桐壷更衣・愛と野心の仮想現実



 

 『長恨歌』に「後宮佳麗三千人」という。白髪三千丈のたとえを話半分に聞いておくにしても、唐の後宮には百人からの女性が帝王に侍っていた。
  日本でも、(記録上だけでも)数十人を擁していた後宮を持った御代もあり、平安時代全体を見回しても、大抵複数の女性が後宮には存在するということは論ずるまでもない(「日本の後宮」門田文衛・学燈社)。またそうすることが、摂関政治の体制を維持していくために不可欠であると言うことも、述べるまでもないことである。
 帝の燕寝に侍る事をもっぱらの仕事して後宮に送り込まれた女性には、帝の皇子を産み奉る使命がある。皇子でなければならない。その皇子の立坊・そして登極がなければ、皇子の母の一族がその外戚として政治を摂政する事はかなわないのである。
 それは、『源氏物語』の世界であっても例外ではなかろう。四代におよぶ御代それぞれに、一族郎党の浮沈をかけた姫君が妍を競うという構図は、当時の現実の宮廷の実体にかなったもののようだ。

 中でも、桐壷帝の後宮は、一部に現実の宮廷のごとき情勢を擁して、現実味の深いこと、物語の他の後宮に追随を許さないように感じる。
 ただ、この後宮の基礎の部分で、すでに仮想現実が始まっている。桐壷の更衣の存在と、彼女の賜っていたなのめならぬ寵愛である。 
 入内して来た女性に対し、その出自身分にあった寵愛を「平等に」与えるのは、帝としてあるべき誠意ある態度であると考えられている。
 それが崩れている状態で始まるのが『源氏物語』である。時の帝は、桐壷帝と通称されるように、よりによって取り立てて後見もいない、一人の更衣に首ったけになっている。
一族の男性がことごとく政治の現場にいない、大納言女といっても実際にはそれ以下の待遇で然るべき数ならぬ更衣が、不自然なまでの寵愛をかたじけなくし、同じ使命を背負った他氏の姫君をやきもきさせる存在として描かれている。
 
『源氏物語』を恋愛小説という方面から見れば、そうせざるを得ない帝の「わりない」御心は、確かにそのあはれを評価されて然るべきであろう。
 だが、物語世界の現実と言う意味でその政局をみた場合、桐壷帝の動向は、国をも潰しかねない危険行為と考えて良いようだ。

・桐壷院の愛のあり方は、帝王の愛のあり方に照らしてみれば、常軌を逸したものであった。帝王の愛は、後宮の女性たちの身分、出自に応じて分かち与えられなければならなかった。(略)一人だけを寵愛されれば、他の女性達は皇胤を授かる機会を失う。それはせっかく娘を入内させても、外戚としての政権の夢が断たれることで、親や一族、内裏の忿懣が鬱積し、国を乱すもととなる。(略)一人の女性のみを愛することは、今でこそ至純なものであろうが、当時の社会にあっては非難されるべき偏愛で、帝王の愛としては許されえないものであった。
・「源氏物語」は冒頭から、帝の更衣偏愛という不吉な愛の物語として始発しているのである。光源氏はそうした暗い不吉な愛執の渦巻の中に誕生したのである。
(《弘徽殿女御試論−悪のイメージをめぐって−》
 『国語と国文学』昭和五十九年十一月号所収 林田孝和)
 そして、ここで考えておきたいのが、桐壷更衣はどういう意識をもってこの事態を認識していたか、ということである。 自分が過分の寵愛を被り、それを他の后妃が攻撃して、様々に思い悩む彼女を不憫に思ってますます帝は寵愛する。この「悪循環」の中で、まさに身と心を削ぎ取るように宮仕えを続ける更衣の心情は、桐壷の巻の中にはちりばめられている。そして彼女は、前述のような帝の偏愛と、後宮あげての「イジメ」によるストレスが原因で死んでいったと物語は語る姿勢を見せている。
「楊貴妃の例も引き出でつべくなりぬるに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて交じらひたまふ」
「父の大納言はなくなりて、…取りたてて、はかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠りどころなく心細気なり」「事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを」

 ・帝との愛に勝ちながら政治的情況のなかで敗れて、いじめ殺されてゆく更衣の姿は、まことに可憐でいとおしい。

(《源氏物語における人間と政治−光源氏の須磨行をめぐって−》
  『紫林照径−源氏物語の新研究−』所収 角川書店  今井源衛
 だが、いよいよ避らぬ別れの近付いて来た彼女の行動にこそ注意しなければならない。彼女は、今自分が現在、なお「三千の寵愛一身に在」るということは分かっているはずである。彼女はその寵愛が分不相応なのは自覚している。分不相応な故に、他の後宮構成員から白眼視されている、そのストレスで死んでいこうとしている。その事実も彼女は知っている。そういう時期でありながら、自分の産み奉った皇子の立坊を望むようなそぶりを、今際の際まで続けている。
「『限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思うたまへましかば』
と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、」

・「聞こえまほしげなることはありげなれど」というのは、すなわち幼い光宮の将来を帝に託そうということであるにちがいない。(略)だから生き延びたいといううたを詠むのであり、「いとかく思うたまへましかば」という言いさしには幼い光宮の栄達を見とどけずに死ぬくちおしい思いが込められている。

(《予言は実現するか》 『源氏物語入門』所収 講談社学術文庫  藤井貞和)
このあたりが興味深い。外戚不十分ゆえに分不相応なものになった寵愛の副産物によって死に至った彼女が、なぜ一方で、外戚に恵まれない皇子の立坊を望んでいるのだろうか。先に引用した、藤井氏の御推察は、物語の根底の部分に、幼い光源氏の祖父・故大納言の遺志と、それを引き継いだ桐壷更衣の願いがあり、それを達成させていくのがすなわち 『源氏物語』であるということである。
 この御推察は興味深い。だが私は、僭越ながら、氏の御想像されているかも知れない更衣の願いは、より強いものであると考えたい。
 我々は、桐壷更衣も「所詮」他氏と大差ない後宮の一部であったということを忘れてはならないのである。
 更衣の母は言う。
「生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くなりぬとて、口惜しう思ひくずほるな』とかへすがへす諌めおかれはべりしかば、(後略)」
 大納言が、うまれた瞬間から娘には入内という大きな望みをかけ、自分の死というのは、娘の足下を確実に不安定にさせることを悟りながら、それでも入内を遺言として残し、はたして入内した更衣には、はたして父の遺志に報いたいと言う「野心」が備わっていないと言うことがないのだろうか。
 ハッキリと「否」と言いたい。男と女の損得抜きの愛情を否定するつもりはないが、後宮というのは寵愛を得てナンボの弱肉強食の世界であろう。その寵愛さえ、永遠に一人のものではない。いや帝王の愛情は、「ほどほどの懸想」をこそよしとも考えられている。桐壷更衣は、大納言の遺志と後宮的野心を持っているなら、それに報わんとするためには外戚不十分という事実すらも寵愛の糧としようとし、わが子の立坊を長く帝の心にとどめておくために、自分の死亡をそのように「演出」する事もできると考える、ある意味強かな女なのではないか。
 それを隠し、ただ野心の外で差向いの愛を望むあえかな女性としてそれまで描写されていることが、桐壷更衣に用意された仮想現実ではないか。
 彼女の仮想現実の前には、諸殿の后妃の妨害すらも、桐壷帝の寵愛の激しさをまし、自分に集中させる材料となる。四面楚歌の中、それでも甲斐甲斐しく宮仕えを続ける更衣に帝は骨抜きになる。彼女の「成功」の秘けつは、ひとえに帝の「あはれ」のツボをことごとく刺激しつづけられた点にあろう。
「故大納言の遺言過たず、宮仕えの本意  深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ…」
 その父親が臨終まで娘の入内を望みつづけたように、その娘もまた、入内して皇子を産み奉ったからにはと、臨終まで、わが子の立坊を訴えていたと考えたい。果たして、帝は、仮想現実に基づき、その野心を悟り、報いた。その結果が、過分とも思える寵愛と、生まれた皇子への愛情である。更衣の魚心と帝の水心を知り得ない場所にいる語り手の目は、更衣の原風景にあるかもしれない、入内立坊 (立后)の寝物語の記憶を掘り起こすことはできなかったようだ。 そして、
「いかまほしきはいのちなりけり」
 桐壷更衣の絶唱には、更衣がかくしつづけて来た、あるいは、他の後宮に悟られなかった、本当の彼女の姿が見える。死後、一部の後宮では、桐壷更衣をただただあえかな女性との印象を思い起こすが、だからこそ、むき出しにはしなかった野心を成就させ得たとも考えられる。臨終を前にして、作者は、桐壷の更衣に与えていた仮想現実を取り上げた。入内したからには、めざすものは、誰もが同じであるということであろうか、と。

 別段、私は桐壷更衣を擁護するつもりはない。更衣の「危険性」を再確認したに過ぎない。摂関政治の正統をわきまえるその他後宮が、もはや時代遅れでまるでとるに足らない存在だということを言いたいのでもない。、
 たしかに、桐壷帝・更衣両名の間柄は、その他後宮にはにわかには納得できないことだろう。だが、その間柄は、国を崩しかねない危ないものだということを改めて確認することと、この状態が長く続けば、官吏がひく「楊貴妃のためし」が現実のものになるという危機感を、後宮や官吏達は敏感に悟っていたということを導く前提として用意したかったことである。
 前に挙げたような、(更衣の野心と言うことはそれとして、)身分を越えた寵愛をほしいままにせんとするかのような桐壷の更衣は、正統的伝統的後宮の姿を維持しようとする立場から見れば、彼女はシステムからはみ出て後宮秩序を乱すアウトローとも呼べる立場にある。
 では、誰がその正統的伝統的後宮を維持しようとしているのか。
 桐壷更衣以外の後宮すべてが同じ考えであるだろう。こと、一の女御・弘徽殿を擁する右大臣家にとっても、桐壷更衣は「めざましきもの」である。
 右大臣家の、後宮の窓口は、言うまでもなく弘徽殿の女御(のち大后)である。桐壷更衣が、分不相応な寵愛を長く自分のもとにとどめようとするならば、弘徽殿女御には、これからも続いていかなくてはならない摂関政治システムを、右大臣家のために後宮の側から支えなければならない使命が出てくる。
 摂関政治の後宮は、政局を反映する鏡のようなものである。これは物語の中でも現実世界でもかわらない。
 桐壷の巻現在の桐壷帝の後宮の構成の大まかな部分を一度さらう必要がある。
 複数の女御・更衣が存在するということは、音に聞く冒頭部分でも明らかにされている。だがそのうちの誰にも中宮宣旨の下っていない、完ぺきな後宮ということではまだ足りないもののある状態でもある。

「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に」
 複数いる女御の中で、特に東宮時代より伺候する弘徽殿の女御がその背後を頼んで立后合戦に頭一つ抜きんでいる状態であろう。すなわち、後宮に姫君を入れている諸氏の中で、その時最も勢いのあるのが右大臣一派であろうことは考えられる。(左大臣一派は桐壷帝の妹婿の縁である)帝の、後宮での振る舞いがもとで高級官吏を多数抱える右大臣一派の心が離反するとなると、桐壷朝廷は大きな痛手をこうむる。だから、桐壷帝は、弘徽殿女御が一の女御としての威信が保てる程度の敬意ははらい続け、痛い諫言にも耳を貸さなくてはならない。
 右大臣家の後宮の窓口として、筆頭女御として、弘徽殿は、桐壷更衣をシメなくてはならない。皇子が生まれ、その寵愛ぶりが、立坊にも影響をおよぼしかねない勢いであるならなおさらである。
弘徽殿女御のこの行動は、物語内部においても「さがなき」と評され、後世彼女を「悪后」と言わしめる原因の一端ともなっているのだが、
その「さがなき」性格が、桐壷問題より他に、桐壷帝後宮の安定には役立っていたという事は評価されなければならない。
 弘徽殿女御には、早くから漢籍の大后のイメージが与えられている。漢籍における大后は、桐壷更衣のような「めざましき」ものに対し、日本人には残虐とも思える方法でもって制裁を加える。女御に最も影響大きいとされる漢の呂后は、戚夫人を「人ぶた」にしたし、近い例では西太后が側室の両手足を切断して頭だけを出して瓶に詰めたという。
・中国史書には後宮における妬忌の記述が際立っているが、我が国のそれには、「古事記」「日本書紀」の仁徳朝などに見られるものの、中国史書からの影響によるものと思われ、もとも中国の後宮のような苛烈な妬忌による事件はなかったということであろう。しかし(略)陰微な形での嫉妬や女性の戦いはあったに違いなく、公文書的にはそれが現れてこなくなったということであろう。
(《源氏物語と中国史書における妬忌−后妃伝から虚構の宮廷史へ−》
   『源氏物語の歴史と虚構』所収 勉誠社 田中隆昭)
 先にも述べたように、後宮は、その構成員の誰もが四面楚歌であるといっても言い過ぎではなかろう存在である。入内した姫君達の全てが、一族の栄耀栄華を細腕に抱えて宮仕えを過ごす場所である。男の世界の勢力関係図がそのまま反映もする。
 そういう情況の中で、弘徽殿女御は強い。個性はそれとして、弘徽殿女御が「強い」のは、すなわち実家の強さであるという事である。
 後宮全てが、「はじめより」、「われは」と思っていたことは物語冒頭にもはっきりしている。だが、桐壷更衣以前には、おそらく、このような問題は起きていなかったのではなかったか。いかに後宮一の寵愛を得よとても、それは自分の分際をわきまえてからの話である。たまさか、自分が過分の寵愛を得ていたら、きっと自分は足を引かれる。男の世界でも、右大臣一族を敵に回してはたして無事でいられようか。
 そのなかで、いそいそと、桐壷更衣を排除して来た弘徽殿女御の姿勢は、すべからく、将来の妃となるべき姫君のもつべきものとして、鍛えられてきたものではないだろうか。といった場合、先に述べた桐壷更衣さして変わりのないもののように感じられようが、重ねて私が主張して来たとおり、「家も実力のうち」であるということを忘れてはならない。寵愛は朝廷に還元される。朝廷において、外戚のパワーがまさるようになれば、賜る寵愛は、しだいにその后妃にとって相応しいものなって行くのである。桐壷更衣場合、寵愛が還元されなかったばかりに、朝廷の不興をかったのである。
 摂関政治においては、そう言うオモテとウラのバランスが重要であったのである。
 「実力」に裏打ちされた弘徽殿の「さがな」さを、桐壷の巻の内から攻撃することは不可能とも言える。もっと言えば、彼女の態度には、何の批判されるべき箇所が見受けられない。
 彼女への寵愛は、どんなに度を超えようとも、右大臣一族を背中に背負っている限り、不当なものではなかった。
 こわいものがなかったゆえに、桐壷問題の先陣を切る弘徽殿の姿は、現実に存在するようなリアルな「さがな」さを呈することが可能だったのであろう。
・弘徽殿女御(のち大后)というキャラクターが呂后をはじめとする中国史書にしるされた后たちの姿に重ねられているのは確かであろう。その弘徽殿の性格を物語では「さがなし」という語で表現している。(略)「さがな者」というのは物語の悪役のイメージである。(略)呂后のごときキャラクターは日本の物語では「さがな者」である。呂后の影を背負った「さがな者」弘徽殿大后は源氏物語の歴史的骨格の形成にかかわっている。そして源氏物語が物語であるゆえんは日本の正史がほとんどしるし得なかった女性の陰微な嫉妬を追求していることである。それはまた中国正史の后妃伝に女性の妬忌をあからさまにとりあげているのとは異質の追求のしかたをしていることである。
(田中隆昭・前掲論文
 前のような御意見もあるが、弘徽殿の…というか桐壷帝後宮の…妬忌のあらわし方は中国史書の描写にくらべればまだまだ控えめではあるけれど、『源氏物語』内部に限ればこれ以上の残酷さはないわけで、『源氏物語』にある種のユートピアの妄想を抱きながら読み始めると、弘徽殿のその強さは「まるで現実を見るような」違和感を与えることになる。 が、その違和感こそ、弘徽殿を読む場合に必要なのである。
 物語の主人公や、弘徽殿女御に迫害される多くの人々に迎合するのなら、そういう先入観はないほうが良かろう。だが、『源氏物語』の中で作者の生きていた現実を知りたいのなら、弘徽殿女御を追うほどに効果的な手段がないのもまた確かである。
 『源氏物語』のなかで、「仮想現実」の風景が現れるたびに、弘徽殿女御は、泥臭いまでの鮮烈な「実想現実」をもって読者に訴える。
 その呼びかけに、耳をふさいではいけない。