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 その夜。
「アぁゼル」
ひょこ、と、部屋にティルテュが顔を出す。
「まだそのぼろの教科書読んでたんだ」
「うん…ちょっとね、気になることがあって」
「気になること?」
「ティルテュ、君は素養検査したことない?」
「ないよ」
あっさりそう言われて、アゼルは二の句が告げない。しばらくあって、言葉を選ぶように、
「そんな事、ないはずだよ。フリージ家に生まれて素養検査受けたことないなんて。
 君のおばあちゃまは先代のトールハンマー継承者だったんだろ?」
と言う。
「でも記憶ないからさぁ」
「…言いにくいけど」
目を合わせないように、わざと本に目を落としながらアゼルが言う。
「はじめて『オトナ』になった日とか、おばあちゃまはどういう感じだった?」
「うん、喜んでくれたよ。それで、『お前はよく精霊がなついておるな』って、褒めてくれた」
「それだよ」
「それだよ、って…ソヨウケンサなんて、そんなものなの?」
ティルテュが裏返った声を上げた。
「そうだよ。検査なんて題目ついてるけど、魔力が高い者が少し見るだけでいいんだ。武器を使う人間が、対戦相手の力量を見ただけで推測するのと、基本的には変わらない」
アゼルは説明の後、さらに言いにくそうに、
「それから君にはもう一回、素養検査を受けたことがあるはずだ」
と言う。
「いつ?」
「僕は知らない。
 でもティルテュ、この間言ったよね、僕が初めてじゃないって」
「あ」
ティルテュはは、と口を押さえた。それから、
「あの時はさすがに、おばあちゃま怒ったわ。でも、『精霊はお前を赦している』って、言ってた」
アゼルは深く溜め息をついた。
「ほら、やっぱり」
「ねぇアゼル」
ティルテュが、ひと足先に寝台の中に潜り込んで、ぷうっと膨れた顔をした。
「私の過去をひっくり返して、何が面白いのよ」
「違う。昼間の件だよ。
 ラケシスは、最初、誰から素養検査を受けたのかなって」
「…受けたのかなぁ。ライブの杖なんか最初から使っていたけど、マスターナイトになるなら、もう一度調べるぐらいの慎重さはあっていいはずだよね」
ティルテュは小首をかしげる。
「私もアゼルも、ラケシスより絶対魔力は上じゃない? 最初あった時に、私は、練習次第だなっておもったの」
「僕もそう思った。でも、エーディンも神父様も、レヴィンもいたし、誰かがもうそう言うことを言ってあげたかもしれないと思って、二回も同じこと聞くのは嫌だろうなって、止めてたんだ」
「…あの子の素養検査できる魔力の高い人が、みんな、先に誰かが言ったなって遠慮をしていたら…?」
ティルテュが引きつった笑いをした。アゼルは本を閉じて
「有りそうな話過ぎて…考えたくない」
そう呟いた。

 翌日、手分けをして話を聞き回った所、やっぱり、全員が「遠慮の塊」になっていたことがわかった。
「まあ、過ぎたことは仕方ないとして…ほんの半月ばかり魔法書にふれてないだけであそこまで威力が下るなんて考えられない。
 まだ精神的に参っているのと、自分でもあまりの魔力の低下にショックを受けている状態だって言うのは、わかった」
本当は休ませてあげたいけど、聞くふうじゃなかったなぁ。アゼルはこまった、という風に腕を組む。と、昨日の顔がまたひょこりと出てくる。
「おや、仲のよろしいことで」
「あ、よかったベオウルフ。昨日の続きなんだけどさぁ」
ティルテュが言って、さあさあとイスをすすめる。
「またいきなりサンダーの練習台になれってんじゃないでしょうね」
「そんなことしないよ」
「冗談はともかくだ、姫さんの魔力に関して、何かわかりましたかね」
「今日僕が見ていた限りでは、時間をかければ元に戻ると思う。原因の三分の一ぐらいは、魔法を使っていなかったブランクだよ」
「で、あとの三分の二は?」
アゼルとティルテュは、少しお互いの顔を見て、ややあってアゼルが、
「三分の一は、アグストリア関係でまだ精神が疲れているのかもしれない。残りの三分の一は憶測の域を出ないけど、一番考えられるのは、やっぱり、『処女性の欠落』だと思うんだ」
ベオウルフは
「ふうん」
と、納得したようなしないような声を出し、
「俺は、一にも二にも最後のが原因だと思ったがね」
と言った。
「何でそんな事がいえるのよぉ、間違いだったらどうするの? 間違いだったらすっごく失礼よ」
ティルテュが言い咎めると、ベオウルフは
「この間久しぶりに見た姫さんの足つきとか、全然違ってたんでね」
と言った。
「ついでに言えば、お嬢さんとおんなじになってた」
「なっ」
ティルテュが思わず立ち上がりかける。
「何で私とおんなじだって言いきっちゃうのよ、あんた。
 ラケシスはすっごくお上品で、そんなこと、ちゃんと教会で神父様にお願いして式あげた後じゃなきゃ絶対だめって思って」
「…いるように見えるのは周りだけ。
 男を知ってる女とそうでない女は振る舞いが違う。魔法はよくわからねぇが、俺はそっちに関してはカンはいいんだ」
ベオウルフは後頭をぐしゃ、とやってから、
「坊ちゃん、よーくよーく思い出してくんな。俺達ここに来たばっかりのころ、なんかありませんでしたっけね。
 お嬢さんも、その恩恵にあずかってるハズなんだが…」
「ここって、セイレーンに?」
アゼルはしばらく考えてから
「ああああああああっ」
と裏返った声を上げた。

 「あのね、いきなりへんなこと聞くけど、気を悪くしないでね」
そういう会話のあったしばらく後、ラケシスの部屋にティルテュの姿があった。杖の練習も控えているので、エーディンも同席している。
「その…魔法の練習していない間に…『し』ちゃった?」
もじもじと指を動かしながら、そう尋ねるティルテュに、やっぱり心あたりがあるのだろう、ラケシスも真っ赤になってうなずいた。
「あの…」
「あーあーあー、誰ととか、なんでとか、そういうことは今は必要ないの」
そこから先は聞きたくない、と言うように腕を押し出しながら、ティルテュはそういって、
「あのね、『する』とね…魔力が少し変わっちゃうことがあるって、アゼル教えてくれたよね」
「ええ」
「一度、それを調べないといけないの。
 本当なら、マスターナイトになろうと思ったときに、まず魔力がどれだけあるか、魔力の高い人に見てもらって、それからはじめるとよかったんだけど、あのころ、みんな余裕がなくって、その辺の説明忘れてて」
ごめんっ ティルテュが背中を見えるほど腰を折った。
「そんな。
 私も、魔力がそこまで不安定なこと知らなくてこんなに心配かけちゃって…」
「あのね、ラケシスの魔力は絶対戻るよ。とにかく、心配ごとなんて全部吹っ飛ぶぐらい練習したら、ちゃんと戻るって」
「本当?」
「うん」
「よかったぁ」
ラケシスは、感極まったかつい目頭を押さえる。
「このままだったら、どうしようと思って…」
「ティルテュ、それで、ラケシス様の素養検査は?」
やり取りを聞いていたエーディンがそういう。
「あ、そうそう。しなくちゃいけないから、私でよければ見ようかなって思ったんだけど…」
「もうすみました」
「え?」
二人が思わずエーディンを振り返る。
「結果からいえば、変化はありません。ある程度まで高まれば、自然と固着すると思います。
 もっと早くわかっていたのですれど、いつお話ししていいものか、機会をうかがっているうちに今になってしまって」
ころころとエーディンは笑って、
「さあ、今日は義勇兵の練兵の日でしたね、杖の練習にしましょう」
と席を立った。

 「『清らかさを失う痛みは、この人と決めた覚悟を体が問う痛み』、か」
ティルテュがいやにしみじみといった。
「何それ」
「エーディン様が、素養検査をしたときに、ラケシスにいった言葉なんだって」
「エーディンらしいね」
アゼルはそれに、くす、と笑っただけだった。
「アゼル、もしかしたら、私が安売りしたとか思ってる?」
「安売り? 何の」
しかし、彼の聞き返しには何も返さず、
「私だって、本気だったんだから。
 士官学校にいたひとで、すっごくかっこよくって、このひとならっておもって、それで、それで」
「わかってるから、落ち着いてよ」
ともすればソファの上に立ち上がりそうなティルテュの勢いを、まあまあ、と鎮めて、
「その人はいまどうしてるの?」
「どこかの公爵家に仕官したんじゃないかなぁ、家柄とか、よく覚えてないし」
さっきの勢いはどこへやら、ティルテュは今度はソファの上でしゅん、とちぢこまる。
「…失望してる?」
「何に」
「私が初めてじゃなくて」
「ぜんぜん」
読んでいたチェスの定石集を机の上において、アゼルはくすくす、と笑いながらいった。
「むしろ、これからティルテュが僕の色に染まっていくほうが楽しみだからね」
「もうっ」
ティルテュは、ソファのクッションをぼこん、とアゼルにぶつけた。
「知らないっ
 ベオウルフと、何か変なところで意見が一致してたけど、なんか、秘密の話し合いでもあったの?」
「話し合いというか、勉強会かな?
 このごろ僕、変わったでしょ」
真顔で尋ねられて、ティルテュは「う」とにわかに目じりを染める。いわれて見ればこのしばらく、アゼルの「技」が目に見えてあがってると思った。
「この間なんか泣き出しちゃったしなぁ」
ははは、と笑いさえするアゼルに、簡易雷魔法が飛ぶ。もっとも、威力がごく小さい上にアゼルには抵抗があるから
「いててて」
ちょっとぴりぴりするぐらいなのだが。
「やっぱり、男ってだれでもかれでもそういう話で盛り上がるのねっ」
「悪いことばっかりじゃないよ」
「そうかしら」
「あの勉強会がなかったら、まだラケシスの魔法の練習はとまったままだったかもしれない」
意外にまじめな顔でアゼルがつぶやくので、ティルテュはまたぽつん、とソファに座りなおす。
「そう、なんだ?」
「実際、彼女達の間で、どんなやりとりがあってそうなったか、僕は知らないよ?
 でも結果的に彼女はもう一度魔法の練習を始めようと思うところまできたんだから、あながち悪いことでもなかったんじゃないかな、と、僕はそう思うだけ」
アゼルはまた定石集を開いた。
「教科書がいけないんだよ。『処女性の欠落』なんて、いかにも悪いように書くから」
「そうよねぇ、魔法のためにいつまでもバージンでいなさいなんて、そんなこと、よほどの覚悟がない限り無理よ。
 人間だもの、恋愛するし、恋愛したら、自然とそうなりたいって思うこともあると思うし」
「おばあちゃまがそれを忠実に守っていたら、今ここに君はいないし」
「だよね」
そういいながら、ティルテュは、アゼルが読んでいる定石集を覗き込む。
「うわ、難しそう」
「そうでもないよ。読む?」
「無理だってばぁ…
 でも、最近そればっかり読んでるけど、どうかしたの?」
「実はね…負けられないんだよ」
ティルテュの弱りきった声に、アゼルはやれやれ、といいたそうなしぐさでいった。
「ふぇ?」
「勉強会した面々の中で一試合やって、負けた方が『勉強』がどれだけ役に立ったか話さなくちゃいけないんだ」
「えぇぇえぇえ」
「負けたら…、この間君が泣き出した話をしなくちゃいけない」
「あ、アゼル」
ティルテュは飛び出すように近づいて、本を離したアゼルの手をぎゅっと握る。
「何?」
「勝ってね、絶対。絶対負けちゃだめだよ。負けたら、さっきのぱりぱりじゃすまない、トローン全力詠唱だからねっ」


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