目次

  ひざまくら  

 「将軍がいらっしゃらない?」
群がってくる敵兵を両節棍で叩き払いながら、背中で、兵士の声を聞いた。
修行中の身の上とはいえ、今の燕淑は副将、相当数の部下を抱えている。
「ちゃんと探して?」
「もちろんです」
「…まったく」
燕淑は最後の一兵にかかと落としをくれて、ため息をついた。
「凌将軍は敵兵に率先して吶喊してくださるから、兵の士気があがって良いけれども…」
吶喊しすぎて行方不明になったり、帰ってきても生傷が絶えない。それをめぐっての翡翠と 凌将軍の痴話げんかはもう聞き飽きた。
「戦況は?」
「は、本陣の手前で何とか防ぎきれる状況にあるかと」
「…翡翠にはこのことを話した?」
本陣防衛の一翼にと、残された同僚のことがふと気になる。
「これからと思いましたが」
「やめたほうが良いわ」
「は?」
「…とにかく、救護班と補給班以外は、本陣の翡翠のところに合流して。
残りの兵は、私と一緒に来なさい」
「は」
兵の行動は神足を尊ぶ。燕淑の指示通り、部隊はさっと三つに分かれ、それぞれ散ってい った。

 「まだ伏兵がいるかもしれない」
燕淑はそう思って、手近に確保した補給基地に、つれている兵をすべて残し、単身探しに出 る。
 捕縛や撃破など言う最悪の情報があれば、もっと早く自分の耳に入ってくるはず。
大体、先に翡翠が凌将軍のいないことを知ったら、本陣守備の統率がばらばらになってしま う。最悪
「私が公績様を探しにいきます!」
なんて言い出しかねない。
 いやいやそんなことより。開けた場所から周囲の木立の混じるあたりに入り、
「将軍、凌将軍」
と呼ぶこと何度か。
「…燕淑か?」
と、そう遠くないところで声がした。

「昼寝の邪魔は勘弁してくれるかな」
「将軍、今は本陣の防衛戦というのに、よくそんな悠長なことを…」
「探しにきたのあんたひとり? 翡翠は?」
「翡翠は本陣の守備に回して、自ら敵軍の撹乱と遊撃に飛び出していかれたのは将軍では ありませんか」
そう言う間にも、燕淑の目は、脚を投げ出すようにして木立の間に座っていた凌将軍こと凌 統の全身を軽く点検する。機動力重視の、軍装にしては軽すぎる防具と武道着は、ほつれ やカギ裂きがあるのは戦の最中なら普通にある。が。
「それに、お怪我はお昼寝では治りませんよ」
燕淑は、彼のヒザから上に、赤の道着でもはっきりわかる、赤黒い跡を見た。
 木の間の光に当たっても、まだ生々しく乾燥している気配のないところからすると、多少な りの出血は続いているように見えた。歩かせるのは無理だろう。
「らしくないポカしちまってね。弩弓に狙われた。
 嫌だね、弩弓兵は、味方にいれば頼もしいけど、敵に回すのは」
いつもに変わらない軽口もそのままだったが、その顔も、赤みが薄い。
「弩、ですか」
「矢は貫通してるよ、毒もない」
燕淑は担いでいた荷物から布を取り出す。傷口に巻くと、巻くそばから赤くなってゆく。
「いかほどここにおられました?」
「覚えてない」
しかし、顔から血の気が引き始めるほどの時間はこの出血を放っておいたのは確かだ。
燕淑は、布に結び目を作り、その下に自分の両節棍を差し込んで、ぐい、とねじった。
「い、いたいた痛い」
凌統が情けなく声を出す。
「出血を止めるのが先決ですのでおこらえくださいませ」
棍を固定し、手当て道具の詰まった袋を、地面に置く。
「将軍、横になって、傷口を高く」
近くの拠点に待機させた兵たちに、将軍発見を知らせなければいけなかった。
しかし立ち上がる燕淑の脚を、凌統の手ががしっとつかんで、危うく燕淑はコケそうになる。
「何をなさいますか将軍」
「けが人置いてどこいくの」
「付近に兵を待機させています、せめて拠点までお運びしなければ」
「そんなの後でもいいよ」
「ですが」
「俺さあ、女の子の膝枕が一番安心するんだよね」

 翡翠と違って、士官以来武技一辺倒で色めいた言葉の一つもかけられず、むしろそれで 安心していた燕淑はぎょっ、と言う顔で、足首をつかんだまま離してくれない凌統の顔を見 る。
「しょ、将軍」
「うれしくなさそうな顔だ」
「少なくとも今、そういう言葉が似合いそうな時と場所ではないとは思いますが」
「何でもいいよ、俺今頭んなかぼやーっとしてさぁ」
当たり前だ、血が足りないのだから。
「で、でも」
「将軍命令」
職権濫用だ。燕淑はそう言いたいのをこらえて、枕代わりにさせていた袋を凌統の頭の下 からはずした。
「…後で、翡翠にこのことがわかったら、弁護してくださるんでしょうね」
という燕淑の言葉に凌統は何も答えず、差し出された脚に頭を預けて
「これこれ」
と、まるで適温に調節された湯にでも浸かったような声を出す。
「燕淑」
「はい」
「意外にかわいい顔してるじゃないの」
見上げるようにいわれて、燕淑は思わず対応のしようを失う。
「気にしてくれる奴は誰もいないんだ」
「幸か不幸か」
「そいつら絶対損してるね」
「そうでしょうか」
兵士なんか辞めて家に入れという男もいるにはいた。だが燕淑は、そう言う相手は全部拝 領の波涛でボコボコにしてきたので、だからこそ今安心して武技一辺倒でいられるわけだ が。
「戦場に慣れた女は、そう簡単に家に収まりませんわ」
「…」
凌統は、目を開けているのも億劫なのか、けだるそうに
「…翡翠もそうかな」
と言った。
「それは、本人にお尋ねください」
「言えたらとっくにそうしてるっつの」
ふてくされたような下からの返答に、燕淑は思わずくす、と笑った。

 ここは、自分がでしゃばる幕じゃない。燕淑はそれに関する質問を、一切のらくらと返答し て、「将軍、お怪我された足はどうでしょう」
と尋ねた。
「…誰かさんがコレでもかと締め上げてるんでね、感覚がない」
「そうですか」
燕淑は脇にのけてあった道具の袋をかわりにあてがい、脚の傷のほうに移動する。凌統が それに軽く抗議してきた。
「まだやめていいなんて言ってないっつの」
「少し緩めて血を通してから、今度こそ拠点にお連れします」
燕淑はきっぱり言って、ねじりあげていた傷口の布を少し緩めた。武道着のカギ裂きから見 える脚の色がじわじわと生気を取り戻す。何分、脚がとりえの武将なのだ、その脚が使えな いでは鳥から翼をもぐようなものだ。

 燕淑が兵を控えさせていた拠点に戻ると、防衛は成功したという知らせが入っていた。
「敵軍は撤退を始めています。
 将軍はいかがされましたか」
「脚におけがをされているから動けずにおられただけで、命に別状はありません。
 お運びします、何人か着いてきて」

 「燕淑の部隊の兵が、公績様がいなくなったといったものだから、私、そのことが心配で」
「馬ぁ鹿、現に生きてるんだからそんな顔すんなっつの」
今度こそ翡翠の膝枕で、本格的に手当てを受けている。その凌統がつくづく、という風にた め息をつく。
「やっぱ、あんたの膝枕がいいや」
「はい?」
「燕淑は慣れてないからちょっと硬くてね」
「え? え?」
翡翠が、凌統と、傍らの燕淑の顔を交互に見る。
「将軍命令よ」
燕淑はそうとしかいえなかった。
「それでは将軍、論功行賞の件について、代理にて出席してまいります」
そして、居住まいを正して、そう言う。
「ありがとさん」
凌統は片手をひらひらと挙げてそれに答える。幕から出しなに、
「将軍、ご懸念の件は、ぜひご本人に確認を」
燕淑はそういって、
「ち、ちょっと待て燕淑、今そんなこと、聞けるかっつの…」
翡翠の膝枕からがばりを身を起こして、狼狽しきった声が聞こえてくるのをくす、と笑い、幕 の帳をしめた。
目次
 

-Powered by HTML DWARF-