「この時間に人を通せと申し付けられてはいない」
兵士もよくできたものだ、扉も開けず、早朝の侵入者は開かぬ扉の前で止められていた。
「維将軍からのお言いつけなのです。今日子龍様が朝議に出られるから、準備のお手伝いを」
と言う声は、そういえば確かに雅四娘だ。一人では突破はできないと踏んだのだろうか、協力者も二三いるようである。兵士は型で押したように返答する。
「そんな話は聞いていない」
「私も命じた覚えはありません」
の声に、雅四娘達の顔がいっせいに維紫を見る。
「ここは兵卒がみだりに来るところではありません。
それに趙将軍は、まさにその朝議が近づいていて、あなた達が騒げば騒ぐほど、出仕に遅れるということに気がつかないのですか?」
来る道従えて来た女官に維紫は目配せをして、
「この女官は通してあげなさい」
そういい、雅四娘を見た。
「雅四娘、でしたね」
それから仲間を見、兵士に
「このものたちを、営倉に」
と言った。
「上官からの使命を捏造し、また兵卒と言う立場をわきまえず朝からこの騒乱を起こしたことは、看過できません。
最初の訓戒でわかってもらえたと思っていたのですが」
そう言うと、雅四娘の顔が険しくなる。
「そう、維将軍も結局は、私の敵手ってことね。
私の邪魔をするなら、あんたも、子龍様にいいつけて、軍から追い出してやる!」
維紫は額を抱え、ぐねぐねと兵士が縛り付けた縄を解こうとしながら営倉に運ばれる雅四娘の後姿を、当惑した顔で見送るよりなかった。
「やれやれ、子龍様、か」
女官に改めて髪を結われ、上から下まで正装になった趙雲が、維紫の後ろに出てきたのは、彼女らの姿が消えてからだ。
「そんな呼び方を許した覚えはないが」
「本当にすみません」
維紫は趙雲に腰を折ることしかできない
「訓戒がきかなかったようです。もっと私がしっかりしていれば…」
「いや、あれはもうお前の手に余ろう」
趙雲があごをひねる。
「一足飛びに、私の側近にでもなったような言い草だった。
「聞けば星彩も無関係ではなくなってしまったようだから…弱いものいじめにならぬ程度に何か行動を起こすべきだ」
「それはよろしいのですが将軍、お時間は」
「それは問題ない」
そのとき、召集を知らせる鳴り物が鳴った。
「ほら」
「よかった、間に合って」
胸をなでる維紫の結い髪に、例のしるしの飾り紐があるのが見えたのか、
「大儀なときに騒がせてすまなかった。養生してくれ」
趙雲はそう言う。
「もったいない」
維紫は頭を下げて
「いってらっしゃいませ将軍」
と言う。趙雲は難しい顔を苦笑い気味に緩めて
「行って来る」
と、朝堂(会議室)に歩いていった。
雅四娘以外の面子については、そそのかされたということで、今後はわきまえるよう訓戒して終えた。
だが、雅四娘本人については、二度目の看過できぬ行動である。
「それだけのことができれば、追い出すに理由はもう十分…」
と星彩が言う。しかし維紫は
「放逐だけで解決する問題でしょうか…」
そうつぶやく。
「彼女はもう、改心を促しても無駄」
星彩が言う。
「趙雲殿の室であると強力に自分に言い聞かせている、とても危険な状態で…」
固執している姿は、ある意味惨め。そう付け加える。
「配置を替えても同じ軍にあるだけで一緒だし…」
趙雲は
「厄介だ」
一言、それだけ言った。
「趙雲殿は、女心が余りよくわかっておられないから…」
「無理にわかりたいとも思わない」
「…維紫殿、苦労しそう…」
維紫は話がだんだんずれているような気もしたが、指摘できるほど強くも出られない。
「それで、あの、どうすればよいのでしょう」
「維紫殿は動かれないほうがいい」
「そうだな。一度訓戒をして聞かないのでは次も同じだろう。まして敵手とまでいわれてしまったのだろう?」
後から来て敵手も何もない。むっつりとそういってしばし。趙雲がはたと手を打った。
「後手に回るから手を焼くのだ」
将軍のお思いたちが裏目に出なければいいけれど。そんなことを思いながら、翌日、維紫は営倉の戸を開ける。
「雅四娘、いらっしゃい」
「どう? 私の器がわかって尻尾を巻く気になった?」
という雅四娘の目は、どこにか焦点があっているようでいない。維紫は星彩が言った
「ある意味、惨め」
の意味がわかった気がした。
「趙将軍がお呼びです」
それだけ言うと、
「本当? 子龍様が私をお呼びなの?」
雅四娘の目が一瞬だけ、ぎらん、と輝いた。
趙雲のところにつれてこられるなり雅四娘は
「子龍様!」
といかにも張り付きかねない勢いである。
「朝議には間に合われましたか? 子龍様のお支度に少しでも不備がないように私がんばろうと思いましたのに」
「その件は」
趙雲は、ごくゆるい笑みを顔に貼り付けて答えた。
「いろいろ指示の行き違いがあって、お前を通さないようなことになってしまっていたようだ、むしろ気遣いは感謝している」
「感謝だなんてそんな、私子龍様のことを思ってのことですから」
「雅四娘といったね」
「はい」
「練兵の折に見ていたお前の動き、一兵卒にしておくにはもったいないと思っていたところだ。加えてこの心遣い、将の器にあると見た。
私のそばで、将を目指してみるつもりはないか」
「ほんとうですかぁ」
雅四娘の目がまたぎらん、と光る。
「見込みなければ言いはしない。明日から本格的に養成に入ろうと思う。
そのつもりでいるように」
戻ってよい。趙雲がそう言いしめると、雅四娘はまったく浮かれた足取りで部屋に戻ってゆく。
「だ、大丈夫なのですか、あんなことを仰ってしまって」
「良い」
維紫のおろおろした問いに、趙雲は貼り付けた笑みを払い落としてきっぱりと言った。
「雷姫」
「…はい」
「しばらく練兵を頼む。星彩のことも。
灸は効くところにすえなければ効果がないからな」
維紫が、それからの雅四娘の様子を聞くと、
「ええ、もう舞い上がっちゃって、半分ぐらい自分の目的は達成されたみたいなことは言ってましたよ」
副官は肩を竦めて言った。さらには、何人かで共同で使う兵卒の部屋のひとつを一人で使えるよう部屋も替えられたそうだ。確かに、特別待遇と言えなくもない、維紫隊の卒伯だって、一人一部屋ではないのに
「趙将軍は、いったいどうするおつもりなんでしょうね」
「今度場割りは、私にもわからないわ」
維紫はいかにも困った風に、投げやりに言った。
趙子龍の一番弟子は、まだ師匠の「つもり」が図りかねている。
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