光源氏・上層に漂う仮想現実


 『源氏物語』の仮想現実の最たるものが、主人公・光源氏の存在である。
 
 『源氏物語』の世界においては、たとえ主人公であるといえども、創造神たる作者に作られたクリーチャーの一つに過ぎない。そして、多くの古今の公達のコラージュの結果作り上げられた彼は、一見完璧なまでの教養、美貌、人格を有する。言って見れば、『源氏物語』の現実から一つ上層に一線を画した、「地に足の着いていない」人格である。王朝貴族として、官僚として、男として、一様にあらま欲しい人格として、物語では描かれて行くことになる。
 それでも物語の主人公として、作者が与えた彼の道は、本人には当然不可視のものとして存在する。王朝貴族としては古今未曾有の完成された人間として、彼の後に道はない。彼の前に道はある。

 源氏物語のキャラクターが、いずれをとっても生き生きとしているのは、キャラクター一人一人に確立された個性があり、その個性の中には、若干の欠点も含まれている者と私は考える。
 ところが、光源氏は、その世界を生きる人間として、欠点のない人物として描かれている。だが、それは同時に、王朝時代の理想の公達というステレオタイプにはめ込まれてしまったすがたと考えられないか。ここで人間に欠点は必要だなどと、哲学まで引き合いに出すつもりはないが、作者の行ったキャラクターの造形の結果を物語として読むときに、作者がそれを念頭に置いていたということは十分に考えられるのである。

「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。…」
花宴巻で、突然現れた光源氏を不審者扱いした朧月夜に対していったこの台詞は、須磨流謫以前の光源氏の、自らのおごりのあらわれの最たるものであると思う。
 光源氏は、自分が、当代一流の、何の文句もつけようがない貴公子であるということを、深層で自認してる。普段、源氏は、自分を過小評価して、こういう優越感などはまったく表に出さずにいるのであるが、この時は、アルコールが入っていたためこんな台詞が飛び出ることになった。
 だが実際、この時期の光源氏は、譲位後もなお絶大な勢力を誇る父・桐壷帝のひざ元で、(仏陀の手のひらの猿よろしく、)多少の非道・暴走があっても、相手が相手なだけに揚げ足を取ることもできない。光源氏に対して一種の神聖なものを持ち続けていた藤壷でさえも、その神聖を源氏が犯し汚しておきながら、それをことさらに糾弾することが出来ない。
 彼に意見を出来るのは、父親である桐壷帝と弘徽殿の女御だけであった。もっとも女御は、限界までその鬱憤を蓄積しておいて、後で一斉に放出したのであるが。

 大体、全編を通じて、光源氏をマイナス評価したのは弘徽殿女御だけであった。彼女が光源氏をどう評価していたのかは、賢木巻末尾の、光源氏と朧月夜の密通の報告を受けた時の、女御の台詞に詳しい。少々長いが引用する。

「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ貶しきこえて、致仕の大臣も、またなくかしづくひとつ女を、兄の坊におはするにはたてまつらで、弟の源氏にていときなきが元服の副臥にとり分き、またこの君をも、宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰も誰もあやしとやおぼしたりし。皆かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまにてことは、かくてもさぶらひたまふめりしを、いとほしさに、いかでさるかたにても、人に劣らぬさまにもてなしきこえむ、さばかりねだげなりし人の見るところもあり、などことは思ひはべりつれど、忍びてわが心の入るかたに、なびきたまふこそははべらめ。斎院の御ことはましてさもあらむ。何ごとにつけても、公の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世、心寄せ異なる人なれば、ことわりになむあめる」
・朱雀帝の皇統を樹立するためにも、右大臣派の勢力を揺るぎないものにするためにも、右大臣の六の君、弘徽殿大后の妹 の朧月夜は、右大臣派にとって最大の切り札であった。しかし、源氏との事から、表立って女御として入内させることもかなわず、御匣殿として後宮にあったのである(略)。
朧月夜に、尚侍就任と同時に弘徽殿の建物を譲ったのは、名実ともに、朧月夜を朱雀帝後宮の中心人物として位置付けようとする弘徽殿大后の意図によるものであることは明らかである。(略)朧月夜と光源氏の関係が続いていることを知らされ、弘徽殿大后が、右大臣も辟易するほど激昂するのは、自らの書いたシナリオを無にされた者の、やり場のない怒りでもあったのである。
(《弘徽殿大后試論》−源氏物語における〈政治の季節〉−
『源氏物語の人物と構想』所収 和泉書院  田坂憲二)
 帝の後継に関しても不如意の多い中で、光源氏が弘徽殿大后の築き上げようとしている理想の後宮を破壊するのを、右大臣すら春宮の後見という勢いある源氏のすることだからといって、半ば諦観しているのを、大后は頑として、元服し、政界に出現した頃からの事までも遡って、そのオトシマエをつけてもらおうとする。賢木巻最末尾の
 ・つつむところなく、(略)ことさらに軽め弄ぜらるるにこそは、とおぼしなすに、いとどいみじうめざましく、このついでにさるべきことども構へ出でむに、よきたよりなり、とおぼしめぐらすらし。
という終わり方は、まさに、『源氏物語』を政治小説と読む時には相応しい、「浮き足立つ」光源氏を信奉する読者に不安と期待のないまぜを抱かせるという効果においては、鳥肌を立たせるような迫力があり、同時に、弘徽殿大后の、仮想現実への反抗の糸口は掴んだ、という快哉を含んだ、ある種の色気すら感じさせるものを感じるのである。

 弘徽殿にとって、光源氏は何者だったのか。 光源氏にとって、弘徽殿とは何であったのか。
 まず、二人の間には、相容れるものが何もないと言うことに気が付く。かたや源氏、かたや藤原氏、かたや左大臣一派、かたや右大臣一派。そして、二人が等しく求めているのは、複数成り立つことはほとんどありえない政権の座なのである。
 二人の進んでいる道(ストーリーをキャラクターごとに分けた場合のイベント時系列)は、とくに『源氏物語』の皇統継承問題・政局が語られる箇所を中心にして交わっている。そのときそのとき、どちらが相手に道を譲るか、の駆け引きが、光源氏と弘徽殿の確執であり、政争の根底にあるものの一部でないか。
 「地上に足を着け」自らに与えられた自らの現実を行こうとしている弘徽殿女御は、初め、光源氏の親として「上層に浮かぶ」桐壷更衣と桐壷帝のまえに、全く歯が立たない。両名の間の、帝王の歪んだ愛と更衣の戦術という魚心水心は、光源氏を誕生させるための前提の仮想現実として、弘徽殿の主張する現実を全く通さない。そればかりか、生まれ出た光源氏の持つ仮想現実(物語の中では幼い頃よりさえる才能と美貌、そしてカリスマとして表現されている)に、周りの全て(それこそ、たんたんとあることを見続ける姿勢をとらなくてはならないはずの語り手までも)が浮かされて行く。弘徽殿の主張は排斥される。
 弘徽殿の現実は、さらに、藤壺登場によって踏みにじられることになる。
 順当に行けば、春宮の母である自分は中宮になるはずだ。それが、桐壺帝の仮想現実であるところの偏愛をよしとする御心は、長年の忠誠を無視した。

・(紅葉賀・花宴)二つの賀宴は共に内裏(略)において、桐壺帝の御前で行なわれ、藤壺、弘徽殿の二人も同席しているのであるが、両巻の両者の地位には決定的な相違がある。紅葉賀の折は、桐壺帝を中に、弘徽殿女御・藤壺女御が並び立つような関係であった。それが花宴巻では、「后、春宮の御局、左右して」とあり、藤壺中宮に比肩できるのは春宮であり、弘徽殿女御は春宮の母としてのみ存在しているといってよい。弘徽殿その人は、藤壺中宮との間に大きく水をあけられてしまっている。(略)この弘徽殿女御の無念さと、(次代の春宮は藤壺腹であるという)初めから受け皿を準備されている感のある右大臣政権の内実を抜きにして、葵、賢木両巻における弘徽殿の行動の意味を正確にに把握することはできない。
(《弘徽殿大后試論−源氏物語の〈政治の季節〉−》
『源氏物語の人物と構想』所収 和泉書院  田坂憲二)
 弘徽殿の、光源氏に対する言動は、右大臣一派に対する危険性のみならず、光源氏という仮想現実を羨む要素というものが、入っているだろうことは、悔しいが認めざるを得ない。
 光源氏には、形式的・法的に即位しないだけで、帝王としての必要なものは全て揃っている。振り返って、わが子朱雀帝には形式的・法的な帝王としての地位だけしかない。
 だが、我が子のそんなふがいなさを顧みて源氏を逆恨みし、いずれ光源氏が政治を担うという予感を、それが自分の予想と食い違うためにそのまま甘受することができず悪たれをつく「悪后」として、弘徽殿は後々描かれて行くことになる。
・更衣その人がなくなっても、第二皇子(光源氏)が第一皇子の驚異であ続ける限り、弘徽殿の反撥・敵視は続くのであ  る。桐壺更衣死後、野分の頃、亡き更衣を思い悲嘆の涙にくれる桐壺帝を殊更に刺激する様な形で弘徽殿が振舞うのはそのためである。
(略)

これは決して、「帝の悲しみも知らぬ顔で思慮もなく」振舞っているのではない。帝が、第二皇子の母の死を限りなく悲しんでいるが故の、意図的な敵対行動なのである。
(前掲論文)
 だが、弘徽殿女御には弘徽殿女御の現実と正義があるということは忘れてはならない。
・(弘徽殿大后には)あくなき権力志向を持つ冷徹な政治家としての面が常に存していることが確認できるのである。もちろん、それは決してあらわな形ではなく、源氏の側から見れば意地悪な女性として読み取れるような仕掛けになっている。
(田坂憲二・前出論文)

・弘徽殿の物語は、源氏贔屓、王氏贔屓に読まれすぎる時、悪の色調が強まるだけなのである。あまりに悪后・悪玉などとその色調を強めて読みすぎると、この物語の真の魅力が看取できなくなるにちがいない。
(《弘徽殿女御試論−悪のイメージをめぐって−》
『国語と国文学』昭和五十九年十一月 林田孝和)
 そのとおりであろう。
 私は弘徽殿を、卑怯にもそのほかと共に上層から攻撃するつもりはない。ともすれば、理想の公達が現れて、恋の悩み以外何の波風もなく、ただ位人身を究めるまでを漠然と眺めるシミュレーションになりそうな『源氏物語』で、簡単に打ち破かれてしまったけれども、一時壁として立ちはだかった彼女を『源氏物語』のほぼ唯一のリアリストとして評価したいのである。

 弘徽殿女御の与えられた道は、作者の生きる現実を、そのまま『源氏物語』の中に取り込み生きることであったと考えたい。ともすれば、物語の中に入り込み、共に諸手を挙げて源氏を礼讃してしまいそうな自分を、現実世界につなぎ止める存在である。
つまり、弘徽殿の心情を正しく読みとることが出来れば、それは『源氏物語』が語られる王朝時代の後宮貴族の態度となるのであろう。