back


魔女っ娘じゃいられない


 「今日もいないねぇ…ラケシス」
「そうだねぇ」
練習用の剣を片手に、ティルテュとアゼルがぼんやりと座っていた。二人が魔法を教える代わりに、剣を教えてくれるといったラケシスは、今日も教練場に姿を見せない。
「彼女、そんなに悪いの?」
「知らない…この半月ばっかり、私も顔見たことないもの」
私はさ、少しだけ、魔法剣が使えるだけで良いんだけど… ティルテュも、手に持ってる剣を徒然にからん、と倒してみる。
 まだ寒い風をよけるように二人で座っていると
「おんや、可愛いのがお二人でなにたそがれておいでで」
と、教練場に出てきた顔がある。
「あ、ベオウルフ」
「剣の練習相手が欲しいんなら、相手しますぜ」
彼はそういいながら、ティルテュが倒した剣を取る。
「ありがとう。でも、大丈夫かなぁ…」
初めて組み合う相手だ。アゼルの笑いが何となく引きつってくる。
「坊ちゃん、俺は姫さんみたいに甘かありませんぜ、そのへんは覚悟できてンでしょうね」
誰でもいい、相手が欲しかったのだろう。ベオウルフは、刃潰しした剣を楽しそうに振った。
「がんばれアゼルぅ、私ここで杖用意しとくから」
「そ、そんなティルテュ、人事みたいに」
「ひとごとだもーん」
「ティルテュ!」
「お嬢さん、もすこし離れておきな、怪我しますぜ」
「うわぁぁぁぁ」

 後になって、ラケシスの教える剣もすごかったと振返るアゼルだが、この時のベオウルフの勢いも半端ではなかった。
 貴族の剣と傭兵の剣とは、基本的に使い方が違うのだ。刃が潰されているとは言え、刃の方向から叩かれたり刺されたりしたら相応に怪我をする。
「坊ちゃん、腰が引けてますぜ、馬を降りて剣を使わなきゃならない場合も、相手が教科書通りに動かないことも当たり前にある、魔法がなくっても、最低自分の体は守れないと、剣をモノにしたとは言えませんぜ」
「そんなことは、わかってるよ!」
一度呼吸を整え、上段から振りかざしたアゼルの剣を、ベオウルフは片手持ちにした剣でうけとめる。
「ううううう」
ここで退ったら、攻撃が来る。アゼルはそのまま固まった。
「なかなか根性がすわってなさる。姫さんが教えたことも少しは生きてるようだ」
ベオウルフは、にやっとえくぼを作って笑んだ。そこにティルテュが
「ねぇねぇベオウルフ」
と声をかける」
「なんですお嬢さん」
「何でラケシス、この頃ここに来ないの?」
「…」
ベオウルフは少し考えて、かしん、とアゼルの剣をはじいて、彼を休ませてから、
「さぁ」
と肩をすくめた。
「ちょいと前までは、杖の練習になるからって、義勇兵の練兵場にも良くお出入りなさってたらしいが…そういやこのごろぱったりだなぁ」
「話に聞くと、調子悪いらしいじゃない。カゼにしては長いし、さっきまでアゼルと変だねぇって話していたの」
「耳の早いお嬢さんが知らないとなると、ますます真相は闇の中と違いますか?」
ベオウルフは、本当に何も知らないようだった。
「アグストリアのことが、まだ気になるのかな」
「気になってないって事はないと思うけど」
やっと息を整えて、アゼルが言った。
「僕の相手をしてくれている間には、そんな様子全然なかったよ」
「そうなんだ…
 魔法の練習も止まっちゃってるでしょう?
 マスターナイトになりたがっていたのに…なれるのかなぁ」
ティルテュは、うす雲が走る空をすっと見上げた。

 ラケシスが、そういった心配している面々の前に出てきたのは、さらに数日が経ってのことだ。
「もう、大丈夫なの?」
と聞くティルテュに、
「ええ、もう大丈夫」
そう答えるラケシスは、確かに大丈夫そうに見えたが、本人が言う大丈夫ほどあやしいものはない。
「おや姫さん、久しぶりだ」
と、通りかかったベオウルフが言う。
「ずいぶん顔見ないから、心配したぜ?
 調子が悪いとか何とかいって、その実寒いから部屋から出たくなかったとか、そんなんじゃないだろな」
そう混ぜ返すと、ラケシスはサンダーの本をとりながら、
「やだ、そんなのじゃないわよ」
と、くすくす笑って言った。
「久しぶりね、精霊さん」
と、本の表紙を撫でる。ちなみに場所は、城内にある魔法の教練室。多少の魔法の暴走があってもいいように、壁全体に魔法吸収の魔法陣が刻み込まれている、物々しい一室だ。
「久しぶりでしょ、一回やってみてよ」
ティルテュがそう言い、一二歩退る。ラケシスは本のページをめくり
「簡易詠唱でいい?」
と尋ねる。
「良いんじゃない?」
そう言う返答に、ラケシスは広げた本の上の宙にトードの印を描いた。
<トード、御身が業なす我を嘉せよ、サンダー!>
びりっ、ぱしっ。
「ん?」
ティルテュが眉をひそめた。
「ラケシス、もう一回打ってみて、同じで良いから」
「え、ええ」
印を描き、詠唱。
 しかし、サンダーの魔法は、彼女の手のほんの先で弾けて終わってしまう。
「なんか…練習はじめた時に戻っちゃってるね」
「そう、ね」
ティルテュはおもむろに彼女からサンダーの本を受け取り、
「ベオウルフ、ちょっと我慢してね」
と言うや、ラケシスと全く同じ方法でサンダーを放った。
「うわっ」
ベオウルフにカウンターマジックを期待する方が無理というものである。彼はもんどりうって
「いて、いてててて」
と身をちぢこませる。
「ラケシス、ライブして」
「え、ええ」
何かを試すにしては少しどころではない荒っぽい方法だが、とにかくライブで全身に走った雷魔法の痕を消そうとする。
「…」
杖はずっと使ってきたから、失敗するはずはない。しかしティルテュはその様子を見て、
「ラケシス、リライブにかえたほうがいいみたい」
と言った。

 リライブに変えて、やっとベオウルフは正気を取り戻す。
「ああ、死ぬかと思った」
「あんな簡易詠唱じゃ死なないわよ」
「戦場でうってこられたのかわすならともかく、こんな所で身構えもなくくらったら誰でもこうなるわ!
 まったく、姫さんのためだからあえて食らってやったが…模擬戦闘だったらお尻ペンペン程度じゃすまねぇぞ」
「私のお尻はあいにくと、そんなに安くないわ」
ティルテュはそう軽く言って、
「それより問題は、ラケシスよ。ライブのききも悪いし、サンダーがあんな調子じゃ、他の魔法も推して知るべし、ね」
しゅん、とうなだれたラケシスを見る。
「一人で魔法の練習してて、何か恐い思いでもした?」
「そういう覚えはない、けど…
 今になって魔法が使えなくなるなんて…どうしたのかしら」
「う?ん」
ティルテュはひとしきり考えて、
「アゼルなら、何かわかるかもしれないなぁ。ああみえて、アゼルは士官学校で魔法の事はみっちり勉強してるから、いってみる?」

 その足で、三人はアゼルの所に行ってみる。アゼルはちょうど、図書室で見つけた定石集を手に、一人チェスをしている所だった。
「魔法が使えなくなった?」
一部始終を聞かされて、アゼルがけげんな声を上げた。
「そう簡単に魔法が使えなくなるなんてことは、普通はないはずだよ」
「どうして? 精霊の様子も、少し変だったよ」
「ラケシスの場合は血統がないから、精霊は関係ない。要領は普通のマージと変わらないよ」
アゼルはチェス盤を片づけて、魔法書と、ティルテュから杖を借りて、それを机の上に置いた。
「魔法書も杖も、基本的には、すでに攻撃や治癒の魔法が込められた状態で所持していることになる。
 でも、それを引き出して使うのは、本人が元々持つ魔力で、その魔力の高低で、実際の威力や効力が決まるといっていい。
 そして、魔力がある一定の程度を持たないと魔法書ないしは杖から魔力を取り出し行使することはできない。
 たとえば、ベオウルフがファイアの本を持っても、それはただの本にしかならないし、僕が杖を持っても…まあ、殴るぐらいしか使い道はないね」
そこまでを説明してから、
「でも、今回のように突然素養が低いレベルに落ちたり、なくなったりする場合も、そういえばけっこうあったな…」
と、魔法原理の教科書のページを思い返すような顔をした。
「重篤な肉体の欠損、あるいは大病、年齢が進む。これがきっかけでなることは誰でもある」
「そうなんだ」
「魔力より生命力が優先されるからね。
 ただ」
アゼルはその先を少し言いよどむ。
「女性の場合は追加して少し特殊な事情があって」
「特殊?」
聞き返す二人に、彼は本当に言いにくそうに、
「ティルテュなら、僕と言葉は違うけど、説明できるんじゃないかな」
そう言った。
「僕の聞いた原理は、君のおばあちゃまからの直伝だから」
「えー」
ティルテュも困った声を上げた。
「私、そんな難しい話聞いたことないよぅ。それに、私にも説明できてたら、今ここにいないし」
素養を理論で裏づけしたのがアゼルの魔法だとすれば、素養のひらめきのままに使うのがティルテュの魔法だ。ひらめきで魔法を使うものに理屈で説明せよというのはどだい無理な話。
「…しょうがないなぁ」
はじめから丸投げされたような言葉に、アゼルは、部屋の私物の中から、ぼろぼろの教本を取り出した。
「うわ、何そのぼろい本」
「士官学校で使ってた教科書だよ」
そのページをあれこれとめくって、事務的な口調でアゼルが読み上げ始める。
「女性の魔力は、こと不安定にして、固着を確認するかぎりはいつでも消滅の可能性を考慮せねばならない。
 消滅ないしは変調を来す原因として、まず初経をみること、閉経をむかえること、最大にしてもっとも頻繁に上げられる原因は、術者の処女性が欠落することである。
 処女性の欠落による魔力の消滅ないしは変調は、術者が軍籍を有する場合は戦力の低下につながる由々しき事態につながるため、厳重にこれを管理されなくてはいけない」
「…はぁ」
聞かされた三人は、その朗読に対し、そうとしてか答えられなかった。ややあって、
「消滅じゃなくて、変調について、具体的な内容って、ある?」
とティルテュが少し心配そうに尋ねた。
「んー…」
アゼルがまたページをぺらぺら、とめくり、
「どんな理由があるにせよ、変調の内容は千差万別だね。たとえば、相性の良い魔法が変わってしまったり、使えていた魔法が使えなくなる、あるいはその逆。好転する例としては威力の増加、素養の程度が深くなり、より高度な魔道書が扱えるようになるとか。
 ただ、悪い変調の方が多くて、威力が下る、素養が浅くなって簡単なものしか扱えなくなる、魔力を行使するたびにおこる身体的精神的な副作用…」
「副作用?」
「そう。たとえば、魔法を使うと手が震えるとか、奇声を上げずにはいられないとか、失神するとか。
 …一番聞いた最悪な例だと、魔力と寿命がリンクして、魔法の使いすぎで死亡した例が、グランベルじゃないけど、あったとか」
「魔法もそこまできたら命がけだな」
ベオウルフが唸った。
「うん、でも、それは最悪の例だからね。そこまで深刻な変調は神器血統で魔法の三属性が共生できるほどまれだって聞いてる。
 ラケシスの場合は、威力低下…魔力が下ってるか、活力のない状態かな。変調では比較的よくあるほうだってことになってる。
 一時的なものであればいいけど。いろいろあったし、調子も悪かったらしいしね」
「一時的でなければ?」
「君の魔力は『固着』した、つまりそれ以上にならないことになる」
ラケシスは、それこそ、脳天から岩をぶつけられたような顔をした。ふら、と、失神してその場にへたり込むのを二人で支えながら、
「アゼルぅ、教科書の話はもういいから、そう言うこと調べられる方法ないの?」
とティルテュが悲痛な声を上げる。
「折角ここまで来て、マスターナイトになれないんじゃ、ラケシスかわいそうすぎるよぉ」
「一時的なものだったら、時間が解決するよ。
 でもずっとこのままなら、ちょっと考えないとね」
アゼルはそう言った。

next
home