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  さみしんぼの袋  

 何日かに一度、維紫が女子兵卒の部屋で一晩を過ごすことがある。後宮の警備のある夜は、後宮に近いこの場所のほうが、異常があったときにすぐ報告しやすくてよい。
 そして、何をしているのかと言うと、…裁縫である。
 槍を針に持ち替えて、片手ほどの大きさに切られた布を、ちくちくと縫い合わせているのである。
 普段、家事らしいことを全くすることもなく、またする必要もない維紫だったが、これだけは別だった。
 今夜は、什長の小玉が一緒だった。髪の結い紐の布が余っていると聞いて、袋の縛り紐に使わせてほしいといったのだ。
「維将軍の袋は、みんな手作りだったんですね」
「そうよ。人に頼めないから、こんな仕事は」
結い紐より細くたたまれた布を、ちくちくちくちく…と細い明かりと、月の光に頼んで縫いまとめてゆく。
「維将軍の袋、私も何個か、もらいました」
小玉が言う。すると維紫は
「あら、小玉は寂しがりだったのね」
と言った。
「寂しいと、もらえるんですか?」
「ご褒美のときもあるけれど」
維紫は言って、
「私は軍の中でしか生きたことがないから、寂しいなんてことは思ったこともないけれど」
そう糸を切る。そのとき、維紫の耳が何かを聞き取ったらしく、
「小玉、何かあったらすぐ知らせてね」
と言い、部屋をするっと抜け出していった。

 維紫は、軍に入るより前、一族一家が離散して、それで一生分の寂しさを味わったと思っている。
 だから、軍に入って、女子兵卒の全くといっていいほどいない中でも、寂しいとは思わなかった。今は丞相になって多忙極まりない諸葛亮の妻・月英が、姉代わりになっていてくれたからこともあるからだろうか。
 とにかく、兵卒の部屋を一つ一つ見て回ると、案の定、入ったばかりの兵卒の部屋で、くすくすと、しゃくりあげる声がした。

 女子兵卒は、下位になるほど出入りが激しい。たいがいの理由が、縁談が調ったとか、親の判断で、とか、そんなもので、卒伯たちが処理する書類も、ほとんどがその出入りの書類だ。
 読み書きや礼儀作法を教えてもらうような場所と勘違いされても困るのだが、中にはそう言う場所と勘違いしたかのように、小さな娘を預けてゆく場合もあるのだ。
 目当ての部屋の、ふるふると震えている布団に向かって、
「寂しがりさん、起きていらっしゃい」
と、仲間の眠りを妨げないように声を掛ける。起き上がった小さな兵卒に近くの上着を羽織らせ、さっきの部屋に戻ってくる。
「そこにいらっしゃい」
月夜にもわかるウサギ目の小さな兵卒は、目の前で裁縫が行われているのに、きょとん、とする。
「名前は、何といいましたっけ
「…兎児、です」
「兎さんは、今夜の満月が恋しいの?」」
維紫はくす、と笑って、小玉に熱い茶を持ってこさせる。
「この間来たばかりだもの、家が恋しくても仕方ないわよね」
卓に茶と一緒に、甘い干し果物と、袋がおかれる。
「どうぞ」
「い、いいんですか、…えーと」
「維紫よ」
「維、将軍」
維紫は何も言わずに笑んで、手作業を続ける。

「私も昔は紫児なんて呼ばれて、おかしいものね、弟や妹にお母様がつききりになって、それが寂しくて、よく泣きながら眠ったものだわ」
呟くように話をする。兎児は、きょとんとしたまま、進められた寝台の中に入る。
「私じゃ、お母様の代わりにならないかしら」
本当なら、もうどこかにとついで、子供が一人二人もいてもおかしくない維紫なのだ。
 こういうことをすることが自己満足だとはわかっている。しかし、たまに、無性にそうしたくなるときがある。
「面白い話でもしましょうか? 私の家の池に、大きな鯉がいて、呼びかけると跳ねるのよ、その子だけできるの」
「本当?」
「本当よ。見たい?」
「見たい…けど、将軍のお家にお呼ばれなんて、まだ早いですよね」
「どうかしら」
見る間に一つ袋を縫い上げて、維紫はそばの箱に丁寧に収めた。

 小玉はもう部屋に戻り、兎児も、そろそろ眠りそうだった。維紫は自然に話を止める。小さな兵卒はそのまま眠ってしまった。
 月の光も随分傾いた。

 夜明けて、兵卒達の起き上がる音で、兎児もその物音で目を覚ます。
「ああ、起きなくちゃ」
とあわてる兎児をまあまあ、とひきとめて
「あなたは、私の仕事に昨晩つきあったくれたことになっているから、もう少し眠ってていいのよ」
そういう。そして手に、昨晩の袋をひとつにぎらせる。兎児がそっとのぞくと、干し果物と、焼き栗がはいっている。
「部屋のみんなと分けてもいいし、一人で食べてもいいし…」
維紫が言う。兎児は
「あ、ありがとうございます」
覚えたての拱手をして、部屋をぱたぱたと駆けていった。その後維紫は、他部隊との後宮警備の引継ぎを受け、自分の部屋に戻ってゆくのだ。

 小さい兵卒を慰めるための何かが入っている維紫のこの小さな袋は、兵卒の間では「さみしんぼの袋」と呼ばれていたが、ただ寂しがりだけがもらうわけではない。
 この間の軍団対抗戦のとき…
 勝敗の内訳を後で聞いた維紫は、卒伯の耀夏に
「すごいじゃない」
と言った。耀夏は「ありがとうございます」と言いつつも、複雑そうな顔だ。
「勝ちたかったのですけど、引き分けにしかなりませんでした」
「でも、維紫隊がただの後宮警備や儀仗隊じゃないという、立派な証明をしてくれたのだもの。
 ご褒美ね」
「もったいないです」
という耀夏に、維紫は例の袋をぽん、と渡す。中身は、新しい結い紐が入っているにはいるが、基本的には、やっぱり、干し果物と揚げ菓子だ。
「『さみしんぼの袋』と、中身は変わらないのですね」
「あらそう?」
私も俸禄が決まっている身でお小遣いなんてそうそうあげられないし、不公平になっちゃうし… 維紫はそう呟いて
「とにかく、もらっておいて」
と耀夏の肩をぽん、と叩いた。

 さみしんぼの袋になったり、ご褒美の袋になったりする袋が、維紫の仕事場には一つの箱に収まっている。ちょっとした小物なら大体入るので、本人も愛用しているのだ。
 「便利な袋だな」
その便利さには、上司も納得するところである。仕事場で一献、と言うところで
「何かつまめるものがあればなぁ」
という声に
「よければ…」
維紫は袋の中からおもむろに煎り豆を出した。
「何でこんなものを持ち歩いているんだ?」
「たまたまです。城下に遊びに出た部下が暇なときにとわたしてくれたので」
「しかしその機転の早さは、いい嫁になれそうだぞ」
「ありがとうございます。でも私に、ご縁はあるんでしょうか」
「さて、それが問題だな」
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