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よん・女神は微笑んだ

 そしてモイラは目覚めた。久しぶりによく眠ってしまった。文字通りの泣き寝入りというヤツで、目元には情けない涙の跡がこわばる。
 結局、ディートリヒはモイラの申し出を許してはくれなかった。
「君に政治的な権限はないが、残された限り、君は信用されている。このパラシオンを守る義務はある」
彼は逆に、パラシオンの守護として、彼女以上の適任はないと説いた。
「我らは所詮客分、この城のなかのことに詳しく口を出すと、積年の家臣達も気を悪くするだろう。誰に内政を委託するとしても、アレックスほどの名君もおるまいに」
うまくだまくらかされた気がしなくもないが、そういう風にモイラが信用されているというのでは納得せざるを得ない。
 しばらくして。ブランデルから正規の大部隊と使者が来て、王の親書をモイラに手渡した。
…親愛なるわが愚息の朋友・パラシオン王の妹御モイラ殿…
要は、堂々とオーガスタの内紛に介入する立場をとってきたのだ。グスタフの悪名は世に聞こえたところであるから、愚か者のためにオーガスタの良心をむざむざ見殺しには出来ないということらしい。…ついでながら…と、エルンストの王太子位は暫定的に解凍するとあった。
「もうすこし好きにさせてくれてもいいのになぁ。姉妹もなしのひとり息子で、しかも孫の顔も見てないっていう伝家の宝刀振り回しちゃって、まあ」
エルンストは苦笑いをする。
「…きっとお義父様は、武力によらない解決方も考えろっておっしゃりたいのよ」 
オルトはそれを見て笑っている。
「試されてるわよ。エルンスト」
だが、ブランデルの後ろ楯は何かと心強かった。農耕に不向きなオーガスタやロクスヴァと違って、ブランデルは気候に恵まれた国だから、ブランデル王は遠征軍の台所も心配しているのだろう。そして暗に、モイラや、救出されたアレックスが、追撃に立つ瀬がなくなったときの亡命先として名乗りをあげたのだとも考えられる。ブランデルは海をこえた別の大陸にあるから、直接、こっちの政変が影響をおよぼしてくることは少ないはずなのだ。
 アレックス救出に意欲満々のモイラにこの話をするといやがられてるのはわかっていたから、エルンストはこの思惑についてはまだ言わないことにした。

 放っていた斥候が、ハイランドの北、オーガスタの西にあたるブール小王国に動きが見え始めた、と伝えてきた。ブール小国王は穏健派で、今度も出来ることなら首を突っ込むことなく過ぎてくれればと、アレックスが投獄されて以来宮殿に参上せずにいたが、それが返って逆効果になり、突然出兵を命じられたということだ。しぶしぶのろのろ準備を始めたところだという。
「話だけを信じれば、ブール王は説得のしようがある」
エルンストが言う。
「交渉は任せろ。兵も護衛以外は連れていかないほうがいいだろう。ユークリッド達は今の仕事に忙しいだろうからなぁ」
「待ってエルンスト様。私は…」
軍議に顔を出していたモイラが立ち上がる。が、エルンストは
「君が出るのはまだ早い。王女直々に対面したら、勘違いされるぞ。パラシオンはそんなに逼迫しているのかってな」
「でも」
「工作ってやつだよ。
ディートリヒ、このお姫様の退屈しのぎに、トーナメントでも開いてやれよ」
ディートリヒは、「そんな事をしている場合でもあるまいに」とにがい顔をしていたが、
「余裕を見せるのも工作ってやつだろ?」
とのエルンストの台詞に頷いていた。

 表向き、オーガスタとパラシオンが休戦状態にあるうちにブール王を説得し、少なくともオーガスタの加勢をすることがないよう水面下で活動する必要があった。エルンストは、解凍されたブランデル王太子の身分を活用して、積極的に交渉の役に立つといい、
「出来ることなら、他の小王国も同じように説得できればなあ」
「それはお前の話術と向こうの出方によるだろうな。頼むぞ、王太子殿下」
ディートリヒは一言軽くからかって、エルンストの一行を送り出した。

 その間に、トーナメントが開かれ、ちょっとした事件が起きた。
 トーナメントは「馬上槍試合」と書き、騎士の技量を確認しあい、また実戦と似た状況のなかで戦い方を学ぶという娯楽と実益をかねたイベントである。特別に、城に近い広場が会場となり、石畳には土と藁がしかれ、民衆も自由に見物が出来るようになっている。試合場を柵がめぐって、その回りに人々が集まり始める。その一角に天幕がかかっているのはやんごとない所の専用席で、そのなかに一段高く椅子がしつらえてあるのがモイラの席であった。

 トーナメントの種目にはいくつかあるが、なかでも花形はジョストと呼ばれる種目である。単純に言えば甲冑に身を固めた騎士が槍を捧げ持ってぶつかりあうものである。
 ユークリッドにとっては、そのジョストに出場するのは初めての事であった。これ以前のトーナメントは、正式な騎士ではないとして団体の模擬戦にしか参加していないが、一度練習したときには、フィアナの仲間を相手に連戦連勝だった。誰にも何も言わないが、多少なりとも、自信がある。「新フィアナ」の面々も、ユークリッドの腕前は知っていたから、まだ彼を一騎兵のように見ているロクスヴァの正規軍がどう反応するかを噂した。他の種目で、それなりに勝てる自信あるものは、それに加えて、その勝利を誰に捧げるかを思案しているようだ。トーナメントの勝利は勝者の心の恋人に捧げられるのが常で、現に二三日前、ある団員のナンパ現場が押さえられ、ひとしきり冷やかされているのだ。
 試合は実戦さながらの気迫のなか進んでいった。しかし、和やかであった。フィアナの面々も、日頃エルンストやディートリヒに鍛えられた成果をいかんなく発揮して、ロクスヴァ兵を相手にしてもひけをとることもない。
そして、彼等が希望の団長ユークリッドの相手も、ロクスヴァではジョストの名手という騎士が出てくることになっていた。体も腕っ節もユークリッドより一回り大きい偉丈夫である。
「隊長、大丈夫かねぇ」
口にこそしなかったが、フィアナの面々全てがそう思っていた。

 使われる槍(ランス)は殺傷能力が抑えられてはいるところで、扱い方を間違えば命の危険も十分に考えられる。しかも、鎧は板金鎧(よく置物にありそうな)に、目に傷をおわないように細工された兜で、視界は狭い、動作は当然緩慢になるし(倒れたら自分では起き上がれないのである)、細かい武器捌きなどあったものではない。
 それでも、試合の準備は整って、合図が待たれるばかりとなった。ユークリッドと相手の騎士の間の体格差は歴然としていた。
 そして、馬が動き出す。ジョストの作法としては、ランスを小脇に抱え、突進する方法がとられる。落馬すれば負けとなる。もちろん、騎士道にのっとって、卑怯な行為は許されない。二回、三回。ランスの先がお互いの盾にぶつかる鈍い音が響き、やがて、誰かが落馬した複雑な金属音で終わった。
「すわ団長が」
フィアナの面々は顔を覆うものすらいた。しかし、地に投げ出されていたのはあの騎士の方である。本人すら一瞬、落馬したことが信じられなかった。上体をやっと起こしたところで、助けようと差し伸べられたユークリッドの手を、騎士は払った。
「イカサマだ!」
騎士の第一声はそうだった。
「馬を攻撃したのだ! だから私は振り落とされたのだ! さあ、謝って、勝利を返上してもらおう!」
しかしユークリッドにはまったく身に覚えのないことであった。当惑し、兜の面を上げ、まだ若々しい顔を外気にさらした。
「なあ、卿らは見ていたであろう? この若僧のしたことを!」
騎士は見物していた同胞に助けを求める。ただ、彼の落馬した瞬間は、馬の向きが悪くて、イカサマがあったのかどうか彼等にはわからない。だが、息子ほどの若い騎士に老成した同胞が負けたと認めてしまうのも偲びない。すでに、騎士の従者は主人のようにいかさまを主張している。たいして、フィアナの面々は公明正大に勝負が行われていることを主張して、双方の味方をする民衆までを取り込んで、事態はまさに一触即発となった。だが、ディートリヒはどちらにも加わらずに笑っている。彼を見ながら、モイラが不思議そうな顔をした。
「どうして笑っておりますの、ディートリヒ様?」
「彼はうまいことを知っている。なるほど、槍だけでやっていけるはずだよ」

 ディートリヒは、模擬戦だったかで初めてユークリッドの戦い方を見たとき、「なんとも無茶をするものだろう」と思った。ジェイソン卿も心配していたようで、個別に指導している姿も目撃されている。だが、ユークリッドの剣さばきは、槍のようにはいかず、先の異教徒討伐にも、槍だけを持った彼の姿があったので、
「ユークリッド、剣は使わないのか」
と聞いて見ると、ユークリッドは照れながら
「俺、剣は不得手なんです」
とあっさりと返事を返してきた。
「だから、荷物になるので始めから持たないことにしています」
「それでは馬を失ったときにはどうするのだ」
「そうさせる前に槍で倒すようにしています」
 ふつう、騎士というものは槍と剣とを装備する。馬上からは主に槍を使用し、馬を失ったり、故意に下馬すると剣を用いる。そのほうが素早く動けるのだ。だがユークリッドは、槍一本で確実に敵の急所をついて接敵を阻み、そうされてもひるむことなく、槍を短く持ち直し薙ぎ払うのだ。その動作に合わせるように、彼の槍は特別に、余人のものより長め重めに、そして穂先も大きく長くできていた(筆者注・パルチザンという特殊槍がありまして、その大形版といった方が正確ですが、「獣の槍」を想像してもらうとよくわかります。あんな感じ)。とにかく、そんな形状の特殊な槍を使いこなすのだから、まして軽く穂先も小さい普通の教練用の槍では、彼に槍のイロハを教えたエルンストにも、模擬戦で五回に二回は勝つというユークリッドの「槍騎士」としての才能は天性のものとしかディートリヒにはいいようがない。今度の試合についても彼の予想を確認する上では素晴しい内容であったといえる。
「ディートリヒ様、教えて下さい。一人だけで納得なさっているのはずるいですわ」
モイラにせかされて、ディートリヒは説明した。
「うむ。馬上の人間というものは存外に不安定なのだ。
 ジョストのこつというのは、相手の盾をランスで押し戻す事だというが、力がなくてはそれは難しい。ところが、もう一つのこつがあって、相手の胸の上の辺りにランスの狙いを定めると、対して力もいらず案外たやすく相手が落馬してくれる。だが、ゆれる馬上で照準を定め続ける動態視力と技術がないとむずかしい」
「まあ」
「ユークリッドは後者の方法をとっていたのだ。だが、今の彼にそれを説明しろといっても無理だろうな。本人は無意識だ」
「では、ディートリヒ様が説明してください、それではあの騎士がかわいそうです」
 ユークリッドには、確かに、自分のしたことの説明をしろといっても無理だった。居丈高に構えていた相手のすきをついただけなのだから。だが、決定的な経験の不足は自認するところで、ひょっとしたら、その無意識のうちにそんな反則をおかしていたのではないかと思い始めた。下馬し、頭を下げている。そんなしぐさも騎士というふうではない。ディートリヒは、見上げるモイラに笑っていった。
「この場合は、主催である君が言った方が、場を取りまとめる効き目はありそうだよ」
モイラはそっとたちあがり、息を吸った。
「待ってください。その騎士に不正は認められませんでした。この勝負は正当なものです」
「いかに王女ともあろうお方が、こんな青二才の肩をお持ちなさるか」
すでに立ち上がっていた騎士がじだんだを踏む。
「そうではありません。確かに、あなたを地につけた騎士はあなたよりはるかに非力ではありましょう。ですが、その力を補って余りある技術が彼にはあります。その技術によってあなたは負けたのです。今回の勝負は、力だけでは勝てないことがあると、あなたに教えてくれたのではありませんか?」
モイラの態度はあくまで毅然として、他におもねている素振りは少しも見られなかった。なまじ、その騎士が、体格に恵まれていることを鼻にかけて、修練に乏しい事をディートリヒも、口にこそ出さないが同胞も認めている。
「負けを認めてください。そんな態度は騎士らしくありません」
モイラは.一瞥を投げかけた後、ふいとよそを向いた。不興を買った態度であった。騎士はがっくりと肩を落とし、試合場を出てゆく。
「言いすぎました?」
「いや、十分ではないかね。あれで彼も少しは身にしみただろう。それより、勝者に栄誉を」
モイラは向き直る。勝利した騎士は、兜を取っていたので、彼女には、彼が、パラシオン解放の先陣を切っていた部隊の隊長だとわかった。
「この勝負は、あなたのものになりました」
というと、騎士は
「身に余るお言葉添えをいただきまして、光栄のいたりでございます」
と、緊張と安堵のない混ぜになった顔で答えて、勝利の記念の綬をおしいただいた。フィアナの面々を中心に、喝采の渦が巻き起こった。


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