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 私が書いた手紙は、レヴィンが届けてくれるらしい。
 返事は期待していないけれど、その後も時間は確実にすぎ、日数を数えれば、もうデルムッドは一つになる。
 生まれたのは早かったけれど、その分をしっかり取り戻して、今は、少しはなれた私に、一二歩歩いて抱きとめられるのが、一番彼のお気に入りの遊びのようだった。
「少し、背中がおさびしそうよ」
と、エーディン様の声がされた。ラナと名づけたお嬢様を腕の中にして、隣に座られる。
「本当は、レンスターに行きたいのでしょう?」
「…はい」
偽らざるきもちを、私は素直に口にした。
「でも、この子のことが…」
「後からお迎えに来る事だって、出来るではありませんか」
「はい。
 でも…」
何故だろう。この子と離れたら、もう会うことができない気がして。
「私、わがままですわ」
「どうして」
「デルムッドとあの人と、二人同時に今ここにいればいいと思ってます」
「全然、わがままではありませんわ」
エーディン様はそう仰る。でも私は
「わがままですわ。エーディン様は、もうお一人なのに」
「たくさんの子供達にに囲まれて、さびしいなんてこと、全然ありませんわよ」
私の言葉に、エーディン様はさらりと仰る。
「子供は神様からのさずかりもの…そう思うと、私は神様から、この子達を育てるようご指名を受けたような気がして」
そう仰る間に、セリス様と、お兄ちゃんになったばかりのレスターがたたた、と庭からかけてくる。
「ラナだっこするぅ」
と手を伸ばされるセリスさまに、レスターが
「だめだよぅ、ぼくがさきだよぅ」
と言いながら、二人が手を伸ばす。
「あら、こんな小さいうちからラナは人気者なのね」
と私が独り言でもなく言うと、エーディン様は
「このごろは二人とも、こうして取り合いなのよ」
と、苦笑いをされた。
「まだまだ小さいのに、お人形みたいに取り合うから、心配で心配で」
「まぁ」
「デルムッドは幸せね、お母様ひとりじめだもの」
エーディン様は、私の膝を支えに立っているデルムッドのほほを触られる。
「でも、貴女には、しなくてはいけないことがあるのでしょう」
そして、私に仰った。
「アレス王子を探さないと」
「ええ、わかります。そのためにも、最後にあの子がいたはずのレンスターに行かなければ」
「何も縁がないより、行きやすいのではなくて?」
エーディン様はそう笑われる。そして、しばらくの間、木陰で寝かせたラナがあやされているのをご覧になりつつ
「必ず迎えに来てくださると約束してくださるなら、デルムッドのことで心配はいたさせませんわ」
と仰った。
「地図は何度もご覧になったでしょう?イザークからマンスター地方に行くには、途中、どうしてもイード砂漠を渡らなくてはいけないはず」
「…はい」
「デルムッドをついて行けると思って? イード砂漠には、暗黒教団のものがはびこっていて、盗賊まがいに旅人を襲うと聞いているわよ」
「…」
「ね。
 それに、アレス王子が見つかるまで、ヘズルのみしるしをもつのは貴女とデルムッドだけ。
 二人一緒に何かあったらと思うと、私」
「俺もそう思う」
いつの間にか、ベオウルフがいた。
「姫さん一人なら何とか守りきる自信があるが、坊ちゃんが一緒となるとな。
 別に、坊ちゃんのこと邪険にしてるわけじゃねぇぜ。
 それこそ、二人同時に何かあったら、俺はウィグラフと少年にどういう顔していいかわからねぇ」
デルムッドとアレス、どちらかのために、どちらかをあきらめる。そんなことは出来ない。アレスは魔剣の継承者。デルムッドは私の宝物。

 一晩、考えた。
 デルムッドの寝顔は、あの人にそっくりで、そう思うと逢いたさばかりが胸を一杯にする。
 そして、デルムッドに手ずからお乳を上げていた間、時間を止めていた私の「月」の満ち欠けが、戻っていた。つまり私は、この子の弟か妹を、身ごもれる体になったというわけだ。
 アレスが万が一、見つからないままだとしたら、魔剣の継承は、私の預かるところになる。私から使い手になれるほど強い血脈を生み出すのは無理。でも、デルムッドがここで守られて育ち、私がもう一人子供を生むことが出来れば、私の孫より先の代で新しい使い手を作れる可能性が出る。
 もちろん、アレスが何らかの形で無事見つかれば、これほどの上首尾はない。でも。
「私は常に、最悪の事態を考えながらいます。そうすれば、どんな結果も、最悪よりよかったと考えることが出来ますから」
シレジアにいたころ、あの人が、私にチェスを教えてくれながらそう言ったことを思い出した。
 最悪の場合。それはアレスが見つからなくて、デルムッドと私が一緒に行動して、何かの事件があって二人とも命を落とすこと。
 でもそれが許されない限り、私が取るべき方法は、ただ一つ。

 デルムッド、もっと大きくなってゆくあなたを、見ていて上げられなくて、悪いお母様を許してね。
 あなたに、ヘズル様のご加護と…大切な人が、見つかりますように。
 私にとっての、あの人のように。

 「それにしてもあなたも、酔狂ね」
「俺ぁいたってシラフだが」
私の馬の後を、ベオウルフの馬がついてくる。
「ティルナノグで子供達を守ってって、言ったじゃない」
「大丈夫さ。伊達にヒマつぶしてたんじゃねぇぞ。
 大将の弟子と、シャナンの坊ンと、あとあそこに残ってる兵士にゃ、一通り教えてきた。傭兵の剣技だがな」
「あなたの金貨一枚が、一体どこまで有効なのか、わからなくなってきたわ」
「俺がそこまでって思うまでさ、姫さんよ」
結局私達は、こうしてくつわを並べていることになる。
「女の一人旅よりは、多少やさぐれてても連れがあるほうが、世間の目もくらましやすいのさ」
「それはまあ、そうでしょうけども」
「それとも、意地でも少年を待ってた方がよかったか?」
えくぼができるほどにんまりと笑んだベオウルフに、私は
「それは無理よ」
と言った。
「私には使命があるもの。アレスを探して、魔剣が無事であることを確認しなくちゃいけない。ヘズル血族の長としての、これは責任なの」
「まあ、そう肩肘突っ張らなくてもいいんじゃねぇか?」
ベオウルフの声は、暢気だ。
「行き先はレンスターなんだ、ウィグラフの子供のことはおいといて、少年とおままごとする時間も、あったほうがいいぜ。そのためにも、ティナノグ出る決心したんだろ」
「ま」
おままごとなんていわれて、年甲斐もなく私は顔を熱くしてしまった。でも、実際、ティルナノグとちがって、身の回りの煩雑なことはみんな誰かがしてくれて、私達がするのは、それを踏み台にした絵に描いたような夫婦。確かに、おままごとかもしれない。
「姫さんの考えは、大体読めらぁ。
 ウィグラフの子供が見つからなかった場合、あんたが二人産んで、それぞれからまた子供が生まれて、上手くいけば姫さんがばぁさんになるころにゃ魔剣がこっちにころがりこんでくる、とか考えてるんだろ」
私は何の前触れもなくいきなり図星を貫かれて、しばらく声が出せなかった。
「…何故そんなことまでわかるのよ、何か術でも使ってるの?」
「俺を暗黒教団の回し者みたいに言うな、長いこと聖者の末裔の集団に紛れ込んでるとな、そういう考えも身についてくるのさ」
ベオウルフは、いつものように、頭をぐしゃりとやりながら言った。
「俺の傭兵のカンは、ウィグラフの子供を見つけるようには出来てねぇからな、その辺は信用してくれるなよ」
「ええ。
 …大変ね、跳ね返りの雇い主を持ったせいであなたもあちこち行かされて」
「なに、姫さんのためならえんやこら、だ」

 でも、ベオウルフがいてくれて、私は助かったと思う。
 ティルナノグで多少世間なれしたかと思ったけれども、私は相変わらず、この人がいないと宿の確保すらおぼつかない。
「ほら、あんたの部屋の鍵だ」
と、ベオウルフが鍵を出す。
「お金がもったいないわ、二人部屋でいいのに」
と私が言うと、ベオウルフはそれでも鍵を私に握らせる。
「もう十一、十二のお嬢さんじゃねぇんだ、金と男にゃ用心しな。
 おじじから預かった虎の子を、少年か坊ちゃん代わりに抱っこして寝るのを忘れるなよ」

 おじい様が私にあらかじめ渡していてくれた身分証明が、ここまで役に立つとは思わなかった。
 たぶんおじい様は、あの領地で作られたワインをあちこちで売り込んでいるのだろう。
「マディノ自治都市商館長のお孫様ですか」
といわれて、滞在費用のかからなかった街もあった。
「たいしたおじじ様だ、年だろうに」
とベオウルフが言ったところで、
「私とおじい様は、親子と言っても通じるぐらいしか年が離れてないのよ」
と言った。
「あ…ああ」
ベオウルフは手を打つ。
「そういや、ウィグラフが言ってたな、お気に入りのメイドにオヤジさんの手がついて、十四で産んだのがあんただって」
「そう。もしかしたら、デルムッドの子供まで見ることが出来るかもよ、長生きしてくださればね」
「それ以前に、あの坊ちゃんに彼女ができるか、そっちのほうが心配だな」
「大丈夫、きっと出来るわよ」
私はふふふ、と笑った。

 きっとあの子は、あの小さな街の、何の血脈もない普通の子を好きになるかもしれない。それでもいいのではないかしら。あの子が幸せになれるのなら。

 無事砂漠を越えられた私達は、メルゲンに近い街にいた。
「やれやれ、砂漠もこれでおしまいか」
ベオウルフが疲れたように言う。
「まあ、ちょっとだけど、儲かったし、こういうのも悪くはないな」
「そうね」
イザークから砂漠に入ろうとして、リボーの街にいたときに、小さな隊商が護衛を求めていた。その依頼をうけて、私達は砂漠を渡り、この街にはいっている。途中、盗賊まがいの集団が襲ってきたりすることもなく、隊商はそのまま、ミレトスに向かっていった。
「ところで姫さん、一つ聞くが」
「何?」
「少年がいるのは、レンスターのどこなんだい」
「ええーと」
私は、旅の途中で購った大陸の地図を広げる。小さな机だから全部は広げられない。必要ない場所ははたたんで、トラキア半島あたりだけを出す。
「メルゲン城がここで、この街はそこからすこし北にあるハズなの。だから、レンスターに行くには、ここから東に、アルスター経由が安全そうね」
私の指は、するすると地図をたどり、
「で、その街はたしか、この辺だと思うわ、森に近いって聞いたから」
「思うって、姫さん、あんた随分行き当たりばったりだな、街の名前ぐらい聞いてないのか」
「聞いたかもしれないけど、思い出せないのよ」
「…やれやれ、こりゃ、子供が増えたら完全に少年は無視されそうだな」
「ま」
私は思わず声を高くした。でも、忘れたのは私のせいだから、
「レンスターの街で聞いてみましょうよ。そのほうが早いわ」
と言って、私はさっさと部屋に戻ることにした。
 でも、マンスター地方と呼ばれる、トラキア半島の北部に入ってゆくと、どの街もなんとなく活気がない。
「まあ、グランベルでも食指を動かしているというし、もともと南部のトラキアとはいつ大戦争になってもおかしくない状況だ、明るくしてろって方が無理かもしれねぇな」
ベオウルフが言う。そして折りよく側を通りかかった酒場の主人に
「ご主人、ひとつものをたずねたいんだけどよ」
「依頼ならないよ」
「いや、依頼はいまこなしてる途中なんだが、レンスターは、ここから北のほうでいいのかな」
「ああ、間違いないよ。今は、誰もがあそこに行こうとしてるね。特にメルゲンやアルスターなんか、いつグランベルに襲われるかわからないって」
「そうかい」
「人探しなら、レンスターだよ。そうそうランスリッターがやっつけられるとも思えないし、今隊長を代理で預かってるのが、『レンスターの青き槍騎士』だ」
「そうか、実はな、依頼主がその青い槍騎士様に逢いたいって駄々こねて、居場所を探しているのさ」
「おや、酔狂なお嬢さんがいたものだね」
主人ははははははは、と笑った。
「居場所まではわからないね、レンスターのお方だから、レンスターに行ったほうがいいよ。
 でも、その依頼主のお嬢さんにはよく言っておくんだね、槍騎士様は徳が高いから、操立てして奥様を向かえる予定はないってさ」
「ああ、わかったよ、ありがとう」
私はその話を、頭の上で聞いていた。だから、私の顔は見えていなかったのだと思う。
「だ、そうだぜ」
ベオウルフが、話を終わって、にんまりとした。
「…それがどうしたっていうのよ」
「だから、槍騎士様はご妻女はとらないって」
「ベオウルフ、その理屈は私には通らなくてよ、私が行って門前払いでも食らうとでも」
「バカ、声がでけぇ」
いわれて、私はいつの間にか、席から立ち上がっていたのに気がついた。酒場の主人が、笑いをかみ殺すような顔をしている。


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