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風の王
理由なき反抗74x


 厩舎、と言うのはすこしおかしいかもしれない。
 なぜなら、そこには竜しかいないからだ。
 その厩舎に、小さな女の子の泣き声がする。
 自分の竜に餌付けをしようとやって来たトラバントは、自分の竜の前で、その泣き声の主がうずくまっているのをみた。その周りに、小さな花が散っている。
「どうしたんだね、アルテナ?」
いったん餌を従者に預け、アルテナを抱き上げる。つれてきたばかりの小さな「娘」は、竜を大して怖がりもせずに、
「あのね」
としゃくりあげながら訴える。
「ろしゅが、おはなたべないの」
「ああ」
トラバントは、隣にいる自分の竜を見た。竜は、何もなかったといわんばかりに、従者の持っている餌をものほしそうに見ている。従者から、餌を渡しなおされた彼は、それを竜に向かって投げた。竜は、それを口でうけ、ぱき、ごり、と骨ごとくらいついている。
「食べ終わったら、鞍つけてやってくれ」
そういいおいて、トラバントは、小さなアルテナを抱き上げたまま、厩舎の外に出た。
「ろしゅ、ごはんたべた」
アルテナがきょとんとしている。自分が差し出した花は食べなかったのに、トラバントが出した餌には食らいついたのが、よほど不思議なようだった。
「食べたな」
「どうして、ろしゅ、おはなたべないの? おはなきらいなの?」
「竜は、肉しか食べないように体ができているんだ」
たぶん、小さなアルテナの頭の中には、馬に飼い葉を与えている記憶が残っているのだろう。にわか娘の父になったトラバントは、泣き止んだ娘の服の裾で、彼女の涙を押さえた。小花模様の小さなドレス、お姫様と騎士の物語、小さなウサギの縫いぐるみ。今までトラキアの城では縁のなかったものばかりだ。そんなことを思っていると、
「陛下、準備が整いました」
と、従者が告げる。
「アルテナ、一緒に空を飛ぶかね」
とたずねると、小さなアルテナは、こっくりとうなずいた。

 トラキアの国土は、峡谷と、その底にある川沿いのささやかな緑地がすべてだ。赤い山肌は、太陽の日差しに燃えるような色をかもし出す。
 アルテナを乗せた竜は、その赤い山肌の背景に、浮き上がるような翡翠色の羽を羽ばたかせながら、高度を低く飛んでいる。
「アルテナ、お前はすごいな」
トラバントは、そう言った。
「アリオーンがお前ほどのころには、厩舎になど入れなかった。竜が怖いと泣いたものだよ」
「アルテナ、ろしゅこわくないよ」
アルテナはそう答えた。
「ろしゅ、きれいだもん」
「はは」
トラバントが笑った。そして、手を伸ばして相棒の首を撫でる。
「聞いたかアイオロス、アルテナはお前が綺麗だといっているぞ」
そのうち、小さな滝が落ちる渓谷の平地が見えた。
「あそこで一度降りよう」
彼は誰答えるでもなく言って、その平地に、竜の羽を下ろした。

 渓谷は、ちょうど花の季節だった。アルテナはきゃらきゃらと走り回り、摘めるだけ摘んだ花を服の裾一杯にためて、
「これ、おにいしゃまにあげるの」
と言ってたが、そのうち、その花を枕に眠ってしまった。彼は、四方を見回して、
「…ああ」
と、何かに気がついた声を上げた。
「思い出した」

 まだ自分が十代になったばかりだから、もうふた昔も前のことになる。
「この国の竜には二種類ありましてな」
と、城に仕える語り部の古老は、少年トラバントにそういう話をした。
「ひとつは、この城で代々生まれ育てられ、我々が乗るために使う竜。
 もうひとつは、主を持たず、野山を駆ける竜でございます」
トラバントは、その話を、少しうるさそうに聞いている。この日も、飼いならされたはずの竜に振り落とされて、肩と背中をしたたかに打ったばかりなのだ。
「主を持たぬ竜は、時々里で家畜を襲う悪さをいたしますな。そうなれば、このお城の竜騎士団の出番と相成りましょう」
「一体何の話がしたいんだ」
トラバントは、つい横柄に古老に言ってしまう。ライブをかけてもらってはいたが、打った場所はまだ、自分の声も響くほどうずいた。
「おや、王子様はご機嫌斜めと見えますな。
 ならば話を早くいたしましょう」
古老はこんなあしらいなどなれたものなのだろう、ほくほくと笑いながら話を改めた。
「この国を領土とお決めなさったのは、ほかならぬ天槍グングニルとそれを砦の奇跡で預かられた竜騎士聖ダイン」
「それは知ってる」
「その聖ダインを背に乗せた竜が、まだ生きているといったら、驚かれますかな?」
「え?」
トラバントは、うつぶせに寝ていた体を起こそうとした
「あいててて」
「ほれほれ、無理はいけませぬぞ」
古老はしわだらけの顔でまた笑い、
「竜がいくつまで生きるか、我々も正しいことは知りませぬ」
と続けた。
「ただ分かっているのは、飼いならされた竜は、時々新しい血を入れぬと、人間ほども生きないということだけ」
飼いならされた竜同士で子を取るために番わせると、成り行き上濃い血縁の関係が重なり、人になれぬ気性の竜が出たりすることもままにあるとは聞いている。
「今の竜騎士団の竜が、そうなのか?」
と聞くと
「詳しいことは知りませぬが、あまり長くは生きないようですな。この爺が若いころ見知った竜が、今年は何頭逝きましたかな…」
と古老は言う。
「どのみち、新しく、竜の血を加えないことには、騎士団の竜は弱るばかりですぞ」
「で、聖ダインの竜は、どこにいるのだ」
「王子様、竜には翼があるのですぞ」
顔だけを、ぐいと突き出したトラバントに、古老はひょうひょうと言った。
「ただ、言い伝えには、聖ダインを乗せた竜は、全身を翡翠のうろこでおおわれ、ヒトで言えば額に当たるでしょうな、その場所に、ダインがそのみしるしを刻んだ、と。
 聖ダインは生涯その竜に乗りたまい、ヒトとしてのエーギルがなくなる今際の際に、その竜を再び空にお解き放ちになられたとか」
「…へぇ」
トラバントは心底から感心した声を上げた。竜騎士団の竜は、みながみな焼けたレンガのような色をしている。そのうろこが、翠色に輝いているというのだ。
「その竜が捕まえられれば、竜たちは、長生きするようになるだろうか」
そういうと、古老は混ぜ返す。
「そう仰って、その実は、今日陛下から仰られたことが、お背中よりこたえているのではありませんかな」
「…」
半分図星を指されて、トラバントはバツの悪そうに明後日の方を見やる。
 飛んでしまわないように鎖につながれた竜の上で、騎乗の訓練が行われたのだが、それでも何かの拍子で竜から落ちたトラバントに、父王が
「なんとも情けない。いやしくもダインの末裔が、こんな子竜一匹乗りこなせないでは、天槍を任せられるのはいつのことやら」
と言ったというのだ。自分は自分なりに精一杯やっている。それなのに、グングニルの継承もあぶないなんて、考えが極端すぎる。
「あと少し訓練すれば、竜の一匹ぐらい」
と呟く。
「そこでございますよ王子様」
その呟きを、古老が受けた。
「聖ダインの竜を、お手なずけになる自信はございますか?」

 「はっは、お前が聖ダインの竜を探しに行くのか」
父王は、トラバントの話を、笑って受けた。
「コレは傑作だ。竜一匹乗りこなせないお前が、どうして聖ダインの竜を探し出せると」
「やってみなければわかりません父上。
 新しい血を入れないと、騎士団の竜の血はもう限界に近づいていると聞きました。
 ダインの竜の血ならば、新しく取り入れるのに、何の不都合もないでしょう」
「それはまあ、確かにそうだが」
父王はまだ、半分納得していなさそうな顔をした。
「本当に大丈夫なのか?」
そして、少しく心配そうでもあった。
「私のあと、天槍を継承できるのは、お前だけしかいないのだぞ」
「分かっています。
 だから、きっと手なずけてまいります」

 父王に大見得を切った以上、もうトラバントには、成果なしには帰って来る口実がないことになる。
 従者や側近に旅の用意をさせて、彼らの竜の一頭に合い乗る。
 その一抹の恥ずかしさが、帰るときにはダインの竜と、と言う気持ちに一層させた。

 城を飛び出してみれば、どこまでも渓谷の赤肌が下には続いている。地平線の向こうにある緑の森は、マンスター地方の森か。あの木の何割かでもこの土地にあればと思う。
「王子、どこを探せばよいのですか」
トラバントを乗せた竜騎士が尋ねる。
「そうだな、野生の竜が飛び回っていそうな場所を探そう」
「かしこまりました」
竜が翼を広げたまま、旋回の体勢に入る。コレで見つかればいいんだが。淡い期待と一抹の不安がない交ぜになって襲ってくる。あの古老は、たぶん大体の場所も知っていたの違いない。聞き出しておけばよかった、しかし後悔は先に立たずである。
 飛び回ることしばし。野生の竜の群れは何度か見たが、その中に、翡翠色の竜はいなかった。
「もう少し、高度を下げましょうか」
そういって、竜たちはがくん、と高度を下げる。渓谷の険しい山肌を駆ける鹿のような動物や鳥の姿が見えた。
「ん!」
竜騎士の一人が、何かに気がついた。
「あれではないでしょうか」
「え?」
望遠鏡を借りて、その指差す方向を見る。きらっと、翠色の光。悠然と、翡翠の竜が飛んでいる。
「アレだ! 後を追ってくれ、気づかれるなよ!」
「かしこまりました」
竜達は編隊を組みなおし、翡翠の竜が見えるか見えないかの距離をおいて進んでゆく。トラバントは、翡翠の竜を、じっと望遠鏡で見続けていた。
 そのとき、である。翡翠の竜は振り向いた。望遠鏡のレンズ越しに、自分を見たような気がした。
「!」
その視線の鋭さに、ドラバントはぎくっとして、望遠鏡を取り落としそうになる。それでも構えなおして、レンズを覗き込むと、翡翠の竜は旋回をはじめて、どこかに降りるようだった。

 そして、トラバントたちは、翡翠の竜がくつろぐ渓谷の緑をその上から見下ろしていた。すでに、捕獲の道具も用意されて、上から襲い掛かって絡め摂ってしまおうという算段だ。
「やってくれ」
「はい」
竜騎士たちが、そろそろとがけを降り始める。そして、石のおもりをつけた鎖でできた網を、竜にかぶせるようになげた。
 グギャアア、と、突然のことに翡翠の竜が身もだえする。鎖の網は、頭の辺りにしかかからなかった。それを振りほどこうとする。
「逃げるぞ!」
トラバントもつい飛び降りた。翡翠の竜に捕まったのと、竜が飛び立ったのは、ほとんど同時。
「王子!」
竜騎士達の声が遠ざかってゆく。

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