悪い方向になら、いくらでも考えることが出来た。
あの人は、キュアン様がお側から離さない、全幅の信頼を得ていた人。ついてこないはずがない。
ランスリッターの制服は、どんな姿だったのだろう。デュークナイトの制服と、少しでも違っていれば…
私がもっと早く、ここに来て、自分の目で確かめられれば…
とにかく。私は、…あきらめながら、目を覚ました。
「…あ」
左右を見めぐらすと、ベオウルフが、私を見ていたのに気がついた。
「見ていてくれたの」
「ああ」
と言う彼の顔も、さすがに疲労がにじんでいた。
「城の中、まるで墓場にでも迷い込んだようでな…姫さんが来たと聞いて、少しでも明るくなるかと思ったらこれだ」
「…」
「姫さんのせいじゃねぇ。悪ぃのはトラキアだ、そういうことにしとけ」
「バーハラは?」
「今は…特にこれと言って動きはねぇな、ティルテュお嬢さんのカミナリオヤジ殿は、この砂漠を南に、オアシス伝いに進んだその先にいるらしいが、動いちゃいねぇ」
ベオウルフは、そういって、少し間をおいてから
「レンスターの話は、…もう聞いたな。何か言いたいことがあるなら、ここで言いな。この城じゃ、今は少しの弱音も厳禁だ」
と言った。私はうなずいて
「…リューベックに来るはずだった援軍の中に…」
と言いながら、苦い涙がぽつりとおちた。
「いたわよね、きっといたわよね、あの人。あの人のことだもの、一緒に来ないはずがないわよね。
話したいことが一杯あったの。デルムッドが、あなたと同じ真っ青な目で、とても嬉しかったって…言いたかったの」
「…」
「私なら、どんなにひどい姿でも、見ればあの人だってきっと分かったわ。いっそ見てしまえば、あきらめもつくのに…」
後はもう、しゃくりあげるしかない。その私を、何か忌々しいものでも見るような顔で、ベオウルフが言った。
「諦めるにゃ、ちょっと早くないかい姫さん」
「だって、砂漠なんて、馬には最悪の環境だわ、それをトラキア軍が、上から襲撃なんて…」
「俺だって、疑ってかかりゃあ変だと思うことなんか、それこそ山のようにあらぁ。少年とご主君と、はしこいのが二人もいて行軍の予定を組むのに、わざわざ何で馬に不利な砂漠を突っ切るなんて方法を選ぶバカなんざしたのか、方法があれば天に上ってでも聞きてぇくれぇだ」
ベオウルフは怖い顔のまま、腕を組んだ。
「でもな、それと、少年が死んだかは、別の話だとはおもわねぇか姫さん。
奴は運が強く出来てる。もしかしたら、なんかの方法で、その場所を脱出したかもしれねぇ」
「あの人が、キュアン様たちを置いて逃げるなんて、そんなことをしたとは思えない」
「惚れた女を持つ男は、口じゃお前のために死ぬって言っときながら、その実なかなか死なねぇもんさ。少年が姫さんに、どんな因果を含めてたか、俺はそれは知らねぇがな」
私が言われたのは、ベオウルフと逆のことだ。私のために死なないと。でも、私のために死なないということは、私より優先すべきものがあったら、そのためには…という考えも出来るのだ。でも私はそれを言わなかった。黙ってしまった私に、ベオウルフが言う。
「少年がホントに死んだかどうか、それは姫さんでないとわからねぇ。
姫さん、あんたの体にきいてみな」
そして、私の手を引いた。目が覚めたら、シグルド様のところに連れてくるよう、言われていたのだそうだ。
シグルド様のお顔は、完全に血の気を失っておられた。そして、負の雰囲気は、消えるどころか、ますます濃くなるばかりだ。私は、かける言葉を失う。
「心配をさせないつもりでいたのに、こんなことになってしまって、すまない」
シグルドさまは、ぐったりと椅子に身をお預けになって、そう仰る。
「ティルフィングの継承を終えた父上のお命を見取り、そのうえ、親友のもう一人とたった一人の妹の命まで、見送らなくてはいけないなんて… 神は一体、私に何を求めていらっしゃるのだろうね」
そうやって自嘲される。
「生まれた子供の名前は、デルムッドというそうだね」
「はい」
「知らせはきていたのだが…何分、聞いたとおりの状況だ、祝いの一言も返してあげられなくて、すまない」
「とんでもありません、こんなときに何の助けにもならなくて」
「その上、あの報告だろう? もしかしたら君の夫になる人までとおもったら、どんな顔で君に会えたものか、私も不安だった」
「援軍はキュアン様が約束されていたこと。あんな結果になっていたとはいえ、お約束を果たそうとなされた、シグルド様はよき友に恵まれておりますわ」
「恵まれていた、だよ。私はもう、一人だ。
本題に入ろう」
シグルド様は、改まって、私に顔を向けられた。
「これから先、砂漠が続く。子供をつれての行軍は無理と判断した。
今しかない。セリスをどこかに逃がそうと思う」
「セリス様を、ですか」
「そう。オイフェに守らせて。シャナンや、他の子供たちも一緒に、どこかに逃れられないか、その場所や方法を今考えている。
大方の家族たちは、もう子供たちの身の処し方を決めたようだ。
だが、デルムッドには、まだ君が必要だろう」
「シグルドさま? それでは」
「ああ」
シグルド様はため息をつかれた。
「君も、ここから逃げなさい。いや、逃げるという言い方は君には抵抗があるだろう。
私についてくる必要はない。どこかで、再起の機会を、親子で待っていてほしい」
どこかで、といわれて、私はあの人の顔を思い出した。でもレンスターは、お二人の悲報できっと悲しみのそこにあるだろう。自分の本当の兄姉のようにしたっていたお二人を同時に失って悲しむあの人の姿は、見たくなかった。
「マンスター地方について、あまり喜ばしくない報告が入っている。
フリージ家が、マンスター地方の掌握に乗り出しているらしい」
「フリージ家が、ですか」
「ああ、イザークのことといい、たぶん、私達を退けた見返りなのだろう。両家、もうそれは果たしたつもりになって、先回りを始めているに違いない」
「…レンスターには、まだアレスがいるのです。彼は、大丈夫なのでしょうか」
私が、こぼすように言ったのを、シグルド様は拾い上げるようにお答えくださる。
「混乱がすでに始まっていてね…詳しい事情はよく分からないが、アレス王子は行方不明らしい」
ああ… 私は、また気を失いそうになるのを、すんでのところで自制した。
「分かるね。アレス王子がこのまま行方不明になったら、君達親子が、ヘズルの血脈を持つことになる。
君に、こんな重圧をかけることは、本当はしたくない。だが」
シグルド様は、ぐうっと頭を下げられた。私は、呆然と、そのお姿を見ていた。
「私は、これ以上、大切なものたちが大切なものたちを失う姿を、見たくないんだ」
シグルド様の卑屈なお姿を、私はもう見ていられなくなった。
「わかりました。
私も、その未来に、望みを託しましょう」
私は、お子様を残している方々と一緒にザクソンに戻り、乳母にこの城から出ることを伝えた。乳母は、突然のことで、おろおろとし始める。
「いったい、どうすればよろしいのですか、お坊ちゃまはまだこんなにお小さいのに」
「とにかく、急ぎなの」
余計な質問はそれ以上受け付けなかった。子供の長旅になれているエーディン様があれこれと差配なさっている、その指示を仰ぐよういい、私は乳母からデルムッドを受け取る。
指示の合間に、エーディン様が私に近づいてこられて、
「アイラは、どうやら子供をシャナンにお任せして、ご自分はシグルド様についてゆくおつもりのようよ」
と、ため息をつくように仰った。
「そうなのですか? 何故?」
「イザークの王族として、レプトール卿に事の真偽を糾したいのと、…やっぱりリューベックでランゴバルト卿を討たなくちゃならなかったレックスの、側にいて差し上げたいのですって。
双子は子供たちの中でも大きいほうだから、自分達がいなくても大丈夫って」
たまさかに出会って実った恋の先に、大きい壁のあったことは、二人にはすでに分かっていたはず。でも、二人はそれを恐れることをそぶりにも出さなくて、シレジアでは四人で、とても楽しそうだったのに。
「お姉さまも…シグルド様についてゆくみたい」
「大丈夫なのですか?」
「ええ。ホリンとミデェールがついているし、デューがもう一足先に離れていて、ファバルを預けたそうだわ。無事生き延びられたら、合流するみたい。
不肖の弟を持ったばかりに、姉ばかり苦労いたします」
エーディン様は少しそうやって笑われた。
「私達は、すでにバーハラに弓引くもの。平和なユングヴィを、本当はお姉様に見せたかったけれど、それも無理そうね…」
「他の方たちはどうなさるのかしら」
「ティルテュは、偶然エスニャ様もシレジアにいたことが分かったから、そちらに移動する、と」
「エスニャ?」
「彼女の妹ですわ。とてもおとなしくて控えめで、レプトール卿のことを知って、いたたまれなくて、旅に出てしまわれて…行方知れずだったのがここで出会えたって…ティルテュ、びっくりしていたわ」
そういいながら、エーディン様は、目に付いた侍女達の行動に
「ああ、そんな派手なものは持って行ってはダメ、身分が分からないよう、目立たなくして」
と指示を出されている。
「エーディン様は、どうされるのですか」
私がつい、聞いていた。
「私は、シグルド様から頼み倒されて、オイフェとシャナンについてゆくことになりました」
「では、セリス様とご一緒なのですね」
「ええ。それに、レスターをセリス様のお役に立てるように育てるよう、あの人にも言われていますからね」
「ジャムカ様は」
「ジャムカは、ウェルダンの王族として、しかるべく扱ってくださったシグルド様に、とても恩義を感じているの。あの方の部下の形で、最後までついてゆくと」
エーディンさまは、目を細められた。そして、
「あなたはやっぱり、レンスターにゆかれますか?」
と仰る。
「そうしたいのは山々なのですが、すぐには無理かもしれません」
「アレス王子を探して差し上げないと」
「まだ、気持ちに整理がつかないのです。
魔剣があの子といっしょにあればいいのですが…神器は、継承者を一生守りますから。
ただ、急いでアレスを探し出せたとしても、あの子に万一のことがあったら、次の魔剣の継承者は何代後になることか」
「砂漠のことが、思い過ごしであればよいのですけれど、こればかりは」
エーディン様は聖印をきられた。
「本当は、私もジャムカやお姉様の後をついていきたいのですけど、そう言ったら、二人にものすごい勢いでしかられました。
レスターがまだ手が離せない上に、もう二人目が生まれるのだからと」
「え?」
私は思わず裏返った声を上げた。
「お二人め、ですか」
「私だけではありませんわよ、あの様子からすると、ティルテュもかしら」
エーディン様はくつくつと笑われた。
「未来は、まだまだ続くのですわ。未だ来ないと言うほどですもの」
リューベックに子供たちが集められて、改めて行き先が検討される。
結局私は、エーディン様たちと一緒に行動することに決めた。
私達の前に、使いつぶされた大陸の地図が広げられる。私達のいるリューベックの上に立てられた駒を、ホリンの大剣の鞘がすうっと、地図の北方向に動かした。そして、ある点で止める。しかし、そこにはなにもない。
「何もないぞ」
レックスが不思議そうに声をあげた。でも、アイラはすぐ分かったらしい、納得した顔で
「そうか、そこか」
と言う。
「地図に、すべての街が描かれているわけではないだろう」
アイラは不思議そうなレックスの顔を見て言った。
「しかし、この場所なら、安全に隠せそうだ。ホリン、よく気がついた」
「ったく、二人で納得しやがって。
それに、ここはイザークの中じゃないか、アニキが丸ごと手の中に入れようとしてんだぞ、ラクチェに何かあったときのことを考えろ」
「お前こそ、もう少し制圧するときの手順を考えろ」
アイラがそれに混ぜ返す。
「まず大都市だ、それから中都市、小都市。
この『描かれていない街』は、いずれの都市よりも遠い。イザークは簡単にドズル家の下にはならんぞ。平定は数年は軽く要するだろう。こんな街にまで手を伸ばすのは、そういった街をあらかた制圧して、国体を固定してからではないかな。
それこそ子供たちが物心ついた後の話になる。少なくとも、自分の足で逃げられるほどにはなっているだろう」
「イザーク廷臣の一部が、すでにここに逃れているという話も聞いている」
ホリンが、それにゆっくりと付け足した。
「『ティルナノグ』。この街の名前だ。この街の名を合言葉に、イザークを出て、他国に潜むものも多い」
「まあ、我々が、敢えて懐に入ってくるとは、向こうも思うまい」
アイラが最後に笑った。
まだ夜は明けていなかった。やつされたほろ付きの馬車に、子供たちは眠ったまま乗せられる。
「セリス」
シグルド様は、最後にセリス様を、力の限りに抱きしめられる。
「お前のためにも、真実を明かす。すべて分かったら、きっと…ディアドラと一緒に迎えにゆく。待っていなさい。…いいね」
そうして、馬車の中の乳母にセリス様をわたし、オイフェに、
「オイフェ、そこに膝を突きなさい」
と仰る。言われるままにそうしたオイフェの前で、シグルド様は聖剣を鞘から抜かれた。ぱしっと、その輝きが、オイフェの肩に当てられる。
「今この瞬間をもって、お前をグランベル王国シアルフィ公領の騎士と任ずる。
セリスを守り、育てよ。それがお前の使命だ」
「は、はいっ」
ひざまずいたまま、オイフェが答えた。その隣で、アイラも言う。
「お前もだ、シャナン。
セリスは、成長したら、きっとお前のよき盟友となるだろう。来るときまで、お前がその神剣で守りなさい」
シャナンは、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、
「絶対だよ、アイラも後からちゃんと来てよ」
と訴える。
「王子様が、らしくねぇぞ、しゃっきりしやがれ」
というレックスの混ぜ返しも、今は効果がなさそうだ。
「これ以上は未練になる。いきなさい」
シグルド様が仰って、くるりと踵をかえされた。馬車が動き出す。城の中に入ってゆく方々の背中に、私は聖印をきらずにはいられなかった。
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