばよいことではないか」
いざとなれば自分を見失って命ごいをするのではと思っていたヒュバートは、 グスタフのわりに潔い言葉にすこし舌を巻いた。
「ほお、なかなか悲壮な御決心ですな」
宮殿内で、モイラ達と別のルートを辿ってカイル勢力を掃討していたナヴィユ達がバルコニーに上ってくるのをヒュバートは一べつした。
「ですが、そう死に急がれなくてもいいでしょう。あなたにはまずしていただきたいことが山とあります」
「余に言うことなどなにもない」
「頭を下げた方がひよっとしたら楽かもよ」
二人の側にナヴィユが近付いてくる。
「あんたが死んでも、根本的なことは何も変わらない。大体、一切合切の『罪』をかぶって、改心したように潔く死んでいったと思わせる魂胆、少しムシがよすぎやしないかい、グスタフ陛下?」
あんたには、それ相応の地獄がある。ナヴィユは嫣然と笑った。そして、近付いてくる足音を見遣る。

 現れたモイラに、バルコニーの一同と、中庭の面々も一様に礼をとった。モイラは周囲をぐるりと見て、ナヴィユの方に近付く。
「!」
だが、その場にグスタフがいるのも分かって、呆然とモイラ達を見る彼にちょこんと膝を折った。それにヒュバートが呆れたように、
「モイラ王女、この男にそう礼儀を正しくなさる必要はありません。兄上のかたきと言うことをお忘れですか」
と言う。そして、ウィル・ローバーンに言う。
「ひさしぶりだな。
 ありがとう。君がいなければこの日はなかったよ」
「…本当はもう、全てに背を向けたかったんだ」
ローバーンの表情は、太陽の下であっても辛気くささは変わらなかった。だがその顔を今は精一杯にほほえみでゆがめ、彼は言う。
「でも、牢の中から勇気をもらった」
「そうか、本当にありがとう」
モイラを追い掛けるようにして、パラシオン騎士団長とユークリッドが小走りに近付いてくる。
「ロクサーナ卿」
「遅れたようですな」
パラシオン騎士団長はにやりと笑う。だがヒュバートはここにいたってため息をついた。
 騎士と革命家、この国にあってはおおかた相容れられぬ者同志である。だがふたりはそのてのきな臭くなりがちな枠を超えて友情をあたためていたものらしい。
「よろしいのですか」
と言ったのは、友人の寄る体制の壊し手になることへの、あらかじめの詫びにも聞こえた。
「それは姫様に申し上げることです」
パラシオン騎士団長はしれっとしたものである。
「騎士と言うのは、直接繋がる主人にのみ徹底した忠誠を誓うものです。その上とは断絶しているのです」
「そうですか」
友人の了承を得て、ヒュバートはまた先刻の活気を取り戻したようだった。グスタフに向き直り、ふたたびものを言おうとしたところに、ナヴィユが言った。
「ちょっと待って、ヒュバートさん」
「え?」
「まだ頭が冷たい内に、ケリをつけておきたいことがあるんだよ」
ナヴィユはそう言って、ユークリッドを見る。
「早くおしよ、言いたいことも言えなくなっちゃうよ」

 まずユークリッドは、グスタフに正対して、胸に手を当て立式の敬礼をした。
「盟主陛下には御機嫌も麗しく。
 ブランデル王国王太子エルンスト・コラート・イダ・カバリエーレ・ルア・ブランデルの名代として参上いたしました。王太子特命隊『新フィアナ騎士団』団長ユークリッド・フェリクス・デア・マクーバル・イダ・バスク、ディアドリー城の運営の全権を任されておりました」
「御機嫌も麗しく、だと? 皮肉かそれは」
グスタフは機嫌悪そうに明後日の方を向いた。「はじめまして」と言わないあたり、二人の間にはちゃんと面識がある。グスタフも、この男の顔だけは知らないわけではなかった。とりあえず、まだ何か言いたそうな男の先を促す。
「早く何か言え」
「では申し上げます。
 去る一件、この国の民は『落日革命』と称しますそのとき、パラシオン王におかれましては盟主陛下に対する永年の無礼と革命を指示し、みずから盟主位を奪取せんとしたことに寄り、盟主陛下より制裁を戴いたと言うことでございます。
 それにより、革命の中枢を擁したパラシオンは主君を弾劾しなかった嫌疑については不問となりましたが、お城を守っておられたパラシオン王妹殿下はいたく心痛を召され、見兼ねたわが主君エルンストは、パラシオン王との長い友誼から自国ブランデルの城ディアドリーを王妹殿下の静養のために提供いたしました。
 それが今春になり、突然王妹殿下は御失跡をあそばされ、我々が行方を探しましたところ、オーガスタにお戻りになり、のみならずオーガスタ宮殿に御入城とのこと、王太子エルンストは、事態を重く見、不肖この私に、事態収拾に関する全権を与え、盟主陛下へ御質問申し上げることを命じたのです」
「なるほど」
グスタフは鼻白んだ顔で、発言を終えて畏まったユークリッドを見た。
「自分たちの不始末の責任を余に押し付けるつもりか」
「そのお言葉はごもっともでございます。ですが」
ユークリッドは顔をあげる。グスタフの目を見た。
「王妹殿下の御心痛の原因はお国元でおこりました一連の出来ごと、兄王によって混乱極まったパラシオンの様子をお聞かせするのは忍びないとの王太子エルンストの指示により、ディアドリーに逗留されている間、お国元の様子は申し上げないことになっておりました。
 それが、盟主陛下が内々にお遣わしになった密偵が王妹殿下にパラシオンにお戻り戴くようにそそのかしたのだと言うところまで、ブランデルでは把握いたしております。
 オーガスタに入ってから、パラシオン王妹殿下が突然宮殿に御入城されたのは、盟主陛下が殿下を后と目されたことによる由聞き及びました」
言いながらユークリッドは、身の内に形容できない興奮が漲ってくるのが感じられた。アレックスが側にいて、後を押してくれるような、そういう安堵感と勇気。グスタフの目を見つめつづけた。初めはうさん臭そうにユークリッドのいでたちを眺めていたが、今は明後日の方向を向いている。
「しかとお聞かせ戴きたい。『王女』が御入城なさるまで、ブランデルに一切のことわりなしの、その御了見を」

 ユークリッドは頭の片隅で、あくまで冷静に考えた。
 いつかの夢の中で、モイラと絡んでいたのは、もしかしてこの男か。
「陛下」
グスタフの発言を促した。だが、グスタフの返事はない。そのあたりの事情については、もっぱらクラウンが四方を丸め込んでいたのだ。
「…よ、余がモイラを得るためにそんなことをしたと言うのか? モイラはアレックスを案じて自主的に戻ってきたと言うぞ、余の密偵はその手伝いをしただけだ。
 それに、モイラを后にしようと考えたのも、女手一つではパラシオン統治は難しかろうから、アレックスを冤罪にかけてしまった罪滅ぼしもあって、手助けしてあげたかったからだ」
クラウンにかつて言われたようなことを思い返しながらのグスタフの言い口はどうにもへどもどして、信憑性を感じさせるのは難しかった。そこに、傍らにいたモイラが口を開く。
「そうよ、オーガスタに戻ってきたのは私の考えなのよ。確かに、エルンスト様たちに何も言わなかったことは悪かったと思うわ。でも」
「王女」
ユークリッドはモイラに向き直って、目でそれ以上を言わせなかった。モイラはナヴィユに肩を押さえられて数歩下がる。彼の瞳の恐さと愛しさとに身震いがきた。
「陛下、ここは、王女…王妹殿下をこの宮殿にまで案内したと言う密偵の話が聞きたいのですが」
「うむ」
とはいえ、クラウンが今どこにいるか、グスタフは把握していない。今頃は城を出て、城下の酒場で歌っているかもしれなかろうが。それでも一応
「クラウン!」
と呼んではみる。風のように側に来るはずの気配はない。そこでヒュバートが変な顔をした。
「では、ここに来る途中に会った吟遊詩人ですかな」
そして、懐から封筒をとりだす。
「陛下に会うようだったら読んで聞かせてくれと言われましてね」
『思いのほか長居になりました、世界に待つ私のなじみが腹をたてない内にここをおいとましてもとの旅の空に戻ることにいたします。陛下の事を一生語り継ぎましょう、いろいろな意味で希有な王だったと』
「…」
内容に込められたたっぷりの皮肉めいた感情が、わからないグスタフではない。そして、同時に、自分で理論武装をしなければならないと言う強迫観念が襲ってくる。内心歯がみした。こんな時に何の弁解もできないように、クラウンは余にいっさい考えさせなかったのか!
「奴め、余を滅ぼすつもりだったのか」
グスタフは呆然と呟く。そして言う。
「もともと、その密偵は信用がおけなかった。カイルから寝返って、余の周りをかき回して…
 そうだ、貴様ら、数に任せていい気になるなよ、カイルは未だ」
「続きがありますな」
『申しそびれましたが、先日外交官のもとに、レヴィスター小王国を返還したい旨のカイル公爵よりの親書が届きましたとか。これは事実上の断絶とお考えになるべきでしょう。「革命分子」をいまだ国内に許すということは、同じ人の上に君臨するものとして、交じらうべきではないと』
「なにい」
目を白黒させるグスタフを問いただすのは、ユークリッドにとっては気持ちのいいことではなかった。
「陛下、私の質問の御返答は」
控えめに促す。
「ええい、余は何も預かり知らぬ、クラウンがモイラをつれて宮殿に突然やってきたのだ。カイルを見限って余にしたがう気持ちをあらわすために、モイラを余に差し出すと言ったのだ」
「まことですか?」
ユークリッドは唖然とした。
「そうだ、モイラはアレックスのことについて何も聞かされなかったから、自分の目と耳で真実を知りたかったのだ。この心を利用されたのだ。
 モイラを納得させうる説明をしなかったこと、貴様たちの落ち度ではないのか!」
「そうして王女にご納得いただけるのでしたら、我々はとうにそうしていました」
ユークリッドは目を落とした。

 数歩離れると、グスタフとユークリッドの会話はもうモイラには聞こえなかった。
「ナヴィユ、一体陛下達はなんの話を?」
肩を抱いているその手に自分の手を重ね、聞いてみる。
「どうして姫様がここにいるのか、そういうことを」
ナヴィユは淡々と言った。
「失礼ですが、覚えていらっしゃいますよね、ディアドリーのことは」
「ええ、何となく。
 毎日楽しかったわ。オルト様と、あなたと、一緒にクラウンの詩を聞いて、ベンヤミーノたちと遊んで」
「そしてあの坊やに抱かれて」
ナヴィユはわざとそういう言い方をした。
「ナヴィユ」
「クローディア姫に宮殿の奥の事はあらかた聞いたよ。可哀相に姫様、あんな男に全身なめ回されて」
モイラはナヴィユに優しく抱き締められながら、グスタフの触れてくる感触を思い起こして今さらに鳥肌を立てた。クローディアは深くしる由もないだろうが、水揚げされた魚のように寝台の上での行儀も知らないそぶりをいいことに、様々に扱われた。そうすることが当然のように。グスタフの「味」まで思い出した。胃の中がひっくり返るようだ。
「姫様の中を姫様の好きなことだけでいっぱいにしていたかったら、今の二人の間に入っちゃいけない」
「どうして」
「理由なんてわからなくてもいい、一国の盟主と一騎士と、立場は変わっていても、あんたをめぐっての直接対決を、邪魔なんてできるかい」

「お聞き及びかとは存じます、パラシオン王の崩御より先の、王女の御様子については」
「狂ったそうだな」
「…」
ユークリッドは沈黙で答えた。
「兄上を御存命とかたくなに信じておられる王女を、いかにわれわれが説得し得ましょうか。無理に申し上れば笑ってすまされるか… あるいは、お城の窓より身を投げられるか…
 王女がパラシオンに不可欠の重鎮でおられる以上、その王女の回復は速やかさにまして健やかさを激しく求められたのです」
ユークリッドはそこまで言って、首を動かさずにモイラを見た。
「できる限り、無理のない方法で。
 ディアドリーにおいでいただくことは、王太子エルンストの苦渋の選択でありました。
 この国そのものがその時の王女には重い枷であったのです」
「だが、『治療』の甲斐はなかったようだな、現にモイラはアレックスのために海を渡った」
グスタフは鼻で笑う。
「そういうことだ。ブランデルのしたことは、モイラにとって余計な世話でしかなかったのよ」
そしてとうとう体を震わせて笑った。
「どんなに手厚く向こうでもてなされても、所詮人間はもといた場所に戻るもの。そっちが嫌になったからここに帰ってきたのだ、それをどうして断わる必要がある」

 グスタフの言い分はある意味正論ではあるだろう。だが、そういうことを問題にしているのではない。そういう判断のされ方をして、その言い方ではブランデルの面目がない。いままでモイラのためによかれとしてきた諸々の配慮について、モイラにふたたびブランテルに戻る意志がないなら、モイラが国家の要人であるという双方の意見が一致しているのならなおさら、断わりと、謝意の一つもないのか、と。
「ですから」
そういうことをユークリッドは言おうとして口を開きかけた。だがグスタフは勝手に話を続ける。
「許すということになったとはいえ、ブランデルは一時パラシオンの肩をもったではないか。そして今はオーガスタに残るべきモイラを『保護』した恩をこのオーガスタに売ろうとしているのか?
 ブランデルの望みは何だ? オーガスタはあまり気候がいいとは言えんでな、民草の腹におさまるものだったら、もっと買ってやってもいいぞ」
 エルンストやディートリヒだったら、こんなグスタフに拳の一つでも食らわせているところである。ユークリッドも、それで事態が解決するのならそうしたかった。それにもまして今現在は、ユークリッド本人がブランデルの顔である。その顔に唾でも吐きかけられたようだ。だがそれでは、まだバルコニーの下で成りゆきを見守るオーガスタ騎士たちをあおりかねない。胸の前にあてられた拳はやるせなく震えるだけだ。
「オーガスタは建国王より二十代、近隣どの国にも媚びずへつらわずやってきた。誇りだけは負けぬ。
 だいたい、アレックスが余の言葉を大人しく受け入れれば、こんな面倒を今になって味わわずともよかったのだ」
まったく。グスタフは舌を打つ。なあモイラ。そしてモイラに猫なで声を出す。オーガスタの盟主と言う肩書きが、彼をむち打ったかのように、彼は今やしゃんと背筋を伸ばし、下目使いで周囲を見回す。
「アレックスは田舎ものと蔑んだが、なかなかどうして、やつの妹とは勿体無い」
モイラはびく、と体を震わせて、ナヴィユの腕に縋った。グスタフは手を動かせないかわりに、表情で招き寄せようとしている。
「お前程の姫、他の小王国であれは黙っていても差し出されようものを、アレックスめ、変にだしおしみよって」
モイラはふるふる、と首を振った。グスタフはへへ、と下品な笑いをして、ユークリッドに言う。
「この姫は本当にいい声をしてるのだぞ、お前、モイラの声を聞いたことがあるか?」
「不調法ですので、お話の相手は私ではつとまりません」
ユークリッドは仏頂面で答える。グスタフの求めているだろう答えを、あえてはぐらかした。案の定、グスタフは満面の笑みをたたえる。
「ただの声ではない。夜、寝台で、余の指に泣きそうになる、そんな声だ」
モイラは涙さえ滲ませて、ナヴィユの腕に顔を埋めた。この男にそんなことまで知られているとは信じたくなかった。そんな話をユークリッドにされるのも耐えられなかった。
「そうそう、それに、臍のわきと背中に針で刺したようなほくろがある」
グスタフは調子が乗ってきて、いよい饒舌になってくる雰囲気を見せる。だが、投げっぱなしになるはずの彼の言葉は突然受け止められた。
「お顔をみながら抱き締めて差し上げるのがお好みです」
 核心部分を直接言ったわけではなかったが、具体的に映像の浮かんだグスタフは、言葉の出場所を探してしまった。自慢の鼻を挫かれたような思いがそのあと沸き上がってくる。
「誰だ、見てきたようなことを言うのは」
と頭を巡らせてから、目の前の無表情そうな顔をした男が、と察されたとたん、その顔に自分の顔をぶつけるようないきおいて食って掛かる。
「お前か」
だがユークリッドは、信じられないような台詞の後は黙っている。グスタフは今さらに、クラウンがいつか言い濁していた事を思い出した。
「…ブランデルでは、仮にも病気の貴婦人を騎士風情が手込めにするのも作法の内なのか?」
歯を見せて皮肉った。ユークリッドは沈黙を守る。
「それとも、余があまりにモイラの話をすることを妬いて、当てずっぽうでも言っているのか? 仏頂面のわりには、スキ者だな」

 ナヴィユは額を抱えた。
「ベンヤミーノ、今坊やが言ったことは忘れておくれ」
と言ってから、
「あんの頓珍漢、グスタフにそんな話したら纏まる話も纏まらないだろう」
と呟いた。
「でも、国際関係なんてこれっぽっちも考えてないグスタフじゃ、そういう方向で行っちゃった方がわかりやすいのかね、色ボケには」
モイラはナヴィユの肩に額を擦り付けながら、男二人の会話を思い出して青くなったり赤くなったりしている。
「姫様も勘違いをおしじゃないよ、赤くなってる場合じゃないだろうに!」
「だって、ナヴィユ、思い出してしまって」
へたりとモイラは腰を落とす。ナヴィユとベンヤミーノは顔を見合わせる。ヒュバートやパラシオン騎士団長はグスタフとユークリッドの会話が聞こえなかったので、何のことかわからず、唖然と顔を見合わせる。
「まったく」
ナヴィユは半分腰を抜かしたようなモイラを立たせる。
「この無駄話をはやく終わらせなきゃ」
だが、後ろで声がした。
「いいえ、原点に立ち戻ったのですわ」
「え?」
クローディアがぽつりと言う。
「さっきあなたおっしゃいましたわね。一国の盟主と一介の騎士、それでもモイラ様を巡っていると」
「でも、性感帯がどうの、ラーゲがどうの、そういう問題じゃないだろう」
「難しい言葉はわかりません」
「…」
ナヴィユは、悠然と無知なクローディアをじっと見た。クローディアは続ける。
「グスタフ様がモイラ様を宮殿にお入れになろうとして、アレックス様が反対されて、そこから始まって今がありますのでしょう?」
「あんたとはいい友だちになれそうだ」
そして笑う。決して嘲りではない、心からそう思っただけのことだ。


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