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僕にはわからない

 世もだんだんと平穏を取り戻しつつあるグラン暦七七九年。
 バーハラ王国国王(という自覚があるのかは知らないが)セリスの朝は、華々しい「国王お目覚めの儀式」から始まる。これが始まるとどんなに眠くても起きなければいけないし、逆に、先に目を覚ましても、これが始まるまでは寝台の中にいなければならない。
 今日は、その、眠くても起きなければならないときだった。
「国王陛下のぉ、お目覚めぇ」
という近習の声がいやに甲高く聞こえて、セリスは
「やだ、寝る」
と布団の中にもぐりこんだが、しずしずとやってきた国王づきのメイドが、やんわりと、しかし容赦なくその布団をはがしてしまう。
「ご機嫌よろしゅう」
と一礼する世話係の一同を眠気の残った顔で一瞥して、セリスは
「全然よろしくないっ」
そう言った。

 つい二三年前まで、ティルナノグで村の子供達同様の暮らしをし、すぐ戦場という非常時下で育ったセリスにとって、どこからその典範がやってきたのか知らないが、国王の一日が儀式尽くめなことにまず辟易した。
 流石に、我慢はしてきた。しかし、もう我慢できない。ややこしいことが嫌いなのはどっちに似たものやら。
「虚礼廃止!!」
謁見の間での予定を説明される前の執務室で、セリスは儀礼官にむかってまずそう言った。
「いちいち何とかの儀式なんてやってられないよ、時間がもったいない」
「そう仰られますが、これもすべて陛下の威儀正しくするためのものでございますからして」
「国王の威儀って、そんな儀式で固めておかないと崩れるほどもろいものなの?」
「う」
「…僕は、自分だけじゃ何も出来ないわけじゃない。時間が来ればちゃんと起きる。時間になればちゃんと寝る。典範できめられた服も、用意してもらえば、身支度だって一人で出来る」
「…はぁ」
「今僕はこの大陸がちゃんと立ち直っているか、見守って、確認するのが一番の仕事なんだ。
 まだ非常時。変な儀式なんか、これっぽっちもいらない。いいね」
「…は」
儀式がなくなって、一番困るのは、その儀式を仕事にしている近習たちなのだが。

 バーハラ王国にそのまま帰順した六公爵家の面子は、王宮が比較的近いこともあって、常にどこかの誰かがいる。アーサーなどは、王宮から日帰りできる場所に小さいながら屋敷を建てさせたとかで、ほとんど毎日、ユリアと一緒に王宮にいる。それにラナを交えた四人が、謁見の間を外れた内輪の歓談室で、ドズルに行った双子と面会をしていた。
「そうか、やっぱりスカサハはイザークに帰るのか」
と、アーサーが惜しむように言った。
「ティルナノグで育って、血のままに大陸に散らばったのは悪いことじゃないと思うけど、イザークをシャナン様だけで昔の勢いにするのは、大変そうにみえてさ」
スカサハはそう返す。
「親父の縁とかで、ドズル公爵領を任されたけど、もう半分のオードの血がなんか、騒ぐんだよな」
「向こうでそう言うと、ヨハルヴァたちに遠慮しているんじゃないかって思われるから、一応セリスに言って、とりなすって形にしてもらおうかなって」
ラクチェがそれに口ぞえする。アーサーがまた唸るように、
「確かに、シャナン王子…ああ、もう国王か、あの人についていったのがパティじゃ、ちょっと心配なところはあるよな…」
「パティにも彼女にしか出来ない仕事があると思う。でも、手伝いの手が増えるのは、悪いことじゃないじゃないか」
「アイラ様のことがありますから、きっと頼もしい味方になると、私は思いますよ」
とラナが言う。ティルナノグで育った子供達は、それぞれの親の英雄譚のほかに、オードの一族がどれだけあがめられているか知っている。双子の母アイラは「オードの愛し娘」と呼ばれ、もしかしたら王家の始祖オードの次ぐらいにあがめられているかも知れないのだ。
「七光りでも、この際使わせてもらうよ。イザークの再建があの人の望みだったのだから」
「ごめんスカサハ。出来れば僕も行って手伝いたいけど」
「セリス、お前はここにいるのが仕事だろう」
セリスがついつぼすのに、スカサハはぴしゃりと言う。
「もう会えないところに行くわけじゃないんだし…」
「うん、報告、楽しみにしてるよ」

「そういえば…ティニーのこともあったなぁ」
しばしあって、セリスが腕を組んだ。四人に戻ってからのことである。
「勢いフリージを任せることになっちゃったけど…セティがシレジアに行ってしまって、いつまでも離れ離れはかわいそうだよね…」
代わりがいればいいんだけど… というセリスに、アーサーが、
「俺じゃ代わりにならないか?」
と言う。
「アーサーが? だって、君はヴェルトマーの…」
「ユリアのほうがよっぽどその名前を継ぐのに全うな気がするんだがな」
「ほとぼりはもうさめたかなぁ。ユリアをあまり表に立たせたくなくて、君にヴェルトマーを預けるようにしたけど」
「でも、それでティニーがさびしい思いするのは、アニキとして放っておけないんだよ」
セリスの顔が、やや貫禄を帯びて見えた。
「フリージには、今一番表になってはいけない秘密が隠されてる。ユングヴィのファバルと連携して、そのあたりはうまくやってほしい」
「…それだな。俺は正直どうでもいいが、ティニーは随分恩があるらしいから…」
「ファバル様がいるなら、大丈夫ですわ」
今まで話をほんやりと聞くだけだったユリアが、ふと口を開いた。
「全部あの方に任せて大丈夫です」
「本当?」
いぶかしむセリスは、ユリアは「はい」と頷く。
「ティニー様と一緒です。離れ離れでいられないだけで」
「…あーあー、そういうことね」
アーサーがそう納得した声を出した。
「じゃ、俺、その件はファバルに丸投げするわ」
「それじゃ、フリージとヴェルトマーの公爵が替わることについては、それぞれの執政官に書類でまわすよ?」
そう言うセリスの隣で、ラナがさらさらと話し合いの記録をとっている。
「そうしてくれ。俺達は、まあ、今までどおりここに来るからさ」

 「はいセリス様、話し合いの記録です」
と、ラナが終わってから、紙を一枚差し出した。
「ありがとう。
…こんなところの話し合いでも、決定したら国王の宣言なんだものな…軽々しいことは言えないね」
「そうですね」
「どう、ラナ? 窮屈じゃない?」
「少し… でも、しゃにむに戦う時期は過ぎました、これからは話し合いが重要になります」
「戦いはまだ終わってないよ。アグストリアは、アレスが解放軍を率いてここから逃げた旧勢力を落ち着けているし、レスターはヴェルダンで、国土統一の覇権争いの真っ只中だよ?」
「そうですけど」
「レスター、助けに行かなくていいの?」
「お母様が一緒ですから」
レスターの手でヴェルダンが統一されるのを、一番望んでいるのはエーディンだ。ラナはそんなことをいい、
「それに、セリス様も、私がここにいなかったらおひとりになってしまいます。私はセリス様を支えます」
「ありがとう」
でも無理だけはしないでね。セリスはラナの手をとり、その手を温めるようにさすった。

 そんな頃、ややあわてた顔をして、コープルがセリスの前にいた。アグストリアの自由都市で養生をしていたリーンに、とうとう子供が生まれたそうだ。
「洗礼は早いほうがいいと思って、これからワープを伝って現地まで行く予定です。聖痕がはっきり発現して、継承発生が確実らしいので…」
「うん、そうしてあげて」
「はい」
退室の例もそこそこにかけてゆくコープルを見送って、
「早いなあ、もう次の世代が生まれてくるようになっちゃったんだね」
セリスが言う。
「そうですねぇ」
ラナはそれに答えはしたが、そっち方面にしては鈍くてゆるゆるのセリスのことだ、きっと頓珍漢な言葉が出てくるだろう、そう思っていると
「僕達にはまだだねぇ。ちゃんと、戴冠式と一緒に、式も挙げたのに」
ほら来た。ラナはふう、とため息をついた。

 セリスに、誰か悪知恵を吹き込んだものはいなかったのだろうか。答えは一言ですむ。「いなかった」。
育ち柄、勢い吹き込まれてしまったアレスや、自分から悪知恵を聞きに行ったリーフと違って、セリスはそのあたりは全く無垢に育った。
 ラナも、いつかは説明ぐらいするのは自分の仕事かもしれない、と思いながらいると、いつの間にか戦いは終わって、セリスの隣にいる。こうなると、口での説明などもはや無理…と言うか、イマサラだ。
 王妃づきのメイドが、不審そうに、
「そういえば陛下…式の当夜いらい、さっぱりですわねぇ」
と言う。その式の当夜でさえ
「今日はいろんなことが一杯あって疲れたねぇ。おやすみ」
だったのだから、ラナの体も綺麗なものだ。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「何なりと王妃様」
「とてもつまらない質問なのですが、作法としては、陛下が私の元にいらっしゃるのでしょうか? それとも、私が?」
「それは陛下のおつもりでいかようにも」
そう言うメイドの答えは、つまり、どちらの部屋でもかまわない、と言うことだ。
「それと…はしたない質問ですが、こちらからお越しを願うことは、作法として正しいでしょうか?」
メイドの顔が、にわかに色めきたつ。
「もしや陛下は、王妃様より他にもうご寵愛の方がいらっしゃるのですか! 王妃様の方からお越しを願うのは、ご寵愛薄れかねないときにこそなさるものですよ」
手引きをしているのはだれかしら、などと言い合い始めるメイドたちに
「違うんです、違うんです」
大慌てで否定して、セリスの生い立ちを語る。
「すると、…こう申し上げるのは失礼ですけれども、陛下は何もご存知ないと?」
「…はい。
 私がせめて口頭でご説明を、と思っていたのですが、それも出来ないまま今になってしまって」
「どこからご存じないのでしょう」
「それは…」
メイドを招いて、耳打ちする。
「まあ、唇のこともご存じない!」
「お、大声で言わないでください」
「あ、これは失礼をいたしました。
 そういうことならお任せくださいませ」
メイドの顔がなにやら楽しそうな表情に見えるのは、気のせいだろうか。しかしラナにはもうすがる手はこれしかなく、
「よろしく、お願いします」
と言うしかなかった。

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