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 アンフォニーを下したシグルド様に、いよいよアグスティは危機感を強めていた。シグルド様にそのつもりが無くても、そう思わざるを得ないのだ。
 アグスティとの間にあるマッキリーが、慌てた風情でノディオンに軍を寄せ始めているという知らせを受けた。ノディオンには、当座の本拠として、歩兵や騎兵が詰めてはいたが、主力はみなアンフォニーに近かった。私もライブの杖を片手に、兵士達の回復に回っていたが、何とか、護衛の騎兵隊と一緒に、ノディオンに戻った。強行軍に近い行軍で、皆一様に疲れた表情をしている。軽いケガも、直すために立ち止まるヒマさえなかった。
 ノディオンの兵舎に立ち寄って、騎兵達一人ひとりにライブを振った。
「アグスティまで、もう少しです。
 みんな、ありがとう、私を助けてくれて。
 恩賞を戴けるように、計らいますからね、元気出して」
それに騎兵達は、陽気に返してくれた。
「お金がどうとかいう話じゃあないですよ、私達は傭兵じゃあないんですから」
「私達のことは心配ありません、ノディオンの為に戦えるのは本望です!」
「…ありがとう…」
杖を振りながら、涙がでてきそうになった。顔を抑えてしまった所に、また声がかかる。
「王女が御本懐を遂げられる為に、精一杯のことをせよと、我々はそう言い渡されております。どうか、お気に為さらず、ノディオンの為に御まい進下さい」
「はい…」
涙が押さえられなくて、しゃくりあげそうになる。
「あ、隊長が姫様を泣かした!」
誰かのおどけた声がしたけれど、笑う気持ちにはなれなかった。

 そして、私は…兄に会えなかった。
 兄はシャガールを守って、西の砦シルベールに本拠を移した。アグストリアでもっとも堅牢で、難攻不落をうたわれる険しい崖の上に作られた砦だ。
「これを君にと、預かっている」
兄に会うことの出来たシグルド様が、私に手紙を差し出された。
 兄は、私の行動を…優しい言葉であったが、やはり、評価できないと言った。でも、シグルド様達は、全幅の信頼を預ける友人だから、きっと自分の立場も考えた策を出してくれることだろう、その方達の指揮を手伝って、その行く末を見届けろ、と、そう続けてあった。
 ノディオンはもう、無事ではいられない。兄は、お姉様を、アレスと一緒に故郷のレンスターに疎開させることを指示してきた。
 キュアン様は、私の相談に
「私は妥当な判断だと思うよ。
 魔剣の血が絶えかねない事態だ、同じ砦の聖者の末裔として、守護することは当たり前、父上も了承なさるだろう。
 グラーニェも、すこし心労がかさんでいるようだしな…戻った方がいいかもしれない。宮廷で見かけた、あでやかな顔がやつれて見えるのは、私も心配だ」
そう仰った。レンスターはアグストリアから遠く、政争も及ばない。
 こんな危険な場所に妻子をおいておくことはできない気持ちは良くわかる。兄にとって、これがお姉様にできる、精いっぱいの夫の仕事だったのだろう。
 でもお姉様は…予想の範囲ではあったけれど…ノディオンから動かれることを、頑として受け入れてくださらなかった。
「陛下は必ず帰ると、私に仰ってくださったのです。
 帰られた無事なお姿をお迎えするまで、私はノディオンを離れません」
そう言い張って、家臣達を困らせているという。
 再び相談を持ちかけたら、キュアン様もシグルド様も一様に
「グラーニェ殿の好きにさせてあげるといい」
というお答えだった。シグルド様が言葉を続けられる。
「幸い、アズムール陛下はあいつの人となりをご存知の上で、特にノディオンには、できる限り今まで通りの生活のできるようにと計らってくださるそうだ。後の拠点は、グランベルの役人が入って、領民の管理をするそうだが、必要以上の締めつけはさせないと仰っている」
そして、そばで心配そうなお顔をしていらっしゃる奥様を見て、
「何の遺恨も無く再会したいのは、私達も同じだ。こと他人ならぬグラーニェ殿なら、そのお気持ちもひとしおだろう」
と仰った。
「君は、兄上に会うために外に出る決心をした。しかしかの方はそれでおできになられぬ。
 かの方の代わりにこの戦の真実を見聞し、自分を磨くように。
 それが君の使命と、手紙には書いてなかったかな」
「はい、ありました」
お姉様は、兄が無事帰ってくること、それだけをよすがに生き永らえておられる。私がこれからもたらせるものが、悲報でしかなかったらと考えると、空寒くなるほど、自分もそれが恐かった。
 私がもたらす最悪の結果、それは、ノディオンの最期の知らせなのだ。

 一年。
 それが、シグルド様が兄に対して、本国への説得の時間として提示した時間だった。
 しかし、この時間が、アグストリアとグランベルの間に、微妙な影を落としてゆく。
 アグストリアの、接収した各拠点に配置された管理官は増長を始め、シグルド様のたびたびのご叱責もよそにして領民を苦しめ始めているらしい。まさに、アグストリアにとって、グランベルを背に持つシグルド様は国を食うドラゴンだ。
でも、その管理官たちを監視しておられる立場のシグルド様の顔も、日に日に渋くなられる。接収した拠点を開放するための交渉について、本国は一切答えないようになったらしい。つまり、そのまま支配を続けよということだ。
「そんな事できるか、私はあいつと約束したんだ、きっとアグストリアをあいつの手に返してやると」
何度目か、判で押したような指令書を投げて、シグルド様は頭を抱えられた。奥様のご懐妊がわかったけれど、喜びも半分と言った風情だった。
 アグスティの城から西に、森に隠れるようにしてシルベール砦の姿が見える。
 手が届きそうで、届かない場所、そして届かない人。
 私の溜め息はいやがうえにも、部屋の中に溜まってゆくばかりだった。

 私の不機嫌が、城の一部の雰囲気を左右しているらしい。
 そうおしえてくれたのは、私を城の外に連れ出してくれた小盗賊デューだった。
 武器の修繕を一気にたのまれて、
「オイラひとりじゃ運べないからてつだってよぉ」
と、大食堂でぽつんと座っていた私に声をかけてくれたのだ。私が
「大変な荷物ね。いいわよ、手伝うわ」
と立ち上がると、すぐ近くにいた護衛の騎兵が一人立って
「お供を」
と言った。でも私はそれを制し、デューと二人だけで行くことにした。
 修理屋に入って、出来上がりを待つ間、具体的にどう城の様子が変なのかを訪ねると、デューは処置なし、という顔で天を仰いだ。
「そりゃあすごいさ。たまんないよ。
 あっちでいらいらこっちでおどおど、うんざりしてるのはオイラだけじゃないって」
「ごめんなさい、でも私」
「わかってるよ。シルベールの兄上様が心配なんだろう?
 でもさ、まだまだ半年も時間があるっていってるじゃん、それまでにはどうにかなるって。
 えらい人の考えてることなんか、オイラにゃわかりっこないけれど、幸せは諦めたつもりで待つもんだって、ね」
「…そうね」
こんな小さな子にまで励まされてしまって、私はまたなんだかもうしわけなくなる。
「ありがとうデュー。心配してくれてるのね」
「なんのなんの。オイラぐらいじゃあ、まだまだ心配なんて、言わないよ」
デューは、あははは、と屈託のない声で笑った。そのうち、声がする。
「おわったらしいね。
 どう、姫様? オイラの今からいう通りに、してみる?」
「なに?」
デューが、私に耳打ちする。
「いいから、言う通りにしてみな、きっといい事があるよ」

 私は、特に他意を感じることもなく、店のカウンターに武器を並べる、炉の火に焼けた顔をした主人の前にたった。
「ご苦労様でした、有り難うございます」
「頼まれたのは、剣がこれだけと…ん?」
主人は、私の顔を見入る。
「…お嬢さん、前に会ったことあったかね」
「さあ、私、ここに来たのは初めてよ」
「…そうだっけねぇ。あんたみたいに綺麗な人は、一度見れば忘れやしないものだが…夢で見たかな。
 さあ、代金はこれだけだ」
と、主人が代金を提示する。私はデューを振り返ると、デューは笑って、促した。
「あの、店主さん」
「なんだね? びた一文まからないよ。剣を打ちなおすたって、材料を足したり…」
「ええ、わかります。
 でも、いいお仕事するんですね。
 これからも、こちらにお任せしたいと思いますから…」
顎を引いて、上目遣いに、主人を見た。主人の顔が、急に、困ったような顔になる。
「え、あ?」
カウンターには、言い値の金額が置いてあった。だが主人は、大雑把に金貨を拾った後は、
「…後ろのは、弟さんかい? 何か、おいしいものでも買ってあげな」
といった。後ろで、デューが吹き出すような声を出した。

 「やったね、大成功だ」
デューはほくほくした顔で、主人がとらなかった代金を自分の袋の中にいそいそとおしこんだ。
「あらまあ、デュー、余りは返さないの? みんなから預かったのではなくて?」
「いいんだよ、のこりはオイラのおだちんさ、武器屋のおやじだってそういったじゃないか」
私は、少しくあきれた声が出てしまった。
「…盗賊として大成するわよ、あなた」
「ありがとう」
と言いながら、デューが私の前に回り込んだ。
「笑いなよ、姫様、その方がずっとかわいいって」
「え」
私は立ち止まって、デューの顔をみた。デューはに、と笑っている。
「やだ、おかしい顔」
わたしは、くす、と吹き出しそうになった。

 デューは、今の時間なら、まだ皆大食堂で暇を持て余しているはずだ、といった。私は、重たそうに抱えるデューから剣を何本か預かって、城の大食堂に入ろうとした…が、大きい物音がして、戸口で足が止まってしまった。
 一足先に中に入っていたデューは、何がおこったのか分かったらしい。手近の机に剣を投げ出し、自分もその机の上に立つ。
「やっぱりはじまったか!
 さあさあさあ、みんなオイラに注目! どっちが勝つと思う?」
大食堂にたむろしていた兵士や騎兵達が、いつの間に用意してあったのだろう、デューの袋にお金を放り込んでゆく。
「俺はあっちに五枚だ、わすれんなよ!」
「隊長に五枚!」
そんな声が聞えるけど、私の足は動かない。デューが金を集めている向こう側では、別の人だかりができていた。
 立ち尽くしていた私の前に、飛び出してくるのはエーディン様とアイラ。
「ねぇ、デューは何をしてるの、一体何が起こっているの?」
と聞くと、エーディン様は取り繕うように微笑まれて、
「それより、お疲れでしょう、お茶にしません?
 誰か、お荷物をあずかって差し上げて」
「ねぇ、アイラってば」
「今君が言ったら、火に油を注ぐだけだ、いない方がいい」
私は、お二人に両脇を抱えられるようにして、自分の部屋に連れていかれてしまった。

 どうも、女性絡みで喧嘩が起こったちょうどその現場に、私は出くわしたらしい。
「でも、どうしてそれが、私があそこにいては行けない理由になりますの?」
と言うと、アイラが
「話題の主が君だからだ」
と、これ以上も無くあっさり言った。
「私?」
「シルベールの兄上の代わりになると言い出したのが二人ほど出たらしい」
「だからといって、ふたりとも…」
エーディン様が困ったというより、あきれた、と言う風情で額を押さえられた。しかしアイラは、
「君はいつも、『兄上と同等の者でなければ』と言っているだろう」
「…ええ」
「私は、わからないでもないんだが…」
そう言った。
「アイラにも、お兄様がいらっしゃるのよね」
とエーディン様が話に入ってくる。
「そう。シャナンは便宜上弟と言うこともあるが、本当は甥だ、兄上の子だから」
アイラの顔が、少しだけ、ほころんで見えた。
「冷やかし半分だったが、父上にも兄上にも言われていたよ。
『二人のどちらかと戦って、せめて互角でないと、アイラをまかせることはできないな』と。
 私も、少しそれを望んでいたこともある」
「今は?」
「今は…どうだろう」
アイラは切なそうな顔をした。どうも、何かの傷をえぐったようだ。
「あ、ごめんなさい…」
「いや、気にしないでほしい。
 それより、今ごろあの二人はどうなっているのかな」
「しりません」
エーディン様は、新しくお茶をいれながらおっしゃった。
「どちらにしても、口が足りなくて手が出てしまう所で、ノディオンの陛下には遠く及びませんわ。
 いまごろ、エスリン様から大目玉をくらっているでしょう」
「そうかもしれないな」
私は、勧められたお茶を、二人の会話を半分耳に流しながら、もくもくとのんでいた。
「エーディンが時々貸してくれる本には、女性をめぐっての決闘は、よくあることらしいがな」
「そうね、戦って人を退けてまで獲得したい女性があると言う事実は、男性にとっては一理あることなんでしょうね」
「妙に、あなたが言うと説得力があるな」
「もう、アイラったら、茶化さないでくださいな」

 私に必要とされているのは、もう兄本人ではないのだと、私は薄々そんな事を思ってはいた。
 エーディン様達が仰っていたように、私の隣にこの先いなければいけないのは、兄ではない別のひと。
 ノディオンに来てからは、交際の申し込みは全て破棄した。兄を口実にして、直接の申し込みを拒絶したこともあるし、兄本人が何より、私に一切の縁談をもってこなかった。
 「わたしの理想はお兄様」。もうそんな子供じみた小細工が通じる時期でも年齢でもないことに、私は気がついている。このままこの旅団に言い付ければ、私からその手の縁はどんどん遠ざかるばかりだろう。
「お兄様の、代わり…か」
呟いた言葉は、エーディン様のお耳に届いていた。
「あら、もうどなたか、いらっしゃいますの?
 あのお馬鹿さんのどちらかしら?」
そう尋ねられたけれど、エーディンさまの仰っている二人のこともわからなかったし、私はかぶりをふった。
「申し訳ありません、そんな事、考えたこともなくて」
「あら、とんでもない、私こそ、つい失礼な質問をしてしまいました。
 確かに、お兄様は素晴らしい方ですし、今は戦うことで精いっぱいですものね」
「…ええ」
その言葉に一応、うなずいては見たものの、私は何となく、釈然としなかった。


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