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はち・私が国を傾けて

 革命分子の首魁との会見は、現在最も安定しているパラシオンで、ということになった。
「いい機会だ。大役を果たしたらモイラにはゆっくりしてもらうがいいだろう」
ディートリヒが言った。革命分子達は、初めのうちこそ、「貴族の、まして外国の力は借りたくない」とかたくなな態度に出たが、アレックスに対する友情のみが自分たちを動かすと重ねて主張したところ、「一度じっくり話し合ってから」とまで相手は軟化したのである。
 そして会談の当日、その場所でエルンストが発言した。ディートリヒも出席したかったようだが、カイルとの関係悪化を懸念する部下に制止された。だが、エルンストの発言の内容は、彼らの間で十分に練られたものである。
「われわれが手を組むと言うことになれば、何を得、何を与えるべきか」
との問いに、エルンストは自信たっぷりに
「当方としては、パラシオンを含む小王国一つ一つに対して、その内政に関わる権利を持たないし、またそうする意志もない。あくまでそれは貴君らに委ねる。そして、事成った暁にも、要求するものは何もない、友人として、アレックスの名誉以外は」
と答えた。
「小国王、そして貴族達が失速しつつある今、グスタフの膝元王都オーガスタだけが今尚力を残して民を圧し続けている。この認識に間違いはあるかね」
「ない。そのオーガスタに、力を失った上層階級が、残った威光の影に隠れようと続々集っている。彼らの生活を支える負担が、また新しく、王都の民にのしかかっているのだ」
「そこで忘れてはいけないことは、オーガスタという国に、もう税収はないということだ。そして、貴君らの尽力により小王国の運営も成り立たない今、グスタフに上納されるものもない」
エルンストは席を立ち上がって、革命分子首魁に説くように、会場になった謁見の間を歩き回りつつ語る。
「勢い頼らざるを得ないのは外国より買うモノ。私の国ブランデルは、オーガスタを貿易の大得意として認識してきた。だがもうそれはやめだ。グスタフの世になってから、貿易もしにくい。物資の不足を理由にして輸出の申し出に答えようとはしない、大量に輸入しておきながら関税は高い。すでに、ブランデルは、今年から一切のオーガスタ相手の取り引きを禁止させた」
「王太子、それでは民の食卓はどうなる。じきに物価が上がり出す。小麦もワインも、民はブランデルのものを買っているのだ」
「いや。近く収穫の時期に入るが、貴君らはもう税を納める必要がないのだよ。もう貴族はそれぞれの国を諦めたのだからね。
 大体本末転倒だろう。せっかくの収穫をほとんど税として絞りとられ、民は残されたものを売ったわずかな金で、高い輸入ものを買って食べなくてはならないなんて。
 しかしこれからは、自分たちの収穫したものは自分たちで食べてもいい、誰かに売ってもいい。それは自由になった。
逆に、収入の道を絶たれた貴族達はどこに身を寄せたとて干上がるしかないのだよ。今をおいて、貴君らの運動を王都オーガスタに勧める絶好の機会はないと思うがね」
「うむ。しかしそれだけでは、我々が手を組むことに対して、王太子、ひいては商売相手を捨てると言うブランデルの利点がまるで見えない」
「言ったように、私は友人として、アレックスの解放をともに喜びたいだけだ。ただ、ブランデルの窓口として貴君らに我が国の意向を伝えねばならないという職掌もある。
 職掌として告げよう。ブランデルには、今後、貴君らが運動を続ける上で必要とする資金も物資も積極的に提供できる用意がある。事成れば、改めて、新しい指導者に対して貿易の申し出をすることだろう」
「おお」
居合わせた革命分子らの目の色が変わった。腹が減っては戦は出来ぬことを、彼らは身に染みて知っている。そのとき、先触れの兵士が入って来て、モイラが顔を見せることを告げた。

 それまで、部屋の一番の上座である玉座は空席である。本来なら、留守を預かるモイラが着席しても不思議のないところだが、その脇に、より小振りの儀礼用の椅子が据えられているところを見ると、彼女はそうするつもりはないらしい。ともかく、現れたモイラは壇を上り、椅子の前に立つ。
「あの方が、パラシオン王女モイラ姫か」
ぼそぼそと声が聞こえる。この内乱のそもそもの原因は、とうに彼らの耳にも入っていることだろう。モイラは顔を上げた。視線が痛い。エルンストに促されて、やっと言葉が出た。
「もとはといえば、私のためと、兄がグスタフ王の依頼を辞退したことから始まったこと。そのために捕われた兄を、救いたいという、ブランデル王太子殿下やあなた方の心に触れて、今私は尽くせぬ感謝に、思うように言葉が出ません」
革命分子の面々は、まさに傾国の美姫の顔を見入った。モイラは俯きがちに、壇を下りてくる。
「どうか、兄を助けてください。叶うことなら私も、この手を血に染めてでもお側に参じたいところを、王女という身には限りがあると思い知らされました。自分が果たせなかったからといって、人を任せてしのごうとする…虫が良いとわかっています。ですが、こうして、お願いをすることしか、今の私には出来ないのです」
モイラは、背が見えるほど、膝と、腰を折った。王と神に対してのみ許される、王女の最敬礼を、モイラは革命分子の前でしてのけた。恥ずかしいとか、悔しいとか、そんな気持ちは微塵もなかった。
「お、王女、面をお上げくだされよ」
もっと居丈高に来るものと高を括っていた革命分子は、その振舞に戸惑うしかなかった。同時に、この美しい姫を決して失望させてはいけないという空気が彼らを取り巻いた。特に首魁達は、直接アレックスと対面している。彼が、牢の中からただモイラを案ずることだけは忘れなかった悲壮なありさまを知っているだけに、人知の及ばぬところで繋がっているこの兄妹の絆の深さに涙が誘われた。
 首魁達が、ブランデルの協力を受け入れることを決定し、約定を取り付けるまで、さして時間はかからなかった。そして、エルンストと首魁ががっちりと握手を交わす光景を、モイラは見守ったのである。

 静かな時が続いた。モイラは、パラシオン城の尖塔に登り、守られた、夏の緑溢れる美しい国土をよく眺めていた。
「この国は守れた。お兄様の帰る場所は今ここにある」
感激の涙が、うっすらと瞳ににじんでいた。そこに、侍女が声をかける。モイラはす、と涙を払い、
「ブランデル王太子殿下がお呼びだそうです。お迎えがいらしています」
の声を聞いた。次いで開かれた扉をくぐると、ユークリッドが立っている。
「本来なら、城の主の王女の元に、我が主人が参上すべきところを、よんどころのない用の手が話せず、このような無礼な次第とはなってしまい恐縮です」
「私は気にしていませんわ。いつもご苦労様です」
一通り口上を述べた彼に、モイラは軽く返すと、
「これも役目のうちです」
と顔色を変えずに答えられた。エルンストが、何かとモイラとの連絡に彼を使うので、一部、フィアナ内部のモイラ信奉者から妬まれているらしいと言っていたが、ユークリッド本人の背中は、特になんとも思っているようには見えない。
「そういえば」
と、モイラは思い出した。いつか彼が何か言おうとしたところを、自分の都合で聞くのを拒否したことがあった。あの時の彼の顔が、いつもの冷静な顔でなく、失敗を見とがめられた子供のような顔をしていたのが、彼らしくないと妙に印象に残っている。
「この人は、何を言いたかったのかしら」
あんな顔をしてまで言わねばならない、大事なことでもあったのか。だが、そんな心配はすぐに消えた。いつのまにか、エルンストの部屋の前にまできていた。

 エルンストはこの頃、モイラに、対オーガスタに対しての姿勢やら、革命分子との間の協議に望んでの意見作成などの相談を持ちかけてくる。モイラが、
「そういう相談はディートリヒ様の方がお相手にはよろしいのに」
と言うと、エルンストは「君の国のことだぞ」と改まり、
「それに、ディートリヒは表立つことが難しくなってくるのだ。父親の公爵が、あいつの振舞のせいで国許でカイル公爵に攻撃されてるんだ。公爵の事を思うと、俺もやつに無理は言えない。ディートリヒと俺の間に意見の相違はほとんどない。そこは心配するな。
 もっとも、今奴に相談持ちかけてもなあ」
「どうかしまして?」
「平時だったのが幸いしたよ。あいつ、イバラ姫に逢った。噂好きの侍女達から何か聞いてないか?」
「…そういえば、お好きな方が出来たとか…」
「実のところ、お姫様には毒気の強い話だよ。とにかく」
骨が抜けて難しい相談どころじゃない、と言って、
「ところで、君は、自分が小さなモイラでなくなった瞬間に遭ったかい」
と水を向けた。モイラは首を傾げて
「…よくわかりません」
と答えた。
「そんな事だろうとは思ったけどな」
エルンストは笑う。モイラは、明らかに何やら隠し事をしている彼の様子に少し気を悪くして
「一体、どういうことなんですの?」
と眉根をひそめた。だが、エルンストは答えをずばり言うつもりはないらしい。
「ここで俺が教えてもいいが、それじゃ有り難みがないんだな」
モイラはまた気を悪くして、しばらく考えた後、当てずっぽうに言った。
「私に、ディートリヒ様みたいに好きな人でもさがせって、そういうこと?」
「わかってるんじゃないか」
ところがエルンストは一瞬目を丸くした。当たったらしい。
「エルンスト様は、お好きな人が出来て、何か変わりまして?」
「一口には言えないな。ただ、どんなに俺が悪く言われようとも、オルトに同じ目を見せちゃいけないっていう意気込みが出来たな。もっともあいつは、こんな気持ちをどこまで分かっているか、知らないけど」
珍しく、彼は照れているらしい。ただ、彼らの仲睦まじいことは周りのほうがよく知っていることで、モイラは素直に素敵な照れ方だ、と思った。
「私もそう…私の一番大切な人はお兄様。お兄様がパラシオンに無事お帰りになるためなら、何でもできる…そう思っていました。でも、エルンストさまのおっしゃることは、そうではないのよね?」
「そういうことだ。…君は運がいいよ」
本来なら、モイラほどの年頃になれば家臣とのつながりとか、他国との結束のために、たいてい政略結婚させられてしまう、それをモイラは、兄アレックスが理由はどうあれ出し惜しみしてくれたおかげと、城の外に出ることで、自分の意志で伴侶さえ見つけることが可能なのだ。
「君の父上が未だご存命であったなら、恐れ多いがそうはいかなかっただろう。
 アレックスなら、君が決めた相手を歓迎してくれるはずだ」
「まだよくわかりません。お兄様より大切な人が出来ることって、どんなことかしら」
「友人より大事な人が出来たディートリヒに聞いてみろ。捕まればの話だが。城下の花街に出没してるらしいし」
エルンストはすこし憮然として、書類を出してきた。
「さて、相談に乗ってもらうよ…」

 この現在、パラシオンの民は、依然王とその一族を支持していた。革命分子も、一度パラシオンに入ったものの、本格的な活動は何もしないまま撤退した。あえてパラシオンの政治について糾弾することもなかったし、たとえオーガスタが丸ごと民の手に委ねられても、パラシオンの王政は存続されるだろうと言うのが、その筋のもっぱらの見方だった。
 なぜ革命分子はパラシオンから革命の波を引いたのか。
 答えは簡単、アレックスが王として存在せねば困るのである。
「我々は、グスタフ王とそれに与する悪徳貴族、悪徳商人、以上をことごとくオーガスタより排斥して、新たに盟主としてパラシオン十九世小国王アレクサンダー・ユーロス・パラス・パラシア陛下を擁立するものである」
 あるとき、こんな主張が公式見解として国中を駆け回る。グスタフにとってはもちろん、ブランデルにとっても何の相談もなし、寝耳に水の宣言である。もっとも、ブランデルとしては、内政に関してはまったくこれを感知しない事にしていたので、国としてのコメントは出ず、エルンストは、
「なんとも突っ走ったことを」
と唖然とはしたものの、すぐ歓迎する姿勢をとった。
「問題はアレックスがその方向をすぐうんと言うかだ」
しばらくぶりに捕まって、これらの情報を持ってきたディートリヒが、襟元の唇の跡をしきりにさすりながら呟いた。


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